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死の都市  作者: LION
第三章 
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第二十三話 屋敷

「……優子?」


 優子さんの目は大きく見開かれ――瞳は薄い膜を張ったように濁り灰色で、目玉はじっと宙を見つめ小刻みにピクピクと動き――肌は白魚のように真っ白で青い血管がびっしりと浮き出ている。どう見ても普通の人間ではないのは明らかだ。しかしつい数分前まではごく普通の女の子だったのも確かで……。


「ゆう……」


 名前を呼びかけながら優子さんだったものに手を伸ばそうとする奈美さんの手首を須藤くんがぐいと掴んだ。


「離れろ」


 そのまま数歩後退する。奈美さんは様子のおかしい優子さんから目を離せず、引かれるがままになっていた。優子さんは手首に巻きついたベルトが邪魔して立ち上がることができずにいたが、数回腕を外側に開こうとする素振りを見せると、いとも簡単に革のベルトは千切れてしまった。ひぃっと駿くんが声を上げる。そして優子さんがガクッガクッと何度もよろめきながらもゆっくり立ち上がった。


「……ゥウアァァアアァ……」


 喉の奥から絞り出すような低くおどろおどろしい呻き声。さっきまで耳にしていた心地よいソプラノのか細い優子さんの声とはかけ離れていた。そのあまりの異様さに奈美さんもたじろいでいる。


「な、なに……どうしたの、優子?」


 恐怖に上擦った奈美さんの声に反応して、一歩、また一歩と優子さんだったものが近付いてくる。駿くんは何か声を出そうとしているものの、すっかり怯えきって唇を開いては閉じを繰り返していた。


「……噛まれた人間はさっきのやつらと同じ化け物になるんだ。これでよくわかっただろう?」

「……優子が、化け物?」


 低いトーンの声色で教え諭すように言う佐伯くんに、奈美さんは信じられないと首を振る。優子さんだった化け物はストール越しにもわかるような大口を開け、溢れだす涎がストールに染みを作っていた。前に突き出されたその腕が私たちに届くまで、あと五歩。


「行くぞ、家はどっちだ?」

「行くって……優子はどうするわけ……?」

「これがまだてめぇの友達だって言うのか? この死んだ目をした化け物が? だったらここでこいつと手ぇ繋いで仲良しごっこでもしてな!」


 化け物をじっと見つめたまま口をつぐんでしまった奈美さんに、須藤くんは舌打ちをすると強引に走らせる。私と佐伯くんもその後に続く。


「ちょ、ちょっと待ってよ!」


 駿くんも恐怖ですくんだ足を引きずるように走り出す。手を貸そうかと思ったが大丈夫そうだ。さっきいた場所からだいぶ離れたところで奈美さんが後ろを振り返った。その大きな目には涙が滲み、口はかつての友人の名を声に出すことなく呟いていた……。



 重い金属音が背後で鳴り響いた。人の丈以上の高い塀に囲まれた敷地の中央には普通の家より二回り三回り大きい洋風のお屋敷があった。門から玄関まで石畳が敷かれており、まわりはきれいに手入れされた芝生が生い茂り、塀に沿って木がたくさん植えられえいる。想像以上に立派な家だった。


「あいつ地味なくせに見かけによらねぇもんだな……」


 須藤くんがぼそりと言う。確かにすごいお家だ。部屋の片隅から全てが見渡せてしまうような狭い都営住宅暮らしの私にとって、このように広くてお洒落な造りの家は強い羨望の対象だった。しかし今は悠長に豪邸見学している場合じゃない。私たちが周囲に気を取られている中、当の屋敷の持ち主の息子は真っ青な顔をして鞄の中を探っていた。


「今来た門以外にも出入口はあるのか?」


 周囲を注意深く見渡していた佐伯くんが尋ねた。


「あ、はい、裏に一人がやっと通れるくらいの幅の裏門があります……」

「……なるほどな。しっかり施錠してあるか?」

「はい、多分……」


 いちいちビクビクとしながら駿くんが答える。ショックで気が動転しているのかと思っていたが、こうして様子を見ていると元々弱気な子なのかもしれない。やっと鍵が見つかったようで、指の震えに苦戦しながらも見事な装飾が施された木彫りの扉を開けた。


 中は少し古くさいが洗練されており、インテリア一つ一つにこだわりがあるように感じられた。玄関は吹き抜けで正面には綺麗に磨かれた美しい石造りの階段がある。どうやら靴は脱がなくてもいいらしい。


「え、えと。僕の部屋に行きましょうか。テレビもパソコンもありますし」


 私たちは階段を上る駿くんに付いて言った。当然ながら友達を目の前で亡くしたばかりの二人の背中はどんよりと暗かった。さっきから奈美さんは一言も話していない。


「ここです……」


 扉を開くと意外とシンプルな部屋が現れた。家具がシンプル、というだけでその広さはかなりのものだが。大型テレビを淡い水色のソファーがコの字型に囲んでいる。私たちはとりあえずそこに腰を下ろし落ち着くことにした。



 この部屋に来てしばらく経った。誰も一言も話そうとしない。ただ奈美さんと駿くんはだいぶ落ち着いてきているようで、時折説明を求めるような視線を私たちに送ってきていた。


「……えと、まず自己紹介しませんか?」


 重い雰囲気の中、思い切って提案する。お互いをよく知らなくては。協力せずしてこの苦境は乗り越えられない――これまでの経験で一番感じたことだ。最初に佐伯くんがそうだな、と同意し、他の人も次々と頷いてくれた。


「えっと、じゃあ私から。伊東皐月です。立星大学の二年生です。よろしくお願いします」

「やっぱりあなたたち立星の人なんだ。あたしたちもだよ」


 奈美さんが俯いていた顔を上げて言った。立星大学は結構大きな大学でこの付近にいくつもキャンパスが点在している。学生数も半端なく多いので駅は平日祝日関わらずいつも立星の学生で溢れ、商店街も賑わっていた。なので奈美さんたちが同じ大学の人であることは不思議なことでもなんでもない。しかしやはり同じ環境にいたというだけで相手を身近に感じるものだ。


「あ、ごめん割り込んじゃって。先に言っちゃうね。あたしは高岡奈美、立星の三年生。よろしく」


 足を組みなおした奈美さんの短く切り揃えた髪がサラッと揺れる。クールビューティーとはこのことだ――女の私から見てもドキドキしてしまう。ふとソファーの肘掛けに添えられた彼女の左手を見ると銀色に輝く指輪が薬指にはめられていた。彼氏だろうか? 先ほどのこともあるし、はっきりした口調でしゃべる奈美さんだが、内心不安でたまらないのだろう。


「じゃあ次は僕が……相田駿です。同じく立星の学生で三年生。どうぞよろしく……」


 おどおどしながらもぺこりと頭を下げた駿くん……ではなく相田さん。少年だとか好き放題言ってしまっていたが、彼は私よりも年上だったようだ。ウェーブがかった癖の強い黒髪を指先でくるくるさせながら眼鏡の奥のパッチリとした目を緊張で頻繁に瞬かせている。奈美さんとあまり変わらないくらいの背で男性にしては少し小柄な彼は、女の子のような繊細で柔らかい顔立ちをしている。


「俺は佐伯義崇、立星の三年だ。よろしく。」


 そういえば佐伯くんの学年を教えてもらっていなかった。三年生だったのか……。このような崩壊した世界で年功序列なんて意味をなさないかもしれないが――現に私は彼にずっとため口をきいていた――それでも年上には敬語を使わなくてはいけないという今まで培ってきた社会常識が私の中で働いていた。どうしよう。今から敬語に切り替えようか。


「須藤英雄、伊東と同じ二年。どーぞよろしく」


 一方で須藤くんは同い年だったらしい。外見怖いし偉そうだから年上かと思っていた。まぁ浪人の可能性もあるかもしれないけれど。そもそも浪人による年齢の違いは以前の世界でもあまり意識されていなかったか。


「佐伯くん三年生だったんだっ……ですね」


 隣の佐伯くんに小声で話しかけたが、慌てて敬語に訂正したからか不自然なイントネーションになってしまった。向かいの奈美さんがクスッと笑った。


「今まで通りに接してくれていい。こんな状況下で敬語なんて、コミュニケーションの足枷にしかならない。学生同士なんだしな。俺や須藤の厚かましさを少しは見習ってもいいんだぞ」

「おい、誰が厚かましいって? 俺は一浪だからお前と同い年だぜ」


 須藤くんが佐伯くんを小突きながら言う。須藤くんが佐伯くんと同い年ってことは私が一番年少かぁ。それを知ってしまうと急に肩身が狭く感じる。


「じゃあ僕が一番年上だね、二浪だから……。両親はそれなりなんだけど僕自身あまり出来がよくない息子でやっとの思いで入ったんだよ……」


 相田くんが呟いた。まさかの彼が一番年上だということだ。


「ちょっと、あたしそれ初耳なんだけど! ほんとに? 駿二つ上なんだぁ、あはははっ見えないって!」


 さも可笑しそうに笑う奈美さんに、私もつられて笑いだす。佐伯くんと須藤くんにも軽く笑われ相田くんは困ったような苦笑いで頭を掻いている。


「でもあたしも今まで通りで行くよ。こんなときくらい、というかこんなときだからこそいつもの調子を崩したくないし。皐月ちゃんも皆にため口でいいから」

「ありがとうござ……ありがとう」


 奈美さんがフフッと笑う――と、見る間に笑顔がしぼんでいった。


「優子――立花優子はあたしたちと同じイベントサークルでね」


 そこまで言うと一拍置いて彼女はこれまでのことを話し始めた。

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