閑話:リアーナから見た伊助の印象 前編
王城の裏手、忘れ去られたように佇む古い訓練場。木々の隙間から差し込む光が、舞い上がる埃をきらきらと輝かせている。草木の匂いと、土埃の混じった独特の空気が、どこか懐かしい。私は、ここにいると、王女という重圧から解放される気がした。ここだけが、私と、そして彼の、聖域なのだ。
木製のダミーは、何年も前からそこにあり、風雨に晒され、ところどころ朽ちかけている。その姿は、まるで私自身のようだと思った。リスタルニア王国の第三王女、リアーナ・アークス・リスタルニア。この壮麗な王城に生まれ、恵まれた血筋を持つはずなのに、私は「落ちこぼれ」だった。その烙印は、生まれた時から私にまとわりつき、影のように離れることはなかった。
過去の私:王族としての「欠陥品」
私の幼少期は、輝かしい兄や姉の陰で、常にひっそりと過ぎていった。第一王子レオンハルト兄様は、幼い頃から文武両道に秀で、特に剣術と土属性の魔力においては、騎士団長アルドリック様をして「天才」と言わしめるほどだった。その威厳と高潔さは、次期国王にふさわしいと誰もが称賛した。第二王女ルナリア姉様は、太陽のような明るさと、炎属性の華やかな魔力で人々を魅了した。彼女の魔法は見る者を歓喜させ、その天真爛漫な笑顔は国民の心を掴んで離さない。
けれど、私は違った。
物心ついた頃から、私は他の兄弟とは異なる感覚を持っていた。魔術師の詠唱を聞くと、その魔法の成否や出力が、私には光の筋として視えた。それはまるで、魔力の流れが持つ「調和」や「不和」を、私自身の感覚で直接読み取っているかのようだった。他の魔術師たちは、私が魔法陣の構築中に「そこ、魔力の流れが淀んでるわ」とか、「詠唱の拍子が少しずれてる。このままだと力が半減する」などと口にすると、怪訝な顔をした。彼らには私の言う「淀み」や「ずれ」が見えないのだ。彼らにとっては、魔法陣は古文書通りに描くもの、詠唱は一字一句違えず唱えるもの、それ以上でも以下でもない。私の言葉は、彼らの理解の範疇を超えていた。
そして、私の魔力は、王族としては信じられないほどに少なかった。幼い頃から訓練を積んでも、私が放つ魔法は、他の貴族の子どもたちにすら劣るほど微弱だった。剣の腕も、騎士団の訓練についていくのがやっとで、決して褒められたものではない。私は常に、魔力検査のたびに冷たい視線を浴びた。「リアーナ殿下は…いささか、魔力に恵まれなかったようだ」「惜しいことだ、あんなに美しいのに」「魔王討伐など、夢のまた夢だ」…そんな囁きが、幼い私の耳にも届いた。
国王である父上は、私を見るたびに深いため息をついた。王妃である母上は、優しく私を抱きしめてくれたが、その瞳の奥には、やはり隠しきれない悲しみが宿っていた。兄様は、私に厳しく接することで、私を奮い立たせようとしたのかもしれない。しかし、私にはそれが、私を「欠陥品」として扱うようにしか感じられなかった。ルナリア姉様は、私を心配してくれたけれど、その明るさゆえに、私の抱える深い孤独を理解することはできなかっただろう。
私は王族でありながら、王城の誰もが私を「落ちこぼれ」と見なした。私の持つ「異能」は、魔力を操る力ではないため、この世界では何の役にも立たないものとされた。それは、私にとって耐えがたい現実だった。私は、どこにも自分の居場所がない、透明な存在のようだった。王城という華やかな檻の中で、私はただ、ひっそりと息を潜めていた。誰か、私を、私のこの「異能」を、理解してくれる人はいないのだろうか。私は、心の奥底で、切実にそう願っていた。
邂逅:異世界からの「異端」
そんな、諦めと孤独の中で過ごしていたある日、事件は起こった。
「勇者召喚の儀式」――それは、魔王の脅威が迫るたびに、このリスタルニア王家が代々行ってきた、異世界からの救世主を呼び出すための秘儀だ。私は王族として、その厳かな儀式に列席していた。
召喚の間は、巨大な魔法陣が床一面に描かれ、神秘的な光が満ちていた。国王と騎士団長が厳粛な面持ちで詠唱を始めると、魔法陣が眩い光を放ち、空間がねじれるような感覚がした。そして、光の中から、五人の少年少女が現れた。彼らは、私たちとは異なる衣服を身につけ、混乱と驚愕の表情を浮かべていた。
「ようこそ、勇者たちよ!」
国王の威厳ある声が響き渡る。一人ずつ、魔力適性の儀式が始まった。
最初に、桐谷隼人。彼が魔法陣の上に立つと、赤色のまばゆい光が爆発するように輝いた。「炎の魔力に適性あり!」騎士団長の歓喜の声が響き、周囲の騎士たちは喝采を上げた。レオンハルト兄様も、ルナリア姉様も、彼の魔力に目を輝かせた。私も、彼の放つ魔力の力強さに、確かに「調和」を感じた。
次に、佐々木健太。青色の光。田中勇一。緑色の光。山田太郎。茶色の光。彼らもまた、それぞれが異なる属性の魔力に適性を示し、そのたびに広間は歓声に包まれた。「真の勇者」たち。彼らこそ、この世界を救う希望なのだと、誰もが信じて疑わなかった。彼らの放つ光は、私にはあまりにも眩しく、そして、彼らの力に酔いしれる姿は、私の心をざわつかせた。彼らが、ただ力を振るうだけの存在ではないか、という漠然とした不安が、私の胸をよぎったのだ。
そして、最後に、八雲伊助。
彼が魔法陣の上に立った時、私は期待と不安がないまぜになった気持ちで、その光景を見守った。彼が、他の四人と同じように、派手な光を放つだろうか?それとも、私と同じように、何の光も放たず、「落ちこぼれ」の烙印を押されるのだろうか?
結果は、私の予想とは少し違った。彼の足元からは、何の光も放たれなかったのだ。騎士団長が「…無…か。魔力適性、なし」と告げた時、広間にはざわめきが起こり、国王の顔には深い失望の色が浮かんだ。桐谷たちは嘲笑を漏らし、伊助は肩を震わせ、うつむいていた。まるで、地球でいじめられていた時と同じように。
誰もが彼を「役立たず」と見なし、その存在を無視しようとした。騎士団長は彼を雑用係として王城に留め置くことを決定した。それは、この世界における彼の「価値」を明確に示した瞬間だった。
しかし、その時、私には見えたのだ。他の誰もが見ることのできなかった「何か」が。
伊助の足元の魔法陣から、誰にも気づかれないほど微細に、そして静かに、**『振動』**が放たれていた。それは、属性を示す光とは異なる、無色透明だが、深く、そして澄んだ、純粋な『理』の光だった。その光は、この世界の魔力とは全く異なる法則で振動し、まるで、世界の根源的なシステムそのものに直接干渉しようとしているかのように感じられたのだ。
(まさか…この少年は…この世界の『理』の、そのさらに奥にあるものに触れている…!?)
私の「異能」が、激しく反応した。長年抱えてきた、この世界の魔法に対する疑問が、その瞬間に確かな「兆し」を得た気がした。それは、まさに私が探し求めていたものだった。この少年こそが…本当にこの世界を変える、真の勇者なのかもしれない。直感が、強く、強く、そう告げていた。
接触:隠された光への誘い
召喚の儀式から数日、伊助は王城の雑用係として、ひっそりと日々を過ごしていた。彼の姿は、いつも薄暗い通路の片隅や、厨房の裏手で見かけることが多かった。俯きがちで、他の騎士たちや文官たちに怯えるように道を譲る彼の姿は、まさに「役立たず」の烙印を押された者のようだった。他の「真の勇者」たちが華やかな訓練場で魔法を振るう中、彼はただ、静かに、そして孤独に、与えられた役割をこなしていた。
けれど、私は彼の瞳の奥に、まだ消えていない知性の輝きを見ていた。そして、召喚の儀式で感じた、あの微細な『振動』が、私の脳裏から離れることはなかった。私と同じく、この世界で「異端」とされた彼が、この世界の常識を打ち破る可能性を秘めていると、私は確信していた。
ある日の夜、伊助が食器を片付け終え、薄暗い通路を歩いているのを見かけた。今しかない。私は意を決し、彼の前に姿を現した。
「八雲伊助…あなたね?」
私が声をかけると、彼はびくりと体を硬直させ、恐怖に染まった瞳で私を見上げた。まるで、いじめられている動物のように、警戒心が露わになっている。王女である私が、こんな薄暗い場所で、雑用係の彼に声をかけるなど、彼にとって想像もしていなかったことだろう。
私は、ゆっくりと彼に近づいた。その表情には、警戒心も、嘲りも、憐憫もなかった。ただ、深い好奇心と、何かを探し求めるような真剣さが私を満たしていた。
「やはり…私の直感は正しかったわ。あの召喚の儀式で、あなたは他の勇者とは違う輝きを放っていた」
私の言葉に、伊助は目を見開いた。その瞳に、驚きと、そして微かな希望の光が宿るのが見て取れた。彼が、あの時、自分から何も光が放たれなかったこと、そして周囲の誰もが自分を「適性なし」と見なしたことを知っているはずだ。しかし、私は「違う輝き」と言った。彼の心が、私の言葉に反応しているのが分かった。
「あの時…あなたの足元で、魔力適性診断の光が、誰にも気づかれないほど微細に…『振動』していたわ。それは、この世界の魔力とは異なる、もっと根源的な『理』に触れる光だと、私には感じられたの」
私は、伊助の目を見つめながら、静かに語った。私の瞳は、彼の心を覗き込むかのように、深く澄んでいた。彼の混乱が、次第に驚きへと変わっていくのが分かった。
「私には、物事の『本質』や『流れ』を漠然と予感できる力があるの。他の人には理解されない、ただの『異能』だとされているけれど…あなたのその『光』は、この世界の魔法の根源を揺るがすものだと、私には確信できたわ」
私は、自分の手のひらを見つめながら続けた。その声には、彼女自身の「落ちこぼれ」としての苦悩と、しかしその「異能」への誇りが混じっていた。私自身もまた、この世界で理解されない孤独を抱えていた。だからこそ、彼の「異質さ」が、私には「可能性」として見えたのだ。
「私の力は、魔力そのものを操ることはできない。けれど、魔力の『歪み』や『不和』を感知できる。あなたが、この世界で何も『できない』とされているのは、あなたの力が、この世界の『常識』から外れているからよ。それは、決して『無能』なのではないわ。むしろ、この世界の魔法を、根本から変革する可能性を秘めているはずよ。私が『歪み』を検知すれば、あなたはそれを『修正』できる。そうでしょう?」
彼女の言葉は、伊助の心を深く揺さぶった。彼は、異世界に来て初めて、自分の存在を肯定された気がした。自分の「異質さ」が、ここでは「可能性」として見られているのだ。彼の瞳に、探求の光が再び灯るのが分かった。
「あなたのその力…私に、この世界の『理』を教えてくれないかしら?私は、あなたの『デバッグツール』になれるはずよ。私も、この世界の魔法の非効率さに、ずっと疑問を抱いていたの。けれど、誰も私の問いに答えてくれなかった…」
リアーナは、真剣な眼差しで伊助に手を差し出した。それは、一人の王女が、雑用係の少年に、対等な立場で協力を求める姿だった。そこに、地位や身分の差はなかった。ただ、真理を求める者同士の、純粋な共鳴だけがあった。
伊助は、その差し出された手を見つめた。脳裏には、いじめられていた地球での記憶と、目の前の少女の言葉が交錯する。彼女は、彼の「異質さ」を受け入れ、むしろそれを「力」として評価している。伊助の心に、忘れかけていた探究心が再び燃え上がるのを感じた。
「…僕の…力は…地球の『プログラミング』や『数学』の知識が、この世界の『魔法のコード』と結びついたものだと考えています。この世界の『魔力』は、まるでエネルギー源で、詠唱は『命令文』、魔法陣は『演算回路』のようです。僕がやろうとしているのは、その『コード』を最適化することです。例えば、効率の悪い魔法陣を、よりシンプルな、数学的に最適な形に書き換えるとか…」
伊助は、どもりながらも、必死に自分の理論を説明した。彼が最も得意とする、しかし地球では誰にも理解されなかった「思考」を、目の前の少女は真剣に、そして興味深そうに聞いてくれる。彼の言葉の一つ一つに、リアーナは深く頷いた。
「素晴らしいわ…!まさに、私が求めていたものよ!その『コード』、私にも教えてほしいわ。そして、私があなたの『デバッグ』をしましょう。二人の力があれば、きっと…この世界の魔法の常識を、根本から覆せるはずよ。そして、魔王討伐への新たな道も開けるかもしれない…」
リアーナは、伊助の言葉に目を輝かせた。彼女の瞳には、未知の領域への探求心が満ちていた。彼女が差し出した手は、彼にとって、まさに希望の光だった。
こうして、王城の日の当たらない裏路地で、騎士団の「落ちこぼれ」王女と、「適性なし」の雑用係勇者の、密やかな共同研究が始まった。それは、この世界の運命を大きく変えることになる、最初の小さな一歩だった。