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第5話「古町連続窃盗事件」前編

 新潟の夏は、妙にねっとりしている。

 朝だというのに古町のアスファルトは既に灼け、風鈴の音は熱気に溶けて頼りない。通りを歩けば、昨夜の酒と焼き鳥の匂いがまだ残っていて、祭りの準備で吊るされた提灯だけが新鮮に揺れていた。


 二階建て雑居ビルの階段を上がれば、「黒瀬探偵事務所」の文字がくすんだ看板に見える。

 中からは煙草の煙がもわもわと漏れ、開けた途端に煙突の中に顔を突っ込んだ気分になる。


「おはようございます! 本日も張り切って参りましょう!」

 九条零士が爽やかに扉を押し開けた。夏用の高級スーツを身にまとい、汗一つかいていない。まるで体温調整まで財力でどうにかしているようだ。


「……張り切るほどの依頼、来てないけどね」

 笹原美月は机に頬杖をつき、扇子をぱたぱたさせる。


「くだらねぇ依頼が来ないなら、それは平和ってことだ」

 ソファに伸びたまま、黒瀬隼人がラッキーストライクに火をつけた。紫煙が室内をさらに濁す。

「酒と煙草は朝飯代わりだ」

「死ぬわよそのうち」美月が冷ややかに突っ込む。


 床のバロンはごろりと寝返りを打ち、あくびをひとつ。事務所はいつもどおりの、ゆるい夏の始まりだった。



 その平和をぶち破ったのは、額に手ぬぐいを巻いた菊池ハルだった。

「隼人ちゃん!! 事件だよ!」


「……駄菓子がまた無くなったか」

「違うの! うちの隣の骨董屋から小皿が一枚、すーっと消えてるの!」


 美月が顔をしかめる。「小皿?」

「そう、青磁の小皿。値段はたいしたことないけど、あの店じゃ大事に飾ってたんだ」


 隼人はソファから起き上がり、灰を落とした。

「行くか」

「え、即決?」美月が驚く。

「くだらねぇ依頼こそ、足元をすくう」隼人は淡々と答えた。



 骨董屋の棚には確かに小さな隙間ができていた。埃の層が乱れていないから、指紋は取りにくい。

 零士が白手袋をはめ、ルーペで棚をなぞる。「芸術的ですね」

「いや盗難事件だから!」美月がツッコミを入れる。


 隼人は棚の下の床をしゃがんで見た。そこに、かかとが外側に擦れた革靴の跡がかすかに残っていた。


「……子供じゃねぇな」隼人は煙を吐いた。

「若い大人、数人で遊び半分にやってる。足跡に慣れの形が出てる」


 そのとき、背後から低い声が響いた。

「さすがですね」


 振り返ると、長身の青年が立っていた。白シャツにジャケット、胸には警察手帳。切れ長の目と真面目な顔立ち。


「新潟中央署の高村亮です。今回の件、担当になりました」

 彼は丁寧に一礼する。


「……刑事さんか」隼人がぼそりと返す。

「黒瀬さん、ですよね。元自衛官で……古町じゃ有名です」

 亮の口調は尊敬を滲ませていたが、隼人は煙草を深く吸って顔を逸らした。


「やけに真面目そうなの来たわね」美月が小声で呟く。

「いい人そうですね!」零士は満面の笑みで握手を求める。


 亮はわずかに微笑んで応じた。だが、隼人だけは無言で灰皿に煙草を押し付けた。



 午後は聞き込みに回ることになった。


 まずは菊池堂。ハルは氷アイスをかじりながら言った。

「夜中、若い子らが路地をうろついてるのは見たよ。音楽かけながらさ」


 次に真矢子ママのスナック。ママはカウンターを拭きながら答える。

「最近来た若いのがね、妙にソワソワしてスマホいじってたわ。目線が泳いでた」


 その帰りにローズ木島のオカマバーを覗くと、ムキムキのローズが常連を抱きしめながら笑った。

「筋トレ自慢してたガキがいたわよ。“腕立て百回余裕”って言ってたけど、酒一杯でつぶれてた」


 工藤の発明小屋では、本人が目を輝かせて段ボール箱を抱えていた。

「これ! 新しい人感センサー! 反応したらブザーが鳴るんだ!」

「……それ、子供のおもちゃじゃないの?」美月が眉をひそめる。

「いやいや! この角度の赤外線がすごいんだって!」工藤はドヤ顔。零士はなぜか感心してメモを取っていた。


 こうして常連の顔がひとり、またひとりと事件の背景に浮かび上がる。街はくだらないようで、全部がつながっているのだ。



 夕方。真矢子の店の前で、再び盗難が発覚した。手作りの箸置きがごっそり消えていたのだ。

 現場には同じような靴跡、短く切られた髪の毛が一筋落ちている。


 隼人は指でつまみ、灰色の夕空を仰いだ。

「……遊び半分のガキじゃねぇ。グループでやってる。これは連続窃盗だ」


 美月が真顔になる。「じゃあ、この先もっと広がる可能性あるってこと?」

「そうだな。次は夜の張り込みだ」


 亮は警察手帳を閉じ、隼人の横に立った。

「協力しましょう。僕はパトロールを増やします。あなた方は――」

「俺たちは俺たちのやり方でやる」隼人は言葉を遮った。


 二人の間に、一瞬の緊張が走った。

 夏の空気はまだ重く、古町の提灯に火が灯り始めていた。

 路地裏に響く足音は、確かに次の夜へと伸びていた。

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― 新着の感想 ―
コミカルでとても楽しかったです! 所長をはじめ、探偵事務所の皆さんのキャラが立っていて魅力的でした。 古町の雰囲気や、町の人たちの親しみやすさも伝わってきて、とても良かったです。 楽しませて頂きました…
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