婚約破棄を目論んだら押し倒された件
十三歳の誕生日を迎えた数日後、第二王子であるルイス様との婚約が決まった。
私は、彼にひっそりと片思いをしていたので、これは天の采配かと大喜びした。
「今度、正式にご挨拶に伺うから粗相のないように――ん? セーラ、どこに行ったんだ、セーラ!」
喜びのあまり、私は屋敷を飛び出した。ルイス様のもとへ婚約の挨拶をしに行こうと思ったのである。いつもなら、事前連絡もなしに突撃することはないけど、その時は本当に浮かれていたので、細かいことは考えず、単身で王城へ向かった。
国王様とお父様は大変仲がよく、かつ私自身も公爵家の娘として、王城へ自由に出入りすることが許されている。ルイス様に会いに来たと伝えたら、庭園にいらっしゃると教えてもらえたので、意気揚々とそちらへ向かった。
「へえ、そんなに好きなのか。どういう子なんだ?」
ちょうど、ご友人が遊びに来ていたようで、ルイス様に向かってそう問いかける声が聞こえてきた。何やら恋バナの真っ最中らしい。もしや、婚約者になった私の話を?と胸をときめかせつつ、お城の庭園で内緒話をしている二人の会話をこっそり盗み聞きしてしまう。
しばしの沈黙の後、ルイス様はぼそぼそと照れくさそうに言った。
「目がくりっとしていて、優しくて気遣い上手で、天真爛漫で、笑うと可愛い」
――大悲報。私、ルイス様の好みにかすりもしていない。
私は目がキッとつり上がっていて、空気が読めなくて、悪知恵が働き、笑うと悪役令嬢みたいだともっぱらの噂である。
(そんなぁ……)
ルイス様に想い人がいたこともショックだけど、これから振り向いてもらえる可能性がまるでなさそうで、私は泣きそうになってしまった。その場に崩れ落ちそうになる足を叱咤し、とぼとぼと退散する。
なんとも、儚い初恋だった。
私がルイス様に恋をしたのは、彼と初めて出会った九歳の時である。
王城で迷子になってピーピー泣いて彷徨っていたら、彼が声をかけてくれて、私の手を引いて、両親のもとまで連れて行ってくれたのが、最初の出会いだった。ずっと泣いている私に優しく声をかけ、励ましてくれた少し年上のお兄さんに、幼い私は速攻で恋に落ちた。
私は、彼とつないだ手の温もりをずっと忘れられず、その時の出会いを宝物のように大事にしていた。……が、ルイス様からしたら、私との出会いなんて、どうでもいい思い出の一つだっただろう。
同じパーティや行事にルイス様も参加されている時、私が離れた場所から彼を見つめていたら、向こうから声をかけてくれて、そのたびに胸を躍らせていたけど、公爵家の娘だから適当に扱うわけにもいかなくて、親切にしてくれていただけに違いない。
少しでも、向こうが望んで婚約してくれたのではと思っていた自分が恥ずかしい。よくよく考えなくても、貴族、それも王族との婚約なのだから、純度100パーセントの政略結婚に決まっている。まるで好みではなくても、「婚約しろ」と言われたら「ハイ」としか言えない立場に、私たちはいる。
意気消沈としながらの帰宅途中、彼の好みにピタリと合致するご令嬢の顔が思い浮かんだ。中流貴族のご令嬢、シエラ・バーンズさん。先日あった王太子様の誕生パーティで、ルイス様と彼女が話していたし、きっとその時にコロリと恋に落ちてしまったに違いない。
こうなったら、二人の仲を応援してあげよう。
王族と中流貴族という身分差があり、茨の道かもしれないが、頑張れば結婚できなくはないはずだ。私だけは彼らの陰なる味方になるのである。それが、大好きなルイス様に私ができる唯一のことだ。
その後、私は二人が上手くいくように水面下で暗躍した。
婚約破棄の際に少しでも気を遣わなくてすむよう、表面上は二人の邪魔者に徹しつつ、いや~な婚約者になりきり、ルイス様につきまとい、空気を読まずに話しかける。そして、シエラさん以外の女性はルイス様に近づけないよう蹴散らす。遠回しにお互いの好みを教えてあげ、偶然を装い、二人が出会えるような場を設け、二人きりになった瞬間、ムーディな音楽をどこからともなく流し、いい感じの雰囲気を演出する。
そんな生活を続けて、はや数年。
私は十八歳になった。
苦労のかいあって、とうとう場は整った。
ここで私は、サイレント婚約破棄を発動する!
サイレント婚約破棄とは、単にルイス様に何も知らせず婚約破棄の手続きを進めてもらうことである。彼には他に想い人がいるようだし、私も他に気になる殿方がいる、としおらしくお父様にお願いしたら、愛娘のために婚約解消の手続きを進めてくれた。
さて、これで彼が何も知らないうちに、好きな女性と婚約できる絶好の状況の出来上がりである。
後は邪魔者の私が消えれば、ジ・エンド――だったはずなんだけど。
「あの、殿下? なぜ私は押し倒されているのでしょうか」
「分からないか?」
こくこくと何度も頷くと、首筋にキスを落とされた。
チュッと軽い音を立てて啄まれている。
……どういうこと?
「でっ、殿下ぁ!?」
「どうした」
「どどどうしたじゃありませんよ、何してらっしゃるんですか!!」
「既成事実でも作ろうかと」
真顔で、とんでもないことをおっしゃっている。
慌てて私の上に覆いかぶさっているルイス様の身体を押し返そうとする――が、全く押し返せない。見た目は筋トレとは無縁の細身な貴族様みたいな感じなのに、護身のために鍛えているせいか意外と筋肉がしっかりついていて、私の細腕でいくら押そうがビクともしない。
ちなみにここは、ルイス様の寝室で防音対策はバッチリなので、私が泣こうが喚こうが断末魔を上げようが、外には一切聞こえない。
必死に抵抗していると、手首をシーツの上に押し付けられ、今度は頬に口付けられた。顔が赤くなっていくのを感じる。
「え、な、ちょっ」
「君は俺のことが好きなんじゃなかったのか」
「すっ……すき、ですけども」
本音が出てしまった。まあ、別に問題はないか。私が裏工作をしたので、彼には家の意向で婚約破棄することになったと伝わっているはずだから、まだ私が彼のことを好きでも、違和感は抱かれないはずだ。
「お互いの家の都合というものがありますから」
「なら、君個人としては俺とこのまま結婚したいという気持ちなんだな?」
「いいえ、違います!!」
「は?」
婚約破棄の破棄をされてしまったら、私が婚約破棄の破棄の破棄をしなくてはならない。……破棄を使いすぎて、どっちがどっちだか分からなくなってきた。
どうでもいいことで混乱していると、私の手首を掴んでいるルイス様の手に力がこもった。
「……少し前まで、あんなに俺のことを何でも知りたがって、いつも俺の後ろをとことこついて回って、他の女性を牽制していたのに」
それは、彼女に横流しするためにルイス様の個人情報を入手して、常につきまとう鬱陶しいムーブでルイス様の私に対する好感度を下げて、二人を邪魔する女性を途中参戦させないためにやったことである。もう二人がくっつくための状況は整ったので、それらを続ける必要もなく、少し前からパッタリやめてしまった。
なんといったものか、と困っていると、ルイス様は絞り出すような声を出した。
「他に好きな男ができたというのは、本当なのか」
はいそうです、と嘘をつくべきだ。
そう分かっているけど、ルイス様の鬼気迫る目が怖すぎてイエスと言えない。頷いたら、手首を掴んでいる手を首に移動されて、亡き者にされそうな気迫である。
一体、何がどうなってこんな状況になってしまったのか。
私と別れることができたら、彼にハッピーエンドが訪れるはずではなかったのか。
……もしかしてルイス様、シエラさんにフラれたのか。
想い人にフラれた上に、婚約者である私も彼を捨てようとしているから、自棄になってしまった可能性がある。それなら、この突飛な行動も納得である。
「……殿下」
「なんだ?」
「殿下には、もっと相応しい方がいますから、そう気を落とさずとも――んむ!?」
口を塞がれた。
初めてのキスは、かなり荒々しいものだった。危うく、酸欠になりかけた。
ルイス様は唇を離すと、苦しそうに表情を歪めた。
「……こんなに目を潤ませて、顔を赤くしているのに、俺のことはもう好きじゃないのか」
「いえ……お慕い申し上げてはおりますが……」
「なら、どうして勝手に婚約破棄をしようとした?」
「ちょちょちょ、殿下、右手! 右手が私の服の中に侵入しています!!」
いつの間にか、ルイス様の手が、私の服の隙間からインしていた。剣術の稽古をサボらずしっかりやっている少し無骨な手が、私の素肌を撫でている。スキンシップというには、いやらしい触り方に、背中のあたりがぞくりとする。
というか、私が隠れて婚約破棄を画策していたことが彼にバレているような。どこから情報漏洩してしまったのやら。
「自分の手なのだから、俺の意志で動かしているに決まっているだろう」
「ん、ぁっ」
するっと撫でられて、変な声が漏れる。すると、ルイス様が何かを堪えるように眉根を寄せた。なんだかこう、にじみ出る男の色気がすごい。
「そんな男を誘うような声まで出して……まさか、好きになった奴ともう関係を持ったとか言わないだろうな」
「誘っていませんし関係も持っておりません! 断じて!!」
「まあ、もし関係を持っていたとしても上書きしてやる」
「だから、持ってませんってぇ!!」
声高に主張している最中も、お構いなしにさわさわされている。くすぐったいような、ぞわぞわするような、何ともいえない感覚に力が抜けていく。
(……こ、このままだと致される)
うっかり最後までやってしまったら、長年に渡る私の苦労が水の泡である。
だけど、好きな人に熱っぽく見つめられて、キスされて、触られていると、勝手に身体から力が抜けてしまう。へにゃへにゃになっていると、ルイス様が微かに笑った。
「もう抵抗しないのか」
「だ、だって……」
嫌じゃないですし。ルイス様のこと、大好きですし。出会ってからの九年間、彼が私の方を振り向くことがなくても、ずーっと飽きずに片思いしていたくらいには、愛していますし。
「~~そもそも! どうして殿下は私にこんなことしているんですか! こういうことは好きな相手に――」
「君のことが好きだからだが?」
「ファー?!」
驚きすぎて、汽笛みたいなトンチキな声が出てしまった。
「まさか、気がついていなかったのか?」
「え……ええ? でも、殿下の好みの女性って、シエラさんみたいな方では?」
「どこの情報だ、それは」
とっくの昔にいい仲になっていると思っていたシエラさんの名前を出したら、ルイス様は呆れたように目を眇めた。
「いつの間に女性の好みが変わっていたんですか……?」
「いつも何も、婚約する前から君のことが好きだったが?」
「ヘァー!?」
驚くことに、あの時、ルイス様が語っていた好みは私を指していたらしい。恋は盲目というか、彼視点での私が上方修正されまくっている。
「なんだ、俺が他の女性に懸想していると勘違いして身を引こうとしていただけか。全く、驚かせないでくれ」
「……私の方が色々と驚いています」
身を引く決意をして数年経ってから、実は両想いだと判明してしまって、心が追いついていない。
私が困惑していると、ルイス様は安心したように、押し倒したままの私のあちこちにキスの雨を降らせた。今まで、触れ合いの「ふ」の字もなかった形だけの婚約者だったのに、急にこんなことをされたら、心臓がもたない。
「っん、あの、でんっ、殿下! 急にどうされたのですか!」
「ずっとこうしたかったが、俺から近づくと君はすぐ逃げていっただろ」
「それはその……己の欲望を律するために、いたしかたなく……」
ルイス様と近づきすぎてしまったら、ぐるぐる巻きにして心の奥底に沈めた恋心が顔を出してしまうかもしれなかった。なので、パーティのような接触せざるを得ない状況以外では、鬱陶しく絡みつつも、物理的には一定の距離を保っていた。
彼は他人と必要以上にベタベタするのが嫌いな人なので、そのことは気にしていないどころか、むしろ喜ばしいと思っている……かと思いきや、そうでもなかったらしい。
こちらを見下ろす瞳に、ぎらりと怪しい光が灯る。
「もう逃がさないからな」
「言葉選びが不穏すぎます、殿下!!」
結局その日は、致されることはなかった――けど、これでもかというくらい溺愛された。具体的に何があったかは、語るまい。
後日、私たちの両親に進めてもらっていた婚約破棄の手続きはルイス様の手で中断させられ、逆に結婚式の準備が水面下で進められていたことが判明した。結婚さえしてしまえば、そう容易くは逃げられまいと考えて、裏で手を回していたらしい。
私が知らない間に、ルイス様の私に対する愛は、すくすく育ち、ずっしりと重くなっていたようである。
そのことを純粋に喜んでしまう私もまた、負けず劣らず愛が重いのかもしれない。