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第6話:知の共鳴、新たな研究、そして胎動する影

リスタルニア王城の奥深く、日々の雑音から隔絶された錬金術師工房は、常に独特の匂いに満ちていた。煮詰まる薬草の香り、金属が溶ける熱気、そして微かに魔石が発する刺激臭。多くの錬金術師たちが、古文書に記されたままの非効率な手順で作業を続ける中、その一角は、今や異質な知の光を放っていた。八雲伊助とリゼル・エメラルドの共同研究が、本格的に始動していたのだ。リアーナ王女もまた、伊助の護衛という名目で、毎日のように工房を訪れるようになった。


「伊助、この魔獣の角から抽出した活性成分ですが、私の解析では、不安定な結合を複数持っています。このままでは、目標とする薬効に達する前に、分解してしまうかと…」


リゼルは、小さなビーカーに入った、わずかに泡立つ液体を伊助に見せた。彼女の瞳は、以前の物憂げな影を潜め、純粋な探究心に輝いている。伊助の知性に触れて以来、彼女の世界は大きく広がっていた。伊助が「分子結合」という言葉を使い、この世界の「ことわり」を説明するたび、彼女の脳裏には新たな地平が広がっていく。


伊助はビーカーを手に取り、目を閉じた。彼の脳内ディスプレイには、液体の分子構造が瞬時に可視化される。活性成分の不安定な結合が、まるでバグコードのように赤く表示された。


(なるほど…この『不安定さ』は、特定の元素の電子配置が過剰になっていることによる。この過剰なエネルギーを、別の安定した結合に『ルーティング』してやれば、分解を防ぎ、さらに薬効を高めることができる…)


彼はビニール傘を構え、ビーカーに向けて微細な魔力の波を送る。それは、肉眼では捉えられないほど繊細な操作だった。しかし、リゼルには、液体内部で起こる微かな変化が、魔力の流れの「調和」として感じられた。そして、リアーナには、伊助が放つ魔力の「振動」が、これまでになく洗練されているのが感じられた。


「伊助…!今よ!『歪み』が消えたわ!魔力の流れが、完璧に安定した…!」


リアーナが、興奮を隠せない声で叫んだ。彼女の「異能」が、伊助の魔法が「最適解」に到達したことを告げていた。


液体の泡が収まり、緑色だった成分が、より深く、透き通った青色へと変化する。同時に、ビーカーから放たれる微かな魔力の輝きが、以前よりもはるかに強く、安定しているのが感じられた。


リゼルは、その変化を目の当たりにして、息を呑んだ。 「まさか…!こんなに短時間で、しかもこれほど安定したものが…!従来の錬金術では、数日を要し、しかも成功率は半分以下でした…!伊助さん…あなたの『コード』は、本当にこの世界の『理』を書き換えているのですね…」


彼女は、興奮のあまり、伊助の手を握りしめた。研究者としての純粋な喜びが、彼女を突き動かしていた。伊助は、少し照れながらも、その手を振り払うことはなかった。彼もまた、自分の理論が具体的な成果を上げることへの、深い満足感に満たされていた。


「この方法を応用すれば、様々な素材から、これまで不可能とされていた物質の生成や、薬効の強化が可能になるでしょう。例えば、金属の精錬効率を飛躍的に向上させたり、傷を癒やすポーションの生成速度を上げたり…この世界の生産力を、根本から変えることができます」


伊助は、未来の可能性を語るように、熱弁を振るった。彼の頭の中では、すでに新たなプログラムの構想が次々と生まれていた。王国の資源問題、食糧問題、医療問題…それらすべてが、彼の「コード」によって解決できると確信していた。


リアーナは、そんな二人のやり取りを、少し離れた場所から見守っていた。リゼルが伊助の手に触れた瞬間、彼女の心に、微かな、しかし確かな「痛み」が走った。それは、伊助への尊敬や信頼とは異なる、もっと個人的で、独占的な感情だった。リゼルが伊助と目を輝かせながら語り合う姿は、まるで、二人が自分だけの世界を築いているように見えた。


(伊助…あんな風に、他の人と話すのね…)


リアーナは、唇を噛み締めた。伊助の「特別な才能」が、自分以外の人にも理解され、求められている。それは、彼のためには良いことだ。彼の才能が認められることは、この上ない喜びだ。しかし、彼が遠くに行ってしまうような、微かな寂しさが、彼女の心を覆い始めた。彼女は、伊助が故郷の「遥」という少女をどれほど大切に思っているかを知っていた。そして今、この異世界で、リゼルという新たな理解者が現れた。彼の世界が広がるたびに、自分が彼から遠ざかっていくような、そんな不安が、彼女の胸に影を落としていた。


それでも、リアーナは、伊助の隣に立ち続けることを選んだ。彼女の「異能」は、彼の知性を補完する唯一無二の存在だ。そして、彼がこの世界で「理」を解き明かし、真の力を発揮するためには、私が必要なのだと、彼女は信じていた。彼女の存在意義は、彼の傍らにあることなのだと。


勇者たちの虚栄と、騎士団の盲目

一方、王城の公式訓練場では、桐谷隼人たち「真の勇者」が、日々の訓練でその魔力をさらに増大させていた。彼らの放つ魔法は、以前にも増して派手になり、破壊力も増していた。


「見てろよ、騎士ども!俺の炎は、もうそこらの魔獣など、一瞬で蒸発させるぜ!これが、真の勇者の力だ!」


桐谷は、巨大な火炎竜巻を発生させ、訓練用の堅牢な岩壁を跡形もなく吹き飛ばした。その咆哮に、周囲の騎士たちは熱狂する。彼らの目には、桐谷たちの圧倒的な物理的な力しか映っていなかった。


佐々木は、氷の槍を連続で放ち、訓練用のダミーを粉砕する。 「効率的だろ?無駄な動きはしない。これが俺たちのやり方だ。あんな落ちこぼれの雑用係とは違う」 彼の言葉には、伊助たちへの明確な軽蔑が込められていた。


田中は、風の魔法で自身の身体能力を限界まで高め、音速に近い速度で訓練場を駆け巡り、鋼鉄製の標的を素手で叩き割った。 「はっは!この拳で、魔王の顔面をぶち抜いてやるぜ!」


山田は、これまで以上に分厚く、強固な土の盾を瞬時に作り出し、桐谷たちの魔法の余波を完全に遮断した。 「これで…完璧だ…」 彼の魔法は、防御においては絶大な力を誇っていた。


騎士団長アルドリック・ヴァルデオンは、彼らの成長に満足げに頷いていた。彼の経験からしても、これほど短期間で魔力を開花させ、実戦レベルの力を身につけた者は稀有だ。 「勇者隼人殿、勇者健太殿、勇者勇一殿、勇者太郎殿。貴殿らの力は、まさに王国の希望。魔王討伐は、もはや夢ではない」


国王エドワードや第一王子レオンハルトも、彼らの訓練を視察し、その成果に期待を寄せていた。彼らにとって、伊助の「適性なし」という評価は、すでに過去のものとなっていた。伊助の存在は、彼らの意識の中では、王城の隅で雑用をこなす、取るに足らない存在でしかなかった。彼らは、伊助が探求する「理」の魔法など、知る由もなかった。


しかし、王妃セレスティアだけは、公式訓練場の賑わいから少し離れた回廊で、静かに彼らの訓練を見守っていた。彼女の顔には、慈悲深い微笑みが浮かんでいるが、その瞳の奥には、どこか憂いの色が混じっていた。 (彼らの力は確かに強大…しかし、その魔力には、どこか不自然な『歪み』を感じる。まるで、無理やり力を引き出しているかのように…) 彼女の直感は、桐谷たちの魔法に潜む危うさを感じ取っていた。そして、彼女の目は、裏手の古い訓練場の方へと向けられる。リアーナが伊助と共に何をしているのか、正確には知らないが、娘が何か特別なものを見出したことだけは、彼女にはわかっていた。彼女の心には、漠然とした希望と、同時に不穏な予感が交錯していた。


地球の片隅で:孤独な探求と目覚める感覚

遠く離れた地球では、青井遥が、孤独な探求の日々を続けていた。夏休みに入り、中学校の騒がしさは消え失せたが、彼女の心は常に伊助の行方で占められていた。


自宅の部屋にこもり、伊助の母親の書斎から持ち出した異世界ラノベを貪るように読んでいた。読み進めるたびに、彼女は自分の記憶と、物語の中の記述を照らし合わせる。 「『聖なる儀式によって、異世界の勇者を召喚する』…やっぱり、これだ。私が体験したのは、これだわ…。魔法陣…光…そして、召喚された勇者たち…。伊助は、本当にこの物語の世界に飛ばされたんだ…!」 ラノベの描写に、自分の身体が感じたあの「ねじれるような不快感」や「身体中の細胞が再構築される感覚」が、驚くほど合致する。彼女は、この物語が、伊助が飛ばされた異世界についての手がかりであると確信し始めていた。


そして、あの召喚の日以来、彼女の身には奇妙な変化が起きていた。時折感じる空気中の微かな「揺らぎ」。それは、風が吹くと、その風の中に、目には見えない「線」が見えるような。木々が揺れると、その葉の一枚一枚から、ごく微かな「音」が聞こえるような。それは、彼女の身体に宿った、新しい「五感」のようだった。彼女はその「揺らぎ」を、まるで追跡すべき光の筋のように感じ取っていた。


ある日、彼女は町の図書館で、伊助が好きだった物理学の専門書を読んでいた。その中に、素粒子の挙動に関する記述があったとき、彼女の体中の「揺らぎ」が強く反応した。 (これだ…!この『揺らぎ』は、ただの幻覚じゃない。この世界の、目に見えない『何か』を感知しているんだ…!まるで、伊助の言葉にあった『魔力粒子』を…!) 彼女は、自身の新しい感覚が、伊助の言う「魔力」に近いものを捉えているのではないかと直感した。その感覚は、伊助が今いる異世界へと繋がる、唯一の手がかりなのかもしれない。


「この『揺らぎ』が、きっと伊助と繋がっているんだ。私にしか見えない、この手がかりが…!伊助、待ってて…私が必ず見つけ出すから…!」


遥の瞳は、悲しみと、そして揺るぎない決意に満ちていた。彼女は、異世界ラノベを閉じて、静かに拳を握りしめた。伊助がどこにいても、彼女は必ず彼を見つけ出すと、心に誓った。彼女の孤独な探求は、まだ始まったばかりだった。


その頃、地球の柔道場では、石畑強介が、伊助たちの消失に関する情報収集を続けていた。彼のパソコンの画面には、警察の捜査報告書、学校の聞き取り調査、そして民間の失踪者情報などが緻密に分析されている。彼の傍らには、いまだに動揺を隠せない弟の恭弥が、不満げな表情で座っていた。


「兄貴、いつになったら俺たちもあの世界に行けるんだよ?あんな軟弱な伊助なんかに先を越されるなんて、冗談じゃねぇぜ!俺の拳で、あいつらをぶちのめしてやる!」


恭弥は、その巨体を揺らしながら、苛立ちを露わにした。彼にとって、伊助の消失は、自分の「力」の及ばない領域で起こった、不愉快な出来事だった。彼は、自分が伊助よりも強いことを証明するため、早く異世界へと向かいたいと願っていた。


強介は、恭弥の言葉に何も答えず、ただ冷徹な瞳でディスプレイを見つめていた。 (八雲伊助…お前は、確かに『適性なし』とされた。だが、私の解析によれば、お前こそが、この世界の『ことわり』の根源に触れる可能性を秘めている。あの召喚の儀式で、お前だけが、他の勇者とは異なる『振動』を放っていた。それは、この世界の法則を根底から書き換える力…)


強介は、伊助が「魔力適性なし」と判断されたことを知っていた。しかし、彼独自の解析は、その裏に隠された真実を見抜いていたのだ。彼は、伊助の「プログラム魔法」の可能性に気づき、それを自身の「力こそすべて」という哲学に応用しようと考えていた。伊助の知性を、自分の支配下に置くことで、この世界のすべてを掌握する。それが、彼の最終目標だった。


「待て、恭弥。まだだ。この世界の『扉』は、まだ完全には開かれていない。そして、向こうの世界で何が起こっているのか、もっと詳細な情報が必要だ。我々が行く時は、この世界の『理』を完全に理解し、すべてを支配できる状態でなければならない」


強介は、静かに、しかし絶対的な声で言った。彼の瞳は、伊助への強い執着と、未知への飽くなき探求心、そしてこの世界を支配しようとする冷酷な野望を宿していた。彼の計画は、着々と進行していた。


異世界で「理」の探求を続ける伊助とリアーナ、そしてリゼル。地球で孤独な探求を続ける遥。そして、異世界への侵入を虎視眈々と狙う石畑強介と恭弥。


それぞれの運命の糸が、今、複雑に交差し始めていた。この世界の「理」を巡る戦いは、まだ誰にも気づかれずに、その胎動を始めていたのだ。

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