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間章~約束のベッド、約束の温度~

———side アイリ


ふかふかの、大きな白い布団。

 旅館の最上階、スイートルームに敷かれたそれは、私には眩しすぎるほど清潔で、甘い誘惑を放っていた。


さっきまでツカサさんやルカちゃんと賑やかに騒いでいた居間とは、ふすま一枚で仕切られただけの寝室。

 ……そこに今、私とナオキの二人だけがいる。


「……アイリ。髪、まだちゃんと乾いてなかったろ。乾かしてやろうか?」


鏡台の前に座っている私の背後に、ナオキがそっと片膝をついた。

 彼の手には、生活魔法でしか動かすことのできない、魔法具のドライヤーが握られている。

 コォォッ、という静かな温風の音と共に、私の透き通るような薄いブルーの髪がふわりと宙に舞った。風が首筋を撫でるたびに、旅館の石鹸の、甘くて清潔な香りがふわりと立ち上る。


「あ、ありがとう……」


心臓が、うるさい。

 温泉から上がって、少し大きめの浴衣に着替えて。

 さっきまでみんなで笑いながら、あんなに美味しいご飯を食べていたはずなのに。二人きりになった途端、あの「焚き火の夜」の約束が、頭の中を完全に支配し始めていた。


(『ちゃんと、もっと安全で綺麗なベッドのある街に着くまで我慢するさ』)


ナオキは、絶対に覚えている。

 ……ベッドじゃなくてお布団だけど、ここはかつてないくらい一番安全な場所だ。

 髪をく彼の指先が、時折、私の熱を持った耳たぶや、うなじの素肌に触れる。そのわずかな接触だけで、背筋に甘い痺れが走って、私は思わず浴衣の合わせをギュッと握りしめた。


「ナオキ」

「ん?」

「……あの時のこと、覚えてる?」


私の震える問いかけに、ドライヤーの音が止まり、ナオキの手がピタッと止まった。

 鏡越しに目が合う。彼は少しだけ気まずそうに目を伏せた後、逃げない、真っ直ぐで熱を帯びた瞳で私を見つめ返した。


「……忘れるわけないだろ。ヘタレ野郎って言われたことも、その後の『約束』も」


冗談めかして笑う彼の明るい声は、微かに掠れていた。

 私だけじゃない。彼だって、余裕な顔をして、本当はすごく緊張してるんだ。

 そう分かった瞬間、不思議と胸の奥から熱い勇気が湧いてきた。


私はゆっくりと振り返り、膝をつくナオキの足の上に、自分の両手をそっと重ねた。

 お風呂上がりでほんのり桜色に染まった、私の細い腕と小さな手。その下にあるのは、戦いで無数の傷跡が刻まれた、彼の武骨で、大きくて、逞しい身体。


「約束、守ってくれる?」


上目遣いで尋ねると、ナオキの喉仏が大きく上下するのが見えた。

 彼はドライヤーを畳の上に置くと、私の華奢な肩を両手で優しく抱き寄せ、そのままゆっくりと、私を白い布団の上へと押し倒した。


背中に伝わる、シーツのひんやりとした真新しい感触。

 でも、私を上から覆い隠すように手をついた彼の体温は、それ以上に熱く、重い。

 はだけかけた浴衣の襟元から、私の胸元が激しい鼓動に合わせて大きく波打っているのが自分でも分かって、顔から火が出そうだった。


「……夕飯で、味覚の共有をした時、分かったんだ」


ナオキが私の耳元に顔を寄せ、吐息混じりに囁く。

 男の人特有の熱い吐息が直接肌をくすぐって、全身がビクッと跳ねた。


「お前が『美味しい』って感じてる時、俺も同じくらい、いや、それ以上に幸せだった。……だから、今度は、味覚以外も試してみたい」

「あ……っ……」

「ラインを繋ぐ。アイリ、お前が今、どれだけ熱くて、俺のことをどう思ってるか。……全部、俺に教えてくれ」


ナオキの指先が、私の頬にそっと触れる。

 同時に、肉眼では見えない極細の『魔法のライン』が、私と彼の神経を深く、深く繋ぎ合わせた瞬間――世界が、ぐらりと反転した。


(あぁっ……!? 何、これ……っ!!)


視界が白く飛ぶほどの、強烈な感覚の奔流。

 ナオキの少し荒れた指先が私の頬を撫でた、ただそれだけなのに。

 私の脳が感じた「ナオキに触れられて嬉しい、心地いい」という甘い痺れが、ラインを通じて瞬時にナオキの脳へと流れ込む。


すると今度は、私のその快感を受け取ったナオキの『強烈な愛おしさ』と『雄としての凶暴なまでの熱(欲求)』が、ラインを逆流して、ダイレクトに私の脳髄へと叩き込まれたのだ。


「っ……はぁっ……アイリ、お前……こんなに……」

「な、なおき……私、わかんないよ……。これ、ナオキの熱なの……? それとも、私の……っ?」


快感と感情の、無限ループ。

 私のドクドクという早鐘のような鼓動がナオキに伝わり、それに煽られてさらに激しくなったナオキの心音と体温が、私の中を駆け巡る。

 もう、どこまでが私の感覚で、どこからがナオキの感覚なのか、境界線が完全にドロドロに溶け落ちていた。


塞がれた視界。

 鼻をくすぐる、彼の大人の匂い。

 あの日、私が手で塞いでしまった唇が、今度は優しく、でも絶対に逃がさないという強い独占欲を持って、私の震える唇に重ねられた。


「んっ……ちゅ……ぁ……っ」


重なった唇から、熱が直接溶け出してくる。

 物理的な接触以上の、魂の奥底までかき混ぜられるような甘い暴力。

 ナオキの大きな手が私の腰を引き寄せ、柔らかい私の身体が、彼に押しつぶされる。


私が感じる「押しつぶされる苦しさ、そして圧倒的な安心感」。

 それが彼に伝わり、ナオキの腕の力がさらに強くなる。


互いの感情が反響し合い、雪ダルマ式に膨れ上がっていく感覚のフィードバック。

 私の「好き」がナオキに伝わり、ナオキの「愛してる」という感情のうねりが、私の肌を内側から焼くような熱になって戻ってくる。


「……アイリ。もう、止めても止まらないぞ」


唇をわずかに離し、酷く甘い、熱に浮かされたような瞳で私を見下ろすナオキ。

 あの日、焚き火の前で「いいよ」って言った時とは比べ物にならない。ヘタレだなんて言った自分を叱り飛ばしたくなるほど、今の彼は、雄の顔をしていた。


「……止めないで。ナオキの熱、全部……私に、繋いで……っ」


はだけた浴衣の奥で、私が彼にもっと深く、もっと奥まで触れたくて、その広い背中にギュッと腕を回した瞬間。

 ラインを通じて、ナオキの中でギリギリ持ち堪えていた理性の糸が、ブツンッと焼き切れる音がはっきりと聞こえた。


もう、言葉はいらなかった。

 窓の外には、湯煙に包まれた静かな温泉街の夜景。

 スイートルームの贅沢な静寂の中で、私たちは互いの感覚をドロドロに溶かし合いながら、理不尽な世界で凍えていた心を、お互いの圧倒的な熱で、朝まで溶かし尽くしていったのだった。

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