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第四話

奴隷商人たちが逃げ去った薄暗い路地裏。


スーツ姿の女――ツカサは、泥で汚れた膝の震えを必死に隠しながら、俺とアイリに向かって深々と頭を下げた。


「……助けていただき、本当にありがとうございます。私はツカサ。前世では外資系コンサルのマネージャーをしていました。恩は必ず、私の魔法と知力で『利益』として還元します」

「お、おー……なんか意識高い系のお姉さんだね。私アイリ! 元アイドル!」

「アイドル……なるほど。先ほどの不可解な集団パニックは、あなたの何らかのスキルによるものですね」


ツカサは顎に手を当て、冷静に分析するような素振りを見せている。

 ――だが、俺の超聴覚は、彼女の早鐘のように鳴り響く心音と、『(よかったぁぁ! 日本人だ! しかもなんか強そう! これで死なずに済むぅぅ!)』という限界ギリギリの泣き声をしっかりと拾っていた。


見栄っ張りなキャリアウーマン。

 俺は小さく息を吐き、彼女の首にはめられた重々しい鉄の首輪を指差した。


「あんたの事情は分かった。だが、その【身分証なし】の状況をどうにかしないと、この路地を出た瞬間にまた捕まるぞ」


俺の言葉に、ツカサはハッとして自分の首元を押さえた。


「これは……物理的なロックではなく、魔力的な契約機構が組み込まれているようです。私の計算では、私の【知力Lv5】をもってすれば、数日かけて魔力回路を解析し――」

「いや、詠唱が分からないなら精密な解除は難しいだろ。それに、それをただ壊せばいいって問題じゃない」


俺は脳内の【一般常識・法律パック】から引き出した情報を告げた。


「この世界では、身分証を持たない無国籍者は奴隷だ。首輪を壊して逃げても、さっきみたいなチンピラに見つかればアウトだ。衛兵に見つかっても即座に首をはねられるか、奴隷として再登録されて一生鉱山送りになる。あんたがこの世界で合法的に生き延びる手段は、ただ一つ」


俺は懐から【身分証(一般市民)】を取り出し、ツカサの目の前に掲げた。


「一般市民である俺の『所有物(奴隷)』として、その首輪の主権を登録することだ」

「なっ……!?」


ツカサの冷静な仮面が崩れ落ちた。

 彼女は後ずさり、信じられないものを見るような目で俺を睨みつける。


「わ、私が、奴隷……? 冗談でしょう! 私は常にプロジェクトのトップに立ち、男社会の理不尽と戦ってきたんですよ!? それを、出会って数分の男の所有物になるなど……っ!」


プライドが許さないのだろう。だが、現実は冷酷だ。


「じゃあ、ここで一人で野垂れ死ぬか? 言葉も通じない、金もない、戦う筋力もない。俺は慈善事業で助けたわけじゃない。無駄にプライドが高くて役に立たない手駒なら、ここで見捨てるだけだ」

「うっ……それは……」


俺が背を向けると、ツカサはギリッと唇を噛み締め、震える声で絞り出した。


「……わ、分かり、ました……。生存確率を最大化するための、一時的な『業務提携』として、その契約を受け入れます……っ」


涙目になりながらも、あくまで対等なビジネスだと言い張るその見栄っ張りな姿勢。

 俺は無言でツカサの首輪に自分の身分証を押し当てた。空の回路に、俺の身分証の登録情報が吸い込まれていく。

 その瞬間、俺とツカサの脳内に、あの白い空間で聞いたのと同じ無機質なアナウンスが同時に響き渡った。


『『『【確認】

 対象者『ツカサ』の所有権上書き申請を受理しました。

 マスター権限申請者:『ナオキ(一般市民)』

 これより完全隷属契約を結びます。対象者は一切の基本的人権および自己決定権を喪失し、生殺与奪の全権がマスターに委ねられます。

 双方、契約に同意しますか?』』』


「……一切の人権を喪失、生殺与奪の全権……」


ツカサの顔から、サァッと血の気が引くのが分かった。

 いくら頭で「一時的な業務提携」だと見栄を張っても、システムから直接突きつけられる『完全隷属』という容赦のない事実が、現代日本で生きてきた彼女の倫理観とプライドを根底から揺さぶっているのだ。

 だが、ここで拒否すれば彼女は路地裏で詰む。


「同意する。……ほら、早くしろ」


俺が淡々と声に出して承認を済ませると、ツカサはビクッと肩を大きく震わせた。

 そして、ギュッと目を強く閉じ、カタカタと震える声で搾り出すように答えた。


「……っ、ど、同意、します……! あくまで、生存のための、一時的な……特例措置として……っ!」


『『『【承認】

 双方の合意を確認。完全隷属契約が成立しました。』』』


『カチリ』


小さな音と共に、重々しい鉄の首輪が光を放ち、細くてスタイリッシュな黒い革のチョーカーへと変形した。


「よし、これで形式上、あんたは俺の奴隷だ。衛兵に見咎められても、俺の所有物だとシステムでわかれば手は出されない」

「……くっ、屈辱です……」


首元のチョーカーを触りながら、ツカサは悔しそうに俯いた。

 俺はそんな彼女を一瞥し、アイリに向かって顎をしゃくった。


「行くぞアイリ。今日の宿を探す」

「えっ、ナオキ。お姉さんはどうするの?」


アイリの問いに、俺は立ち止まることなく答えた。


「置いていく。俺は『足手まとい』をパーティに入れる気はない」

「は……?」


ツカサが間の抜けた声を上げた。俺は振り返り、淡々と告げる。


「あんたはプライドが高すぎる。俺の指示にいちいち反発するような奴は、俺たちの邪魔になる。だから、形式上は俺の奴隷として保護してやるが、実質的には『自由』だ。勝手に生きて、勝手に成功してくれ」

「え、ちょっと待って! 奴隷なのに、放置……!?」

「ああ。もし街で困っているのを見かけたら、俺の気分次第で助けてやるかもしれないが、基本は自己責任だ。じゃあな、元コンサルさん」


俺はアイリを連れて、足早に路地裏を後にした。

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