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第三十四話

【ナオキ視点】


初めてツカサの『感覚共有スリーウェイ・シンクロ』によって三人で夜を過ごしたあの日から、あっという間に一ヶ月が過ぎていた。


「ん……ナオキ、おはよっ」

「……おはようございます、ご主人様。今朝の心拍数も、極めて健康的な数値を推移しておりますわ」


朝の光が差し込むベッドの上。

 右腕には、俺の胸に頬をすり寄せるアイリの柔らかな感触。左腕には、俺のパジャマの裾をきゅっと握りしめて満足そうに微笑むツカサの体温。


「ああ、おはよう」


俺は、二人の頭を撫でながら、自分の手のひらに伝わる『髪の滑らかさ』を確かなものとして噛み締めた。

 ――痛覚も触覚も嗅覚も失っていた俺の感覚は、今や完全に、100%元に戻っていた。


思えばこの一ヶ月、本当にクズのような生活をしていた。

 最初は、「ルカ達を失った心を埋めるため」という理由で。

 その次は、「俺の死んだ神経を繋ぎ直すための治療リハビリだから」というもっともらしい名目を掲げて、俺たちは昼も夜も、四六時中ずっと密着して欲望の限りを尽くしていた。ぶっちゃけ、治療というのは建前で、単純に気持ちよくて幸せだったから三人の合意のもとで溺れていたわけだが、結果として俺はすべての感覚を取り戻すことができたのだ。


さらに、一ヶ月間も魔法ラインを繋ぎっぱなしにしていたおかげで、俺たち三人は言葉を交わさずとも、互いの感情や深い思考の根底までを、まるで一つの生き物のように共有できるようになっていた。


(『あー、今日もナオキかっこいいなー。お腹すいたなー。お肉食べたいなー』)

(『ご主人様の体温……はぁっ、最高です……今日も一日中、この腕の中でコンサルティングを……』)


……ただ一つ問題があるとすれば。

 互いの感情がダダ漏れになった結果、俺たちは驚くほど『欲望のままに生きるアホ』に成り下がりつつあるということだ。俺自身も「今日も美味い肉食ってイチャイチャしてぇな」という、ひどく平和で強欲な思考で頭がいっぱいになっていた。


その時だった。


『――ピピピッ。目標座標ニ到達。対象ノ生体反応ヲ確認。情報収集、オヨビ排除モードヘ移行シマス』


無機質な機械音と共に、俺が家の周囲に張っていた水糸の結界が引き裂かれた。

 現れたのは、全身を鈍色の魔法金属で覆われた、十体を超える『自動索敵ゴーレム』の部隊。ルカの【叛逆の愚者】に殲滅されたチート同盟が、俺たちの戦力を再評価するために送り込んできたのだろう。

 俺たちはそれが近づいてくるのに、とっくに気づいていた。


『ズガァァァァンッ!!』


先頭のゴーレムが放った魔力砲が、俺たちが昨日まで食事をしていた居間を直撃し、ルカの使っていた部屋ごと木端微塵に吹き飛ばした。

 瓦礫と土煙が舞う。思い出の詰まった大切な家が、無残に壊されていく。


俺たちは、その攻撃を止めようと思えば簡単に止められるのに、誰も止めなかった。

 惰性で欲望のまま毎日を生きている現状では、自分たちでは壊せなかった過去の象徴を、誰かに壊してもらうことを心のどこかで期待していたのだ。


「……そろそろ俺たちも自立するとするか」


俺が瓦礫の中からゆっくりと立ち上がると、アイリも「うんっ! 早く終わらせて朝ごはん食べよっ☆」とあっけらかんとした声で前に出た。


左手から『幻影の指輪』を外したアイリの、絶対的な魅了オーラが展開される。

「こっちだよっ☆」とアイリがふわりとステップを踏むだけで、無機質なゴーレムたちは狂ったように彼女だけを狙って魔力砲を連射し始め、俺とツカサの存在は完全に『死角』へと消え去った。


「ご主人様。敵のアクセスルート、開きました。内部破壊します」

「ああ、頼む。ハッキングして情報も引っこ抜け」


俺は町中に張り巡らせていた何百万本もの『極細の水糸』を解除して回収すると、それを強靭なワイヤーへと編み上げ、ゴーレムたちの足元へと放ち強引に拘束する。

 そして、アイリに向けて放たれた魔力砲の熱線を【水糸のスリングショット】で受け止め、倍返しの運動エネルギーにして射出した。

『ドゴォォォォォォォォンッ!!!』という轟音と共に、十体のゴーレムは一瞬でただのスクラップへと変わった。


「……ふぅ。朝のいい準備体操になったな。で、ツカサ。何か面白いデータは取れたか?」


崩れた壁の破片の上で、ツカサがゴーレムの残骸から魔力ケーブルを自身の端末に繋ぎ、眼鏡を中指でクイッと押し上げた。


「ええ。奴らの親機……チート同盟の本丸である『神聖グリニア帝国』の座標の逆探知に成功しました。……それと、このゴーレムの観測データと帝国のネットワークを照合した結果、非常に興味深い『システムの真実』が判明しましたわ」


「真実?」


「はい。この世界のシステムにおいて、規格外の魔法やチートスキルを保有・行使することは、人間の脳の『処理領域リソース』を莫大に食いつぶす仕様のようです。結果として、理性や論理的思考を司る機能が熱暴走を起こし、最も原始的な『欲望』だけが肥大化してしまう……いわば、魔力が『アホになる魔薬』として作用しているのですわ」


……なるほど。合点がいった。

 だからチート同盟の連中は、あんなに幼稚で欲望むき出しのクズばかりだったのだ。


「……待てよ。ってことは、俺たちも今、その『魔薬』のせいでアホになりかけてるってことか?」

「えへへ、私、元からこんな感じだからあんまりわかんないっ!」

「……ええ。お恥ずかしい話ですが」


ツカサが、ギリッと唇を噛み締めて悔しそうに俯いた。


「私の【知力Lv5】の演算能力をもってしても、膨大すぎるチートの魔力リソースの消費を完全に相殺しきれていません。感覚共有でご主人様とアイリ様と接続していることで、なんとか三人で処理を分散させて踏みとどまってはいますが……このままでは、論理的思考が完全に破綻し、私たちもただ欲望のままに行動する『獣』に……っ」


いつも完璧なコンサルの仮面が崩れ、ツカサの瞳に焦りが浮かぶ。

 だが、そんな彼女の焦燥とは裏腹に、感覚共有のラインからは『もう難しいことはいいから、早くご主人様とイチャイチャしたい』という彼女自身の抑えきれない本音が、どうしようもなくダダ漏れになっていた。


「……ははっ」


俺は、思わず声を出して笑った。


「なんだ、ツカサでも防げないのか。なら、もうどうしようもないな」

「ご、ご主人様……?」

「無理に賢い大人でいる必要なんかねぇよ。理性が焼き切れるなら、いっそ欲望を全部解放してやればいい。どうせ俺たちは、自分の欲望のために生きると決めたんだ」


俺は、ルカが歩んでいった方角を一度だけ見つめ、そして北の空――神聖グリニア帝国の方角へと視線を移した。


「……俺たちの新しい拠点、襲ってきたチート転生者の国から奪いに行くぞ」


「ふふっ。敵対的買収(TOB)ですね。元コンサルの血が騒ぎますわ」

「もーっ、ナオキったら急なんだから! でも、ナオキとずっと一緒にいられるなら、どこでもついていくよ! 美味しいもの、いーっぱい食べようねっ!」


「……と、その前に」


俺は、テレポートの魔法陣を展開しようとしたツカサの手を掴み、そのままぐいっと引き寄せた。反対の腕では、隣で笑っていたアイリの腰を強く抱き寄せる。


「ひゃんっ!?」

「ご、ご主人様っ!?」


「新しい街へ行く前に、まずは腹ごしらえだ。……お前たちのせいで、魔薬が回って抑えきれない」


俺は、半壊した家の瓦礫の真ん中で――奇跡的に残っていた寝室の分厚い絨毯の上に、二人を同時に押し倒した。

 朝の冷たい空気が肌を撫でるが、三人の密着した身体からは、それを軽く凌駕するほどの熱気が立ち上る。


「んっ……ナオキ、あさ、朝から……っ、だめ、そんなとこ……ぁっ」

「あぁっ、ご主人様……! こんな、空の下で野ざらしの状態で……私、処理能力が、完全に……っ」


アイリの甘い吐息と、ツカサの理性が溶け落ちた艶やかな声が重なる。

 感覚共有のラインを通じて、アイリが感じる俺の指先の熱と、ツカサが感じる強烈な快感が、ダイレクトに俺の脳を揺さぶる。三人分の快楽が無限にループし、増幅していく。

 戻ったばかりの触覚はあまりにも鋭敏で、二人の滑らかな肌の感触、絡み合う髪の匂い、そして唇から伝わる濃厚な熱が、本当に俺をアホにしてしまいそうだった。


だが――視界の端に、屋根が吹き飛んだ青空と、粉々になった「ルカの部屋」の残骸が映り込んだ瞬間。


「あ、ぁあっ……う、うぅぅ……っ」


俺の胸の下で熱い吐息を漏らしていたアイリの瞳から、ポロポロと大粒の涙がこぼれ落ちた。


「ひぐっ、うわぁぁぁんっ! ルカちゃぁぁん……っ! なんでナオキ家壊されるのとめなかったのぉ……また、ここでルカちゃんと一緒にパンケーキ食べたかったのにぃぃ……っ!」

「ア、アイリ様……っ、ダメです、そんな泣き顔を共有されたら、私の論理的思考まで……うぅっ、ルカ様の、ルカ様のために取っておいたお布団が、燃えて……っ!うあぁぁんっ、寂しいですっ!」


ツカサまでもが、俺の背中に爪を立てながら、いつも完璧なコンサルの仮面をかなぐり捨てて子供のように号泣し始めた。


……あぁ、クソッ。

 アイリとツカサの悲痛なまでの「寂しさ」と「後悔」が、感覚共有を通して俺の胸を激しく締め付ける。

 過去の象徴を自分たちで壊せなかったから、ゴーレムに壊してもらった?


――本当は、未練タラタラだった。この小さな箱庭で、いつまでも不器用な疑似家族を続けていたかった。俺たちは、自分たちのエゴでルカに見捨てられておきながら、やっぱりあいつのことが可愛くて、愛おしくて、どうしようもなく寂しかったのだ。


「……バカ野郎、お前らだけずるいぞ。……俺だって、寂しいんだよっ……!」


俺の目からも、ボロボロと情けない涙が溢れ出した。

 失っていた感覚が戻ったせいで、涙の熱さも、胸の奥が引き裂かれるような痛みも、全部が鮮明だった。


俺たちは、極上の快楽に溺れながら、声を上げて泣きじゃくった。

 魔薬でアホになった頭と、完全にダダ漏れの感情。

 「ルカぁ……っ!」「ルカちゃぁん……っ!」「ルカ様ぁ……っ!」と、誰もいない青空に向かって、いなくなった娘の名前を叫びながら互いの身体を貪り合う。

 なんて情けなくて、滑稽で、どうしようもない大人たちだろうか。


だが、その強烈な寂しさが、逆に俺たちの『アホ』を、決定的なものにした。


……そうか、この家が壊れてしまったのなら。ルカが、小さいところから自分の意志で広い外の世界へ羽ばたいていったというのなら。

 もう、こんな田舎の家じゃ釣り合わない。

 いつかあいつが疲れて帰ってきた時に、世界で一番自由な『特大の家』を、俺たちが作っていなければ。


 そう、それは、【国】だ。


【ルカ】が【弱者を救う光の勇者】になったのならば。

俺たちがそれを称える、【国王】になればよいだけの話ではないか。


俺たちは、悲しみと寂しさを強欲な快楽へと変換しながら、羞恥心も理性もすべて放り出し、瓦礫の山と化した家の中心でそんな一つの結論に至っていた。


――そして数時間後。

 目は泣き腫らして真っ赤だが、身も心も欲望でパンパンに満たされ、最高に強欲なアホ(親バカ)となった俺たちは、巨大なターゲットである神聖グリニア帝国へとテレポートするのだった。

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