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死の都市  作者: LION
第二章 
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第二十話 平和

「……伊東さん」


 ぐっすり眠っていたところを揺り動かされ、私は重たい瞼を僅かに持ち上げる。ぼんやりと映し出される佐伯くんの顔。……近い。涼しげな目を縁取る睫毛の一本一本まで見える。


「……ん、どうしたの?」


 佐伯くんは柔らかく微笑み、何も言わずに私の手をとり立ち上がる。私も彼に支えられながら体を起こした。頭の痛みはきれいさっぱり無くなっている。佐伯くんに引かれるままに私はリビングへ向かった。


「伊東、起きたか」


 真っ白な壁に囲まれた清潔感溢れるリビングのソファーに須藤くんが足を組んで腰かけていた。私が来るのを待っていたかのように立ち上がる。


「さあ、行こう」


 佐伯くんはそのまま直進し、玄関のドアに手をかけた。どこに行くっていうの? 危ないよ……。そう声にする間もなくドアが開かれた。瞬間、眩しい光が薄暗い室内へ溢れ出す。暖かい、朝日。


「え……嘘……」


 アパートの廊下から見える正面の道路は血溜まり一つなかった。ゾンビもいない。向かいの建物から人々が出てきていた。皆訳のわからない様子で辺りを見渡している。


「悪夢は、終わったんだ」


 私の肩にゆっくりと佐伯くんの大きな手が乗せられる。信じられない思いで須藤くんを見ると、彼もいつものひねくれた笑顔で私を見ていた。


「終わったんだ……何もかも。あんな悲しみや苦しみは、もう味わうことはないんだね……」


 胸にじんわり広がる安堵感。幸せを噛み締めるように私は言葉を紡いだ。


「――シャワー浴びるか?」

「……はい?」


 あまりに唐突な言葉。そして先程から頬に感じる冷たい何か。


「あれ?」


 須藤くんが私を見下ろしている。色素の薄い髪は水に濡れ、いつものように逆立っておらず下ろしてぺったりとしている。どうやら彼の髪から水滴が垂れてきていたらしい。


「なんだぁ、夢かぁ……」


 私はまだベッドに寝たままだった。幸い頭部の痛みは大分引いたようで、私は再びゆっくりと体を起こした。


「って、須藤くん! 何で上半身裸なのっ!」

「シャワー使えるぜ? まだライフラインは生きてる」


 悪びれもせず飄々とそう言ってのけた須藤くんはまだ水滴のついた体に白タオルをかけ、身に付けているものは派手な色をしたボクサーパンツだけだった。鍛え上げられた上半身は日に焼け、すっと逆三角形を描いている。いやいや、三角形でも四角形でもどうでもいい。


「もーっパンツ一丁でうろうろして! 向こう行ってー!」

「なんだよ、伊東は耐性あると思ったんだがな」

「なに勝手に決め込んでるの! ありませんからーっ!」


 須藤くんはわかったわかったと素直に部屋から出ていった。マーブル模様というのか、赤や紫、青などドきつい原色が入り雑じった柄のボクサーパンツがまだ網膜に焼き付いている……趣味が悪すぎる。


「はぁーびっくりした。……で、結局シャワー浴びろってことだよね?」


 動揺を隠すように独り言を言いながら、須藤くんカッコいい体つきしてたなーと思い返す。そしてきっと佐伯くんもいい身体をしているに違いない。一見細身な彼は隠れマッチョだ。ふふふ。怪しい笑みを浮かべる私はそう、筋肉フェチというやつなのだ――て、私も何考えてるんだか。一人自分に突っ込みを入れて気持ちを入れ替えるため頭をぶんぶんと振る。私もシャワーを浴びさせてもらおう。そういえばあれだけ動いたのにまる一日、汗一つ拭いていなかった。


「おはよ……」

「おはよう。頭はもう大丈夫そうだな。よく眠れたか?」


 リビングに入ると、同じく髪を濡らした佐伯くんがすっきりとした顔で挨拶を返した。


 カーテンが閉め切られた仄暗い室内にテレビの光が浮き出ている。どこかの避難所から現場中継らしい。公民館らしき建物を囲むように頑丈なバリケードを築き、ヘルメットを被った迷彩服の屈強な自衛隊員たちが機関銃を手に避難民たちを誘導していた。その背後では避難民を乗せた輸送車輌が到着し、ゾンビに噛まれていないか厳重にチェックし始める。


「うわぁ……すごい、ゴッツい車……日本にもあんなのあったんだね」

「普段あまりお目にかかれるもんじゃねーからな。憲法で平和主義だの戦争しねぇだのは言ってるが、日本は軍事力はそこそこあるしよ」


 タンクトップにタイトなジーンズというラフな格好に身を包んだ須藤くんが応える。髪はもう既にワックスで逆立てられていた。


「じゃあ、ゾンビを根絶やしにするのも不可能じゃないってこと?」

「それはどうかね……。やつらはネズミ算式に増えてくだろうし、いくらやつらの頭がすっからかんだとしても何か嫌な予感がするんだよなぁ。俺だけか?」

「そういう認識でいた方がいいだろうな。このような未知の事態に心配をしすぎるなんてことはない」


 難しい顔をして佐伯くんが立ちあがった。


「さて、ルートを決めなきゃいけないな。……地図を探してくる。伊東さんはシャワーを自由に使ってくれ。最後になってしまってすまない」


 そう言うと佐伯くんはさっきまで私がいた部屋に入っていった。そうか、あそこは佐伯くんの寝室だったんだ。男の子の部屋にお邪魔するなんて弟を除いたら十年ぶりくらいかもしれない。そう意識するとちょっとドキドキしてきた。こんなときに、私は変態か。


「さーて、入ろっと!」


 思い切り伸びをしてお風呂場へ向かって大きく足を踏み出すと、後ろから視線を感じた。


「……須藤くん、絶対ないとは思うけど、見ないでね?」

「はっ、見ねぇよ」

「じゃ、あっち行ってて」

「……えー」

「須藤、地図が見つからない。手伝ってくれ」


 『えー』じゃない! と突っ込みを入れようとする間もなくドアが勢い良く開けられ、佐伯くんに須藤くんは連行されていった。


 ……仲良くなったなぁ。生真面目で古風な佐伯くんと一見不良で軽いノリの須藤くん――本来関わりあうことがなさそうな二人だ。最初はどうなるかと思ったけれど、死と向かい合わせのこの世界でこんなに微笑ましいこともあるもんだ。そんなことを考えて私は一人静かに笑う。


 脱衣所の扉を閉めると汗でじっとりとした服を脱ぎ、壁に取り付けられた三面鏡に映った自分の顔を見る。


 鎖骨までのびたぼさぼさの髪。一度も染めたことはないが元々ダークブラウンに近い色のその髪は、電球の光を浴び鈍い艶を放っている。顔は少しやつれてはいるが、一晩ゆっくり眠ったおかげでそれほどでもない。昨日は相当酷かっただろうが。


 でもやはりお母さんの無事が分かったことと、三人で今後の覚悟を決めたことが大きいだろう。あとテレビのニュースでまだ国が機能していることを知ったのもある。少し明るくなった未来を思い浮かべ、私は清々しい気持ちでお風呂場のドアを開けた。


 シャワーですっきりしてバスタオルで水分を拭き取っていた時はっと気付いた。


「ええと、佐伯くーん」


 少ししてドアを開ける音がし、佐伯くんがドア越しに近付いてきたのが気配で分かった。


「どうしたんだ、伊東さん」

「……服がなかったです」


 そう。よく考えたらわかることだった。私は荷物を大学に置いたまま逃げてきたのだし、そもそも着替えなんて大学に持ってきていない。下着もない……。


「そのことなんだが……洗濯機の上に服があるだろ? 少々キツイ色をしている服だ。悪いけどそれで辛抱してくれないか……?」

「あ、これ?」


 洗濯機の上に綺麗に折りたたまれたピンク色のシャツと――淡い色のジーンズがすぐに目についた。


「街に出たらなんとかして婦人服を手に入れよう。ここらに服屋は多いし……あと、本当に申し訳ないんだが、下着は水で濯ぐとかして……」

「大丈夫大丈夫! りょーかいです。ありがとう」


 最後の方はだんだんとフェードアウトしていってほとんど聞き取れなかったが、何だかいじめているようで可哀想になり早めに話を終わらせることにした。


 それにしてもピンク色のシャツなんて……さっきの須藤くんのパンツにしても――きっと佐伯くんから借りたものだろうから――彼、意外とすごい趣味してるんだな。人は見かけによらない。うん。


 シャツを被るとやはり小柄な私には大きく、少し短めのワンピースのようだ。気持ち悪いが洗いたての水でびしょびしょな下着の上からジーンズを履いた。おしりが絶対に染みになる。まぁいいや。


「おまたせしました」

「……やっぱすげぇ色してんのな。そんなおかしいってわけじゃないがよ」


 ……やっぱり須藤くんもそう思ってたんだ。二人で顔を見合わせ苦笑いする。


「それは全部、海外に住む両親が送ってきたんだ……。俺には似合いそうもないから、ずっと着ないままどうすればいいのかわからず保管しておいたんだが……新品だからと思って……すまない」


 佐伯くんは顔を真っ赤に染めながら本気で申し訳なく思っているようだ。私も須藤くんもそんなことない、素敵素敵と根も葉もないフォローをする。


「それよりよ、何か食い物ねぇか? 昨日の朝に菓子食っただけだしよ、夜はすぐ寝ちまったし。腹空いただろ?」

「そうだな、ルートを考える前に朝食にするか。非常食もあるが……今は日持ちしないものを消費しておこう」


 まだ冷蔵庫も動いていて、佐伯くんはそこから卵や納豆、牛乳など色々取り出す。それから手際良く炊飯器からお米をつぎ、テレビの前の低いテーブルに並べる。三人座ったところで手を合わせ「いただきます」と行儀よく挨拶をする佐伯くんを尻目に須藤くんは物凄い勢いで食べ始めた。


「ちょっと、そんなご飯いっぺんに食べたら喉に詰まるよ」

「そんなんらいじょーうらよ!」

「食べながら喋るんじゃない」


 すごく平和な会話だ。こんな日がずっと続けばいいのに。しかし現実を考えると、こんなご飯が食べられる時はもう二度とないかもしれない。


 食べるのが遅い私がようやく箸を置き、少しして佐伯くんが話を切り出した。


「地図を見てくれ。今俺たちがいるのはここ……大学から少し離れた駅の近くだ。そして伊東さんの弟くんがいるらしい高校は……ここだ。線路沿いに西に進んでこの大通りで曲がり……」


 佐伯くんが地図にマーカーで線を引いていく。今いるアパートから誠のいる晃東学園まで――確かに結構近い。線が折れる回数は十回を下らないが、それでも半日あれば十分な距離だ。――それは何もなかった時の場合だが。


「今は朝の七時だから……あと少しで出発して、少なくとも夕方までに避難所着くようにするか」

「いいんじゃねぇの?」

「うん、いいと思う!」

「よし、決まりだ。非常食など必要な物は昨日の夜に詰め込んでおいたから、最後に情報を確認しながらゆっくり――」


 急に佐伯くんが黙り込んだ。不思議に思ってどうしたのか聞こうとしたが、すぐに佐伯くんが静かにと手ぶりで伝える。耳を澄ますと……どこからか、微かに人の声がする。甲高い――悲鳴?


 窓際にいた須藤くんが即座にカーテンを開け、下の様子を確認する。続いて佐伯くん、私も覗きこむ。


「……あっ!」


 アパートの下、車が二台通れるか通れないかの狭い通路に乗用車が一台とまっていた。それをここからでもわかるくらい真っ白な死人のような肌をしたゾンビが囲んでいる。バン、バンと車のガラスを叩く音。常人がすれば痛くてすぐに止めるだろうが、痛覚が欠如したゾンビ達は躊躇うことなくリミッターが外れたその脅威的な力で叩き続けている。


「まずい、ひび割れてきてんじゃねーか?」

「中には誰かいるのっ?!」

「……三人いる。ゾンビが邪魔でよくわからないが。さっきからパニックを起こして誰かがずっと喚き立てているようだ。あれでは時間の問題だな」


 そう言って佐伯くんはすっと窓を離れる。


「……助けにいこうよ!」


 淡々とした口調の佐伯くんに、私は縋るように佐伯くんの背中に呼び掛けたが、すぐにそんな自分を恥じた。佐伯くんは用意していた鞄を担ぎ、手には竹刀ではなく――淡い色合いが美しい、芸術品ともいえる木刀が握られていた。鍔付きで、形は本物の刀のようだ。


「稽古用の本枇杷の木刀だ。古来より剣豪に愛用されてきた……威力は練習用の竹刀とは比にならないぞ。実戦は初めてだが断言できる」


 食糧や缶の詰め込まれたスポーツバッグを手に、ドアの方へと進む佐伯くんを追う。


「予定より出発が早まっちまったな」


 後ろを振り向くと須藤くんが鉄色に鈍く光る万能斧を片手で高く掲げていた。


「行くぞ!」


 佐伯くんがドアを開け、私たちは再びゾンビの蔓延る街へと飛び出した……。

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