第十四話 団結
「随分長かったじゃねぇか。ったくマジ焦ったぜ、変な音楽大音量で流しやがって。それからこんな気味悪ぃ道に一人……――ん? なんだこいつら」
待ってましたと言わんばかりに文句を言い連ねる須藤くんだったが、コンビニからぞろぞろと出てきた私達をぽかんと見つめると静かになった。
「あ、えっと、生存者がいたの! 清見さん、寺崎くん、こちら須藤英雄くん」
とりあえず二人に須藤くんを紹介する。無駄に怖い目付きで見てくるいかにも不良の形をした男にビビった様子の二人だったが、おそるおそる名前を告げた。
「清見に寺崎ね。ところでお前ら大掃除でも始めるつもりか?」
「いや、そうじゃなくて……これは武器、一応」
不可解な目で見てくる須藤くんに苦笑いを浮かべて説明する。私と清見さんの手には長箒、寺崎くんの手にはモップ。五人のうち二人しか武器がないのはあまりにも危険なので、店の清掃用具箱から拝借してきたのだ。頼りない武器だがあれを突いて転倒させるのには役立つかもしれない。そして私が持ち運んでいた須藤くんのスポーツバッグは今寺崎くんが持ってくれている。正直言うと大きいバッグを持ち運ぶのに疲れてきたところだったのですごく助かった。
「悪いが、のんびり話している場合ではないぞ……二人ともよく聞いてくれ。今から俺達が相手にするのはゾンビ、化け物だ。映画を見たことがあるかわからないが、あれのように少しでも噛まれたら奴らの仲間入り。でもこれだけは覚えておいてほしい。奴らは目がほとんど見えず、聴覚を頼りに行動している。だから音をたてずに奴らの目を掻い潜るようにして移動するんだ」
佐伯くんが生き残るために最低限必要な情報を掻い摘んで説明する。二人はまだ気の昂りが収まらない様子で話を聞いていた。
「もういいだろ、行こうぜ」
待ちくたびれた様子の須藤くんがそう言って歩き出した。佐伯くんは呆れたように軽く溜め息をつき、私たちはその後を続く。ぞろぞろと一列になって歩く様子は――なんだか遠足みたいだ。陳腐な表現だと我ながら呆れたが、気持ちに余裕ができたということでいい傾向かもしれない。いや、この状況に余裕なんて言葉はとても似つかわしくないのだが。身に迫る危険から逃れるのに精一杯で深く考えることはできないが、家族のことがある。
私はふと思いついて上着のポケットから携帯を取り出した。私は忘れっぽいので授業中に音が鳴ることがないよう、携帯は常時マナーモードにしていたのだ。
期待を込めて半開きにして覗きこむ(カチッという音が鳴るのを防ぐためだ。ちなみに私は母親の理解が得られずまだスマートフォンを買っていない)。しかし、友達と撮ったプリクラの見慣れた壁紙が表示されているだけで新着メールや着信の知らせは無かった。仲の良い友達はどうしているのだろうか。――昭子……由美……。特に仲の良かった二人の友人の顔を思い浮かべ、暗い気持ちになった。
先頭を歩く須藤くんの存在に安心しきって自分の世界に浸っていたが、気を持ち直して正面の様子を確認する。道の終わりが見えてきた。大学前の大通りと同じくらい広い通りに繋がっているようだ。しかしその途中にはいくつかゾンビの姿があった。一番手前の一体はこちらに背を向けるようにして道の端に佇んでいた。脇腹はくり抜かれたように大きく穴が開いており、肋骨やテカテカ光る内臓が覗いている。あんなに肉体が破損していても平気な顔をして生きていられるのだ……ゾンビという化け物は。
そのゾンビの横を慎重に通り過ぎる。――須藤くん、佐伯くん、寺崎くん……そして私が通り越そうとした時、ゾンビが緩慢な動作でこちらを振り向いた。あまりにひどい顔に悲鳴を上げそうになり既のところで堪える。ゾンビの顔の表面は食いつくされ真っ赤になり、ボロボロになった筋肉が丸見えだったのだ。
「て、店長……」
後ろの清見さんが呟いた。すぐにはっとしたようで口を押さえたがもう遅かった。その店長だったらしい男性のゾンビはほとんど骨だけになった片足を引き摺り、こちらに歩み寄ってくる。普通のあれに比べても動作は遅かったが、極度の恐怖とショックのせいか清見さんは金縛りにあったかのように動かない。
「し、しっかり。逃げようっ」
私は清見さんの肩を軽く揺するが反応がなかったので力づくで引っ張って逃げようとする。前の三人も気付いたようで、いつでも攻撃できるように武器を構えこちらの様子を覗っていた。清見さんも落ち着きを幾分か取り戻したようでよろよろと歩き始めた。そのままゾンビに接触することなく通過できると思ったその時。
「きゃああっ」
ゾンビが手を伸ばし清見さんの服の端を掴んだのだ。私は咄嗟にゾンビの手を払いのけ、彼女を前に押し出す。
「行こっ!」
私達は走り出した。出口の近くのゾンビ達はさっきの叫び声でこちらの存在に気付いてしまったようだ。しかしそんなに距離は長くないしゾンビは疎らなので全力で走り抜ければ問題ないはず。それに須藤くんが鉄パイプで近寄ってきたゾンビを転倒させてくれていた。
須藤くんに続き佐伯くんも大通りに出れたようだ。そのまま無事に全員辿り着けると思った。が。
「うわぁぁぁっ」
寺崎くんが大声をあげた。周囲にはゾンビの姿がない。不思議に思って彼の足元に目をやると……いた。須藤くんに転倒させられたゾンビが寺崎くんの足首を掴んでいたのだ。ゾンビは驚異的な力でもって足を引き寄せ、彼は仰向けに転倒する。身体を曲げることなくまっすぐ倒れこみ、ガツンっと勢いよく頭を地面にぶつけてしまった。コンクリートの地面に頭をぶつけ朦朧とした寺崎くんにゾンビが覆いかぶさる。
「うぐっ……やめろぉぉ……」
寺崎くんが必死にゾンビの肩を押さえつける。しかし、徐々にゾンビの口が彼の首元に近付いてきていた。私と清見さんは彼を助けようと走り出す。脳内にあの時の光景が蘇る。大教室、女子学生に押し倒され私の目の前で命を失った男子学生の姿。校舎に寄りかかるお姉さまの亡骸。もう、人が死ぬところを見たくない。助けるんだ。既に転倒したゾンビ相手には役不足な箒を背後に投げ捨てる。
「えいやあぁぁーっ!」
気合いを入れるために発されたのはあまりにも格好悪い叫び声。間に合ったのかどうなのかわからなかった。とにかく私はゾンビを思い切り蹴ったのだ(必死になった時私は相手を蹴る傾向にあるようだ)。幸運にもゾンビはバランスを崩しゴロンと横に転がった。
「寺崎くんっ」
清見さんが彼が起きあがるのを手助けする。ふらふらになりながらも寺崎くんは立ち上がり、清見さんの肩を借りながら小走りで佐伯くんたちの方へ向かった。私は転がっていたモップとスポーツバッグを拾い上げ、起き上がろうとするゾンビの背中にモップで一撃を加え、皆の後を追った。
道を抜け大通りに出た。周囲を見渡すとやはり道路は横転した車や死体であふれていたが、この付近の視界内にゾンビの姿は見えない。さっきのゾンビがこちらに来ないよう、私はバッグから空き缶を取り出し元来た道の奥の方へ投げた。遠くで缶の転がる音が聞こえた。
「寺崎くん、大丈夫? 噛まれなかった?」
私の渾身の蹴りは彼を救えたのだろうか。少しでも噛まれていたら……息が詰まる思いで彼に尋ねる。
「だ、大丈夫だと……。危なかったすけど」
真っ蒼な顔をしているが無事だったようだ。ほっと胸を撫で下ろす。
「ふん、やるじゃねぇか」
声のした方を向くと須藤くんが私にニッと笑いかけていた。少しひねくれた笑みだが、浅黒い肌に白い歯がまぶしい。負けじと親指を立てた右手を掲げる。やってからすぐに自分の行動を恥ずかしく思った。
「ああ、二人を危険から救ったのは伊東さんだ。男として情けないな、須藤」
「ホントすんません……」
佐伯くんの言った「男」の範疇に自分が含まれていないのを歯痒く感じたのか、寺崎くんが心底申し訳なさそうに言った。
「ま、こんな信じられねぇような異常事態だから……なんて甘ったれたこと思うんじゃねぇぞ。もっと男らしく、逞しくならなきゃ生き残れねぇ。すぐおっ死ぬだろうな」
「はい……」
「この現状に男も女も関係ありませんよね……私も、もっとしっかりします」
須藤くんの言葉に清見さんが応じる。彼女のくりっとした大きな目は生き残ろうという強い意志で満ち溢れ輝いていた。二人とも何が何だかわからないだろうに、強い。
「不安だと思うけど、今は私たちを信じて。頑張ろうね」
思わず清見さんの手をとりぎゅっと握る。突然のことに目を見開いて少し驚いたようだが、彼女は握り返してくれた。清見さんと微笑みあう。さっき会ったばかりなのに、親友のような固い絆を感じた。