第十七話
俺たちは、ツカサの完璧なハッキングと陽動のおかげで完全に無防備になった裏口の扉を静かに開け、館の内部へと侵入した。
中は異様な熱気に包まれていた。中庭で発生した大爆発に対処するため、軍靴の足音が至る所で鳴り響き、怒号が飛び交っている。
だが、俺の【超視覚】は、壁の向こう側、床下、天井裏に至るまで、すべての生命反応(熱源と魔力)を完全にマッピング(可視化)していた。
『ルカ、壁沿いに進め。五メートル先の角、右から二人来るが気にせず真っ直ぐだ』
ルカはコクッと頷き、そのまま走り切ろうとする。
「急げ! 魔法班は何をやっている!」
「地下の魔力炉が完全に――」
慌てた様子で角を曲がってきた二人の洗脳衛兵。
彼らの視線が俺たちを捉えるより早く、俺は超視覚で事前にロックオンしていた『二人の気管のど真ん中』に、一切の詠唱も予備動作もなく【生活魔法:水出し】を発動させた。
「ガッ……!?」
「ヒューッ……、カハッ!」
声帯と気道を突然『水』で塞がれた二人は、悲鳴を上げることも、仲間に危険を知らせることもできず、白目を剥いて首を掻きむしった。
『……っ! 師匠、走りながらの完全防御でよく見えなかったっすが、今、何やったんすか? 一瞬で倒れたように見えたんすけど』
『気にするな。このまま前進するぞ。次は階段だ』
俺は冷徹に状況を処理し、ルカの背中を押した。
館の中層へ上がると、さすがに警備の密度が上がってきた。ツカサの爆発に気を取られているとはいえ、領主の寝室へ続く直通ルートには、まだ精鋭が残っている。
『止まれ。……階段の踊り場に三人。重装甲の騎士が二人と、後衛に魔法使いが一人いるな』
超視覚が、壁の向こうの熱源を捉える。
奴らは中庭の騒ぎに動揺しながらも、持ち場を離れようとはしていなかった。完全に洗脳され、領主を守るという命令だけを忠実に実行する機械だ。
『ルカ。少し派手にいくぞ。お前のキャラコン、俺に完全に合わせろ』
『了解っす。バリアの前進キー、いつでも叩けるように指置いときます』
ゲーマー特有の頼もしい返事を聞き、俺はナイフを逆手に構えた。
階段の角を蹴り、踊り場へと一気に飛び出した。
「なっ!? 侵入者だ!!」
「貴様ら、どこから――」
重装甲の騎士たちが剣を抜き、後衛の魔法使いが杖を構える。
「炎よ、我が敵を焼き尽くせ!! ――【火球】!!」
魔法使いの杖の先から、空気を焦がすほどの熱量を持った巨大な炎の弾が放たれた。狭い階段で回避するスペースはない。直撃すれば骨まで消し炭になる威力だ。
『ルカ、正面!』
「ガードォォッ!!」
俺の指示と同時に、背後にいたルカが俺の前にスッと身を乗り出し、【絶対防御】の光の球体を維持したまま突っ込む。
『ドガァァァァァァンッ!!』
着弾。
視界を埋め尽くすほどの爆炎が階段を包み込む。だが、俺とルカを包む直径二メートルの結界は、その凄まじい熱量と衝撃波を『物理的かつ概念的に』完全に弾き返し、文字通りそよ風すら中へは通さなかった。
「ば、馬鹿な!? 結界魔法だと!? どうやってこれほどの強度を――」
魔法使いが驚愕に目を見開く。
俺は迫り来る刃から視線を逸らさず、一階の雑兵たちと同じように、魔法使いの気管のど真ん中へ【生活魔法:水出し】を発動させた。
だが――。
『ピキィッ!』
魔法が魔法使いの喉元で薄い光の膜に弾かれ、音と共に霧散した。
(……チッ、魔法耐性のパッシブスキルか何かか?)
さすがは領主直属の精鋭。体内へ直接魔法を発生させるような即死攻撃は、レジスト(抵抗)されてしまうらしい。
「ハッ、死ねえ!!」
隣の騎士が絶対防御に向かって剣速を上げる。
――【生活魔法:水出し】。
俺は騎士の肉体ではなく、『兜のバイザー(視界の隙間)』のすぐ内側にある「空間」に、大量の水を発生させた。
「ごぼっ!? な、なんだこれは、前が、息が……ッ!?」
耐性スキルは直接的な魔法干渉を防げても、兜という密閉空間に発生した物理的な「水」による窒息までは防げないようだ。
兜の中が突然水槽と化し、パニックに陥った騎士に向かって、俺は絶対防御の結界から飛び出し、すれ違いざまに、唯一の鎧のジョイント部分――膝の裏の薄い鎖帷子を、ナイフの物理攻撃で深々と切り裂いた。
「ぎゃあぁぁっ!?」
体勢を崩して崩れ落ちる騎士を冷酷に踏み台にし、俺は一気に後衛の魔法使いへと肉薄する。
「ひぃっ!? 来るな! 風よ――」
焦った魔法使いが、次の詠唱のために大きく息を吸い込んだ。
今度は奴の体内ではなく、大きく開けた『口のすぐ外』という外部空間の座標をロックオンし、そのまま流し込んでみた。
――【生活魔法:水出し】。
「――が、ガポァッ!?」
詠唱の代わりに、魔法使いの口から大量の水のようなものが吹き出した。吸い込んだ息と共に水が気管へ雪崩れ込み、陸の上にいながら完全に溺死のプロセスに入った。どうやらうまくいったようだ。
呪文を紡ぐこともできず、魔法使いは白目を剥いてその場に崩れ落ちた。
「き、貴様ぁぁっ!!」
残る最後の一人、もう一人の騎士が怒り狂って突進してくる。
俺は振り返ることなく、背後のルカへと言葉を投げた。
『ルカ、前へ、シールドバッシュだ』
「任せるっす!!」
ルカが【絶対防御】の球体を展開したまま、猛然とダッシュして騎士の懐に突っ込んだ。
魔法耐性など関係ない。絶対に壊れない、質量無限大の光の壁。それが助走をつけてぶつかってくるのだ。
『ガキィィンッ!!』
「ぐほぉぉぉっ!?」
全身の骨が軋むような鈍い音と共に、重装甲の騎士は結界に弾き飛ばされ、階段を転げ落ちて壁に激突し、完全に沈黙した。
「……ふぅ。ノーダメージ・クリアっすね、師匠」
「ああ。よくやった」
俺の労いの言葉を聞き、ルカは【絶対防御】の光の球体の展開を、ホッと息をついて外した。
だが、安堵から周囲の状況を直接確かめようとしたその行為が、彼女の精神を現実へと引きずり下ろした。
「え……?」
ルカの顔から、スッと血の気が引いた。
彼女の視線の先には、俺に気管を水で塞がれ、床を転げ回って窒息死していく魔法使いの姿があった。白目を剥き、口から水と泡を吹き、指の爪が剥がれるほど自分の喉を掻きむしって苦しんでいる。
その横では、膝裏の動脈を裂かれた騎士が、大量の血だまりを作りながらピクピクと痙攣していた。
ゲームのエフェクトのように、光の粒子になって消えたりはしない。
むせ返るような血と汚物の臭い。生々しい死のプロセス。
「あ……うぁ……なんで……ころ」
「ルカ?」
ガチガチと歯の根を鳴らし、ルカは光の結界の中でへたり込んだ。
(……なんで、こんなことに)
ルカの脳裏に、前世の記憶がフラッシュバックする。
学校に馴染めず、部屋に引きこもってゲームばかりしていた日々。外の世界はいつもノイズばかりで、誰かの悪意も、期待も、すべてが煩わしかった。
だから、それらをすべて塞いで、自分だけを守ってくれる『箱』が欲しかった。
異世界転生というイレギュラーに巻き込まれても、彼女の根底にある願いは変わらなかった。【絶対防御】というスキルを選んだのも、ただ安全な箱の中で、誰にも干渉されずに生きたかったからだ。
アイリを助けるためにここへ来たのも、正義感からじゃない。ただ、圧倒的な分析力と実行力を持つナオキという師匠についていけば、自分が一番『安全』だと思ったから。ただ流されるままに、ゲームのPTについていく感覚でついてきただけだった。
(私には、自分でやりたいことなんてゲームくらいしかない。他のすべての人がどうなろうと、どうでもいい。この人たちだって……)
他者に干渉し、自分のせいで何かが起きたり、誰かが悲しんだり喜んだりすること自体が、ルカにとってはひどく気持ち悪く、恐ろしいことだった。
ただ安全なゲームの世界で、自分のスキルだけを磨いて、静かに暮らしたかった。
なのに、現実は違った。
目の前の男は、アイリを助けるため、そしてルカを守るために、一切の躊躇なく他人の命を奪う。どうして命まで奪ってしまうのか。無力化するだけではだめだったのか。その生々しい血の代償の上に、自分の『安全』が成り立っているという事実。それに加担してしまったという事実。
「し、師匠……これ……本当に死んじゃうっすよ……? 私たち、人を……殺して……」
「……ルカ。見なくていい」
俺は冷徹に言い放ち、次なる敵に備えるため、ルカが再展開したバリアの内側へと一歩足を踏み入れようとした。
だが。
ガンッ、と。見えない壁に肩が弾かれた。
「……なんのつもりだ、ルカ」
俺は目を細め、バリアを小さくして内側に引きこもったルカを見下ろした。
俺の侵入を、ルカ自身がシステム(権限)で拒絶したのだ。
「む、無理っす……」
「ルカ」
「そんな手伝い、できない……! 私はただ、安全に生きたかっただけなのに……っ!」
ルカは頭を抱え、涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにしながら叫んだ。
「あんたは平気で人を殺す! アイリさんを助けるためでも、そんなの……私の主義に反するから……っ!」
それは、現実からの完全な逃避。
「ごめんなさい……師匠」
ルカはそう呟くと、光の球体を自分がしゃがみ込んでいるサイズにまで更に縮小し、完全に俺を外へと閉め出した。
血溜まりの広がる階段の踊り場で、俺は最強の『盾』を失い、完全に孤立した。
「そこまでだ、侵入者ッ!!」
直後、下の階から、増援の重装甲騎士たちが怒号と共に雪崩れ込んでくる。
ルカは結界の中で耳を塞ぎ、ガタガタと震えて目を閉じている。俺は無防備な状態のまま、何人もの殺意の只中に取り残されたことになる。
ルカは絶対防御の中にいるので問題ないと判断し、その場に残すことにする。
「ルカ、あとで必ず戻る。それまで何があっても絶対防御を解くなよ」
俺は下からくる重装甲騎士は無視し、誰もいなくなった上の階段と廊下を抜け、最上階へと辿り着いた。




