消失
叉見さんは真っ暗な教室の中を扉の窓から覗き込む。
廊下と同じく月明かりだけがうっすらと照らすだけで、中の状況はとてもわかりづらい。
「今んとこ何にも感じないな」
と不満げな様子の叉見さん。首狩り教師に会えた方がうれしいんだろうか。俺には理解できない。
「いつもこんな感じだから気にしないでね」
俺の考えが顔に出ていたのか、禍井さんが俺に気にするなと気にかけてくれた。うーん、そんなこと言われても気になるものは気になる。
「じゃあ時間も惜しいし、ちょっと中の様子を見てくるよ」
叉見さんは右腕の腕時計を確認し、扉をゆっくり開けると教室の闇に入り込んでいく。そして扉を完全に閉め切る。
すごいな。独りで行ってしまった。
兄藤先輩は「はあ」とため息を吐くと言葉を続けた。
「相変わらずだよ、恋香の怖いもの知らずさは。前も三階の教室から落としてしまった筆箱を取りに行くのに、そのまま窓から地面まで飛び降りて着地したって言うし。心臓に悪いからやめてほしいね。まあ数学の木城にこっぴどく叱られてたから多少は反省してるとは思うが」
首を横に振ってどうしようもないとジェスチャーする。
確かに怖い話だ。普通なら怪我するし下手をすれば命を落とすかもしれない危険な行為だ。教師が激怒するのも当然だろう。
「あぁその話知ってますよ。思わずインタビューしようかと思っちゃいましたし」
「禍井に止められたがな」
興形と口分田が笑いながら言う。
禍井は「当然でしょ」と返す。
その時だった。ガチャリと何か音がしたのは。
俺はぎょっとして周囲を見渡す。驚いたのは俺だけではないようで、他のメンバーもあたりをきょろきょろと見回していた。
本当に幽霊がいるんじゃないだろうな…。
「今の音、近いところから聞こえなかったか?」
「ええ。金属音みたいな…。鍵がかかる音みたいな…。え、もしかして」
禍井は教室の扉の鍵を見る。
二月さんが扉に近づくと取っ手に手をかけて力を入れる。扉は開かなかった。
「し、閉まってるよこれ。なんか、ヤバい気がするんだけど」
動揺した二月さんは声が震えていた。
そうだ。さっきのガチャリという音はこの教室の扉の鍵が閉まった音だ。そしてその教室の中に叉見さんが入っていったばかり。
「お、おい大丈夫かよこれ」
恋人である叉見さんが心配なんだろう。兄藤先輩も扉に近づいて窓から室内を覗き込む。
「ん?」
小さく兄藤先輩が声をこぼす。
全員が兄藤先輩の方を向く。
「れ、恋香…?」
俺はすぐに兄藤先輩を押しのける。嫌な予感、というか胸騒ぎがしていた。
中を覗き込めば、目に飛び込んできたのは奇妙な光景。
床に人影が横たわっている。人影が誰か分からないが、一つ分かることはその人影の輪郭は途中で分断しているように見えた。表現するなら、首から上の頭と首から下の肩から下半身にかけた形に切り離されているように。
それを認識した瞬間、内側からカーテンのような布が現れて窓を覆い隠した。
「だ、誰か中にいるぞ!」
俺が皆に向けて言う。全員の目が緊張していることがわかる。興形はずっとフラッシュをたきながら撮影をしているので緊張しているのか知らんが。
教室の中に存在していたシルエット。首が肩と繋がっていなかったのを辛うじて認識した。
予想通りなら叉見さんは…。
ガチャリ。
再び音がする。音はさっきと同じような金属音。
「か、鍵が…開いたのか?」
口分田の声はかすれていた。
「おいおい恋香。さすがに悪ふざけがすぎるぞ…。もう入るぞ?」
兄藤先輩がやれやれという感じで扉を開けた。
「え?」
俺と兄藤先輩。二人から声が漏れたと思う。
仕方がないことだ。まさか思うはずがない。
教室の中は空っぽだった。床に倒れていた人影は影も形も無くなって消えていたのだ。
どういうことだ…。
「え、兄藤先輩…み、見ましたよね。人影みたいなのを」
「あ、あぁ。それが、き、消えてやがる…。恋香もいねぇし…」
明らかに狼狽える俺たち。
まさかいるはずないよな。幽霊…首狩り教師なんて…。
「さ、叉見先輩が消えたってことですか。これは…大スクープだ…」
一人だけ動揺しながらも口角をあげている頭のおかしいカメラマンがいるが…。
とりあえずは全員が不可思議な現象に口を開けたまま立ちすくていた。
「ま、窓が開いてるよ!」
二月さんが左斜め前の窓を指さす。
確かに少し隙間が空いている。
「やっぱ恋香のいたずらか」
すると滅茶苦茶狼狽えていた兄藤先輩が、何やら納得した表情で窓を眺めていた。
「ど、どういうことですか」
「言っただろ。恋香は三階から地面に着地したことあるって。俺たちに首狩り教師に襲われたように見せかけてこの窓から下に飛び降りたのさ」
「いたずらをする意味があるの? 恋香の動機はなんなわけよ」
禍井さんは納得できていないようで兄藤先輩に強い口調で問う。
「ドッキリだろ。恋香ならやりかねないしな。大した理由もないだろ」
「さっきの首が切られたような人影もドッキリの一環だって言うんですか?」
俺の発言にぎょっとする一同だが、目撃した兄藤先輩はフッと鼻で笑って答える。
「マネキンでも使ったんだろうよ。いかにも首狩り教師っぽいし。さ、さっさと恋香を見つけてとっちめてやろうぜ」
兄藤先輩は踵を返して廊下の方へ歩いていく。
本当にただ叉見さんが仕掛けたドッキリなんだろうか。俺はずっと疑問に感じていた。なぜなら、まだ胸騒ぎが止まらないから。
「ソウっち」
自分の名前を呼ばれて顔を上げれば、二月さんが神妙そうな顔で俺を見ていた。
「ウチの探偵としての直感なんだけど。良くないことが起きてる気がしない?」
やっぱり彼女も探偵だったようだ。俺は一言。
「…同感だ」