第2話「消えた駄菓子と最初の依頼」後編
真夏の古町は、地獄にいちばん近い。
アスファルトは黒い鉄板のように熱を帯び、蝉の鳴き声は爆音スピーカー。風鈴の音がかろうじて清涼剤になるが、それも一瞬で汗に流される。
「で、本気でやるの? 駄菓子の調査」
笹原美月が扇子で自分をあおぎながら、半眼で隼人を見る。
「依頼は依頼だ。駄菓子でも万引きでも殺人でもな」
「いや、今さらっと殺人混ぜないでよ」
黒瀬隼人はいつも通り煙草をふかしながら歩いている。片手のラッキーストライクから紫煙を吐き出すたび、夏の空気はさらに重くなる。足元では犬のバロンが舌を出してハァハァ言っていた。犬にとっても夏は過酷らしい。
「よし! 僕に張り込みを任せてください!」
横で爽やかに拳を握ったのは九条零士。スーツは汗一つかいていない。高級生地は空調服並みに通気性がいいらしい。
「張り込みねえ……どうせまた派手なことやる気でしょ」美月がジト目を向ける。
「もちろんです! 僕の愛車が火を噴く時が来ました!」
「いや、火噴いたら張り込みどころじゃないから」
零士が古町の路地裏に連れてきたのは――真っ赤なスーパーカーだった。エンジンをかけた瞬間、
ヴォオオオオオン!!!
商店街のガラスが揺れ、ハトが飛び立ち、近所の子供たちが「うおおおお!」と歓声を上げる。
「……零士。張り込みって目立たないようにやるもんだぞ」隼人が煙を吐きながらぼそり。
「逆に考えてください。僕が目立つことで犯人は油断する!」
「いや、それただの迷惑車両よ!」美月が全力でツッコむ。
結果、零士は開始五分で近所のおばちゃんにほうきを持って追い払われた。
「まったく……だから言ったのに」
美月は商店街を歩き回り、情報を集めることにした。
「昨夜な、ガキどもが菊池堂の前でコソコソしてたぞ」八百屋のおじさん。
「悠斗と翔太が大きな袋持って神社のほうに走ってったわよ」パン屋のおばちゃん。
証言はそろっていた。どうやら近所の小学生が犯人らしい。
「ふむ……犯人はやっぱり子供たちか」美月は手帳に走り書きをし、空を仰ぐ。蝉の声が、ますます暑苦しさを強調した。
一方そのころ、隼人はバロンを連れて路地裏を歩いていた。
「さあ、バロン。お前の鼻が頼りだ」
「ワンッ!」
バロンはゴミ捨て場に突進し、鼻をヒクヒク。くわえて戻ってきたのは――うまい棒の袋だった。
「……チーズ味か。さらにめんたい、たこ焼き……パーティセットか」
「完全に食い逃げパーティじゃない」美月が肩をすくめる。
その足元には、メンソール煙草の吸い殻が落ちていた。
「子供にしては変ね」美月が眉をひそめる。
「いや、古町じゃ吸い殻なんて珍しくない。大人が別で捨てただけだろう」隼人は灰を落とす。
「けど、この路地で分配したのは確かだな。……次は神社裏だ。ガキの秘密基地を覗きに行くぞ」
古町神社の裏手の空き地。そこにはブルーシートと段ボールで作られた“秘密基地”が鎮座していた。散らばる駄菓子袋、転がるラムネ瓶のフタ、砂に半分埋まったきなこ棒。
ブルーシートにはガムテで貼られた札が一枚。
『だがしパーティかいぎじょう ないぞうしゃいんいがいきんし』
「……“内蔵社員”?」零士が真顔で読み上げる。
「“内密”の間違いでしょ。いや、そもそも何を守秘してんのよ」美月が吹き出す。
その時。茂みからガサリ、と音がした。隼人が視線を走らせる。
「出てこい。もう見つかってる」
顔を出したのは、駄菓子屋の常連、小学生兄弟の悠斗と翔太だった。
「ご、ごめんなさい!」
「もうしません!」
そして、その後ろから現れたのは中学生の少年。ケンタ――この界隈の兄貴分だ。
「……俺が言い出したんです。夏祭りに行く金がなくて……せめて駄菓子だけでもと思って。シャッターの隙間から袋を引っ張り出しました」
少年の声は震えていた。隼人は煙草を指で転がし、しばらく黙った後、火を点ける。
「……で、食ったか?」
「……はい」
「うまかったか?」
「……すげぇ、うまかったです」
隼人は薄く笑い、煙を吐いた。
「そうか。なら、ちゃんと謝って返せ。それで終わりだ」
三人はハルの前で深々と頭を下げる。
「ごめんなさい!」
ハルは腕を組み、しばし沈黙。そして――ため息をついた。
「盗みは悪い。でも、正直に話した勇気は買うよ。反省の印に、うちで働いて返しな」
「はい!」
「やります!」
三人は声をそろえる。ハルはぶっきらぼうに言った。
「じゃ、段ボール百箱潰しからだ」
「ひぃぃ……」
だが次の瞬間、ハルはきなこ棒を三本出して渡した。
「働く前に糖分取らなきゃ倒れるだろ」
「……罰とご褒美が同時に来たわね」美月が苦笑する。
その横で、バロンがちゃっかりうまい棒を咥えていた。
「バロン!? それ証拠品!」
「ワンッ(もぐもぐ)」
夕暮れの古町。西日がビルの壁を赤く染め、蝉の声が途切れ、風鈴が最後の音を鳴らす。ベンチに座った隼人は煙草に火を点けた。
「……くだらねぇ事件だったな」
「くだらなくないでしょ。子供たち、ちゃんと反省してるんだから」美月が横から刺す。
「そうですよ隼人さん!僕らの初仕事、大成功です!」零士は胸を張る。
隼人は煙を吐き、空を見上げた。
「くだらない依頼がある限り、この町は平和ってことだ」
膝の上でバロンがゴロリと寝返りを打ち、隠していた最後のきなこ棒をむしゃむしゃ食べ始めた。
「だからアンタは証拠隠滅すんなーー!!」
美月の叫びが夕暮れに響き、古町の一日は笑い声で締めくくられた。




