第九話
重厚な木と鉄の扉を押し開けると、むせ返るような熱気と喧騒が押し寄せてきた。
アイリが「うっ……」と顔をしかめて鼻をつまむ。俺には嗅覚がないため分からないが、おそらく酒と汗、そして魔物の返り血が混ざったような、荒くれ者特有の体臭が充満しているのだろう。
「ほら、フードを目深に被っておけ。なるべく目立たず、サクッと登録を済ませるぞ。……それと、会話は極力小声にしろ」
俺が耳打ちすると、アイリは不思議そうに小首を傾げた。
「なんで? 誰も私たちの言葉(日本語)なんて分からないっしょ?」
「分からないから面倒なんだ。この世界に存在しない言語を堂々と喋っていれば、『右も左も分からない異世界人です』と触れ回っているのと同じだ。ゴロツキどもに目をつけられる」
「あっ……なるほど。了解、ヒソヒソ話ね」
アイリはローブの裾を握りしめ、俺の背中に隠れるようにして歩幅を合わせた。
俺たちは受付カウンターへと向かい、受付嬢に【身分証(一般市民)】を提示して冒険者登録を申請する。この世界では、一般市民の身分証があれば、所有する「奴隷」も一緒にパーティーメンバーのような扱いで登録できる仕組みになっていた。
「ええと、ナオキ様ですね。それに奴隷のアイリ様。……ん? 申請書にはもう一名、奴隷の登録枠がありますが?」
「ああ。ツカサという女だ。今は別行動だが、俺の所有物に間違いない。登録だけ先にしておいてくれ。本人が後でギルドカードを受け取りに来るはずだ」
俺が淡々と現地の言葉で告げると、受付嬢は少し不思議そうな顔をしながらも事務的に処理を進めた。
俺の超聴覚は、ギルドの入り口の扉の向こうで、黒いスーツの女が息を潜めてこちらの様子を窺っているのをしっかりと捉えていた。
俺が昨夜ツカサに渡した小袋には、当面の宿代と食費として十分な額の銀貨が入れてある。だからこそ俺たちは現在、完璧な金欠なのだが。あいつなら俺が渡した語学メモを完璧に暗記し、そのうち勝手にギルドにやって来て自分のカードを回収するだろう。あのポンコツストーカーの適応力(と俺への異常な執着心)を、俺はたまに超視覚で見て、それなりに評価していた。
「登録完了です。お二人は本日から『Fランク』冒険者となります。まずはギルドの依頼掲示板から、Fランク用の依頼をお選びください」
受付嬢から渡された安っぽい銅のプレートを受け取り、俺たちは巨大な依頼掲示板の前に立った。
アイリがローブの隙間から、板にびっしりと貼られた羊皮紙を見上げる。
「う、うん……。ミミズの這った跡みたいで文字はぜーんぜん読めないや。あっ、でも親切に絵が描いてあるね! こっちの草の絵が『草むしり』で、こっちの不細工な小鬼の絵が『ゴブリン退治』?」
脳内DLの言語パックを持つ俺の視界には、その異世界語がはっきりと『薬草採取』『ゴブリン討伐』と翻訳されて見えている。
「ああ、正解だ。だが、ちょうど良い依頼を見つけた。狙うのは『盗賊の殲滅』だ」
「えっ、盗賊? 人間と戦うの!?」
アイリが小声で驚きの声を上げた。俺は周囲に警戒を向けつつ、ヒソヒソと説明する。
「効率を考えればそれが一番だ。盗賊のアジトを潰せば、奪われた金品や報奨金が手に入り、一気に資金難が解決する。さらに重要なのは、あいつらが『身分証なし』の人間を好んで狩り、奴隷として売り飛ばしていることだ」
「あっ……!」
「そうだ。ツカサのような罠にハマった転生者たちが、まだどこかの盗賊に囚われている可能性が高い。一石二鳥というやつだ」
あの白い空間から放り出されて、すでに丸一日が経過している。
現代日本の人間が、言葉も通じない無法地帯で生き延びられるリミットは短い。時間との勝負だ。生存確率がゼロになる前に、一人でも多くの手駒(異世界人)を救出しておきたい。
「でもナオキ。その盗賊っぽい人相書きの紙、強そうな絵のほうにあるよ?うちらFランクじゃ受けられないんじゃない?」
「そこだ。このギルドのルールでは、FランクがEランクに上がるための昇格試験として、『ゴブリンを累計50体討伐する』ことが義務付けられている」
大半の初心者冒険者は、ここでゴブリンの群れに囲まれて大怪我をするか、心が折れて引退していくらしい。
「じゃあ、やっぱりまずは地道にゴブリン50匹倒さなきゃダメじゃん」
「普通ならな。だが、俺の【一般常識・法律パック】が告げている。冒険者ギルドの規約には『身の丈に合わない依頼の受注は禁止するが、依頼の遂行中に上位の脅威(盗賊など)に遭遇し、やむを得ず正当防衛でそれを殲滅した場合は、事後報告での討伐報酬の支払いを認める』という抜け道がある」
俺がニヤリと口角を上げると、アイリはポカンと口を開けた。
「つまり……?」
「表向きは『ゴブリン退治』の依頼を受けて街の外に出る。だが実際は、ゴブリンなんて無視するか、さっさと50体を片付けた後、そのままの足で『たまたま遭遇したことにして』盗賊のアジトにカチコミをかける。これならルール違反じゃない」
「うわぁ……ナオキ、頭いいっていうか、性格悪い……!」
アイリがドン引きしつつも、どこかワクワクしたような声を上げた。
「それに、ゴブリン50体なんて、俺の目と生活魔法にかかれば数分の作業のはずだ。時間はかけない」
俺は掲示板から小鬼の絵が描かれた『ゴブリン討伐』の依頼書を一枚剥ぎ取ると、受付に提出した。
「よし、行くぞアイリ。ゴブリンを狩って、ついでに盗賊の巣を掃除して、運が良ければお前の後輩をお持ち帰りだ」
「おー! やったろうじゃん!地球人を救うぞー!! 私、しっかりナオキの背中守るからね!!」
俺たちは冒険者ギルドを後にし、街の門を抜けて広大な平原へと足を踏み出した。




