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第十話

街の巨大な城壁を抜けると、見渡す限りの青々とした草原と、その先に鬱蒼と茂る深い森が広がっていた。


アイリがフードの隙間から景色を見渡し、「うわー、すっごいファンタジー! ……でも、なんか獣臭いっていうか、むせ返るような草と土の匂いがするね」と鼻をヒクつかせた。


俺には嗅覚がないため、その「むせ返るような匂い」は一切感知できない。視覚から得られる『風に揺れる草』や『鬱蒼とした木々』という映像データから、脳内で「自然の匂いがするのだろう」と補完するだけだ。

 ある意味で、この欠落は過酷なサバイバルにおいて強力な武器になる。死臭や汚物の匂いで吐き気を催すことも、恐怖で足がすくむこともないからだ。


「ナオキ、ゴブリン退治ってどうやるの? 足跡とかウンチとか探して巣を見つけるのがセオリーだよね? 私、そういうの踏むの絶対ヤダよ」

「そんな泥臭い真似はしない。索敵するから少し黙ってろ」


俺は立ち止まり、草原の先にある深い森へと視線を向けた。

 意識を集中させ、超視覚のピントを奥へ、奥へと進めていく。

 木々の幹が半透明のセロハンのように透け、重なり合う葉の裏側に潜む虫の動きすら顕微鏡レベルで捉えられる。レベル3の視力強化は、もはや『視覚』という概念を超えた空間把握能力に近かった。


森の入り口から約三キロ地点。


岩肌が露出した洞窟の周辺に、緑色の醜悪な小鬼ども――ゴブリンの群れが形成している巨大な集落を発見した。

 ざっと見積もって百匹以上。

 腰には薄汚れた布を巻き、手には錆びた鉈や、犠牲になった冒険者から奪ったであろう欠けた剣を握っている。中には、捕らえた野生動物を生きたまま解体して貪り食っている個体もいた。


ギルドの受付嬢は「ゴブリンは単体なら子供でも倒せるが、群れると厄介よ」と身を案じてくれた。群れの中に筋力Lv1の初心者が突っ込めば、数分で骨の髄までしゃぶり尽くされるだろう。


「……見つけた。森の奥、約三キロ先に大規模な集落がある。ざっと百匹以上だ」

「ひゃ、百!? ちょっとナオキ、いくらなんでも多すぎない!? さすがにそんな大群、魔法使いの爆撃でもないと無理だってば!」

「問題ない。Fランクの昇格条件は『累計50体の討伐』だ。つまり、ちょうど50匹だけ間引けばいい」

「いや、間引くって……どうやって?」


アイリがローブの裾を握りしめながら首を傾げる。

 俺は視線を森の奥へ向けたまま、淡々と答えた。


「――こうやるんだ」


俺の視界は、三キロ先のゴブリンの集落を完全にロックオンしていた。

 狙うのは、集落の周辺で呑気に居眠りをしている個体や、見張り台の上で欠伸をしている個体。群れの中で比較的孤立している『50匹』を同時に視界に収める。

 そして、その50匹の口腔から喉の奥、気管のど真ん中へと、視覚情報の座標をピタリと合わせた。


スラムで奴隷商人にやったのと同じ暗殺術。

 人間の気道に直接水を発生させて溺死させる手法だが、相手が魔物であっても、肺呼吸をする生物である以上は喉頭痙攣こうとうけいれんによる窒息のメカニズムは同じだ。


ただ、今回は同時に50の座標へ干渉する。

 脳に強烈な負荷がかかるのを感じたが、痛覚がない俺にとって「脳の負荷」はただの「熱と処理落ちの感覚」に過ぎない。限界まで脳細胞を回し、たった10ポイントで手に入れた日常用スキルを一斉に起動した。


――【生活魔法:水出し(マルチロック・50)】


距離三キロ。詠唱なし。魔法陣の発光もなし。

 ただ、俺が『見た』という事実だけで、魔法は完結する。


直後、超視覚の向こう側で、集落の周辺にいた50匹のゴブリンたちの動きが完全に停止した。


見張り台の上にいた個体は、唐突に自分の首を激しく掻きむしり、白目を剥いて頭から真っ逆さまに転落した。

 居眠りをしていた個体は、痙攣したように跳ね起きると、声にならない狭窄音を漏らしながら地面をのたうち回る。


気道に直接発生したわずか数ミリリットルの純水が、呼吸器の防御機構をパニックに陥らせ、50匹の小鬼どもを陸上で一斉に溺死させていく。

 彼らは武器を振るう相手すら認識できないまま、ただ自らの喉を掻きむしり、チアノーゼで醜い緑色の顔をどす黒く染め上げ、次々と絶命していった。


異変に気付いた他のゴブリンたちがパニックを起こし、見えない敵に怯えて洞窟の中へと逃げ込んでいく。

 その惨状を最後まで見届け、俺は小さく息を吐いて視界のピントを通常に戻した。


「……よし、終わった。Fランク昇格のノルマ達成だ。討伐部位の回収に行くぞ」

「えっ?」


俺が歩き出すと、アイリは素頓狂な声を上げてその場に立ち尽くした。


「えっ、終わったって……ナオキ、今ずっと突っ立って遠くを見てただけだよね!? 剣も抜いてないし、魔法の呪文も唱えてないじゃん!」

「俺のスキルと魔法にそんな派手な予備動作はいらない。三キロ先の集落で、50匹まとめて窒息死させておいた」

「……えぇ……私の覚悟を返してよ……」


アイリはドン引きしたような顔で俺を見つめ、「ナオキ、本当に人間……?」と呟いた。


チートスキルを取れた転生者たちから見れば、俺はただの無能力者に見えるだろう。だが、制限されたリソースを極限まで最適化し、悪魔的なロジックで運用すれば、凡人の初期魔法でもこれだけの無双が可能になる。


俺たちは草原を抜け、森の中を三キロほど歩いてゴブリンの集落跡へと到着した。

 生き残った個体は完全に怯えきって洞窟の奥に引きこもっており、外の広場には首を掻きむしった不気味な死体だけが50体、無造作に転がっていた。


「うっわ……マジで死んでる……。しかも血が一滴も出てないのに、みんなすっごい苦しそうな顔してて……ひぃっ、匂いもキッツい!」


アイリはローブの袖で鼻と口を覆い、涙目で後ずさった。


討伐の証明には『右耳』を持ち帰る必要があると、ギルドの掲示板の絵(と翻訳データ)から把握している。俺は懐から、先ほど装備屋の親父からおまけで巻き上げた安物のナイフを取り出した。

 しゃがみ込み、死後硬直が始まりかけたゴブリンの右耳を無表情で切り落としていく。


血が飛び散り、ナイフを持つ手にゴブリンの体液がこびりつくが、俺には触覚がないため「生温かい感触」も「気持ち悪い粘り気」も一切感じない。嗅覚がないため、鼻を突く悪臭にも無頓着だ。

 ただの映像データのポリゴンを処理しているのと同じ感覚で、俺は機械的に50個の耳を切り落とし、麻袋へと放り込んでいった。


「ナオキ……あんた、それ気持ち悪くないの……?」

「俺に嗅覚と触覚がないのは説明しただろ。臭くもないし、汚いという感触もない。俺にとってこれは、ただの単純なルーティンワークだ」

「……そっか。痛覚がないのもヤバいと思ったけど、そういう感覚がないのも、傍から見てるとちょっとサイコパスっぽくて怖いね……」


アイリはドン引きしながらも、俺が血まみれにならないよう、後ろから【生活魔法】の代わりに微弱な治癒魔法の光を当てて汚れを弾いてくれていた。なんだかんだで、彼女なりのサポート(恩返し)のつもりなのだろう。


「これでゴブリンの討伐証明ノルマは完了だ。ギルドに持ち帰れば、すぐにEランクへ上がれる」


血まみれの麻袋の口を縛り、俺はゆっくりと立ち上がった。

 ここまではただの前座、準備運動に過ぎない。


「よし、本命メインディッシュの場所を探るぞ。……転生者を狩っている盗賊どものアジトをな」


俺は再び超視覚を起動し、ゴブリンの森のさらに奥、険しい岩山の連なる地帯へと、冷徹なピントを合わせていった。

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