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第三十六話

神聖グリニア帝国の夜の街。

 最高のプロポーズを経て正式な『家族(夫婦)』となった俺たちは、夜の散歩と洒落込んでいた。


「えへへぇ、ナオキの奥さん……奥さんっ……♪」

「ご主人様の……いえ、あ・な・たの妻ですわ……ふふっ」


俺の両腕には、左手の薬指に輝く大粒のダイヤモンドを何度も見つめては、ふにゃふにゃと幸せそうに笑うアイリとツカサ。

 完全に魔薬と幸福感でアホになった、ただの痛いバカップルの図である。


――表向きは、だが。


(『――あなた。先ほどから、ずっと私たちの後をつけているネズミがいますわ』)


繋ぎ直された【感覚共有スリーウェイ・シンクロ】のラインを通して、ツカサの冷徹で理知的な声が脳内に響く。

 それに答えるように、俺も表情はデレデレと緩ませたまま、思考だけを研ぎ澄ませてラインに乗せた。


(『ああ、気づいてる。ホテルを出た時から、俺の張った水糸にずっと触れてる奴らがいるな。……釣れたか?』)

(『はい。ホテルの機密費口座からの数億の横領……強烈なノック(挑発)だったようです。ようやく、お出ましになったようですわね』)

(『ナオキ、どうする? ひと気のない路地裏の方に歩こっか?』)


アイリも、顔は最高に可愛い笑顔のまま、思考回路は完全に『狩り』のモードに切り替わっている。


大通りの喧騒から外れ、街灯の光も届かない薄暗い広場に出た時。

 俺が張っていた水糸の結界が、音もなく揺れた。


「――お楽しみのところ、大変失礼いたします。宵の散歩には、少しばかり暗すぎる場所かと存じますが」


背後の暗がりから、一人の男が姿を現した。

 仕立てのいい黒の三つ揃いのスーツ。銀縁の眼鏡の奥には、感情の読めない細められた瞳。口元には、貼り付けたような薄く丁寧な笑みが浮かんでいる。


チート同盟の連中は、どいつもこいつもヤンキーか野盗のような知性のないやつばかりだったが。こいつは違う。

 まるで、裏社会のインテリヤクザか、悪魔の執事のような、底知れない威圧感と知性をまとっていた。


「……あ? なんだおっさん。俺たちは今、可愛い嫁たちとイチャイチャしてて忙しいんだ。邪魔するなら殺すぞ」


俺はわざと柄悪く舌打ちをし、アイリとツカサの腰を強く抱き寄せて見せた。

 男は一切怯むことなく、胸に手を当てて深く一礼する。


「これはご無礼を。私は神聖グリニア帝国・特務機関の統括をしております、ユリウスと申します。……本日は、皇帝陛下の代理として、貴方様に『謝罪』と『ご提案』に参りました」

「謝罪、だと?」

「はい。貴方様の元へ自動索敵ゴーレムと、一部の無知なチート転生者を差し向けてしまった件です。あれは軍部の『強硬派』が勝手に暴走した結果であり、決して皇帝陛下の本意ではございません」


ユリウスは、慇懃無礼な笑みを崩さないまま、言葉を続けた。


「皇帝陛下が最初に出されていた命令は、正確に申し上げるならば『スカウト』でございました。貴方様方お三方のその規格外のお力、大変尊敬しております。ぜひ、我が帝国の最高戦力として、そのお力を振るっていただきたいのです。もちろん、お三方にはありとあらゆるものをご用意させていただきます。本日のホテルよりも、より素晴らしいサービスもご提供させていただきますよ」


(『……計画通りですが、完全に見下されていますわね、私たち』)

(『うえ、このおじさん、冷笑系だわ。前世でこういうファンいた、なんかイヤ』)


ツカサとアイリからの念話に、俺は内心で同意した。

 ユリウスの言葉は丁寧だが、その奥底には『監視映像で見た通り、お前たちは強大な力を持て余しただけの、欲望に支配された獣に過ぎない』という明確な侮蔑があった。

 実は、やつらの御用達ホテルの部屋の監視カメラの死角に入らず、最高級のスイートで一日中、欲望のままに獣のように交尾し続けていたのは、『俺たちは強大な力を持っているが、魔薬のせいで欲望を抑えきれない、愚かで御しやすいアホである』と、敵に誤認させるための完璧なブラフ(演技)だった。


いや、半分以上は嘘だ。ヤリタカッタダケデアル。


しかしだからこそ、こいつは『交渉』に来たのだ。

 知性のない獣なら、無理に戦って被害を出すよりも、首輪をつけて『餌』を与えた方が効率よく飼い慣らせると踏んで。


「帝国のために働けだぁ? 冗談じゃねぇ。俺たちは毎日美味い肉を食って、最高のベッドでヤリまくるために生きてんだ。面倒な仕事なんかする気はねぇよ」


俺が欲望むき出しの『アホな男』を演じて鼻で笑うと、ユリウスの眼鏡がキラリと光った。

 ――かかった、と。彼の顔に、確かな優越感が浮かんだのを俺は見逃さなかった。


「おっしゃる通りです。貴方様のような強者が、泥臭い労働をする必要などありません。ですから……もし我が国に籍を置いていただけるのでしたら、その『最高の贅沢』を、我々が国を挙げて永続的に保証いたしましょう」


ユリウスが、悪魔の囁きのように両手を広げる。


「住居は、この帝都の中心たる『白亜の王城』の一角に、最高級のVIPルームをご用意いたします。食事も、酒も、すべて皇帝陛下と同じものを。貴方様方は、日々を愛する奥様方と共に、誰にも邪魔されることなく、ただ欲望の赴くままに謳歌していただければよいのです」

「ほう……?」

「我々がお願いしたいのは、ただ一つ。他国からの侵略や、帝国に仇なす者が現れた際の『防衛戦力』として、たまに少しだけお力を貸していただきたい。……ただ、それだけでございます」


要するに、城に住まわせて衣食住を最高レベルで提供する代わりに、帝国の『核兵器(用心棒)』として飼われてくれ、という提案だ。


――笑いが込み上げてくるのを、必死に堪えなければならなかった。


俺たちが、カチ込んで強引に奪い取ろうとしていた『王城の住環境』を。

 なんと敵の方から、「どうか住んでください」とVIP待遇でご用意してくれるのだ。


敵の知将(笑)が、自ら城門の鍵を開けて、最凶のトロイの木馬を城のド真ん中に招き入れてくれるというのである。ここまで策にはまってくれる敵を見ると、笑いが抑えられない。


(『……あなた、笑いをこらえるのに、私の脳内演算リソースを消費しすぎですわ。抑えてくださいまし』)

(『ぷぷっ……! だめ、ナオキ、早く返事して! 私、吹き出しちゃいそうっ!』)


「……ふん」


俺は、いかにも『欲望に目が眩んだ単純な男』を装うため、わざとらしくニヤァッと下品な笑みを浮かべた。


「たまに暴れるだけで、王城の最高級ベッドで、一生美味い肉が食い放題ってことだな?」

「左様にございます。すべては、貴方様の欲望を満たすために」

「……悪くねぇな。おい、アイリ、ツカサ。お城にタダで住めるらしいぞ」

「わぁっ! ほんと!? 私、お城のふかふかベッドで寝てみたかったの!」

「あなたがそうおっしゃるなら……私は、どこまでもついていきますわ」


妻たちが完璧な三文芝居で「欲望に忠実なアホな女」を演じると、ユリウスは満足げに深く一礼した。


「素晴らしいご決断です。それでは、さっそく王城へとご案内いたしましょう。……どうぞ、こちらへ」


ユリウスが背を向け、先導を始める。

 俺たちは顔を見合わせ、声に出さずに『ニィッ』と邪悪な笑みを浮かべた。


ルカよ。

 お前の師匠たちは、これよりチート同盟の親玉の城に、傷一つ負うことなく堂々と『正面玄関』から潜入するぞ。


馬鹿な知将に案内されながら、俺たちは最高に強欲な新居(王城)へと、優雅な足取りで向かうのだった。

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