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死の都市  作者: LION
第一章 
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第十話 出発

 ゾンビが現れてからすっかり時間を忘れていたが、腕時計を見るともう十時になるところだった。窓の外は真っ暗で、夜の闇が部屋に溢れだしてきそうだ。耳を澄ますと、ゾンビたちの呻き声が聞こえてくる気がする。


 三人で今後のことを話し合った後、私達は体育館の中を探索した。食料と、なにか避難所までの道中で使えるものを探すためだ(須藤くんはひどくお腹がすいているらしく「抜け駆けされちゃこまるからな」と渋々付いてきた)。二時間ほど探し回って見つかったのは倉庫にあった鉄パイプ一本と、鍵の空いた部室に蓄えてあった菓子類、そしてビニール袋一杯につめた空き缶くらいだった。


 鉄パイプは須藤くんが武器として使うことになり、武器のない私はゾンビを欺く音を鳴らすための空き缶を持ち運ぶことになった。


 そして今、私達は見つけてきたお菓子をつまんでいる。盗み同然の行為だが、こんな状況だ。仮に許されなかったとしても罰金を払ったり牢屋に入る方がずっとましだ。何せ私達は現在命が危ぶまれているのだから。命は何にも替えられない。


 私と佐伯くんはさっきも食べたのであまり手が進まなかったが、須藤くんはこの体育館でトレーニングをする前から何も口にしていなかったらしい。物凄い勢いでポテトチップスや煎餅を平らげていった。


「なんだよ、あんたらは食わねぇのか。……だったら全部いただくぜ。腹が減ってどうしようもねぇんだ。何せトレーニング後はいつも特盛の牛丼食いに行くんだからよ。非常時らしいとはいえ堪えられねぇ」


 須藤くんは食事を始めてからは機嫌がよく饒舌だった。凶悪な顔や態度は案外空腹からきていたのかもしれない。そして気付けばさっきから須藤くんしか話していない気がする。佐伯くんはじっと一点を見て何か考えこんでいるし、私は時々話しかけてくる須藤くんに曖昧な相槌しか返すことができない状態だった。そんな私達を見かねたのか、須藤くんは軽く溜め息をついた。


「あんたら、もう寝た方がいい。俺は直接見たわけじゃねぇから想像もつかないが、よほど酷い場面を見てきたんだろ。てか寝ろ。辛気臭ぇあんたらの顔見てたら飯がまずくなる」

「そうだな……」

「うん……」


 須藤くんが口にしたのは予想外に優しい言葉だった。外見があれだしちょっと怖い人だと思っていたけれど、彼なりに気遣ってくれているようだ。


「でも三人一遍に寝るのは危険だよね?」


 また須藤くんが機嫌を悪くしないか不安だったがおそるおそる聞いてみる。幻聴かどうかわからないが、さっきからずっとあれの呻き声がひっきりなしに聞こえてくるのだ。無防備に寝てなんかいられない。


「そうだな、誰か一人見張りを置こうか」


 私も須藤くんも佐伯くんの提案に賛成し、須藤くん、佐伯くん、私の順で三時間おきに見張りを担当することになった。


「仮眠用の毛布が確かここに……あった」


 佐伯くんがロッカーから毛布を二枚取り出して一枚私にくれた。私は礼を言って受けとると、冷たい床に横になる。やはり心身共に限界だったようだ。段々と意識が遠退いていく。


 このまま、何事もなかったかのように平穏な日々が戻ってくればいいのに……。そんなことをぼんやりと考えながら意識が途切れた。





 身体をゆさゆさと揺らす振動で目が醒めた。


「……伊東さん。あぁ、起きたか。起こすのが可哀想になってきたところだったよ」


 ずっしりと重い上半身を無理矢理起こし寝ぼけ眼で声がする方を見ると、見知らぬ青年がいた。心配そうな顔でこちらを見ている。うーん、結構カッコイイかもしれない。


「あれ、……佐伯くん?」


 段々と状況を把握してきた。そうだ、私は……。


 夢心地な気分にどす黒いものが入り込んでくる。しかし、昨日の寝る直前の気分よりは大分落ち着いていた。ぼけーとしてなどいられない。見張りに行かなくては。


「見張りお疲れ様。後は私に任せて」


 力ない笑顔を作ってそう言い、扉に向かう。その時視界に入ってきたのは、彼女――お姉さま――の鞄。はっと思い出し、血が染み付いた鞄を掴んで廊下に出た。佐伯くんは申し訳なさそうによろしく、と私に言うと床についたようだ。


 時計を見るともう5時だった。佐伯くんは一時間長く見張りをしてくれていたみたいだ。彼の優しさをありがたく思う反面、自分の不甲斐なさに腹がたった。


 よし、あと二時間しっかり見張ろう。少しの異変も見逃さないんだから!


 私は拳に力を入れ意気込み、出入り口の様子を見に仄暗い廊下を歩き出した。


 この体育館は出入り口が正面の一つしかない。二階建てのそんなに大きくない建物で、各階に幾つかの大部屋と小さな部室が並んでいるシンプルな構造だ。


 私が今いるのは一階。この階は入り口から入ってすぐ二つの廊下に分かれ、それぞれの廊下の両側に部室が並び、突き当たりに畳の大部屋がある。寝泊まりしているのは入り口に近い位置にある剣道部部室だ。


 というわけですぐに出入り口に着いた。両開きの扉はガラスでできており外の様子が透けて見える。もう日が出てきておりだいぶ明るい。通りの奥、校舎が密集したところに黒い影が蠢いているのが見えた。ゾンビは音には敏感だが視力は悪いので向こうが私の存在に気付くことはないだろう。


 私はこの小さなロビーに幾つか並ぶ錆び付いたベンチの一つに腰を掛けた。ギィッと軋む音がして焦ったが、黒い影との距離はだいぶあるので気付かれていないだろう。それでも不安だったので少し様子を見ていたが大丈夫だとわかり、ポケットから携帯電話を取り出した。着信もメールもない。重いため息が漏れる。


 昨日は色々あった。想像の産物であったはずのゾンビに似た化け物が現れ、多くの人が殺された。それも食い殺されるという、日常の生活では考えられない殺し方で。


 きっと昨日一日の間に仲がよかった友達の何人かは死んでしまっているだろう。正直、未だに信じられない。だって、数日前まで一緒に楽しく笑いあっていたのだから。何の兆候もなかった。あれは本当に突然現れたのだ。


 一晩寝てあの惨劇の現実感が薄れてしまったようだ。全て悪い夢だったような気がしてきた。


 私は部屋から一緒に持ってきた血塗れの鞄を眺めた。何故これを拾ってきたのか。無我夢中で深く考えていなかった。気付いたら掴んでいたのだ。今後事態が収束するなら、持ってきてはまずかったかもしれないな。そんな苦笑いを浮かべながらそっと鞄に触れる。持ち主である彼女の赤黒い血がついた、お洒落なピンクのエナメルバッグ。パチッと留め具を外すと、綺麗に整頓された中身が見えた。


 インデックスできちんと科目ごとにプリントが分けられたファイル。ずっしりと重い大きめの化粧ポーチ。色とりどりの付箋がたくさん貼られた使い古された憲法、刑法の教科書。彼女は法学部だったんだな……。


 私は学生手帳を取り出した。パラパラと捲り、学生情報の記された最後のページを見る。予想通り、几帳面な彼女は欄をしっかり埋めていた。


 法学部四年 植村 智子……


「うえむら、ともこ、さん。やっぱりお姉さまだったんだぁ……」


 私はぼそっと独り言をこぼし、今は亡き憧れの植村さんを想った。それなりに楽しかった大学生活を、仲の良かった友人たちの顔を思い出し、頬をつうっと涙が伝う。


 これは、現実だ。昨日見た恐ろしい化け物たちも、人々の無残な死体も、全て現実。そしてこれからも私が好きだった人達が化け物の手にかかり死んでいく。覚悟はしているが、その時どうなるかなど今は考えたくない。でも、もう外の世界に出て現実をみる決心はついている。絶対に生きてもう一度家族に会うんだ。


 目を閉じて弟とお母さんがいる平和な日常を思い浮かべようとしたが、はっきりと思い出されたのは最後の日常――あの大教室での授業だった。漠然と将来のことを考えながらも怠惰な時間を過ごしていたあの時。今と変わらない世界が、未来へと続いていると信じて疑わなかったあの時。一瞬にも思えた眠りから覚めた時にはもう既にあるかもしれなかった平凡な未来も幸せな未来も堕落した未来も失われていた。過去も未来も閉ざされ、残酷な今という袋小路に迷い込んでしまった。しかしいつまでも立ち尽くしていられない。今この時に大切な存在があるのだから。


 ガラスの扉越しに外を様子をじっと見続け、気がつけば日が上っていた。出発の朝がきた。

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