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死の都市  作者: LION
第三章 
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第二十六話 脅威

 どれだけ走ったのだろう。相田くんに道を確認しながら住宅街の角を何度も曲がり、やっと周囲にゾンビの姿がない場所を見つけた。ゾンビの集団との戦闘に加え、この長距離走。体育会系の部活やサークルに所属していない私や奈美さん、相田くんはもとより、佐伯くんと須藤くんも疲れているようだった。焦って無理するよりも出来ることなら可能な限り慎重に体力を温存しながら進んだ方がいい。そこで私達は少しばかり休憩することにした。


 須藤くんたちが鞄から飲み物を取りだし水分補給している中、私は重い下半身を引き摺るようにしてコンクリートの段差に腰をおろす佐伯くんの傍に寄った。


「佐伯くん。……見たよね? お屋敷の硝子越しに、奇妙な影が映ってたの」

「……ああ、見た。よくは見えなかったが……直感でわかる。あれは普通のゾンビよりもはるかに危険な……最大の脅威となり得る恐ろしい存在だ、間違いない」


 佐伯くんは背中を丸め私の耳元に口をもってくると小さな声で囁いた。……皆に聞かれたくないのだ。確かに現状を知ったばかりで、今まで暮らしてきた人間社会と全く異なる野蛮な世界にまだ不馴れな二人に余計な不安を与えることは控えるべきだ。そんなことも考え付かない自分自身に落ち込みながら声のボリュームを数段階下げる。


「お屋敷の門を突破したのはあれの力なのかな?」

「そうだろうな。だがもうこれ以上考えるのは無駄だ。高校に到着するまでにあれに遭遇しないよう祈ろう」


 話を終えて、頬に息がかかるほど佐伯くんに接近していたことに気付き、慌ててお互い後退した。


「……すまない」

「だ、大丈夫!」


 いつも涼しげな顔に困惑の色を浮かべ視線を横に逸らす佐伯くんに、私も顔に血が集中して熱くなるのを感じる。ゾンビが現れて日常の些細な感情なんて消えてしまったのだと思った。でもやっぱり違う。私の中の人間はまだ何も変わっていない。生きているんだ。


 そんなことを考えて何気なく視線を移すとニヤニヤ顔の須藤くんと目が合った。


「こんな世界にも純愛は存在するって俺は信じてるぜ」

「ちょっと須藤くんっ、何を見てそう思ったのー?」

「ねえ、気になってたんだけどさ、三人はどーいう関係なわけ? 特に佐伯くんと皐月ちゃん」


 意味ありげに私と佐伯くんを交互に見てくる須藤くんの逞しい腕をパシパシと叩いていると、奈美さんまで参入してきた。でも確かに私達の関係については気になるところだろう。


「私達はこんな事態になって逃げてた時に偶然出会ったんだ」

「へえ、面識なかったんだ」

「うん。だから須藤くんもまだ誤解してるようだけど、佐伯くんと私はそういうのじゃないの」


 何故か緊張して早口になる。そんな私に奈美さんは悪戯っぽい笑みを浮かべる。


「お似合いだと思うけどなぁ~男前の佐伯くんに可愛い皐月ちゃん」

「でもこいつら絶対そーいう関係に発展するまで面倒だぜ」

「ちょっと奈美さんっ違うっ。須藤くんもまた!」

「俺と伊東さんのことは置いておいて、だ。高岡さんには交際している男性がいるんじゃないか? 薬指に嵌めた指輪はつまり、そういうことだと聞く」


 さっきから無言を貫いていた佐伯くんが話題を変えてくれ、顔から火が出る思いだった私は安堵の溜め息をついた。助かった。須藤くんは「佐伯、否定しねーんだな」と相も変わらずしつこかったが、佐伯くんに冷ややかな視線を浴びせられ軽く舌打ちすると静かになった。


「交際なんて言葉はしっくりこないけどさ――いるよ、一応」

「近所に住んでる幼なじみなんだとさ」


 少し照れ臭そうに言う奈美さんに相田くんが補足する。心なしか彼のおちょくるような言葉の中に何か別の感情を感じた。


「でも今はそれどころじゃあないでしょ、親とも連絡つかないし……。その避難所行ってからゆっくり考えるよ」

「連絡はとらないのか?」

「……今はいい」


 ――怖い、彼の安否を知るのが。奈美さんの心の声が聞こえてくるようだった。平常心を装ってはきはきと話していたが、最後の声は震えて、不安に軋む心を隠しきれていなかった。私のお母さんと一緒……。


「奈美さん、大丈夫だよ。私ね、弟とまた会えるって信じてるの。国はまだ動いてるんだよ。軍も機能してるし。奈美さんも、会えるよ」

「……ありがとっ皐月ちゃん。アイツは簡単に死ぬような奴じゃないからあたしも信じてる。ちょっとは心配だけどね」


 何の根拠もない薄っぺらな言葉。だけれども私は不安そうな奈美さんをどうにか元気づけたかった。奈美さんはそれを聞いてはにかんだ優しい笑顔で私の頭をポンポンと優しくたたいてくれた。


「皐月ちゃんの弟くんも、きっと大丈夫。あとちょっと頑張ろ」


 奈美さんは強い。でも今の世界では、強さは脆さと紙一重だ。この先どのようなことが待ち構えているのか私たちにはわからないが、私は彼女を支えていきたい。もう、絶対に失いたくない。キラキラと昼の陽光を反射して輝く奈美さんの瞳を見つめ、そう強く思った。


 それから暫くして疲労が完全に抜けきることなく出発し、住宅街を通るコンクリートの道を私達は一言も口にすることなく無言で進んだ。奈美さんと相田くんにはゾンビが聴覚を頼りに獲物を追うことは伝えてある。ヨロヨロとおぼつかない足どりで徘徊するゾンビが常に視界に入ってくる――気分が悪い。それでも立ち止まることなく歩き続けていると、「和泉商店街」と古臭い書体で書かれた色褪せたアーチが見えてきた。


「着きましたけど……。僕が案内できるのはここまでです」

「須藤、ここからは頼めるか?」

「……んー」


 アーチの手前で歩を止め、全員の視線が須藤君に集中した。腕を組んで俯き考えこんでいた須藤くんがちらと視線をこちらに向ける。


「わかんね」

「ちょっと、知ってるって言わなかった!?」

「……! しーっ」


 普段からの癖であろう、口を尖らせ身を乗り出して須藤くんに詰め寄る奈美さんに、私と佐伯くん、相田くんが揃って静かにするよう注意を促す。奈美さんははっとして慌てて口を押さえた。


「いや、ここだと思うんだがなぁ。俺が足繁く通ってたのはもっと栄えてたぜ。高い建物とかあってよ」

「あぁ、じゃあこの先だよ。この商店街一見寂れてるけど、色々な店が集まっていて結構長いんだ。確か繁華街に続いてたと思うけど……」


 確かに大きな商店街のようだ。視界が届かないずっと奥の方まで食品店や電器屋、美容室などが両側に並んでいる。そしてあちらこちらから聞こえる呻き声。ゾンビが……いる。それもたくさん。


「通りは狭い上に奴らの数が多いようだな。店から飛び出してくる可能性もある。気をつけて進もう」


 五人一列になって商店の並ぶ狭い通りを進む。床の血溜まりに野菜が無惨に散らばる八百屋、豚肉や牛肉に混じって人肉が並ぶ肉屋、ビンが割れ破片が飛び散る床をゾンビが平然と歩く酒屋。人々の生活が密集したこの場所には、もう日常の欠片もない。


 正面にゾンビが見えた。人一人分ほどの間隔をあけて数体のゾンビが横に並んでいる。かつては人であった肉塊が散乱する無人の商店街で海藻のようにゆらゆらと揺れる人の形をした化け物の姿は不気味で、趣味の悪いホラー映画のようだった。


「これじゃあ何もなく平穏に通過ってわけにはいかないね……」

「かといってUターンするわけにもいかないようだぜ」


 どうにかして切り抜けられないものかと正面をじっと凝視する私に、須藤くんが立てた親指でくいくいと後ろを指す。振り返って見ると数体のゾンビが私たちが来たアーチをちょうどくぐったところだった。前も後ろも――ゾンビに挟まれている。


「音で誘導したいところだが……このような閉じられた環境では他のゾンビもおびき寄せてしまいかねない。やるしかないな」

「あ、じゃ、じゃあ僕に任せて」


 木刀を鞘から抜いた佐伯くんを相田くんが緊張した声で引きとめる。手にはスリングショット。腰に下げたショルダーバッグから鉛玉を数個取り出し、ゾンビに向けて構える。そしてビンッとゴムの弾ける音が聞こえたと同時に数体のゾンビのうち真ん中の一体が倒れた。


 頭部を大きく反らせて倒れたところを見ると額か首を狙い撃ちされたようだ。両側のゾンビが骨を砕く音に反応し、真ん中のゾンビが倒れた辺りを不思議そうに見渡す。その次の瞬間、一番右端のゾンビも倒れた。


「残るは三体か。よし、行くぞ!」


 佐伯くんが少し離れた位置のゾンビに向けて駆け出す。須藤くん、少し遅れて奈美さんも続く。スポーツバッグを担ぐ私は元々運動が苦手なこともあり三人にとても追いつかない。急ぎ足で向かいながらも佐伯くんと須藤くんがそれぞれ一体ずつゾンビの息の根を止めたのを見届け、歩く速度を緩めた。


 あとは奈美さんだ。二人が傍にいるから彼女の身の危険を心配することはないだろうが、まだ奈美さんのゾンビを攻撃する手には戸惑いが感じられる。それが正しい人間の在り方であったはずだが、須藤くんも言っていたように、こんなことになってしまった今は生き残るためにかつての常識、モラルを変えていかなければいけない。人間の姿をしていてもこれはバケモノ。かつて人間だったとしても今はバケモノ。そう割り切らなければこの世界で生きてはいけない。


 奈美さんの両腕が振り下ろされた。頭蓋骨が砕ける重い音と共に最後の一体が崩れ落ちる。いつの間にか隣にいた相田くんが緊張に強張った身体を緩め、ほっと息をついたのがわかった。


 ゾンビの一団を切り抜け、再び私たちは歩き始めた。通りの奥に高い建物がちらほらと見えてきていた。商店街のおわりももうすぐのようだ。


「……惨いね」


 隣を歩いていた奈美さんが呟いた。確かにこの辺りには死体が多い。それも、人間の原型を留めているものが。血もまだ赤く新鮮で、殺されてからあまり時間が経っていないように思える。


「このあたりにはまだ生きている人がたくさんいるのかな」


 目に涙を溜めた女性の所々破損した死体を痛々しい思いで見つめる。


「ん? おいっ……!」


 須藤くんが何かに気付いたような声をあげるといきなり前方に向けて走り始めた。


「どうした須藤!?」


 訳がわからないまま私たちは須藤くんを追う。走ったのはほんの僅かだった。須藤くんは一体の死体の前で足を止めた。


「ちょっと、なんだっていうの?」


 急に何も言わず走り出した須藤くんに後ろから奈美さんが問う。


「……こっから先は気を付けた方がいいぜ。俺らの脅威はゾンビだけじゃねぇ」


 須藤くんの目線の先には一体の死体……恰幅のよい中年の男性だ。ふつうはその人の性別、年齢、ましてや肉付きなどは食い散らかされわかるものではない。しかしそれは襲ったのがゾンビだった場合だ。


「人が、この人を殺したの……?」


 動くことのない男性の額、胸、腕、腹……数ヶ所に矢のような細い金属の棒が刺さっていた。

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