第九話 計画
「……なるほどな、話はわかった。だがよ、その、ゾンビだっけ? そんな荒唐無稽なホラ話、信じろってのが無理な話だ」
須藤くんが現在起きている異常事態について説明している途中の佐伯くんを遮って言った。胡散臭いものを見るような目で佐伯くんを見ている。どうやら全くと言っていいほど話を信じていないようだ。
「馬鹿げた話に思えるだろうが事実だ」
生真面目な顔をして断言する佐伯くんを見て須藤くんはぽかんとしていたが、すぐに冷笑を浮かべるとわざとらしく長い溜め息を漏らした。そしておふざけに付き合っていられないと言わんばかりに立ち上がろうとする。
「ほ、本当なの! 外に出ちゃ……」
反射的に彼の服の袖を掴むと、鋭い目を向けられ言葉に詰まってしまった。怖い人だ。普段だったら見かけても極力関わらないようにするタイプかもしれない。しかしそのまま振り切られるかと思ったが、彼は体の向きをこちらに戻すと再び腰をおろした。
「なら今すぐここで真実ってことを証明してみせてくれよ。できないんなら帰るぞ」
「ああ。どちみち話だけでは済まないとは思っていた」
そう言うと佐伯くんはスタンバイ状態にしてあったパソコンを起動させると、慣れた手つきで何やら検索し始めた。画面には大手動画投稿サイトのトップページが表示された。迷うことなく注目の動画一覧にある動画を適当に一つ選択する。
「……何だこれ」
それまで面倒くさそうに画面を見ていた彼の目の色が変わった。そこには、まさに私達が今まで目にしてきた惨状が映し出されていた。二階からズームで撮られたものらしい、道路であれが寄って集って人を貪り食う様を撮影した動画だ。撮影者は狼狽した様子で緊張した息遣いが聞こえてくる。動画はブレが激しく画質もよくはなかったが再生回数は投稿してから一日も経っていないにも関わらず100万回を超えようとしていた。
――映画か何かの撮影ですか?
――この世の終わりだ
――何これ、ゾンビ!?
動画のコメント欄は驚き、疑い、絶望する人々で溢れかえっている。
「はは、よくできた映像だな。まぁ今ゾンビブームが起きてるってるのは理解した」
次の証拠を促すような須藤くんの態度に、動画が終わると佐伯くんはパソコンを脇へ避けた。
「スマートフォンを持っているか? ニュース番組を見てみるといい」
須藤くんは言われた通りスポーツバッグのポケットからスマートフォンを取り出し、ワンセグを起動させる。私も彼の背後からそっと画面をのぞいた。私たちが普段信じきっているマスコミの報道がこの非現実的なゾンビ騒ぎをどう扱っているのかが気になったのだ。
「マジかよ……」
須藤くんが目を大きく見開き呟いた。異常事態を映し出す画面。流れるように映し出される町の惨状、これまでにないほど平常心を失った馴染みのアナウンサーの姿に私の目も釘付けになる。これで疑いを抱く余地はなくなった。やはり悪夢のような人類の危機は現実に起きているのだ――。
しばらくして真剣な表情で画面を凝視していた須藤くんは私と佐伯くんに視線を移した。
「あんたらの言ってることに少しは信憑性があることはわかった。だがニュースで報道されてるにしてもだ……こんな非現実的なこと、外に出て実際に目にしてみなきゃ納得できなぇな。何せバイトの責任がある」
「な……なんてものわかりの悪い人なのかな」
ここまでしても疑ってかかる須藤くんに呆れてつい思っていたことを口に出してしまった。言い終わるとほぼ同時に彼の吊りあがった目が私をとらえる。思わず身を固くするが、彼は途端に険しい顔を緩めた。
「……ん? おいっ、その肩どうしたんだよ!?」
驚いた声で須藤くんが私に問いかけた。彼の視線の先には、返り血を浴びて今はどす黒く変色しパリパリになったワンピースの肩の部分。
「目の前で噛み殺された人の血が……ついたの」
「…………」
「これでわかったか? 本当は直接見てもらうのが一番いいんだが、俺達は疲れている……。かと言って君一人に見に行かせて危険に晒すのも嫌なんだ」
「……ああ、わかったよ。外はまじで危険なんだな」
須藤くんは複雑な表情をしながらも納得してくれたようだが、そのあっさりした態度に違和感をおぼえた。事態を呑み込めばきっと取り乱すと思っていたから。しかし佐伯くんがゾンビの外見上の特徴や習性を話しはじめると、須藤くんは落ち着いた様子で黙って聞いていた。
「何か武術の心得はあるか?」
「ガキの頃空手をちょっとばかしかじったが……今はボクシング一筋だな。実戦も結構積んでるぜ?」
そう言って彼はニヤッと笑った。須藤くんは今起きていることを知っても余裕のある態度で、怯えもせず、家族の心配もしていないように見える。まだ本当の意味で実感がわかないのか、それとも強がって振る舞っているのか。
「須藤くんも佐伯くんも、家族は……大丈夫?私はお母さんと弟がいるんだけど、まだ連絡とれないんだ。二人とも家にいたと思うんだけど……」
二人とも不安でも努めて冷静に振る舞っているかもしれないのに自分の家族のことが頭から離れない私は気になって聞いてしまった。嫌な思いしただろうなとすぐに思いいたり、語気が自然とすぼむ。
「俺の両親は海外にいる。仕事の都合でな……だから大学近くのアパートに一人暮らしだ。姉もいるんだが、結婚話の際に勘当されてな……今はどこにいるのかわからない。俺も連絡はまだ……だな」
「……そっか」
どう返したらいいのか。聞いたのは私なのに、言葉に詰まってしまう。私よりも心細い状況に思える。それなのに今までああも気丈に振る舞っていたのか。自分が恥ずかしくなった。
「……まあしかし海外は銃があるからな。両親も姉も昔から逞しい人たちだったから大丈夫だと俺は思ってる」
付け加えられた前向きな言葉。気を遣わせてしまった。でも彼がいうと説得力があり、聞いていた私も気持ちが落ち着くようだった。
「ところであんたら、ずっとここで救助を待つつもりか?」
冷めた声が響いた。さっきの問いかけなど聞いてなかったかのような憮然とした口調。触れてはいけなかったのかもしれない。
「いや。……救助は来ないと思った方がいい。日本全国いたるところで同じことが起きているなら待つだけ無駄だ。やつらへの対処法が見つかったというのなら話は別だが、そうでない限りやつらは増える一方……時間が経つにつれ危険も増す。それに待つにしても食料がないからな。じっとしていたら飢え死ぬだけだ。教えたようにゾンビの特性をうまく利用すれば俺たちにも勝機はある」
「じゃあ明日にでも外に出るんだな?」
「そのつもりだが……」
佐伯くんが私に確認の視線を送っているのに気付き、あわてて同意する。日本全国、世界各地でこんな化け物騒ぎが起きている以上、生きているうちに救助が来るなんて保障はない。自分の力で食べ物を手に入れたり安全を確保するしかないのだ。
「で、外に出たところでどうするんだよ。指定の避難所でも探すか? ……あるかわかんねーけど」
「それも選択肢の一つだ。あとは、家族の安全を確認しに行くことも」
「おいおい、それは無茶なんじゃねーか? 街にはゾンビがあふれてるんだろ? この近所に実家があるならまだしも、電車使うような距離にあんなら命がいくつあっても足りやしねぇんじゃねーの」
須藤くんの言葉が胸に突き刺さる。佐伯くんは反論しようとしてくれていたが、私はそれを制止した。心臓がズキズキ痛む。目頭が熱くこめかみが締め付けられるようだったが、声の震えを抑え言った。
「近くの避難所を目指した方がいい……よね。家族の無事は携帯で確認できるし。確認できなかったら……それは直接会いに行っても無駄かもしれないし」
言っていて辛くなってきた。このまま連絡が来なかったらどうしよう。もしかしたらこのままずっと会えないかもしれない。我慢しきれず目に涙が溜まっていく。俯く私の肩に何かが触れた。安心させるように佐伯くんが優しく肩に手を添えてくれていた。
「……とりあえずは指定の避難所に向かおう。自分の安全が確保できなければ家族に会えるものも会えなくなるからな。きっとその道中で連絡があるだろう。……もし万が一連絡がつかなければ、出来る限りの協力はするよ、伊東さん」
「ありがとう……」
彼の気遣いにあふれた言葉で心がすっと軽くなったのがわかった。
「ちっ、見せつけやがって。それよりだ、避難所ってどこにあんだよ」
「そのことだが」
さっと態度を切り替え佐伯くんが再びノートパソコンのマウスを手に取る。停止したままの動画のページからタブを切り替えると、地図が映し出された。どうやら政府や自治体指定の緊急時における避難所の一覧らしい。
「いま機能している避難所で一番近いのは駅のずっと向こう側の……ここだな。ここから徒歩で一時間もあれば行けるだろうが、安全を考えれば倍以上かかることを想定した方がいい」
彼が指しているのはこの大学の最寄り駅を隔てて反対側を大通り沿いに進んだところにある私立の小学校だった。少し遠いが、徒歩で十分行ける距離だ。ただ確かにゾンビのことを考えると一筋縄ではいきそうもない。一進一退するはめになりそうだ。
「そこで、だ。避難所に向かう途中に俺の家があるんだが……寄ってくれないか? 非常用の食料もあるし、個人的に剣の練習に使っている木刀もある。武器になるはずだ。仕切り直す必要が生じても困らないだろう。どうだ?」
「いいと思うよ。休憩にもなるだろうし……須藤くんは?」
須藤くんに同意を求めるとジロリと睨まれてしまった。いちいち恐ろしい人だ。
「俺はなんでも構わねぇよ。言っておくが、俺があんたらと行動するのはこの意味わかんねぇ状況を直接見て把握するまでだ。そのあとどうするかはその時に決めさせてもらうぜ」
そんなつれない返答をしてそっぽを向いてしまった須藤くんに、佐伯くんと顔を見合わせる。この人とこれからうまくやっていけるだろうか。危なくなったら私たちを囮にしてもおかしくない不良的な雰囲気を持つ須藤くんに、佐伯くんも少なからず不安な気持ちでいるに違いない。
「そうだな、君の自由にしてくれ」
須藤くんはそのまま言葉を返さなかった。
これからの方向性が決まった。大学を出て佐伯くんの家に向かい、食料や武器を調達。そこで休憩の後は避難所に指定されている小学校に行き避難民として受け入れてもらう。きっと危険な旅になるだろう。その道程で家族と連絡がとれればいいのだが。
どうか、お母さん、誠、無事でいて……。家族のことを考えると、また涙が込み上げてきた。