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第八話

宿を出た俺たちは、朝の活気づく街の大通りを足早に歩いていた。


アイリには、宿の部屋にあった予備のシーツをマント代わりに羽織らせ、目深に被らせている。それでも、すれ違う男たちがチラチラと振り返るほど、【超絶美少女アイドル】のパッシブスキルは厄介だった。


「ねえナオキ。どうせ装備を買うならさ、私のこのスキルで高級店のおじさんをメロメロにして、一番いい防具をタダでもらっちゃおうよ! 私の魅力なら余裕だよ?」


シーツの隙間から自信満々に提案してくるアイリ。

 だが、俺は即座に首を横に振った。


「却下だ。そんな上手い話が通じるほど、この世界は甘くない」

「えー、なんで? 私の魅了、ゴロツキどもには効果抜群だったじゃん」

「俺の脳内にある【一般常識・法律パック】が警告を出しているんだ。まず、大通りにあるような高級装備店の店主は、自衛のために『精神耐性の魔石』を身につけているのが常識だ。高価な商品を扱う以上、魅了や催眠系のスキルを使った強盗対策は徹底されている。お前のアイドルスキルなんて通用しない」

「うわっ……異世界なのに防犯対策バッチリすぎる……」

「それに、耐性魔石を持っていない店に行って、魅了でタダ同然で巻き上げたとする。だが、店を出て魅了の効果が切れれば、店主は正気に戻って不審に思うだろう。この世界では、スキルや魔法による不当な取引は『魔法的詐欺罪』として衛兵に追われる重罪だ。目先の小銭で、面倒事を背負い込む気はない」


俺が淡々と理屈を並べると、アイリは「世知辛いなぁ……」と肩を落とした。


そう、チートスキルがあれば何でもできるわけではない。社会には社会のルールがあり、それを知らずにチートを振り回せば、あっという間に自滅する。たった10ポイントの『一般常識』と『法律』の知識が、ここでも俺たちの命を繋いでいた。


「だから、値切りはあくまで『常識的な範囲の交渉』に留める。行くのは大通りじゃなく、裏通りだ」


俺が案内したのは、スラム街の手前にある、いかにも胡散臭い店構えの装備屋だった。

 薄暗い店内には、表を歩けないような裏社会の人間――盗賊や暗殺稼業の者たち――が好んで使うような、実用性重視の品が乱雑に積まれている。


店番の強面な親父がジロリとこちらを睨んできたが、俺は堂々と店内を物色した。

 そして、部屋の隅の木箱に無造作に突っ込まれていた『黒いローブ』を二着引っ張り出した。超視覚のピントを生地に合わせると、極小の魔力回路が縫い込まれているのがはっきりと見える。


「これだ。この黒ローブには【認識阻害(微弱)】の魔法が付与されている。お前のその歩く厄災スキルも多少はマシになるだろ」

「おおー! さすがナオキ、頼りになるねぇ!」


俺は親父の元へローブを二着持っていき、言葉巧みに、しかし魔法的詐欺にはならないギリギリのラインで交渉を行った。

 アイリの容姿をチラつかせて親父の機嫌を取りつつ、服のほつれを指摘して値段を叩く。結果、手持ちの銀貨と銅貨のほとんどと引き換えに、なんとか二着のローブを手に入れることができた。


店を出て、俺たちはすぐに黒ローブに袖を通した。

 フードを目深に被ると、【認識阻害】の効果が発揮され、アイリの異常なまでのアイドルオーラが「小柄で美しいフードの人物」程度にまで薄まったのが分かった。これなら、街を歩いても囲まれにくくはなるだろう。


「おおー! なにこれ、めっちゃそれっぽい!」


アイリはすっかりご機嫌になり、黒いローブの裾をバサバサと翻しながら、ビシッと謎の決めポーズをとった。


「こうして二人でお揃いの黒ローブ着てると、なんか『怪しい悪の組織の幹部コンビ』って感じでかっこいいね! ククク……我らダークネス・シンジケートの力、思い知るがいい……!」

「暢気なことを言っている場合か」


ノリノリで中二病くさいセリフを吐くアイリに、俺は呆れながらすっからかんになった財布(小袋)を見せつけた。


「これで完全に金欠だ。今日の飯代も、明日の宿代もない。怪しい組織ごっこをしてる暇があったら、働くぞ」

「えっ、もう働くの!? 私、アイドル時代に働きすぎて過労死ギリギリだったから、異世界ではスローライフを満喫したかったのに!」

「路地裏で野垂れ死ぬのがスローライフか?」

「うぐっ……正論の暴力……! で、でも、働くってどこで?」


俺は頷き、大通りの先に見える、ひときわ大きな石造りの建物を指差した。


「ああ。日銭を稼ぐなら、冒険者ギルドだ。魔物討伐や依頼をこなして金を稼ぐ」

「ま、魔物!? なにそれ、なんかすごそう! でもやるよ!」

「……意外だな」


思わず、俺は素の声を漏らしていた。

 冒険者ギルドでの魔物討伐。言葉にすればファンタジーの王道で聞こえはいいが、現実は血と泥と臓物に塗れた殺し合いだ。危険で、グロテスクで、一歩間違えればあっさりと命を落とす。

 現代日本、しかも華やかなアイドル業界にいた彼女なら、泥臭い戦闘など絶対に嫌がると思っていた。だからこそ、逃げられないように直前まで黙っていたというのに。


「お前、魔物と戦う怖さが分かってるのか? 怪我を治せるとはいえ、痛みがなくなるわけじゃないんだぞ」

「えっ? うーん、まあ、痛いのは嫌だけど……ナオキが前で戦ってくれるんでしょ? 私は後ろから回復魔法かける係だし!」

「……お前らしいといえば、お前らしいな」


俺は小さくため息をつき、歩きながらアイリの横顔を盗み見た。

 認識阻害のローブを被っていても、その整った目鼻立ちは隠しきれていない。


「だが、お前ならもっと楽に生きる方法があるだろ」

「え?」

「その【超絶美少女アイドル】のスキルだ。俺が後ろ盾になって安全を確保した上で、その魅力を正当なビジネスに使えばいい。貴族のパトロンを見つけて金を巻き上げるなり、この世界で本当にアイドルとして舞台に立って稼ぐなり、安全で楽な道はいくらでもあるはずだ。血生臭い魔物討伐に、わざわざついてくる必要はない」


俺は極めて合理的な提案をしたつもりだった。

 痛覚も触覚もない俺は、戦闘において致命的なハンデを背負っている。いつ死ぬか分からない俺の治癒係として泥にまみれるより、彼女のスキルを最大限に活かした「安全な集金装置」として機能してもらった方が、結果的にパーティの生存確率は上がるかもしれない。


だが、俺の言葉を聞いたアイリは、歩みをピタリと止めた。


「……ううん。違うんだ、ナオキ」


いつもはおちゃらけている彼女の口調が、急に静かで、真剣なものに変わった。

 振り向いたアイリは、ローブのフードを少しだけ押し上げ、まっすぐに俺の目を見つめ返してきた。


「私ね、あの白い空間で訳も分からずステータスを全押しして、気づいたら路地裏で柄の悪い男たちに囲まれてて……本当に、もう人生終わったって思ったの。言葉も通じないし、アイドルメンタルでも全然耐えられなくて」


彼女は自分の胸元をギュッと握りしめ、言葉を探すように目を伏せた。


「あのままナオキが来てくれなかったら、私はきっと、さっきのツカサさんみたいに奴隷にされて、もっと悲惨な目にあってた。……まだ、この世界のどこかに、私たちみたいな異世界人っていっぱいいるんでしょ?」

「……ああ。デフォルト設定の罠にハマって、助けてもらえない奴らが大半だろうな」

「うん。私は、ナオキに助けてもらって……本当に、運が良かったんだ」


アイリは再び顔を上げ、花が咲くような、けれどどこか照れくさそうな、不器用な笑顔を向けた。


「だから、その分だけでもナオキや地球から来た人の役に立ちたいの。安全な場所でアイドルやって守られてるだけじゃなくて……ナオキが、もしまた他の誰かを助けに行くなら、ナオキが死んじゃわないように、私が、この治癒の力で支えたい。そりゃあ安全に生きたいけど、助けてもらった分だけでも恩返ししたいんだ。だからね、魔物と戦うのにもついていくよ」


計算でも、スキルの強制力でもない。非合理的な彼女の感情。

 それは、前世でアイドルとして活躍し、ボーナスポイントが2000も付与されるほどの徳を積んできた彼女の、真っ直ぐで不器用な「本質」だった。


『『『【警告】

 対象のパッシブスキル【超絶美少女アイドル】による精神干渉(魅了)を検知。

 【精神耐性 Lv1】が発動。魅了効果を軽減します。』』』


出会ったときに響いた、無機質なシステムアナウンスを思い出す。

 だが、今の俺にはそんな警告音など全く意味を持たなかった。


「…………」


スキルの効果など関係ない。

 俺の目は、ただ純粋な彼女のその笑顔から、どうしても引き剥がすことができなかった。


痛覚がない。触覚がない。味覚も嗅覚もない。

 性欲すらひどく薄れ、世界はただのデータと情報だけで構築された無機質な映像に成り下がっていた。

 だが今、俺の胸の奥で、確かにドクンと人間らしい鼓動が跳ねたのを感じた。


(……恩返し、か)


俺は彼女を、自分の欠損を補うための都合の良い「手駒」だと判断して連れまわしている。

 だが彼女は、出会ったばかりの俺に並び立とうとしてくれている。


「……ナオキ? どうしたの、黙り込んじゃって。私、なんか変なこと言った?」

「……いや。別に。何でもない」


俺は視線を逸らし、ローブのフードを深く被り直して、ほんの少しだけ早くなった心鐘を隠した。


「分かった。お前がそこまで言うなら、俺の後ろでしっかり治癒の準備をしておけ。その代わり、少しでも危険だと判断したら、お前を抱えてでも撤退する。俺の命綱はお前なんだからな」

「うんっ! 任せて!」


アイリは嬉しそうに駆け寄り、俺のローブの袖をギュッと掴んだ。


ほとんど触覚のない俺の腕には、彼女が引く布の張力すら、視覚的な情報でしか伝わらない。それでも不思議と、彼女の体温がわずかに伝わってきたような、そんな錯覚を覚えた。


「行くぞ。冒険者ギルドだ」


俺たちは並んで歩き出し、大通りの喧騒を抜けて、重厚な木と鉄で縁取られたギルドの巨大な両開き扉の前へと立った。

 中からは、荒々しい男たちの笑い声や、酒の匂い、武器がぶつかる金属音が漏れ聞こえてくる。


異世界サバイバルの、本当の始まり。

 俺は小さく息を吐き、隣で少しだけ身を強張らせているアイリを一瞥してから、勢いよくギルドの扉を押し開けた。

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