第十一話
ゴブリンの集落跡からさらに数キロ進んだ、見晴らしの良い岩山の頂上付近。
俺は歩みを止め、眼下に広がる広大な山岳地帯へと視線を向けた。
「アイリ。お前はここで待機だ。これ以上近づくのはリスクが高すぎる」
「えっ? ここで? まだ敵の姿なんて全然見えないよ?」
「俺には見えている。ここから約二キロ先の谷底に、丸太と鉄屑で組まれた巨大なバリケードがある。盗賊のアジトだ」
俺が指差す方向を、アイリは目を細めて必死に見ようとするが、「ただの森と岩にしか見えない……」と首を傾げた。
無理もない。常人の視力では、ここからアジトの様子など到底把握できない。だからこそ、ここがアイリにとっての「絶対安全圏」だ。
「いいか、絶対にこの岩陰から動くな。俺がここから片付ける」
「う、うん。分かった。ナオキの目は本当にすごいね……」
大人しく岩陰に座り込んだアイリを残し、俺は岩の縁に立って超視覚のピントを二キロ先のアジトへと合わせた。
丸太の壁を透かした先の広場。ざっと三十人以上の荒くれ者たちがたむろし、酒を飲んで下品な笑い声を上げている。
そして、広場の端に置かれた鉄格子の檻。
その一番端に、紺色のブレザーにチェックのプリーツスカートを着た、日本の女子高生が一人だけ囚われていた。
(……見つけた。日本人だ。かなり若いな)
俺は無言のままピントを絞り、彼女の様子を観察した。
女子高生は檻の隅で膝を抱えて震えている。そこへ、酒瓶を持った二人の盗賊が近づき、檻の隙間から乱暴に腕を伸ばして彼女の襟首を掴もうとした。
――その瞬間。
『パァンッ!』という音と共に、女子高生を中心に直径二メートルほどの『半透明な光の球体』が展開された。
盗賊たちの腕は勢いよく弾き飛ばされ、怒った盗賊が剣で叩きつけても、光の壁は完全に物理攻撃をシャットアウトする。凄まじい強度の【結界】スキルだ。
だが、俺の超視覚は、結界の中の『異常』を正確に捉えていた。
光の球体に守られた女子高生は、なぜか自身の喉をおさえ、肩で激しく息をしていた。顔面はみるみるうちに青ざめ、苦しそうに胸を叩いている。
そして展開からわずか数分後。彼女が限界を迎えたように手をつくと、光の結界はフッと消滅した。
『ゲホッ、ハァッ、ハァッ……! ゲホッ……!!』
彼女は結界が解けた途端、周囲の空気を貪るように激しく吸い込み、むせ返った。
盗賊たちが下劣な笑い声を上げ、再び手を伸ばす。女子高生は悲鳴を上げて再び『光の結界』を展開するが、また数分後には顔を真っ青にして自ら結界を解除し、崩れ落ちた。
(……魔素分解ができてないのか?魔力切れ?いや、ただの酸欠に見える)
俺は一つ息を吐き、視力を集中させることで正体を理解した。
あの結界、強固に『全て』を遮断しすぎるあまり、空気すら通していないのだ。外からの干渉を完全に断絶する密閉空間を作れば、当然、中の酸素はすぐに尽きる。あいつは今、自分で張った無敵の結界の中で、自分の吐いた二酸化炭素に殺されかけているというわけか。
防御魔法のようなものに全振りした結果か。結界を解けば盗賊の慰み者にされ、張り続ければ窒息死する。完全に詰んでいる。
(さっさと終わらせるか)
俺は二キロ先の空間へ、冷徹なピントを合わせた。
まずは、あの檻の前にいる二人の盗賊。口腔から気管のど真ん中へ座標を指定する。
――【生活魔法:水出し】
檻の前にいた二人が、突如として武器を取り落とし、喉を掻きむしりながら地面に倒れ伏した。ゴブリンの時と同じ、声帯痙攣による溺死だ。
そのまま視線をずらし、酒を飲んでいる集団の気管へと次々に水を発生させていく。
三人、四人、五人。
一切の予備動作もなく、ただ俺と『目が合った』者から順にのたうち回り始める。
「な、なんだ!? どうした!」
「おい、しっかりしろ! 毒か!?」
広場が騒然となり始めた。これなら数分で全滅させられる。
そう確信した、次の瞬間だった。
「――慌てるなッ!! 遠距離からの魔法狙撃だ!!」
広場の奥のテントから、一人の大男が怒声と共に飛び出してきた。顔に大きな傷のある、盗賊団のリーダーだ。
男は倒れた部下を一瞥するなり、懐から黒い魔石を取り出し、地面に思い切り叩きつけた。
『パァンッ!!』
破裂音と共に、ドス黒い『煙』が爆発的に広場全体を覆い尽くした。
「チッ……!」
俺は思わず舌打ちをした。
ただの煙幕ではない。濃密な魔力の乱れを含んだ、魔法ジャミング(妨害)煙幕だ。
俺の超視覚は壁などの物理的な障害物を透視できるが、この煙幕は空間の光と魔力を歪める。煙の魔力粒子がノイズとなって視界をグニャグニャと歪ませ、正確な空間座標(気管の奥)を割り出せない。
遠距離からの【水出し】暗殺が、物理的に封じられた瞬間だった。
「姿の見えねえ卑怯な真似しやがって! 狙撃手は必ず高所から俺たちを見ているはずだ! 外に散って探り出せ!!」
煙幕の奥からリーダーの怒号が響き、盗賊たちが一斉にバリケードの外へと飛び出してくる気配がした。
このままここにいれば、いずれアイリごと見つかる。自分もアイリも危ない。
「ナオキ? 今、舌打ちしなかった? 何かあったの?」
後ろで待機しているアイリが、不安そうに声をかけてきた。
俺は振り向き、腰の安物ナイフを引き抜いた。
「厄介な防衛アイテムを使われた。ここからの遠距離狙撃じゃ、敵の急所をロックオンできない。ここもすぐにバレるかもしれない……その前に俺が直接行って叩く」
「えっ!? 待って、ナオキが直接戦うの!? ダメだよ、いくらナオキでも乱戦になったら……っ!」
「お前は隠れてろ。俺が降りて敵の頭を潰せば、烏合の衆は瓦解する」
アイリの制止を背中で聞きながら、俺は黒いローブを翻した。
「俺が戻るまで、何があっても出てくるなよ」
そう言い残し、俺はただ一人、魔力煙幕が立ち込める敵の射程圏内へと斜面を駆け下りていった。




