第3話「盗まれた純白を追え!〈前編〉」
夏の古町は、今日も無駄に元気だ。
アスファルトの照り返しは殺人的で、蝉の鳴き声はもう拷問レベル。遠くから祭り囃子のリハーサルが聞こえてきて、ただでさえ暑苦しい空気をさらに熱くしている。
そんな街の裏路地。場違いにくたびれた雑居ビルの二階にあるのが、我らが「黒瀬探偵事務所」だ。
中では扇風機がうなりを上げ、冷房は今日も戦力外通告。机の下では犬のバロンが仰向けになって舌を出している。
「ねぇ、今日もう仕事やめない? 暑すぎて溶ける」
笹原美月が机の書類でパタパタ扇ぎながら、だるそうに言う。
「冷房は?」
「電気代が高いからって所長がケチってる!」
「所長じゃねえ。俺は探偵だ」
黒瀬隼人はソファに寝そべり、ラッキーストライクに火を点けて紫煙を吐き出した。
「酒と煙草は夏バテ防止に効く」
「効くのは病院行き!」
そこへ、ドアがノックもなく開いた。
「美月!」
「千夏?」
現れたのは美月の友人、早川千夏だった。二十五歳、カフェ店員。普段は気さくな笑顔の似合う女性だが、今日は明らかに挙動不審だ。
「あ、あの……実は……困ってて」
もじもじしながら座ると、顔を真っ赤にして口を開いた。
「……洗濯物が、盗まれてるの」
「洗濯物?」隼人が煙草の灰を落とす。
「……パンツ……」
室内の空気が固まった。
美月が椅子から転げ落ちそうになり、零士はボールペンを落とし、バロンは首をかしげる。
「ちょ、ちょっと待って。よりによってパンツ!?」
「ごめん……でも本当に困ってて。近所でも何件も同じ被害が……」
「下着は女性の魂です!」零士が真顔で叫んだ。
「それを盗むなんて万死に値します!」
「アンタは黙れ!」美月のゲンコツが飛ぶ。
千夏は恥ずかしそうに俯きながらも続けた。
「お店の常連さんにも心配されちゃって……探偵事務所なら、って」
隼人はバーボンを口に含み、面倒そうに目を細めた。
「……くだらねぇ」
「くだらなくない! 大問題でしょ!」美月が即座にツッコむ。
その時、ドアがまた開いた。
「所長! 聞いたわよ! パンツ泥棒出没だって!?」
「うちも盗まれたのよ!」
「犯人捕まえて! 古町の女のプライドがかかってるんだから!」
押し寄せてきたのは、商店街のマダムたち。派手な花柄ワンピースに真っ赤な口紅、ただの主婦なのに迫力は暴走族並みだ。
「ちょっと! 所長って呼ぶな!」隼人が顔をしかめる。
「探偵さんでしょ!? ちゃんと仕事しなさいよ!」
「そうよ! パンツ返せ!」
事務所は一気にカオスになった。
美月は両手で頭を抱え、「あーもう最悪!」と叫ぶ。
零士は真顔で「マダム方、必ず守ってみせます!」と敬礼。
「財閥のくせにノリノリで変態事件やるな!」美月の突っ込みが炸裂する。
千夏はそんな騒動に巻き込まれ、顔を真っ赤にして小さく縮こまっていた。
「ごめんね、美月……私のせいで」
「違う! 悪いのは犯人だから!」美月は即座に友人の手を握る。
隼人は重い腰を上げ、煙草を灰皿で揉み消した。
「分かったよ。……調べてやる」
「やったー!」マダムたちが拍手する。
「では!」零士が勢いよく立ち上がる。
「僕が囮になります!」
「……は?」美月が冷たい目を向ける。
「僕が洗濯物を干しておけば、犯人は必ず狙います!」
「いや、アンタ男でしょ。誰も狙わないから」
零士は胸を張り、キラリと笑った。
「なら、女装すればいいんです!」
沈黙。次の瞬間、マダム軍団が歓声を上げた。
「まぁ似合いそうじゃない!」
「ほら口紅貸すわよ!」
「下着も用意しなきゃ!」
「やめろお前らぁぁぁ!」零士が真っ赤になって叫ぶ。
美月は腕を組み、ニヤリと笑った。
「決定。囮は零士」
「待って美月さん!? 僕は本気で……」
「だから本気でやれっての!」
零士は必死で抗議するが、マダム軍団はノリノリだ。すでに「どの色のブラがいいか」で議論が始まっている。
「仕方ありません。では最高級の衣装を用意します!」零士が開き直った。
「百貨店で下着からワンピースまで、すべて新品を揃えます!」
「……ほんとに買うの?」美月が呆れる。
「もちろんです! 探偵の仕事に妥協はありません!」
隼人は額に手を当て、煙草の箱を取り出した。
「女装に何百万かける探偵助手って、世界広しといえどお前だけだな」
「誇りに思います!」零士は胸を張る。
千夏はオロオロしながら小声で言った。
「……なんか私のせいで大ごとになっちゃってる」
「気にすんな。こいつら、元から大ごとにする性格だから」隼人が肩をすくめる。
マダム軍団はキャッキャと盛り上がり、零士は「ピンクがいいか水色がいいか」で真剣に悩み、美月は頭を抱える。
バロンだけが冷静にソファの下から顔を出し、「ワン」と一声。
隼人は煙草に火を点け、天井に煙を吐き出した。
「……夜に張り込みだ」
くだらないのか重大なのか分からない依頼を背負い、黒瀬探偵事務所の夜が始まろうとしていた。




