間章~アイリの想い~
⸻【間章:アイリ視点】
夜の宿屋。窓から差し込む薄明かりの中で、隣で何度も寝返りを打つ衣擦れの音が聞こえていた。
「……ナオキ、起きてる?」
私が小声で尋ねると、毛布を被った背中がビクッと跳ねた。
返事はない。でも、彼の呼吸が浅く、不規則に乱れているのは分かっていた。
今日、彼は沢山の人間を殺した。そして死にかけた。
いくら相手が極悪非道な盗賊だったとはいえ、現代日本で生きてきた一般人が、自らの手で他人の命を奪って平気なはずがない。
痛覚や触覚がなかった時は、まるでゲームのポリゴンを処理するように無表情でナイフを振るっていた彼だけれど。治癒魔法のレベルアップによって『温度感覚』を取り戻した今、彼の手には、自分が切り裂いた人間の『生温かい血の感触』が、遅れて生々しく蘇っているのかもしれない。
それに、自分の死の恐怖。
「な、おい……アイリ。何をして……」
「いいから。こっち向いて」
気づくと私は彼の身体を強引に引き寄せ、胸の中にすっぽりと抱きしめた。
私の手も、まだ微かに震えていた。
昼間、自分の血溜まりの中に倒れ込んだ彼を見た時の、あの心臓が凍りつくような絶望と恐怖が、まだ完全に抜けていないのだ。
びっしょりと冷や汗をかいているのが分かる。私は自分自身の震えを誤魔化すように、そして彼を安心させるように、背中をゆっくりと、一定のリズムでトントンと叩き始めた。
「……眠れないんでしょ。無理に目をつぶらなくていいよ。私の心音、聞いてて」
「……」
ナオキは最初こそ腕の中で硬直していたが、やがて諦めたように、私の胸にゆっくりと額を押し当てた。
彼の身体の震えが、肌越しに伝わってくる。
温度感覚を取り戻した彼にとって、今の私の体温は、冷たい死の記憶を上書きする確かな『生』の証明になっているはずだ。そうなってほしい。
「……ごめん。情けないな。あんなに偉そうなことを言っておきながら……人を殺した手が、震えて眠れないなんて」
「情けなくなんてない。ナオキが優しい人間だからだよ。それに、あの子を助けるためだったんだから……ナオキは何も悪くない」
私の言葉に、ナオキは小さく息を吐き、やがて疲労と安心感からか、スゥスゥと静かな寝息を立て始めた。
彼の寝顔を見下ろしながら、私は自分の胸の奥が、熱くギュッと締め付けられるのを感じていた。
――あんなに冷徹でロジカルに見えるのに、本当は誰よりもお人好しで、傷つきやすい。
そんな彼のことが、たったこの数日で、どうしようもないくらい好きになっていることに、私は気づいていた。
ナオキの髪を撫でながら、今日の昼間の出来事を思い出す。
盗賊を殲滅した後。光の結界を解いたあの女子高生は、自分のために血だるまになって死にかけたナオキを見て、あからさまに『恐怖』の表情を浮かべて後ずさった。
彼女の目には、ナオキが『自分たちを助けてくれた恩人』ではなく、『盗賊たちを無表情で惨殺した、血まみれの化け物』に映ったのだろう。
『ひっ……! こ、こっちこないで……っ!』
怯えて泣き叫ぶ彼女の態度を見た時、私は危うく彼女の頬を平手打ちしそうになった。
ナオキがどれだけの思いで、自分の命を削ってまで助けたと思っているのか。いくら子供でも、あの仕打ちは絶対に許せなかった。
でも、ナオキはそんな彼女の反応を責めるどころか、「まともな感覚なら当然だ」と淡々と受け入れてしまったのだ。
さらに、言葉の通じない彼女を放り出すわけにはいかないと、私たちの保護下に入れた。
『未成年をスラムに放り出すのは、いくらなんでも寝覚めが悪い。あいつの世話はツカサに任せる』
そう言って、コソコソと後をつけてきていたあの女――黒スーツのポンコツストーカーのツカサさんを捕まえ、彼女と同室にして女子高生は守られている。
女子高生を押し付けられたツカサさんは、
『ご、ご主人様からの初めての特別任務……! 私、完璧にこの子を飼育してみせますぅぅっ!』
と、ちょっとキモい(変態的な)息遣いで興奮していたけれど。前世が優秀なコンサルだっただけあって、社会的な能力だけは異常に高いのだろうから、当面の問題はないと思っている。
それにしても。
あの時、ナオキが女子高生に向けた視線は、どこか『庇護すべき女』を見るような、ひどく甘いものだった気がする。
「……ナオキ、やっぱり若い子がいいのかな」
暗闇の中で、私は誰にともなくポツリと呟いた。
ナオキには、自分の本当の年齢を口走ってしまった。
もちろん、ボーナスポイントを割り振っていたので、今の私の身体はピチピチの18歳だ。でも、ナオキは私が中身は30歳手前の、人生に疲れ切った大人だと知っている。
でも、あの本物の女子高生の、世間知らずで瑞々しい若い反応を見た後だと。私のこの「作られた18歳の身体」が、なんだかひどく嘘っぱちで、安っぽいものに思えてきてしまう。
「……やっぱ、本当の年齢、言うべきじゃなかったかなぁ……」
その三十路のあざとさも、アイドルのプライドも、今は全部どうでもよかった。
ただ、彼の隣にいるのに一番ふさわしい女の子でありたい。
「……バカ。私ばっかり好きになってるみたいじゃん」
私は自分でもどうしていいか分からない愛おしさと、ほんの少しの不安を抱えながら。
腕の中の不器用な人を、誰にも渡さないようにギュッと抱きしめ返し、静かに眠りについた。




