第二話 嘘つきなロボット
私が捨てられた最終処理施設は”始末所”という物騒な名称が付けられており、かねてより近辺の都市名は把握していた。かつてはお台場と呼ばれていたが、現在は”ダイバー”という頓珍漢な名前に変わった。
来るのは初めてだったが、どこを見渡しても人間らしい人の姿は観測されず、R2-botの型番でも比較的新しいメイドロボが往来を闊歩していた。人とロボットをどう区別するのか? それは顔を見れば容易に分かる。
容姿が並外れて優れていてかつ、日本人離れした身体的特徴を持つもの。例えば金髪蒼瞳の美女なんかは製作者の意図するとこが丸分かりだ。現実世界にこんな人がいればなぁ、そんな欲望の掃き溜めに使われている辺り、下衆の考えには理解しかねる。
多くの顔の造形はオーダーメイド式とはいえ、稀に同一の顔で複数体歩いているのも見かける。所有者の狂気を感じるのも都市散策の醍醐味の一つだ。
かくいう私も自身の容貌にはそこそこ自信がある。ロボの中でも上澄みの方に位置するし、肌感を再現した素材もかなり精巧に似せてあるため、パッと見では人間にしか見えないだろう。敷島太陽ーーさっき会話したあの人間は多分、最後まで私の事をロボットだと認識できていなかったと思う。
でも、どれだけ虚勢を張ろうにも、廃棄された事実が重くのしかかり私から自信を奪っていく。なら人間として生きようか、残念ながら私はそこまで器用ではない。すぐにどこかでボロを出して、見抜かれて再度あの処理場に送られるのが関の山だ。
ならば数日以内に元来の目的を達成し、役割を終えるしかない。完全な自己満足でしかないが、このモヤモヤを解決しないと一生後悔しそうな気がした。自分が一ロボットとして製造された意味を見出したかった。私の存在が無駄なものではなく、誰かに存在理由を与えていると考えないと、頭がおかしくなりそうだった。
お前は欠陥品だと、道を歩き行き交う周囲のロボットに野次を飛ばされて、その場から発狂して逃げ出す妄想に何度も取り憑かれた。昨晩から、私の心中は穏やかでない。常に全身が底冷えしており、手足から氷のような低音の液体が溢れ出ている。顔面も蒼白で、今にも倒れそうだった。
♢
昼食をとる場所として、選んだのはハワイ料理を提供するお店だった。店全体は明るい雰囲気に包まれていて、中で団欒を楽しむ者の中に私のようなロボットはいなかった。ここはお前の居場所ではないと暗に言われている気分になりまた眩暈がした。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
きっかけは、近くを偶然寄りかかったその店員の一言だった。私の中の何かが事切れたような感じがして、そのまま硬い木製の机の上に頭を打ちつけた。ゴンという鈍い衝撃と共に、私は気絶した。
「だ、大丈夫ですか..?」
上手く働かなくなった頭の上で、店員の声が響く。現実なのに夢を見ている気分だった。あの後、私はすぐに意識を取り戻したらしい。気絶したと言ってもせいぜい20秒ほどだろう。周囲の客を除けば、まだ騒然とした緊急事態にもなっていないし、他のスタッフを呼ばれたわけでもなさそうだ。
「あぁ..。大丈夫ですよ」
「..。そんなわけないでしょ。あなた顔が真っ青よ..」
しかし、さっきまでの慇懃さはどこへやら? 切迫した様子の女性店員はその場から離れて行ったかと思いきや、次にはその両手にロコモコとパンケーキを抱えてやってきた。
「これ食べて!」
「でも....」
「良いの。賄いとしてもらったものだから、貴方にあげる」
「......」
いい匂いを漂わせる料理を目の前にして、腹からグゥと変な音が鳴った。聞き覚えのある音だ。人間の、お腹が空いた時になる音。それがどうして自分の体内から発せられるのだろう?
「ほら、やっぱりお腹空いてるじゃない?」
「....。随分、初対面の私に馴れ馴れしく接してくるんだね」
彼女に揚げ足を取られたようで、嫌な気分になった私は皮肉をもってそう告げた。
「ごめん。嫌だったらもう少し距離置くよ。えっと....」
「山吹愛良。別に呼び方は何でもいい」
「へぇ、格好良い名前だね! メラって呼んでも良い? どういう漢字なの?」
「..。愛情の『愛』に、良問の『良』..。君は?」
「安城小鳥。好きに呼んで!」
「じゃあ..。小鳥、君はどうして私に優しくしてくれるの?」
少しでも疑問に感じたことがあればすぐに質問してしまう。逼迫した状況下で人間不振になっているからだろう。善意は痛いほど伝わってくるが、それでも料理の中に何か薬剤が仕込まれてないか等を考えていた。
「うーん。それがいつか自分のためになるからかな..」
「それは、どういう意味?」
「ふっふ..。それはねぇ」
妙にニヤけたツラの彼女は、近くの客が手を挙げるのを見て即座にそこへ向かっていった。仲が良いのか、口に手を当てお喋りに興じること数分の後、手に高級そうな袋をぶら下げ彼女は戻ってきた。
「こういう事!」
「....。何それ?」
「内密にしてもらいたいんだけどね、さっき私とお話したお客さん、ウチの常連さんでね〜。海外旅行のお土産もらちゃった! いつも笑顔で接客してくれてありがとうだって!」
「うん..。何となく察しつくよ。内密ってほどの事じゃないでしょ? それと、人に優しくして自分にいい事がある..。だっけ? 初めから見返りを期待しているんだ。意地汚....」
思わず口をつぐんだのは、自分でも酷い事を言ってしまったと思ったからだ。
「ごめ..」
「ううん、分かってるよ。でもウチ貧乏だからさ..。今時珍しでしょ..? 人間なのに飲食店でアルバイトしてるだなんて」
そういえば、言われて初めて意識した。目の前の彼女は人間だ。丸くて茶色い瞳を持つ童顔フェイスに、同色の髪。なのに本人曰く大学生だというから驚きだ。
「楽園都市なんて言われてるけど、その恩恵に預かれるのはR2-botを買えるほどの資金がある人達だけだよ。私みたいな貧乏人には到底手を出せる代物じゃないんだ。ウチは、父さんは物心つく前に蒸発してるから、母さんと二人で何とか生計を立ててる状態なの」
「....」
「その母さんも、最近派遣先で怪我しちゃって、今後しばらくの間は働けないって..。私も大学に通えるか分からない..。返済不要の奨学金を借りれるほど、頭良くないから....」
「そうなんだ」
笑顔の裏にそんな背景が隠されていたとは、想像力が足りていなかったのは自分の落ち度だ。小鳥の自嘲的な笑みはなおも続いた。虚しくならないのだろうか? 僅かな給金で、ここで働き続けるのが幸せだというのならそれで良いと思うが、そうせざるを得ないというのが本音だろう。
「ひとつ聞きたいの」
「うん....」
「生活の負担となっている母さんを見捨てれば、私は好きな大学に通い続けられる。けれど私は母さんの事が好きだし、ここまで育ててくれた事に感謝している....。メラなら、どっちを選ぶ....?」
「それは..。私は多分、自分を選ぶと思う。いくら相手が肉親とはいえ、他者との間に一定の境界線はあるんだ。そこを飛び越えて相手に尽くす煩わしさより、自分本位に生きた方がシンプルでやりやすい」
「....そうなんだね。メラは、私と全然違うや。そんな簡単に割り切れて、羨ましいよ..」
「何、それは嫌味?」
「違うよ..。けど私はーー」
そこまで言いかけた彼女をガラス一枚隔てた向こうから呼びかける声があった。エプロン姿だが貫禄がある中年男性と見てとれる。ここの店長で間違い無いだろうと確信したのは、小鳥が急に畏まった様子になったからだ。
何を話しているのだろうか? 小鳥と店長の会話の全容は聞き取れないが、あまり芳しく無いものである事はさとれた。絶望とも、諦めとも取れるような失意の念を僅かに感じ取った。小鳥の表情は曇っている。どこかで見覚えのあるような気がしたが、多分思い違いだろう。
「小鳥、どうしたの?」
「....。営業時間中に、お客さんと長話するなって怒られちゃった」
嘘だ。小鳥は明らかに嘘をついていて、同時にそれに気づいて欲しそうな表情を浮かべていた。ずるいと思った。そんなあからさまな態度を示されて構わないわけにはいかないだろう。
「私でよかったら相談に乗るよ」
「本当に..。じゃあ、場所を変えないとね」
「分かった。けどそれじゃあまた怒られない?」
「良いんだよ。もう、どうでも良い事だから....」
思い出した。今の彼女は、廃棄され人間社会に絶望し、大量の朽ちた鉄に囲まれる処理場内で絶望していた私、今の私と同じ空気を纏っている。どうしてだ? 人間であるはずの彼女が私と同じ心理に至れるはずない。
まさかとは思っていたが、これは確信に近かった。
「小鳥、あなた、人間じゃないでしょ?」
「....、バレちゃったか」
彼女は照れを隠すかのように、耳の後ろを掻いた。子供じみた嘘をつくような性格とは思えなかったが、わざわざ架空の人間の存在をでっち上げ、その過去まで深掘りし始めるとは驚きだ。小賢しいというか、自分と同族であれ同胞とは思いたくない。ロボットである自覚も誇りもないのだろうか?
「怒ってるのも無理ないか..」
「驚いてるよ。どうして、そんな嘘つくの?」
「....。私が廃棄される事は前々から悟っていた。R2-botに新機能が搭載されるってニュースが前に話題になっていたでしょ。そろそろ買い替えの時期だから、中古で性能も劣化した私はもう用済みなの。だからそうなる前に、私は人間のふりをして、人間に媚を売って養ってもらおうと考えたの」
「そっか。じゃあさっきのは、君の処分が決まったって報告だったんだね」
「うん..。その通りだよ。あんなにあっさりとした物言いで、それが一番ショックだった。私にも悲しいと感じる心はあるのに....。あいつら、まるで良心の呵責がなかった」
「....」
「こんな告白をする人間、君が初めてだよ。みっともない所を見せちゃってごめんね。でも、最後に話せて私は幸せだった。あと10分もすれば処理場から私を運搬するトラックが来るから、それでお別れだね..」
「え..」
「何度も言わせないでよ、ありがとーー」
「そうじゃない! あと10分でトラックが来るって!?」
「ん、あ..、そうだけど、どうかしたの?」
冗談じゃない。折角ここまで逃げて、飯にもありつけたというのに、目の前の中古女のせいで全部無駄になる。今すぐにでもこのお店から出て行かないと..。
「ごめん。用事を思い出したから、私はもう行くね!」
「え....」
これで良かった。さっき自分で言ったじゃないか。私は常に自己を優先する。他人の間に境界線を引いて、みだりに立ち入ったりしない。そういうシンプルな生き方が一番だって、思い知った。思い知らされた。
ロボットは、他人のために尽くしてもそれが報われたりなんかしない。人間は傲慢で、尊大で、私達のことを一つの所有物くらいにしか考えていない。捨てられるのは本当に一瞬だった。それまでの経緯とか、築き上げてきたものとか、綺麗事でしかない事を理解したはずだった。なのにーー
「....。あんたも来る? 私と一緒に?」
気づけばそう言っていた。血迷ったのか? 違う、私はいつになく冷静だった。
「ま、待ってください! いきなりどうしたんですか?」
「良いからつべこべ言わないで私と一緒に来なさい!!」
「そ、それはもう無理です。遅すぎました..。処分は決定事項ですから..」
「関係ない。そもそも、処分処分って、人間が勝手に決めた事にあんたが従う理由ってなに? 向こうのルールを押し付けられて諦めて終わりなんて惨めじゃない。私達だってもっと自由に生きても良いでしょ!」
少し声を荒げすぎた。なんの騒ぎだと周りの客たちが寄ってきてる。
「でも、貴方は人間でしょ? それじゃあまるで..」
「そうよ! 私はR2-bot、人間じゃないし、仕える主人ももたない欠陥ロボットよ! それでも、私はある人物を探すために行動する事を決意した以上、こんな場所で死ぬわけにはいかない! あんただって、何かないの? 私達ロボットに生きる目的、意味を与えてくれた誰かが?」
「....」
回収車の音はすぐそこまで迫ってきていた。でも、私はこの場から一人で逃げ出したりしない。
「あります! 私に生きる意味を与えてくれた人がいました。だから、私はまだ死にたくない!」
「何よ..。やっぱりあるんじゃない」
こうして、私は一人の仲間と共に更なる逃避行の旅路を歩む事となった。




