第二十一話
「よし、早速ピントを合わせて、テレポートしよう。みんなそれぞれ準備をして、荷物をまとめてきてくれ。一時間後にテレポートする」
俺がそう指示を出すと、三人はそれぞれ短く返事をして動き出した。
……といっても、追われる身である俺の荷物などたかが知れている。盗賊の備蓄からくすねた保存食や飲用水の缶などをまとめ、俺の準備はすぐに終わった。女性陣は何かと身支度があるようで、せわしなく動き回っていた。
俺は暇なので、自由都市にピントを合わせ、よりピンポイントで安全な転移先を探していた。
「それにしても、師匠の視力とその魔道具のコンボ、便利すぎませんかね……。数百キロ先まで一瞬でワープできるなんて」
荷物を背負ったルカが、感心したように呟く。
ルカの言う通り、これは昨日手に入れたテレポートと、俺の視力の合わせ技だ。
テレポートを一度使用した直後、俺の脳内にはアイテムの使い方が直接ダウンロードされていた。転生時ほどの負荷はなかったが、特有の頭の重さと共にシステムの仕様が理解できた。
その情報によると、このテレポートには距離制限はないが、『術者が以前行ったことのある場所』か『視界の届く範囲』にしか跳べないという制限があることが分かった。
だが、俺の異常な超視覚で遥か彼方の目的地の『ピント』を合わせ、その視覚情報を確実なものにすることで、行ったことのない地への超長距離テレポートが可能になるのだ。
「ご主人様の並外れた視座があってこそのソリューションです」
「ナオキ、私も準備できたよ」
ツカサが誇らしげに胸を張る横で、アイリが全身をすっぽりと覆うボロボロのローブ姿で俺の隣に立った。
フードを目深に被り、美しい銀髪も顔も隠しているが……それでも、彼女から無意識に漏れ出ている【魅了】のオーラは完全に隠し切れていない。
「よし、全員集まったな」
俺は三人を集め、手を繋いで円陣のような形になった。
アイリの小さな手が、俺の手をギュッと強く握る。その温もりから、彼女のわずかな緊張が伝わってくる。
「ルカ、念のため全員に絶対防御を頼む」
「はいっす、師匠」
俺は深く息を吸い込み、ここから遥か遠く――先ほど決定しておいた国境地帯の荒野に向けて超視覚のピントを限界まで絞り込んだ。
木々の隙間、岩肌の起伏、風の動き。何百キロも先の景色が、まるで虫眼鏡で覗き込んだように眼前に拡大され、固定される。
俺のアクセサリーから眩い魔法陣が展開され、俺たちの身体を幾何学的な光が包み込む。
次の瞬間、フワリとした浮遊感と共に、視界がぐにゃりと歪んだ。
空間が弾けるような音。
一瞬の暗闇ののち、俺たちの足は硬い石畳の上に着地していた。
「……着いたな」
俺たちが降り立ったのは、高い防壁に囲まれた巨大なスラム街のような場所――『自由都市』の入り口付近、人目につかない路地裏だった。
大通りからは、野太い怒声や下品な笑い声が絶え間なく響いてくる。法も秩序も存在しない、力と金がすべてを支配するブラックマーケット。
「ひ、ひえっ……柄の悪い人たちがいっぱいいるっす……」
ルカが怯えたように俺の背中に隠れる。
「絶対防御は目立つからいったん切っていいぞ。ここから先は、少しでも隙を見せれば骨までしゃぶられる街だ」
俺はルカとアイリを庇うように前に立ち、路地裏から大通りへと視線を向けた。
だが、大通りに出ようとしたその時。
すれ違いざまに歩いていた、顔に傷のある大柄な傭兵風の男が、ピタリと足を止めた。
男の濁った目が、ローブで顔を隠しているはずのアイリに吸い寄せられるように固定されている。
「……おいおい。なんだか知らねェが、すげェ『いい匂い』のする女がいるじゃねェか……」
男が、よだれを垂らしそうなだらしない顔で、ふらふらとアイリの方へ手を伸ばしてきた。
俺は無言でアイリの前に立ち塞がり、男の視線を遮る。
「悪いが、急いでるんでな。道を開けてくれ」
「あァ? 邪魔すんじゃねェよ、ガキがッ!!」
アイリの【魅了】にあてられ、理性を吹き飛ばされた男が、血走った目で腰のナイフを抜いた。
なんの躊躇いもなく、俺の首元めがけて刃が振り下ろされる。
俺の超視覚は、男の筋肉の収縮から血流の動きまで、その軌道をコマ送りのように完全に捉えていた。
(……以前の俺なら、迷わず気管のど真ん中に『水』を発生させて瞬殺していたところだが)
脳裏に、今朝のルカの涙目と『不殺の誓い』がよぎる。
俺は小さく息を吐き、殺意を抑え込んで生活魔法を起動した。
男が力任せに踏み込んできた、その足元の石畳。
そこに局所的な『水』を発生させ、さらに温度を奪って瞬時に薄い『氷』の膜を作り出す。
「なっ――!?」
摩擦係数を完全にゼロにされた石畳の上で、男の足がツルンと滑り、その巨体が無様に宙を舞う。
俺は一歩踏み込み、完全に体勢を崩した男の顎先に、カウンターの要領で正確無比な掌底を叩き込んだ。
ゴガッ、と鈍い音が響き、脳を激しく揺らされた男は地面に崩れ落ちる。
……だが、すぐに再び起き上がろうとしている。ピクピクと痙攣しているが、失神などはしていない。
「……手加減って言っても、気絶ってどうやってさせるんだよ」
俺は失敗を誤魔化すように自分の手を振ってぼやきながら、「逃げるぞ」と言い、足早でその場を去る。
後ろに付いてくるルカがこちらをのぞき込み、パァッと顔を輝かせた。
「し、師匠! さっきの動き、めっさスタイリッシュだったっす! ちゃんと生きてるし、約束守ってくれたんすね!」
「……お前が頼み込んできたからだろうが」
「えへへっ」
ルカが嬉しそうに笑う横で、ツカサが呆れたように眼鏡を押し上げる。
「見事な非致死性制圧です。ですがご主人様、こんなスラム街で来る者すべてにその対応をしていれば、いずれ体力がパンクしますよ。やはり非合理的です」
「分かってる。だから、本格的に目をつけられる前に済ませるぞ」
「はいっす!」
尻尾が見えそうなほど嬉しそうに笑うルカを見て、俺は密かに小さく息を吐いた。
ルカがこうして「不殺」という無茶なルールを俺に押し付け、それを守ったかどうかをいちいち確認して喜ぶのには、俺が与えたトラウマとは別の理由があると思っている。
本人は無自覚なのだろうが、これは子供が親に向かって「自分のワガママをどこまで聞いてくれるか」「自分の存在をどれだけ優先してくれるか」を試す、一種の『愛情の確認行動』だ。
彼女は無意識に俺の愛情を試し、満たされようとしている。
そして――俺もアイリも、おそらくツカサも。そんなルカの健気な心理には、とっくに気づいていた。
「ふふっ。ルカちゃん、ナオキが言うこと聞いてくれて本当に嬉しそう。よかったね」
アイリがクスクスと、まるで手のかかる妹を見るような優しい目をしてルカをからかう。
「えっ!? い、いや、別に師匠が私の言うこと聞いてくれて嬉しいとかそういうんじゃなくて! これはあくまでパーティの倫理的コンプライアンスの問題であって……!」
ツカサに影響された言葉遣いなのか、ルカがそんなことを言う。
「承認欲求と愛情のテストマーケティング……実に愛らしい顧客心理ですわね。ご主人様も、すっかり立派なパパの顔になられて」
顔を真っ赤にして言い訳するルカを、ツカサが眼鏡を光らせながら生温かい目で弄る。
「……おいツカサ、毎度毎度意味の分からないことを言うな」
俺は頭を掻きながら、路地裏の奥へと視線を向けた。
だが、こんな微笑ましいやり取りの最中も、アイリから漏れ出る【魅了】のパッシブ効果は確実に周囲の空気を歪ませており、近づこうとするやつらがいる。前にいた町より民度が低い分、魅了もかかりやすいようだ。
「ごめんなさい、ナオキ。私のスキルのせいで、また……」
フードの奥で、アイリが唇を噛み締めた。
不殺という縛りを科せられた俺に、自分のスキルのせいで余計な危険と負担を強いている。その罪悪感が彼女の表情を曇らせていた。
俺はアイリの頭にポンと手を置き、その髪をフード越しに少しだけ乱暴に撫でた。
「気にするな。ルカのワガママ(不殺)も、手のかかるアイリのトラブルも、全部まとめて面倒見てやるよ。だから早く、完全に隠すためのアイテムを手に入れるんだろ」
「……うんっ!」
俺の言葉に、アイリは顔を上げ、今度はハッキリと力強く頷いた。
その瞳には、『強い意志』が宿っているように思えた。
「ツカサ、お前の『右目』で見える範囲に、目的の魔道具を扱っていそうなデカい商会かマフィアのアジトはあるか?」
「ええ、もちろん。事前に視覚情報から街の勢力図をプロファイリング済みです」
ツカサが黒い笑みを深め、大通りのさらに奥――ひときわ禍々しい空気を放つ、巨大な闘技場のような建造物を指差した。
「この自由都市の裏社会を牛耳る、『黒犬商会』の根城です。近々、あそこの地下で大規模な闇オークションが開かれるという情報を耳にしました。私たちが求める国宝級の認識阻害アイテム『幻影の指輪』も、そこに出品されるとのことです」
「オークションか。まともに競り落とす金なんてないぞ」
「ふふっ。まともに買う必要など、どこにもありませんよ」
ツカサが、悪の女幹部のような邪悪で最高な笑みを浮かべる。
「無いなら、奪えばいいんです。私たちで完璧な強盗計画を立案しましょう。幸い、軍資金と情報を吐き出させるための『悪党』なら、この街には腐るほどいますからね」
ツカサの提案に、俺は思わず口角を上げた。
ここは法も秩序もない無法地帯だ。手加減してやる代わりに、悪党から金を巻き上げ、裏社会の頂点からお宝をかすめ取るくらいは、正当防衛の範疇だろう。
「よし。まずは軍資金集めと情報収集だ。行くぞ」
俺たちは気絶しかけた男を路地裏に放置し、欲望と暴力が渦巻く自由都市のさらに深部へと足を踏み入れた。




