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死の都市  作者: LION
第二章 
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番外編 清見千香子

 大学生になって初めて経験するアルバイト――商品を並べたりレジを打ったり――そんな作業を黙々とこなすのが私の性にあっていると思い、私は大学の近くのコンビニの店員に挑戦することにした。しかし思っていたよりも仕事内容は複雑で。少しお堅いところはあるけれども学業やサークルと両立させようと奮闘する私の相談に親身になって応じてくれる店長や、老若男女様々で個性豊かな他の店員たちに迷惑をかけながらもようやく慣れてきたと感じるようになった頃――その日は突然やってきた。


「いらっしゃいませー……」


 最初から変だと思ったのだ――。それを視界にとらえた瞬間、身体に痺れるような緊張が走った。自動ドアをくぐりよろよろと店内に入ってきたその人は、どう見ても普通の人間ではなかった。額から血を流し、腕の関節は変な方向に曲がっている。目は虚ろで肌は死人のように白い。歩き方も頭の頂点を斜め上から紐で引っ張られているような感じで不自然で――とにかく全てが奇妙だった。


「き、清見さんっ……なんすかこの人?」


 もう一人のレジ当番、寺崎海斗くんが困惑した表情でそっと耳打ちをする。いまどきの高校生といった風貌の彼とは同じ時間帯にシフトを組まされることが多かったため、早くに打ち解け今ではよく話をする仲だ。最近所属するバドミントンサークルの活動も忙しくなり疲れが溜まっていたので幻覚かとも思ったけれど、彼も見えているのならその可能性は……無いだろう。


「……さあ」


 ふらふらと店内をうろつく不審者を目で追いつつ考えを巡らせる。何か行動を起こさねばとは思うが、その人があまりにも異質すぎて思考が追い付かない。


「映画の撮影すかね?」

「うん……いやでもそんなこと聞いてないよね」


 とりあえず怪しいし不審人物がいるって店長に報告しよう――そう寺崎くんに言おうとした矢先だった。


「うわあぁぁぁっ!!」


 雑誌コーナーでさっきからずっとTV番組情報誌を読み漁っていたフリーター風の若い男性に不審者が突然もたれかかってきたのだ。全体重をかけ倒れこんできたその人を咄嗟に受け止められるはずもなく、男性はバランスを崩し本棚に激突する。そして次の瞬間、私は自分の目を疑った。


「いぎゃあぁぁーっっ……!!!」


 不審者が男性の喉笛に喰らいついたのだ。鮮血がホースから出る水の如く噴き出し、本棚の雑誌を真っ赤に染め上げる。


「なんだぁ……、うわぁぁぁっ!」


 他のお客さん達も事の異常さに気付いたようだ。店内の至るところから悲鳴が上がる。不規則に痙攣する男性の首の肉は大きく削がれ、今も血がドクドクと白い床に垂れ落ちていた。


「……どうしたっ!」


 騒ぎを聞きつけて店の奥から慌てた様子の店長が出てきた。私は混乱した頭で黙ってそれを指差す。


「何をしているんだ君っ! やめなさい!」


 店長が不審者を男性から引き離そうとする。しかしその人は物凄い力で男性にしがみつき、離そうとしない。店長は不審者が男性に食いつこうとするのをどうにか引きとめていたが、後ろに体重をかけすぎたのかよろめいて尻餅をついてしまった。


「くそっ……! 離れろって言ってるのがわからんか!」


 咄嗟の判断だったのだろう。血を見て動揺したのもあるだろうが――店長は側にあった小型の本棚を抱え上げ――思い切り降り下ろした。


……ゴキッ


 正面から殴ったのだから腕をかざすなどして防ぐと思ったのだが……。本棚がモロに直撃した不審者の頭はあらぬ方向に曲がり、背面から真っ直ぐ床に倒れた。


 店長も周りのお客さんもしばらく唖然としていたが、外が騒がしいのに気付いた店長が携帯電話を手に様子を見てくると言ってふらふらと外へ飛び出してしまった。


 それからしばらくして立ち尽くしていたお客さんも恐怖に駆られて一目散に出入口に向かっていった――が、そこにはさっきの不審者と同じような容貌のもう一人が待ち構えていた。さっき店長が倒したはずのも平然と起き上がってお客さんの方に向かっている。


「ぎゃああぁぁっ!?」

「いっ、痛っ痛いぃいー!!」


 ――地獄だ。カウンターに囲まれ早くも逃げ場を失っていた私達はただ呆然と眺めることしかできなかった。その時、私の袖を誰かがぐいっと引っ張った。


「いやぁ――うぐぐっ!?」

「清見さんっ静かにっ。気付かれちまうよぉ……」


 寺崎くんがカウンターの陰に私を引き寄せ悲鳴を上げようとした私の口を塞いだのだ。そう言う寺崎くん自身は怯えて全身をガタガタと震わせていた。年下に助けてもらってしまった……自分が情けない。


「うっ……」


 冷静になると先程の光景が頭に過り、吐き気が込み上げてきた。酸っぱい味が口内に広がる。カウンターの向こうの化け物たちに気付かれなかったか心配だったが、どうやら大丈夫だったようだ。



どのくらいの間こうしていたのだろうか。随分前に悲鳴は途絶え、ただ不気味な湿った咀嚼音だけが耳に入ってくる。


クチャ……クチャ……


 人を、食べてる……? 信じられないが、そうにしか思えない。一体何が起きているのだろうか……?


 寺崎くんと身を寄せあって言い知れぬ恐怖に堪えていたその時、毎日のように聞いている聞き慣れたメロディーと共に人の気配が近付いてきた。



 私達を助けてくれたのは私と同じくらいの年齢の若者たちだった。黒髪の背の高い凛とした青年は血に染まって傷んだ竹刀を手にしており、これまでいくつもの修羅場を乗り越えてきたことが伺えた。あとの二人はおっとりとした柔らかな雰囲気を醸し出す女の子と派手目でちょっと掴めない感じの青年で、どうやらこの三人で行動しているようだ。


 私たちはあまり情報を与えられぬまま外へ出て(彼らは何か隠しているようだ)、変わり果てた店長と遭遇した。顔の表面がボロボロで筋肉が露出しており、片方の足はほとんど骨だけだった。何が何だか分からない……とにかくあの怪物たちに捕まらないよう必死になって道路を駆け抜けた。


「…………」


 私たち五人は今、不気味なくらい静かな道路を歩いている。皆で生き残ろうと励ましあったものの、やはり釈然としない。一体何が起きているのか? 少し歩けば危険は去ると心のどこかで思っていた。だって、ここは日本の首都東京だ。警察だって自衛隊だって機能しているし、暴動はすぐに鎮圧されるはず。しかしあれは一体――。今も視界の隅をうろつくグロテスクな外見のそれが常識から離れすぎていて、何が何だかわからない。なるべく視界に入れないようにしているが常に生々しい血の臭いが鼻をつく。しかしその反面、この事態を現実だと認識できずにいた。


 それにしても、何か暴動に巻き込まれたのだと思っていたが、いつまでも同じような光景が続いている。グロテスクな化け物の姿が見えなくなったところで思いきって疑問をぶつけてみることにした。


「こんなところまで……。あの、もしかしてこれって、同じことが東京中で起こってたりするんですか?」


 まさかそんなことあるわけない。少し誇張して言えばあちらもそんな心配するなと本当のことを言ってくれるかもしれないからだ。先頭を歩く佐伯さんが少し目を逸らしながら答える。


「……わからない。身の安全を確保してからゆっくり調べようと思っている」


 冗談にしてはキツい。でも冗談ではないようだ――むしろ、わからないことが嘘のようにも思える。自分の言ったことを思い返してみる。東京中で起こっているのか? そんなことがあったら……みんな無事なわけがないじゃないか。そう考えると黙ってなんかいられなかった。真相を聞き出さなくては。


「でも、そういう可能性もあるんですよね?」

「おいおい、冗談じゃねーよぅ……じゃあ俺ら家に帰れないわけ?」


 心配そうな顔で私と佐伯さんの話を聞いていた寺崎くんが声を張り上げる。寺崎くんはパニックを起こしたら手がつけられない。でもこの時ばかりは私も彼を止める余裕がなかった。


 佐伯さんは困ったような顔でどう対応すべきか考えあぐねているようだ。この人は悪い人ではないのだろうけど。すると、少し離れたところを歩いていた須藤さんが口を開いた。


「今は黙って生き残ることに専念しろっての。生きて家族に会いてぇんだろ?」

「か、家族が生きてる保証はあるんですか!?」


 あまりに軽い調子の投げやりな言葉に、大声を出さずにはいられなかった。コンビニで見た惨状が頭を過る。あんなのが東京中で、私の家族のところでも起きてるなら。お母さんは、お父さんは、歩美は今どうしているのだろう……? 考えるだけで背筋が凍る思いだ。


「大丈夫だ。警察や自衛隊が動いているだろうし、多くの人は家に立て籠ったり指定された避難所に避難している」


 落ち着いた佐伯さんの言葉にどうにかこうにか平静を取り戻す。その後は自分の考えに耽ってしまいあまり何を話したか思い出せないが、伊東さんが気をつかって色々話しかけてくれた。彼女はいい人そうな人柄がにじみ出ているし、一緒にいてほっとする。気がつくと私たちは消防署の前にいた。


 私たちは消防署の会議室らしき部屋で休憩することになった。窓硝子を割って侵入してからここまでのことはあまり思い出したくない。ただ一言言うとしたら、人とはあんなになってしまうものなのか。それに尽きる。


 安全な場所で一息ついていたそんなとき、寺崎くんが思い出したようにスマートフォンを取り出した。そして、破滅の扉を開けてしまった。しかしどうしようもなかったのだ。こんな不条理な残酷な世界で、私はついに音をあげてしまった。だって私の家は人がたくさんいる繁華街の近くで、木造の古い一軒家で、歩美は車椅子なんだもの。お母さんもお父さんも歩美を見捨てるわけないし、こんな地獄を生き延びれるわけないじゃない……。


 現実から逃げたくて、逃げたくて、弱い私は考えることをやめた。現実を捨てて、都合のいい夢を見ることにした。というか現実が夢みたいなんだもの。いや、これは本当に夢なんじゃないかな。こんなことあるわけがないし。そうだそうだ。もう大丈夫。夢が覚めれば、お父さんもお母さんも歩美にも、また会えるよね。

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