第二十話
翌朝。
建物の入り口から差し込む薄明かりで、俺は静かに目を覚ました。
昨晩は、アイリと焚き火の前で言葉を交わした後、彼女を奥で寝かせ、俺がそのまま見張りを続けるつもりだった。だが、途中で起きてきたツカサに半ば強引に交代させられ、結果的に朝まで熟睡してしまったのだ。
『ご主人様。私はご主人様の視力が使えます。見張りを交代しましょう』
昨晩のツカサの言葉を思い出しながら入り口へ向かうと、彼女は木箱に腰掛け、静かに外を監視してくれていた。
「おはよう、ツカサ。おかげで体力は全回復した。……その右目、痛みや負担はないか?」
「おはようございます、ご主人様。ええ、痛みどころか、素晴らしい恩恵を感じておりますよ」
ツカサは眼帯の上から右目にそっと触れ、恍惚とした笑みを浮かべた。
「やはり昨日の戦闘で、ご主人様の魔力を直接視神経に繋いだ影響でしょうか。私の『知能Lv5』の脳が、その魔力波長を完全に記憶したようでして。ご主人様とのラインを絞りほとんど断っている今も、【超視覚】を私が独立して自由に使える状態は、続いております」
「……」
「おかげで昨晩は、ご主人様が休まれている間、壁越しに数十キロ先までの索敵と地形の把握を完璧にこなせました。ついでに、数百キロ先の様々な国や地域の状況までリサーチ済みです」
「……マジか。お前のその実務能力、どうなってんだ」
「ふふっ。コンサルタントたるもの、経営者(ご主人様)の視座を共有できなくてどうしますか。追手の気配はありません。逃走先の策定と偵察もすでに完了しております。住人の口の動きから会話を読み取り、多くの情報を入手できましたので」
会話を読み取る?同じ視力があっても俺にそんなことはできない。
頼もしすぎる。この変態的な忠誠心と圧倒的な適応能力がなければ、俺たちはとっくに詰んでいたのかもしれない。
俺が感心していると、建物の奥からモジモジとした足取りで、ルカが歩いてきた。
「あ、あの……師匠、ツカサさん。おはようっす」
「おはよう、ルカ。体調はどうだ?」
「ばっちりっす。……それより、師匠。今後の活動について、私から一つ、絶対に譲れない条件があるっす」
ルカは俺の目を真っ直ぐに見据え、ビシッと人差し指を突きつけてきた。
「今後、人殺しは絶対に禁止っす! どんな悪党相手でも、命を奪うのだけはダメっす!」
昨日の今日だ。ルカがそう言いたくなる気持ちは痛いほど分かった。
しかし、俺の暗殺特化の【生活魔法】で「手加減(不殺)」をするというのは、文字通り手足を縛って戦うに等しい。
俺がどう答えるべきか思案していると、横からツカサが呆れたように息を吐いた。
「ルカ様。お言葉ですが、それは極めて非合理的です。この理不尽な世界において、敵を生かしておくことは、我々の生存確率を著しく低下させる致命的なリスクになります」
「うっ……。で、でも、殺さなくても無力化する方法はあるはずっす! ツカサさんの魔法なら、峰打ち的なこともできるじゃないすか!」
「私の【古代魔法】は威力の調整が難しく――」
「お願い、ツカサさん……っ! 私、もう誰も死ぬところなんて見たくないんすよ……っ」
ルカがギュッと両手を握りしめ、上目遣いで、涙目でツカサに懇願する。
すると、冷徹なコンサルタントの顔をしていたツカサの表情が、ピシッと固まった。
「…………ルカ様がそう仰るなら、それはもう宇宙の真理ですわ。採用しましょう!」
「えっ」
「私語録によれば、『女子高生の涙はコンプライアンス違反よりも重い』とあります。ご安心くださいルカ様! このツカサ、ルカ様の美しい心を守るためなら、喜んで非合理の極みを尽くしてみせますぅぅっ!」
「ツ、ツカサさん……なんか息遣い荒くてちょっと怖いっすけど、ありがとうっす!」
秒で寝返ったツカサに、ルカがパァッと表情を輝かせる。
さてはこいつ、ルカに激甘だな。
「……ツカサがそれでいいなら、俺も構わない。気管に直接水を出すような即死攻撃は封印しよう。これからは、関節を外すとか、気絶させるとか何か考えるさ」
俺がため息混じりにそう告げると、ルカは「師匠!」と嬉しそうに笑った。
(……これでいい)
俺は心の中で小さく呟く。
昨日、アイリとルカの言葉で、俺は「自分の命をチップにしない」と決めた。なら、彼女たちの心をすり減らすような戦い方も、これからは変えていかなければならない。不器用でも、少しずつ。
だが、そんな俺とルカのやり取りを。
奥の寝床から起きてきたアイリだけが、複雑な表情で見つめていた。
――アイリは、葛藤していた。
(ナオキは、変わろうとしてる……)
ナオキは昨日、言ってくれた。
『お前のそのエゴに救われた』と。
アイリの「自分が一番になりたい、愛されたい」という身勝手なエゴを、彼は全肯定してくれたのだ。
冷徹で、合理的で、私のためにどこまでも手を汚してくれる彼に、心のどこかで甘え、依存していた。
なのに、彼は今、ルカの願いを聞き入れ、仲間のために「不殺」という圧倒的に不利な縛りを受け入れた。自分の戦い方を、あり方を変えようとしている。
不器用で、優しすぎる彼が。私たちのために、無理をして。
(……私だけ、ワガママなままでいいの?)
アイリは自分の胸に手を当てた。
彼女の奥底で渦巻く魅了スキル。人を惹きつけ、狂わせる、自分でも制御できない呪われた力。
このまま私が「守られるだけのアイドル」でいれば、いつか必ず、このスキルのせいでナオキを――不殺の誓いで手枷足枷をはめた彼を、本当の死地に追いやることになる。
(……私も、変わらなきゃ)
彼がくれた「エゴの肯定」を捨てるわけじゃない。
ただ、自分のためだけに愛されたいというエゴを、『彼を守り、共に歩むための力』に変えたい。
「ナオキ」
アイリはスッと立ち上がり、決意を秘めた瞳で俺の横に並んだ。
「私も賛成。もう、誰も殺させない。……私が、絶対にナオキを守るから」
「……アイリ?」
「だから、早く次の街に行こう。私のこの……『魅了』を完全に抑えるアイテムを探しにね」
アイリは無理に作った作り笑いではなく、等身大の、少しだけ背伸びをした決意の笑顔を浮かべた。
彼女の変化に気づき、俺は小さく頷きを返す。
「ああ。ツカサ、昨晩の偵察の結果、目的地は決まっているんだな?」
「はい。隣国との国境にある『自由都市』です。あらゆる無法者や訳ありが集まる闇市なら、アイリ様の素顔やステータスを偽装できる『強力な認識阻害の魔道具』が手に入るはずです」
「よし、早速ピントを合わせて、テレポートしよう。みんなそれぞれ準備をして、荷物をまとめてきてくれ。一時間後にテレポートする」
こうして、俺たちは新たなルール(不殺)と、それぞれの決意を胸に秘め、混沌渦巻く無法都市へと歩みを進めるのだった。




