閑話:リアーナから見た伊助の印象 後編
王城の裏手にある古い訓練場は、私たち二人だけの秘密基地となった。伊助と私の密やかな共同研究は、日を追うごとにその深度を増していく。昼間はそれぞれの「雑用」や「訓練」に身を置き、夜になると、私たちはこの場所に集まった。月明かりだけが、私たちの探求を静かに見守る。
深まる共鳴:世界の「理」を紐解く二人
伊助は、この世界の「物理法則」を、地球の「プログラミング」や「数学」の概念に置き換えて解析する作業を続けた。彼の脳内ディスプレイには、魔力粒子の挙動、元素の結合、エネルギーの変換効率などが、複雑なグラフや数式となって展開される。私には、その複雑な数式の意味は全て理解できない。しかし、私の「異能」は、彼の思考が正しい方向に進んでいるか、あるいはどこかに「歪み」が生じているかを、感覚的に捉えることができた。
「伊助、今の魔力流…わずかに『ノイズ』が混じっているわ。その『関数』の呼び出し順序が、この世界の『理』と少しだけずれているように感じる…」
私が目を閉じ、魔力の流れに意識を集中すると、光の筋が私の中で揺らめき、その中の不協和音が私に警告する。それは、伊助が構築した「魔法のコード」における、微細な「バグ」だった。私の言葉は抽象的だが、伊助はそれを即座に理解し、自身の脳内にあるプログラムを修正する。
「なるほど…『ノイズ』は、やはり魔力粒子の『不揃いな振動』か。僕の計算では、この組み合わせが最適だと判断していたが、リアーナの感知能力は、その『最適解』の中に潜む微細な『エラー』を正確に拾い上げている…!まさしく、生きたデバッグツールだ!」
伊助は興奮した。彼の顔には、純粋な知的な喜びに満ちた笑顔が浮かんでいる。そして、彼は再びビニール傘を構え、魔力の流れを調整する。すると、空気中の魔力粒子は、まるで完璧に同期した光のパレードのように、無駄なく、流れるように動いた。
私たちは、最初は風の微細な操作から始まり、次第に「土から鉄を精製する」といった、より高度な錬金術の領域へと足を踏み入れた。この世界の錬金術師にとっては、危険を伴う大がかりな儀式が必要な作業だったが、伊助にとっては、ただの「データ処理」だった。
「伊助、今よ!石の中の鉄分が、まるで呼び覚まされるように輝いたわ…!不純物が、完全に分離された…!」
私が興奮して叫ぶと、伊助は傘を引いた。その場に残されたのは、きらきらと輝く純粋な鉄の砂。その光景は、何度見ても私の心を揺さぶった。彼の「魔法」は、派手さはないけれど、この世界の根源に直接作用し、その法則を書き換える力を持っていた。彼の知性こそが、この世界で最も偉大な魔法なのだと、私は確信した。
彼と過ごす時間は、私にとってかけがえのないものだった。王女としての重圧、周囲からの「落ちこぼれ」という視線。それらから解放され、私はこの場所で、純粋な探求の喜びを知った。伊助のまっすぐな瞳、そして彼が困難な計算に集中するあまり、少し困ったように眉根を寄せる仕草。小さな成功に無邪気に喜ぶ彼の笑顔。それら全てが、私の心を温かく満たしていった。
私は、彼の隣にいることで、私自身の「異能」にも意味が見出せることを知った。私の感覚は、彼の知性によって、これほど明確な形で「意味」を与えられる。彼は、私にとって唯一無二の「師」であり、そして、守りたい「存在」になりつつあった。私の胸は、微かに、しかし確かに高鳴り続けていた。
英雄たちの虚像と、揺るがぬ確信
一方、王城の公式訓練場では、桐谷隼人たち「真の勇者」が連日、派手な魔法を放ち、周囲の騎士たちの喝采を浴びていた。彼らは国王エドワード、第一王子レオンハルト、騎士団長アルドリックから最高の期待を一身に背負っていた。
私も、時には公式訓練場に足を運んだ。表向きは王女としての視察だが、内心では彼らの魔力から感じる「歪み」を確認するためだった。
桐谷が巨大な火炎球を放つたび、騎士たちは「さすがは勇者隼人様!」と叫び、興奮に沸き立った。彼らの魔力は確かに強力だった。炎は訓練用の岩を瞬時に蒸発させ、大地を焦がす。佐々木の水流はダミーを吹き飛ばし、田中が放つ風の刃は金属をも寸断する。山田の土壁は、あらゆる攻撃を弾き返した。
だが、私には見えた。彼らの魔力の流れには、常に微細な「歪み」があることを。彼らは、膨大な魔力を消費することで、力任せに魔法を放っているに過ぎない。その裏には、効率の悪さ、そして不必要な「ノイズ」が常に発生している。それは、伊助が最初に行っていた「最適化されていないコード」と全く同じだった。彼らは、この世界の「理」の根源を理解することなく、ただ闇雲に力を振るっている。それは、まるで、膨大なエネルギーを無駄に消費する、非効率な「システム」だ。
「ハハハ!どうだ!この圧倒的な力が、真の勇者の証しだ!魔王など、この俺の炎で一瞬にして灰にしてやるぜ!」
桐谷の傲慢な笑い声が訓練場に響き渡る。彼の周りには、常に騎士たちが群がり、賞賛の言葉を浴びせる。佐々木は冷笑を浮かべ、田中は豪快に笑い、山田はおどおどしながらも彼らに追従する。彼らは、自分たちがこの世界を救う唯一の存在だと、固く信じ込んでいた。彼らの視界には、伊助のような「適性なし」の存在は入らない。彼らの世界には、伊助が探求するような地味な「理」の探求など、入り込む余地はなかった。
騎士団長アルドリックも、レオンハルト兄様も、彼らの力を絶賛し、魔王討伐の希望と見なしていた。父である国王も同様だ。私以外の誰もが、彼らの表面的な力に目を奪われ、その奥に潜む「歪み」に気づいていない。そして、私が伊助と密かに訓練していることについても、王女の気まぐれか、あるいは「落ちこぼれ同士の慰め合い」と冷ややかに見られていることも知っていた。
けれど、私は知っている。伊助の静かで、しかし根源的な探求が、いつか彼らの、そしてこの世界の常識を、根本から覆す日が来ることを。彼が築き上げる「魔法のコード」は、桐谷たちの派手な力とは比較にならないほど、効率的で、そして恐るべき可能性を秘めている。
心の葛藤:彼方の幼馴染「遥」の存在
伊助との関係が深まるにつれ、私の心には、新たな、そして複雑な感情が芽生え始めていた。それは、彼への尊敬、友情、そして…それだけではない、もっと温かく、胸を締め付けるような、微かな恋心だった。
彼は、私の「異能」を理解し、尊重してくれる。私の言葉の裏にある、感覚的な「揺らぎ」を、彼自身の知性で具体化してくれる。彼は、私にとって唯一無二の「師」であり、最高の「相棒」であり、そして、守りたい「存在」になりつつあった。彼のまっすぐな探究心と、いじめられながらも決して諦めないひたむきさに、私は強く惹かれている。彼が困難な計算に集中するあまり、少し困ったように眉根を寄せる仕草や、小さな成功に無邪気に喜ぶ姿に、私の胸は微かに高鳴るのだった。私は、彼の傍らにいるだけで、満たされていくのを感じていた。
しかし、同時に、私は彼の心の中に、別の誰かの存在があることを知っていた。
時折、伊助は、遠い目をして、空を見上げることがあった。その瞳の奥には、故郷への郷愁と、そして「遥」という少女への、深い、深い想いが宿っているのが見て取れた。彼は、私に、地球でのいじめのこと、そして遥という幼馴染が、彼にとってどれほど大切な存在であるかを、ぽつりぽつりと話してくれたことがあった。彼の孤独な学生生活の中で、遥だけが、彼の傍にいてくれたのだと。
(遥…彼が、この世界で最も求めているのは、私ではない…)
その事実に気づいた時、私の胸は、針で刺されたように痛んだ。彼が地球へ帰りたいと願うのは当然だ。家族がいる。そして、彼を理解し、支えてくれた「遥」という存在がいる。私は、この世界の王女であり、彼が地球へ帰ることを手助けすべき立場にある。彼が悲しまないように、彼が後悔しないように、私は彼の探求を支え続けたい。それが、今の私にできる、彼への一番の貢献だから。
けれど、心のどこかで、私は願ってしまうのだ。彼が、この世界で、私だけを見てくれる日が来たら、と。彼が、遥と同じくらい、私を求めてくれる日が来たら、と。そんな感情は、王女としては許されない、と分かっていた。私には、このリスタルニア王国を守るという使命がある。だが、恋心は、理屈ではどうにもならない。
私は、彼の隣に立ち続ける。彼が困難な状況に直面した時、彼の知性が迷いそうになった時、私がその「歪み」を感知し、彼を正しい道へと導きたい。たとえ、その道の先に、私ではない誰かが待っていたとしても。彼の笑顔を守ることが、今の私の、最大の喜びであり、悲しみでもあった。
広がる波紋:伊助の力が世界を変える時
数週間が経ち、伊助と私の共同研究は、目覚ましい成果を上げ始めていた。伊助は、私の感知能力を頼りに、この世界の魔力の流れが持つ「周波数」の解析をさらに深め、特定の元素の「固有振動数」を魔力で再現する「プログラム」を構築した。
その日の課題は、「石から鉄を精製する」ことだった。この世界の錬金術師にとって、これは非常に高度で危険な作業であり、大規模な魔法陣と膨大な魔力を必要とする。しかし、伊助は、その「理」を地球の化学と物理学で解き明かそうとしていた。
「リアーナ王女。これから、この石に含まれる鉄分の分子結合に、魔力で特定の周波数を与えます。理論上は、他の元素との結合を切り離し、鉄の単体を効率的に抽出できるはずです」
伊助は、訓練場の石畳に小さな石を置き、その上からビニール傘の先端をかざした。彼の脳内ディスプレイには、石を構成するケイ素、酸素、アルミニウム、そして微量の鉄の分子構造が立体的に表示されている。彼は、その中から鉄の結合だけを抽出し、他の結合を切断するための、最適な魔力の「周波数」と「波形」を計算していた。
「分かったわ、伊助。私が『歪み』を感知したら、すぐに伝えるわね。この世界では、そんなこと、誰も考えつかなかったわ…」
私は、息を詰めて伊助の作業を見守った。私の瞳は、純粋な期待と、そして微かな緊張で輝いていた。私は、伊助が持つ知性が、この世界の常識をいかに凌駕しているかを、間近で見てきた。だからこそ、その成果が、この世界にどんな影響を与えるのか、ワクワクせずにはいられなかった。
伊助が傘から魔力を流し始める。微細な、しかし確かな魔力の振動が、石へと伝わっていく。石の表面が、ごく僅かに震え始めた。伊助の脳内ディスプレイには、石の分子構造が解体され、鉄の分子が集合し始める様子が、リアルタイムで表示される。
「…!伊助!今よ!『歪み』が、一気に収束したわ!完璧よ!この世界の『理』が、あなたの『コード』を完全に受け入れたわ!」
私が、興奮した声で叫んだ。私の感覚が、魔力の流れが極限まで効率化され、無駄なエネルギーの消費が一切なくなったことを告げていた。それは、伊助の「魔法」が、この世界で完全に機能したことを意味していた。
伊助が傘を引くと、石は瞬時に分解され、その場には、純粋な、きらきらと輝く鉄の砂が残されていた。その量は、元の石の体積からすればわずかだが、不純物を含まない、完全な鉄の単体だった。
「成功だ…!これなら、錬金術の概念を根本から変えられます…!『理』を理解すれば、魔力消費を最小限に抑え、任意の物質を精製できる…!これは、この世界の科学を、一気に飛躍させられる可能性を秘めている…!僕の、この世界の『デバッグ』が、始まったんだ…!」
伊助は、その鉄の砂を手のひらに乗せ、夕日を浴びて輝くそれを見つめた。彼の顔には、この異世界に来て以来、初めてと言えるほどの、満面の笑顔が浮かんでいた。地球では誰にも理解されなかった彼の知性が、この異世界で、確かな「力」として結実した瞬間だった。それは、彼の「役立たず」という自己認識を打ち破る、初めての成功体験だった。
私は、その笑顔を見て、胸の奥が温かくなるのを感じた。彼の喜びが、そのまま自分の喜びになる。私は、彼がどれほどこの瞬間に到達するのを求めていたかを知っていた。
(伊助…あなたは、本当にすごいわ。きっと、あなたなら…この世界を、本当に変えられる。そして、魔王の脅威も、あなたの『理』によって、解決できるかもしれない…)
私の心の中で、伊助の存在は、単なる「落ちこぼれ仲間」から、この世界の運命を左右する「真の救世主」へと変化していくのが分かった。そして、彼の瞳の奥に隠された、遥という少女への想いを、私はまだ知る由もなかったが、彼の探求が、いつか彼を故郷へと導くことも、直感的に理解していた。
伊助の、異世界での本格的な「デバッグ」作業は、今、始まったばかりだった。彼の進む道は、王国の常識を揺るがし、やがて来る魔王との戦いだけでなく、新たな敵、特に、同じ地球から来た「石畑強介」とその弟「恭弥」といった、彼の「理」を理解し、あるいは歪んだ形で利用しようとする存在を呼び覚ますことになるだろう。
私は、彼の隣に立ち続ける。王女としてではなく、一人の人間として、彼を支え、見守り、そして、共に歩んでいきたい。たとえ、彼が地球へ帰ってしまったとしても。私は、この世界で彼と出会えたことに、感謝している。彼が私に、私自身の「異能」の真の意味を教えてくれたように。私が彼に、この世界の「理」の深層への道を示してくれたように。
夕日が沈み、古い訓練場は薄暗闇に包まれ始めた。遠くからは、いまだに桐谷たちの訓練の轟音が聞こえてくる。彼らは、彼らの信じる「力」を誇示している。けれど、私の心は、静かな確信と、温かい希望に満たされていた。私は知っている。この薄暗い場所で生まれた小さな光が、いつか、この世界全体を照らすことになるだろうと。