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第5話:理(ことわり)の再構築と新たな出会い、そして交差する運命

リスタルニア王城の裏手にある、古びた訓練場。そこは、普段、誰も足を踏み入れることのない、忘れ去られた場所だった。風に揺れる木々の葉ずれの音と、遠くで聞こえる王都の微かな喧騒だけが、その静寂を破る。埃っぽい地面に描かれた簡易な魔法陣は、もはや土に同化しそうなほど薄れていたが、その前で、八雲伊助とリアーナ王女の修行は、日を追うごとにその深度を増していた。降り注ぐ木漏れ日の中、伊助は自作のビニール傘を杖のように構え、その瞳は、見えない世界の「コード」を読み解くかのように深く集中していた。彼の脳内では、複雑な数式とプログラミングのアルゴリズムが絶え間なく展開され、この世界の魔法の「ことわり」を、根源から解析し、再構築しようと試みていた。リアーナは、そのすべてを理解することはできないまでも、彼の隣で静かに、しかし熱心に彼の言葉に耳を傾け、自らの鋭敏な感覚を「デバッグツール」として提供していた。彼女の存在が、伊助の孤独な探求に、確かな意味と温もりを与えていた。


「伊助、今の魔力の流れ…少しだけ『ひずみ』を感じるわ。もう少しだけ、『周波数』を高くするべきだと、私の感覚が告げている。まるで、楽器の弦を締めすぎるように、どこかで不協和音が生じているような…」


リアーナは、伊助が傘を通して行使した微細な風の操作を見て、目を閉じながら指示を出す。彼女の言葉は詩的で抽象的だが、伊助の脳内ではそれが具体的な数値や波形として瞬時に変換され、プログラムのバグが特定されていく。彼女の第六感が、魔力の「流れ」のわずかな乱れを感知し、それを伊助へと伝える。伊助はすぐに脳内のプログラムを修正し、再び傘を振るった。


風が、訓練場に立てられた古びたダミーの表面を、かすかに、しかし確実に撫でた。その動きは、先ほどよりもはるかに洗練され、無駄が一切ない。伊助の脳内ディスプレイには、空気中の魔力粒子が、より洗練された、まるで数学的に完璧な軌道を描いて動く様子が可視化された。無数の光の点が、寸分の狂いもなく配列され、一方向に流れていく。それは、彼が導き出した「最適解」が、この世界で具現化されていく瞬間だった。


「なるほど…この『歪み』は、魔力粒子の配列における微細な『乱れ』、あるいは『ノイズ』ですね。僕のプログラムの、特定の『関数』の呼び出し順序か、または『引数』の設定に問題があったようです。リアーナの感覚は、それをエラーとして正確に検知している…まさに、生きているデバッグ機能ですね。あなたの感覚は、この世界の『理』そのものを直接読んでいるかのようだ」


伊助は興奮気味に語る。彼の顔には、純粋な知的な喜びに満ちた笑顔が浮かんでいた。リアーナの抽象的な表現が、彼にとっては最新の物理シミュレーションにおける誤差検出のようだった。彼は、この「滑らかさ」が、魔法の「効率」と「精度」に直結することを理解し始めていた。それはまるで、プログラミングにおける最適なアルゴリズムを見つけ、バグを取り除き、より洗練されたコードへと書き換える作業に似ていた。彼が目指すのは、この世界の魔法を、地球の科学の常識で「最適化」することだった。


彼は、土の塊から不純物を取り除き、純粋な鉱物だけを抽出するような、錬金術の基礎的な練習を続けていた。手のひらサイズの粗末な土の塊を、伊助は傘の先端で軽くつつく。彼の脳内では、その土塊を構成する元素の結合状態が立体的に解析され、不要な元素が赤い線で、必要な元素(例えば鉄や銅の微粒子)が青い線で表示される。彼は、その赤い線(結合)を断ち切り、青い線(結合)を再構築するための最小限の魔力操作を行う。それは、従来の錬金術師が何時間も詠唱と魔法陣を重ねて行う、危険を伴う作業だった。だが、伊助にとっては、ただの「データ処理」だった。


最初は数分かかった作業が、今では数秒で完了する。土の分子構造から不要な元素を切り離し、必要な元素だけを再構成する。それは、伊助にとって、まるで複雑なパズルを解くような、純粋な知的な快楽だった。そして、彼の能力が、この世界の「理」を書き換える可能性を秘めていることを、彼自身が実感し始めた瞬間でもあった。


「凄い…伊助。本当に、何でもできるのね。まるで、無から何かを生み出しているようにも見えるわ。これなら、王国の資源の問題も解決できるのではないかしら…」


リアーナは、目の前で粗末な土の塊が、ほんの少しの輝きを帯びた銀色の砂粒へと変わる様を見て、ため息をついた。彼女の瞳は、伊助への深い尊敬と、ほんのわずかな嫉妬の色を帯びていた。伊助の能力は、彼女が教えられた魔法の常識を遥かに超えていた。彼の知性は、この世界の魔法の限界を打ち破り、新たな可能性を切り開いている。彼女は、自分には決してできないであろう、その圧倒的な知的な探求心に魅了され始めていた。伊助の地味な、しかし確実に成果を上げる「魔法」は、彼女の心を掴んで離さない。彼の隣にいることで、自分自身の「異能」にも意味が見出せる。それは、孤独だった彼女にとって、かけがえのない喜びだった。


その日の午後、伊助は錬金術師たちの工房へと向かった。リアーナも、彼の護衛と、伊助の新たな発見への飽くなき好奇心から同行する。工房の奥からは、依然として奇妙な薬草のような匂いと、低い詠唱の声が聞こえる。それはどこか単調で、惰性的に聞こえ、伊助にとっては「非効率」の象徴だった。


工房の入口近く、窓辺の作業台に、見慣れた金髪の錬金術師が一人、黙々と作業に没頭していた。彼女はリゼル・エメラルド。前回、伊助の実験をちらりと見て、その異質な力に興味を抱いていた女性だ。彼女は、試験管に入った液体を真剣な表情で混ぜ合わせ、その色の変化を注意深く観察していた。彼女の周りには、他の錬金術師のような複雑で豪華な魔法陣はなく、簡素な蒸留器や試験管、そして古びた天秤が並べられているだけだった。


伊助は、リゼルの作業に興味を抱き、そっと近づいた。 「あの、すいません…何をしていらっしゃるんですか?その液体、見たところ魔獣の体液のようですが…」


リゼルは顔を上げ、伊助とリアーナを見て、少し驚いた表情を見せた。彼女の疲れた顔に、微かな緊張が走る。 「あら、あなたたちは…王女殿下と、その、見慣れない少年ですね。私は、毒素の抽出と純化を行っています。特定の薬効成分を高めるための、錬金術の基礎作業です。この毒素は、強力な麻痺作用を持つ魔獣の体液から抽出するのですが、不純物が多すぎて…」


彼女の声は、どこか物憂げだが、その言葉には明晰な知性が宿っていた。彼女の眉間には、解決できない問題に取り組む研究者特有の深い皺が刻まれていた。彼女もまた、この世界の錬金術の「非効率さ」に、心のどこかで疑問を抱いている一人だった。


「あの、その…毒素の抽出って、特定の分子だけを分離するんですか?不純物から目的の分子を効率的に分けるのは、かなり難しいですよね。特に、物理的な濾過だけでは限界がありますし、魔力での操作も、原子レベルの結合に干渉するのは、膨大なエネルギーを必要としますから…」


伊助は、思わず地球の化学の言葉で質問した。彼の頭の中では、分子構造、電気陰性度、沸点、溶解度といった化学的な概念が瞬時に連想される。リゼルは、伊助の言葉にわずかに眉をひそめた。その言葉の響きが、この世界の錬金術の常識とは全く異なっていたからだ。


「分子…?ええ、まあ、そうですね。特定の『形』を持つ成分を、他の不純物から分ける作業です。ですが、非常に微細な魔力操作と、正確な詠唱が必要になります。少しでも狂えば、爆発したり、毒性が増したり、最悪の場合、まったく別の危険な物質に変化したりしますから…私たちの工房でも、この工程は最も危険で、効率が悪いとされています。この作業だけで、一日に数時間、集中力と魔力を消耗するのです」


リゼルはそう言って、手元にある液体を指差した。その液体は、僅かに緑色の光を帯びているが、その中には微細な黒い粒が不規則に浮遊していた。伊助は、その液体から発せられる魔力のパターンを、脳内で解析し始めた。それはまるで、未知のプロトコルで通信しているデバイスのデータを、ハッキングするように読み取る感覚だった。彼の脳内ディスプレイには、液体の分子構造が3Dモデルとして表示され、各結合のエネルギー状態が色分けされて示される。


(なるほど…この世界の毒素の分離は、分子構造から特定の『結合』を『切断』したり、『追加』したりする作業に似ている。つまり、電子の再配置だ。錬金術師たちは、詠唱という『呪文コマンド』で、その複雑な操作を行っているが、それはまるで、低レベル言語で書かれた、最適化されていないプログラムだ。もっと効率的な『アルゴリズム』があるはずだ…この結合エネルギーを、最小限の魔力で直接狙い撃ちすれば…)


伊助は、自分の傘をそっと構えた。そして、リゼルが実験している液体に、ごく微細な魔力の波を送る。それは、肉眼では全く見えないほど微弱な操作だった。しかし、伊助の脳内ディスプレイには、液体の分子構造が揺らぎ、特定の毒性を持つ分子の結合が、まるでバグのように剥がれ落ちていく様子が、リアルタイムのグラフと数値で示された。液体中の黒い粒が、ゆっくりと底に沈殿し始める。それは、毒性を持つ分子が、無毒な別の分子に変化した、あるいは結合が切断され、凝集した結果だった。


リゼルは、伊助の行動に気づき、ハッと息を飲んだ。彼女の鋭敏な感覚が、液体の中で起こる「異変」を捉えたのだ。液体の緑色の光が、わずかに、そして確実に、澄んだ透明な色へと変化していく。沈殿した黒い粒は、もう動かない。作業時間は、わずか数秒。


「な…何を…!?今、一体…!?私の実験が…」


彼女は信じられないものを見るように、伊助と液体を交互に見つめた。長年の経験と知識が、目の前の現象を理解することを拒んでいる。


「ごく微細な電子の操作で、毒性を持つ成分の結合を弱めただけです。この世界の錬金術は、まだ原子や分子の概念が確立されていないようですが、本質的には化学反応を魔力で制御しているんです。大規模な魔力を使うよりも、ピンポイントで最小限の魔力を注入する方が、効率的だと考えられます。まるで、プログラムの特定のビットだけを反転させるように、最小限のエネルギーで最大の結果を出す…」


伊助は、まるで新しいプログラミング言語を説明するかのように、淡々と語った。彼の言葉は、リゼルの脳裏に、これまで知っていた錬金術の常識を根底から揺るがす、新たな「光景」を見せつけていた。リアーナも、伊助が何をしているのかは完全には理解できないが、その結果に驚きを隠せない。彼女の口元が、喜びと驚きで微かに緩んだ。


リゼルは、伊助の言葉を聞き、そして目の前の液体の変化を目の当たりにして、完全に言葉を失った。彼女が長年、膨大な魔力と危険を冒して行ってきた作業が、目の前の少年によって、あっさりと、しかもごくわずかな魔力で、しかもより安全に成し遂げられたのだ。彼女の瞳には、驚愕と、そして何よりも深い探求心が宿った。それは、まだ誰も開拓していない未知の領域への扉が開かれたかのような、純粋な科学者の好奇心そのものだった。彼女の表情は、長年の疲労と諦めから解放され、希望に満ちていた。


「あなた…まさか、それが、あなたの…その…『力』だと…?ありえない…そんなこと…」


「ええ。錬金術の『ことわり』を、少しだけ僕なりに解釈してみたんです。この世界の魔法は、まるで、地球のプログラミングのようだと。無駄な詠唱や複雑な魔法陣は、非効率なコードに過ぎません。よりシンプルに、より効率的に、それが僕の目指す『魔法』です」


伊助はそう言って、にこやかに微笑んだ。彼にとって、これは純粋な知的な喜びだった。彼の探求心が、新たな協力者を見つけ出した瞬間だった。


リゼルは、伊助の持つ圧倒的な知識と、それを実践する能力に、強い衝撃を受けた。彼女が追い求めていた「錬金術の真理」が、この少年の手の中にあるのかもしれない。彼女の顔には、長年の探求で培われた物憂げな表情が消え、まるで純粋な研究者のような、輝く好奇心が満ちていた。その瞳は、伊助の眼鏡の奥に隠された、底知れない知性に釘付けになっていた。


「もしよろしければ、私も、あなたのその…『理』について、もっと詳しくお伺いしてもよろしいでしょうか…?私は、この世界の錬金術の、その…非効率さに、ずっと疑問を抱いておりました。この工房の錬金術師たちは、誰も私の疑問に答えられませんでした。彼らはただ、古文書に記された通りに詠唱し、魔法陣を描くだけで、その本質を理解しようとはしないのです…」


リゼルは、まるで教えを請うかのように、伊助に頭を下げた。その姿は、一人の研究者が、真理の光を見つけた時の純粋な喜びと、それに向けられた素直な姿勢だった。伊助は、自分を頼ってくれる彼女の姿に、少し照れながらも頷いた。リアーナは、リゼルの真剣な眼差しと、伊助への明らかな興味に、内心で複雑な感情を抱いた。伊助の「特別な才能」が、自分以外の人にも理解され、求められている。それは嬉しい半面、彼が遠くに行ってしまうような、微かな寂しさも感じていた。彼女の心の中で、伊助の存在が、単なる「落ちこぼれ仲間」から、もっと複雑で、失いたくない「特別な人」へと変化していくのが分かった。しかし、彼女は伊助の成長と、彼の才能が認められることの喜びを、何よりも優先した。


一方、王城の公式訓練場では、桐谷隼人たちが連日、派手な魔法を放ち、周囲の騎士たちの喝采を浴びていた。彼らは、リスタルニア王国の国王エドワード・アークス・リスタルニア、第一王子レオンハルト・アークス・リスタルニア、そして騎士団長アルドリック・ヴァルデオンの期待を一身に背負っていた。


「ハハハ!どうだ!この圧倒的な力が、真の勇者の証しだ!魔王など、この俺の炎で一瞬にして灰にしてやるぜ!雑魚どもは、俺様の炎で焼き尽くしてくれるわ!」


桐谷は高らかに笑い、巨大な火炎球を宙に放った。その炎は訓練用の岩を瞬く間に蒸発させ、周囲の騎士たちから「おおーっ!素晴らしい!さすが勇者様!」という感嘆の声が上がる。彼の顔には、地球でのいじめの時以上に傲慢な笑みが浮かんでいた。自分こそが「選ばれた存在」だという強烈な選民思想が、彼の中で肥大化していく。彼は、その強大な力に酔いしれていた。


佐々木健太は、桐谷の隣で冷笑を浮かべ、水流の渦で訓練用のダミーを吹き飛ばした。 「せいぜい頑張れよ、隼人。俺の水の壁があれば、お前は無敵だ。無駄な労力は使わないのが賢いやり方ってものだよ。俺たちの力は、あんな雑魚どもには理解できないだろうな」 彼の魔法は、直接的な破壊力よりも、敵の行動を制限したり、味方を支援したりするのに優れており、その狡賢い性格を如実に表していた。彼の瞳の奥には、常に状況を分析し、自分に有利に働くよう計算する冷徹な光が宿っていた。


田中勇一は、風の刃を連続で放ち、訓練用の標的を寸断していく。その一撃一撃は荒々しく、力任せだった。 「へへっ、どうだ!俺の風は、どんな奴も切り裂くぜ!文句ある奴はかかってこいってんだ!俺たちこそが最強なんだからな!」


山田太郎は、分厚い土壁を瞬時に作り出し、桐谷の炎から他のダミーを守っていた。彼の魔法は防御に特化しており、その堅牢さは騎士たちも目を見張るほどだった。 「これなら…どんな攻撃も防げる…みんなを守れる…」 おどおどしながらも、自分の役割を全うしようとする。しかし、彼の心には、未だに故郷への郷愁と、この世界の「勇者」としての重圧に怯える気持ちが燻っていた。彼は、いじめグループの中でも、唯一、良心が残っている存在だった。


彼らは、騎士団長アルドリックから直接指導を受け、最高の魔石と訓練施設を与えられていた。彼らにとって、強さとは目に見える力であり、派手な魔法こそが「勇者」の証だった。そして、彼らがこの世界を救う唯一の存在だと、固く信じ込んでいた。彼らの間には、すでに「この世界は自分たちが救うのだ」という強烈な選民思想が芽生え始めていた。伊助のような「適性なし」の存在は、彼らの視界にすら入らない。彼らの世界には、伊助のような地味な「理」の探求など、入り込む余地はなかった。


騎士団長アルドリックは、桐谷たちの成長に目を細めていた。彼の経験からしても、これほど短期間で魔力を開花させた者は稀有だ。彼らは、まさに魔王討伐の切り札となるだろう。 (彼らこそが、我が王国を、この窮地から救い出す真の希望…) 伊助の存在など、彼の思考の片隅にもない。彼にとって、戦力にならない者は、雑用をこなすだけの存在でしかなかった。それが、彼の冷徹な現実主義だった。彼自身の娘であるリアーナが、伊助という「役立たず」に固執していることについても、王女の気まぐれか、あるいは自身の「落ちこぼれ」としての境遇を慰め合っているに過ぎない、と考えていた。彼の頑固な信念は、新しい可能性を受け入れることを拒んでいた。


第一王子レオンハルトもまた、桐谷たちの訓練を見学し、その成長に期待を寄せていた。彼もまた、騎士団長同様、伝統と実績を重んじる現実主義者だ。 「勇者隼人たちの成長は目覚ましい。これほどの力があれば、魔王も恐れるに足りないだろう。彼らこそ、この王国の光だ」 彼の言葉には、揺るぎない自信が満ちていた。伊助の「適性なし」という評価は、彼の中で完全に確定しており、その存在は王国の資源を無駄に消費するだけの、取るに足らないものと見なされていた。彼らは、伊助とは異なる「勇者の道」を進んでいると、心底信じていた。


王妃セレスティアは、公式訓練場から少し離れた回廊から、勇者たちの訓練を静かに見守っていた。彼女の顔には、慈悲深い微笑みが浮かんでいるが、その瞳の奥には、どこか憂いの色が混じっていた。桐谷たちの派手な力は、確かに国を救う希望かもしれない。しかし、彼女の直感は、彼らの傲慢さや、その力に潜む危うさを感じ取っていた。彼らの放つ魔力は、どこか乱暴で、不協和音を奏でているように感じられた。 (あの子たち…確かに素晴らしい力を持つ。だが、本当にこの世界の『理』を理解しているのだろうか。力だけでは、真の解決には至らないこともある…) 彼女の目は、時折、裏手の古い訓練場の方へと向けられる。リアーナが伊助と共に何をしているのか、正確には知らないが、娘が何か特別なものを見出したことだけは、彼女にはわかっていた。彼女の心には、漠然とした希望と、同時に不穏な予感が交錯していた。


第二王女ルナリアは、訓練場の一角で、桐谷たちが放つ炎の魔法に目を輝かせていた。彼女自身も炎の魔法に適性を持つため、桐谷の魔法には強い憧れを抱いていた。 「隼人様の炎、本当にすごいわ!私ももっと大きな火球を放ってみたい!あの伊助って子も、もっと派手な魔法を使えればいいのに!」 彼女の好奇心は、常に目に見える「強いもの」「派手なもの」へと向かっていた。伊助のことは、漠然と「おとなしくて変な奴」くらいの認識で、特に気に留めていなかった。彼女の頭の中には、魔王を派手な魔法で吹き飛ばす、英雄のイメージだけがあった。


その頃、地球では、中学校の教師たちが慌ただしく校舎内を巡回し、警察官が鑑識作業を行っていた。終業式前日の放課後に生徒5人が突如として姿を消したという未曽有の事態に、学校は完全にパニック状態だった。校内には張り詰めた空気が漂い、翌日の終業式も中止が決定した。警察はあらゆる可能性を視野に入れ、大々的な捜査に乗り出していたが、何の手がかりも掴めずにいた。まるで、彼らが空間そのものに飲み込まれたかのように、跡形もなく消え失せたのだ。


伊助の父親、八雲巌は、自身のオフィスで電話を耳に押し当てていた。彼の顔には疲労の色が濃く、目元には深いクマが刻まれている。 「…そうですか。やはり、何の手がかりも…。防犯カメラにも、不審な人物の影一つない、と。…分かりました。引き続き、全力を尽くしてください。私も、あらゆる手段を講じます。どのような可能性も排除せず、情報を集め続けろ!」


電話を置いた巌は、深くため息をついた。彼の頭の中は、息子の安全と、この異常事態の原因究明で埋め尽くされている。彼は会社の全リソースを投入し、情報網を駆使して伊助の行方を探していた。しかし、どんなに論理的に分析しても、今回の事件は説明がつかない。彼のような現実主義者にとって、それは存在しない「バグ」のようなものだった。息子がいじめられていたことは知っていたが、それが失踪に繋がるとは思えない。まるで、空間そのものが彼らを飲み込んだかのように、彼らの存在は世界から消え去ったのだ。


「伊助…一体どこへ…」


普段、感情を表に出さない巌の顔に、深い苦悩が浮かんでいた。彼の権力や財力をもってしても、息子を見つけられないという事実が、彼を深く苛んでいた。彼の完璧な論理の世界に、初めて対応不能な「エラー」が発生していた。


遥もまた、孤独な戦いを続けていた。自宅の部屋にこもり、伊助の母親の書斎から持ち出した異世界ラノベを貪るように読んでいた。ページをめくるたびに、彼女は自分の記憶と、物語の中の記述を照らし合わせる。


「『聖なる儀式によって、異世界の勇者を召喚する』…やっぱり、これだ。私が体験したのは、これだわ…。魔法陣…光…そして、召喚された勇者たち…。彼らは、ラノベの中の世界に飛ばされたんだ…!」


彼女だけが覚えている「光と魔法陣」の記憶。その手がかりが、まるでファンタジーの世界に隠されているとでも言うように、伊助が読み込んだであろう物語の中に存在していた。ラノベの描写に、自分の身体が感じたあの「ねじれるような不快感」や「身体中の細胞が再構築される感覚」が、驚くほど合致する。彼女は、この物語が、伊助が飛ばされた異世界についての手がかりであると確信し始めていた。彼女の心には、伊助への強い想いが、原動力となっていた。


そして、彼女の身には、あの時以来、奇妙な変化が起きていた。時折感じる空気中の微かな「揺らぎ」。それは、風が吹くと、その風の中に、目には見えない「線」が見えるような。木々が揺れると、その葉の一枚一枚から、ごく微かな「音」が聞こえるような。それは、彼女の身体に宿った、新しい「五感」のようだった。彼女はその「揺らぎ」を、まるで追跡すべき光の筋のように感じ取っていた。


「この『揺らぎ』が、きっと伊助と繋がっているんだ。私にしか見えない、この手がかりが…!伊助、待ってて…私が必ず見つけ出すから…!」


遥の瞳は、悲しみと、そして揺るぎない決意に満ちていた。彼女は、異世界ラノベを閉じて、静かに拳を握りしめた。伊助がどこにいても、彼女は必ず彼を見つけ出すと、心に誓った。


夏休みは始まったばかりだが、遥にとって、それは伊助を探し出すための、孤独で、そして危険な旅路の始まりでもあった。彼女の静かな決意は、異世界で「理」の探求を始めた伊助、そしてその影で暗躍を始める石畑強介、そして後に伊助たちの前に立ちはだかる恭弥の存在に、まだ届くことはなかった。互いの運命の糸が、絡み合うように動き始めていた。

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