第三話 最悪だった一日by楓
三時限目開始五分前
「ん。ない……」
階段を降りてた途中、あるものがないことに気づいた。
「どうした?」
友達がそう聞いてくる。
「鍵、持ってくるの忘れちゃった」
次の時間は体育で体育館に行かなければいけない。でも体育館で使う靴をしまった、玄関にあるロッカーの鍵を制服のポケットに忘れてしまった。
「ちょっと取ってくるから先行ってて」
僕は友達にそう言うと、教室に戻るために階段を上がった。
教室に入って僕は制服のポケットから鍵を取り出す。壁に掛かった時計を見ると、あと三分で休み時間が終わってしまう。僕は急いで体育館に向かった。
さっき友達と別れた階段を下りてすぐの廊下を曲がったとき、鉢合わせに誰かとぶつかって尻餅をついてしまった。
「いてててて……」
ぶつかった相手を見る。男子生徒だった。多分僕の一つ上の学年だと思う。
その人と目が合った。
その瞬間、目の前の人物はなぜか顔を逸らした。頬が紅くなっているようにも見える。そして小さな声でなんかブツブツ言っている。
(……なんだろう?なんかとても嫌な予感が……)
僕の本能がそう告げる。
「えと、すみませんでした。急いでるんでこれで……」
僕は立ち上がってそう言うと足早にその場を立ち去った。
* * *
「えと、すみませんでした。急いでるんでこれで……」
そう言ってその人物は足早に去っていった。
俺、橘櫺はその後ろ姿を見えなくなるまで眺めていた。
……なんてかわいい女の子だったんだ。
俺はぶつかった女の子の姿を思い出す。急いでいたみたいで名前すら聞けなかったのが残念だ。
どうにかしてあの女の子について知りたい。これが一目惚れというものなのか……。初体験だ。
「う~む…………。…………ハッ、そうだ! アイツに聞けばいいんだ!」
俺はしばし考えたあと、思い付いたことを実行しようとしたが、そこで授業開始のチャイムが鳴り響く。
「仕方ない。昼休みにするか」
俺は思いついた考えを頭の中に留めておき、授業に出るため教室に向かった。
* * *
四時限目数学
「はぅ~、楓くんかぁいいよ~。お~持ち、」
「はい、ストーップ」
僕の頬を横からふにふに突いてくるひさぎ先生の口を手で抑える。もう少しであの言葉が出てくるところだった。危ない危ない。
「先生。問題解けたから答えあわせ、お願いします」
そう言って抑えていた手を離す。
「わかったよ~」
先生はいつもどおり、フワフワ~とした感じでそう言うと、黒板に書いてある問題の解き方を書いていきながら説明を始めた。
数学の時間は大体先生が重要なことを黒板に書いて、それに関する問題をだし、その問題をみんなが解いている間、暇になった先生は僕で遊ぶという感じで進んでいた。僕だけに対して最悪な環境だ。
「はい、説明終了! 次は教科書を一ページめくって最初の問題に挑戦だよ!」
先生はその問題を黒板に書き写す。
「よし。楓く~ん」
先生は問題を書き写すと、また僕で遊ぶため再び僕の隣にどこからか調達した椅子を置いて、そこに座り頬をふにふにつついてくる。
椅子をどこから調達したのか、クラスを見渡すと廊下側の一番前の男子生徒が体中から負のオーラをだして膝立ちで机に向かっていた。
「はぅ~、やぁらかいよ~。もう、ふにふにのふにゃふにゃのふにゅふにゅだよ~」
…………。
………………。
……………………。
「いやいや、ダメでしょ!!」
「? 何が?」
僕は大声でそう言ったけど、言われた本人はキョトンとした顔で僕のことを見つめている。
「“何が”って、生徒の椅子を取るのはマズイでしょう!!」
「ナニヲイッテルノ? コレハワタシノイスダヨ」
「目逸らしながら片言って、絶対嘘じゃないですかっ!!」
「そ、そんなことないよ。これは同意の上だよ」
「じゃあなんであんなに負のオーラ全開なんでしょうねっ!!」
僕はビシッと椅子を取られた哀れな生徒を指差す。
「……ふぅ。わかったよ。ちゃんと返してあげるよ」
先生は観念してその椅子を元の持ち主に返してあげる。
「わかればいいんです」
僕は席につくと、途中までやっていた問題の続きを解くことに専念する。
「よし、解けた。先生、答えあわせを……?」
隣にいた先生を見ると、先生はとても真剣な顔で窓の外を見ている。
「先生? どうし、」
「みんな伏せてっ!!」
僕が言い終わらないうちに先生がクラスのみんなに指示する。
みんなは先生からただならぬ空気を感じて、すぐさまその指示通り床に伏せる。
…………………………。
なにも起きないまま数分が経過する。その間誰も動かない。
その時、授業終了のチャイムがなった。
「……ハイ、授業終了~。ご飯だ~!」
そのチャイムを聞いた先生は、まるでなにもなかったかのように教材をまとめて、教室から出ていこうとする。
「ちょっと待って先生! さっきのあれはなんだったんですか!?」
「ん? 伏せろってこと? 特になんでもないよ~。あと数分で授業が終わるから暇潰しにやっただけ。みんな素直だね~。いや~、楽しかった」
先生はそう言って満足そうに教室から出ていった。
…………………………。
残された僕たちはただ茫然と先生が出ていったあとを眺めていた……。
* * *
昼休みの屋上
私とお兄ちゃんとなつめちゃんとひさぎ先生は、晴れているときはいつもここでお昼ご飯を食べている。
「はい、楓くん。あ~ん」
「ちょっと! やめてくださいよ! 恥ずかしいですってば!」
「大丈夫よ。梓ちゃんとなつめちゃんしか見てないし!」
「そういう問題じゃないんです!」
「えぇい! うるさい!」
先生が抵抗するお兄ちゃんの口に、だし巻き卵を掴んだ箸を無理やり突っ込む。そしてそれが喉に詰まったのか、お兄ちゃんが喉を押さえながらその場を転げ回る。
「んん――っ!」
「お兄ちゃん、大丈夫!?」
「楓さん! 大丈夫ですかっ!?」
私となつめちゃんは二人でお兄ちゃんを起こし、背中をさすってあげる。
「ゲホッ、ゲホッ。うぅ、死ぬかと思った……」
「先生、危うく殺人を犯すところだったよ~。はんせい、はんせい」
先生は頭の後ろをポリポリ掻きながら、とても軽い口調でそう言う。
「反省とか言うわりには言い方が軽いですねー」
私はジトッとした目で先生を睨む。
「……ですねー」
なつめちゃんも同じようにジトッとした目線を先生に送っていた。
「え~と……、それじゃあ私は仕事があるからこれで……」
私たちのその視線に耐えられなくなったのか、先生はお弁当箱を素早く片付け、校舎内に入っていった。逃げたか。
お兄ちゃんとなつめちゃんの方を見ると、お兄ちゃんがなつめちゃんから差し出されたお茶を飲み終えたところだった。
「ふぅ、なんか今日は散々だよ……」
「お兄ちゃん大変だね」
「できれば代わってほしい……」
「遠慮しとくよ」
「誰でもいいから助けて……」
そう呟いたお兄ちゃんの肩にポンとなつめちゃんが手を置く。
「楓さん、……大丈夫ですよ」
「なつめちゃん?」
なつめちゃんはとても優しい表情でお兄ちゃんの目を見つめる。
そして悟ったような表情で空を仰ぎ見て、
「大丈夫です……。これからもっと大変になりますから……」
…………。
………………。
……………………。
「って、ええっ!! まさかの追い打ち!? しかも悟ったような言いぶりだから本当に起こりそうで不安だよ!!」
なつめちゃんの言葉を理解したお兄ちゃんが突っ込む。
いや~、まさか追い打ちとは……。すごいよ、なつめちゃん。私も見習わないと。
「見習わなくていいから!!」
「おおっ! お兄ちゃん、人の心読めるの?」
「十数年も一緒なんだから妹の考えていることくらいわかるよ」
「いやいや、十数年一緒なだけで妹の考えていることがわかるようにはならないでしょうよ……」
私たちはそんな感じで、いつもどおりの昼休みを過ごした。
* * *
同時刻、天文部部室
私はいつもここで一人、持参したお弁当を食べる……、のだけれど……。
私は部員+顧問の定位置の席の中で、誰の席にもなっていない席に座って、何かについて熱く語っているソイツを見る。
「それでだな。そこで、どんな幻想でも打ち消すことができる右手“幻想殺し(イマジンブレ○カー)”で……」
「え~と、なんで櫺がここにいるの?」
「え? ああ、ちょっと頼みがあってだな……」
「へー。……じゃあとりあえず自殺にみえる他殺法を三つ教えてあげるからどれか一つ選んで」
「お前は俺を殺す気かっ!?」
「そうですけど何か?」
「平然と言いやがったぁあああああっ!!」
「叫ばないで、虫唾が走るから」
「ヒドイ!! なんだ!? お前には幼なじみだから殺すのに気が引けるとかないのかよ!?」
「幼なじみだからこそ殺したい、っていうのもあると思うのだけれど……」
「なぜに!?」
「特に理由は……」
「ないのかよっ!!」
「……で、頼みってなに?」
とりあえず幼なじみの頼みを聞いてやることにする。あくまで聞くだけだけど。
「急に本題に戻ったな、おい。まあいいや」
櫺は少し呆れたような顔をしていたが、すぐに普段の顔に戻った。
「それで頼みっていうのはだな……、捜してほしい生徒がいるんだ」
「ふ~ん、人捜しか……。……つまんな」
「おい! 最後ボソッと“つまんな”って言うんじゃねーよっ!!」
「だって本格的につまらないんだもん。なんかこう、もっと凄いやつ、ないの?」
「例えば?」
「地球の半分を滅ぼしてほしいとか。あと地球の半分って表面の半分じゃなくて質量の半分だから」
「どんだけ地球嫌いなんだよ!!」
「できなくもないわよ」
「お前は何者だっ!?」
「じゃあ別次元に旅立ちたいとか」
「それができたら本格的にお前は何者だっ!?」
「できなくもないわよ」
「何者だぁああああああああっ!!」
れんじはそう叫んだあとゼェゼェと肩で息をしている。
「この程度で息切れなんて……。まだまだだね。……で、捜してほしい生徒の名前は?」
「また急に戻ったなぁ、おい」
「で、捜してほしい生徒の名前は?」
「……お前飽きてきただろ?」
「そんなことないこともないこともないこともないわよ」
「どっちかわからんっ!」
「正直……、飽きてきた」
「予想通りっ!!」
「で、名前は?」
「うん、名前は知らないな。……ん? なんだ、その“お前は何を言っているんだ?”って顔は?」
「だって名前も知らないやつを捜せって無理にも程があるでしょ?」
「それなら大丈夫だ! 見た目に特徴があるからな!」
櫺は自信満々にガッツポーズを決める。
「特徴ねぇ。じゃあ言ってみ」
「目がキラキラしてた」
「よし。その使えない頭に穴を開けてあげよう」
「ちょっと待って!! 今のは冗談だって! だから眉間を確実に狙っているその拳銃をしまってくれ!!」
「次はボケないでね」
私は拳銃を机の上に置く。
「で、特徴だけど髪が真っ白なんだよ」
「髪が真っ白?」
「ああ。髪が真っ白なんてなかなかいないだろ? だからすぐ見つかるぜ!」
「…………………………」
私は押し黙る。髪が真っ白なんてそうそういない。そして私の持っている生徒のバンクには、その条件にあてはまる人物は一人だけだ。
桐谷楓。私の部活の部員。女の子に見える男の子。今までまったく触れてなかったけど、楓の髪は真っ白だ。
楓のことを女子と勘違いしてるなぁ、コイツ。これは……、おもしろい。
「ねえ、櫺。その生徒、私の知り合いだと思うんだけど……」
「マジかっ!?」
「うん。マジよ。会わせてあげようか?」
「是非お願いしますっ!!」
「わかった、わかった」
「よっしゃぁああああっ!!」
私は喜んでいる櫺を尻目に、ひとりほくそ笑んでいた。