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第3話:理の深淵へ、そして交錯する思惑

リスタルニア王城の、陽の当たらぬ裏手。埃っぽい古い訓練場は、忘れ去られたように静まり返っていた。錆びついた訓練用の剣が隅に立てかけられ、雑草が石畳の隙間から顔を出す。ここは、王宮の華やかさとは無縁の、薄暗い場所だった。しかし、八雲伊助にとっては、唯一、安らぎと集中を得られる聖域となっていた。


あの日、リアーナ王女が差し伸べてくれた手は、伊助にとって、異世界での唯一の光だった。彼女だけが、自分から何の魔力適性も示されなかった儀式の中で、伊助の「異なる輝き」を見抜いてくれた。その日から、二人の密やかな共同研究が始まっていた。


伊助の日常は、相変わらず王城の雑用で埋め尽くされていた。早朝から薄暗い通路の床を磨き、巨大な窓を拭き、騎士たちの朝食を配膳する。その間も、彼の脳内は常にフル稼働していた。この世界の「魔法」という現象を、地球の「物理法則」と「プログラミング」の概念に置き換えて解析する。


(魔力粒子は、データパケットのようなものか…詠唱は、そのデータパケットを特定の『関数』にルーティングするアドレス指定。魔法陣は、その『関数』を呼び出すための『ハードウェア』…いや、もっと根本的な『演算回路』に近い…)


彼は、脳内ディスプレイに浮かび上がる膨大な数式と、それに伴ってエラーを吐き出すシミュレーションを延々と繰り返す。しかし、実際に魔力を「入力」し、「出力」する手段がない現状では、すべてが机上の空論だった。唯一のインターフェースだったノートパソコンは、召喚時に没収されて以来、一度も戻ってこない。


夕食の配膳を終え、食器を片付けた後、伊助は人目を避けて古い訓練場へと向かう。リアーナ王女は、いつもそこで待っていた。彼女は、王族の豪華なローブではなく、動きやすい騎士団の見習い服を身につけていた。その瞳は、暗闇の中でも静かに輝き、まっすぐに伊助を見つめていた。


「今日も、疲れたわね、伊助」


リアーナの声は、どこか物憂げだが、その言葉には伊助を労わる優しさが滲んでいた。彼女自身も、王族としては魔力が少ないとされ、騎士団では「落ちこぼれ」の烙印を押されていた。その境遇が、伊助への共感を深くしていた。


「いえ、大丈夫です。それよりも、今日の魔力流の解析、進展がありましたか?」


伊助は、顔の汗を拭いながら尋ねる。彼の心は、雑用による疲労よりも、この共同研究への知的な欲求で満たされていた。


リアーナは、無言で頷き、訓練場の土の上に、指先で簡易な魔法陣を描いた。それは、この世界の魔術師たちが使う、複雑な魔法陣とは似ても似つかない、ごくシンプルな、しかし本質的なラインで構成されていた。


「この間、伊助が言っていた『魔力粒子のノイズ』についてだけど…私が感知できる『歪み』は、その『ノイズ』が特定の『法則』を持って現れているように感じるの。まるで、何かの『同期』がずれているような…」


リアーナは、目を閉じ、集中する。彼女の「異能」は、この世界の魔力の流れそのものを、一種の「情報」として感知する。それは、伊助の理論と驚くほど合致していた。彼女の言葉は抽象的だが、伊助の脳内ではそれが具体的な数値や波形として瞬時に変換され、プログラムのバグが特定されていく。


「なるほど…!『同期のずれ』…それは、この世界の魔力供給システムが、何らかの周期的な『振動』によって行われているとしたら、その『振動周波数』と、魔法の発動に必要な『周波数』が合っていないということか…!」


伊助は興奮した。彼の脳内シミュレーションが、新たな仮説に基づいて猛烈な速度で再計算を始める。彼は、持っていたビニール傘を杖のように構え、その先端を魔法陣の中央に向けた。


「では、リアーナ王女。僕が、この傘を介して微弱な魔力を流します。その際、僕の脳内で計算した『周波数』に、魔力を調整します。もし『同期のずれ』が原因なら、あなたの感じる『歪み』は減少するはずです」


伊助は、自身の肉体の中に微かに存在する魔力(それは、彼が地球で意識していなかった、ごく普遍的な生命エネルギーのようなものだった)を、傘の先端へと集中させる。脳内では、その魔力を、特定の「周波数」を持つ「データ信号」に変換するプログラムが起動する。


傘の先端から、肉眼では見えないほど微弱な光が放たれた。それは、この世界の魔術師が放つような派手な光とは全く異なる、静かで、しかし確かな「何か」だった。


リアーナは、その光が傘から放たれた瞬間、ハッと息を飲んだ。彼女の鋭敏な感覚が、空気中の魔力粒子の流れの変化を捉えたのだ。


「…消えた…『歪み』が、消えたわ…!まるで、嵐の後の湖のように、すべてが穏やかになった…!」


リアーナは、驚きと興奮が入り混じった声で叫んだ。彼女の瞳は、伊助への深い尊敬と、そして彼と共に真理に触れる喜びで輝いていた。彼女は、伊助が持つ圧倒的な知性と、それを実践する能力に、改めて魅了されていた。彼女自身の「異能」が、彼の知性によって、これほど明確な形で「意味」を与えられるとは、夢にも思わなかった。


「素晴らしい…!これなら、もっと効率的に、そして安定して魔法を発動できるはずです…!次のステップは、この『周波数』を、特定の元素の『固有振動数』に合わせることで、物質の再構築を行うことです…」


伊助は、興奮のあまり、早口でまくし立てた。彼の顔には、久しく忘れていた、純粋な知的な喜びが浮かんでいた。それは、地球で、誰も理解してくれない数式とコードに没頭していた頃の、あの孤独な熱狂とは異なる、リアーナという理解者がいることによる、温かい喜びだった。


その日の練習は、深夜まで続いた。二人は、疲労も忘れ、この世界の「理」の深淵へと、さらに深く分け入っていった。


一方、王城の公式訓練場では、桐谷隼人たちが連日、派手な魔法を放ち、周囲の騎士たちの喝采を浴びていた。彼らは、リスタルニア王国の国王エドワード・アークス・リスタルニア、第一王子レオンハルト・アークス・リスタルニア、そして騎士団長アルドリック・ヴァルデオンの期待を一身に背負っていた。


「ハハハ!どうだ!この圧倒的な力が、真の勇者の証しだ!魔王など、この俺の炎で一瞬にして灰にしてやるぜ!」


桐谷は高らかに笑い、巨大な火炎球を宙に放った。その炎は訓練用の岩を瞬く間に蒸発させ、周囲の騎士たちから「おおーっ!素晴らしい!」という感嘆の声が上がる。彼の顔には、地球でのいじめの時以上に傲慢な笑みが浮かんでいた。自分こそが「選ばれた存在」だという強烈な選民思想が、彼の中で肥大化していく。


佐々木健太は、桐谷の隣で冷笑を浮かべ、水流の渦で訓練用のダミーを吹き飛ばした。 「せいぜい頑張れよ、隼人。俺の水の壁があれば、お前は無敵だ。無駄な労力は使わないのが賢いやり方ってものだよ」 彼の魔法は、直接的な破壊力よりも、敵の行動を制限したり、味方を支援したりするのに優れており、その狡賢い性格を如実に表していた。


田中勇一は、風の刃を連続で放ち、訓練用の標的を寸断していく。その一撃一撃は荒々しく、力任せだった。 「へへっ、どうだ!俺の風は、どんな奴も切り裂くぜ!文句ある奴はかかってこいってんだ!」


山田太郎は、分厚い土壁を瞬時に作り出し、桐谷の炎から他のダミーを守っていた。彼の魔法は防御に特化しており、その堅牢さは騎士たちも目を見張るほどだった。 「これなら…どんな攻撃も防げる…」 おどおどしながらも、自分の役割を全うしようとする。しかし、彼の心には、未だに故郷への郷愁と、この世界の「勇者」としての重圧に怯える気持ちが燻っていた。


彼らは、騎士団長アルドリックから直接指導を受け、最高の魔石と訓練施設を与えられていた。彼らにとって、強さとは目に見える力であり、派手な魔法こそが「勇者」の証だった。そして、彼らがこの世界を救う唯一の存在だと、固く信じ込んでいた。彼らの間には、すでに「この世界は自分たちが救うのだ」という強烈な選民思想が芽生え始めていた。伊助のような「適性なし」の存在は、彼らの視界にすら入らない。


騎士団長アルドリックは、桐谷たちの成長に目を細めていた。彼の経験からしても、これほど短期間で魔力を開花させた者は稀有だ。彼らは、まさに魔王討伐の切り札となるだろう。 (彼らこそが、我が王国を、この窮地から救い出す真の希望…) 伊助の存在など、彼の思考の片隅にもない。彼にとって、戦力にならない者は、雑用をこなすだけの存在でしかなかった。それが、彼の冷徹な現実主義だった。彼自身の娘であるリアーナが、伊助という「役立たず」に固執していることについても、王女の気まぐれか、あるいは自身の「落ちこぼれ」としての境遇を慰め合っているに過ぎない、と考えていた。


第一王子レオンハルトもまた、桐谷たちの訓練を見学し、その成長に期待を寄せていた。彼もまた、騎士団長同様、伝統と実績を重んじる現実主義者だ。 「勇者隼人たちの成長は目覚ましい。これほどの力があれば、魔王も恐れるに足りないだろう」 彼の言葉には、揺るぎない自信が満ちていた。伊助の「適性なし」という評価は、彼の中で完全に確定しており、その存在は王国の資源を無駄に消費するだけの、取るに足らないものと見なされていた。


王妃セレスティアは、公式訓練場から少し離れた回廊から、勇者たちの訓練を静かに見守っていた。彼女の顔には、慈悲深い微笑みが浮かんでいるが、その瞳の奥には、どこか憂いの色が混じっていた。桐谷たちの派手な力は、確かに国を救う希望かもしれない。しかし、彼女の直感は、彼らの傲慢さや、その力に潜む危うさを感じ取っていた。 (あの子たち…確かに素晴らしい力を持つ。だが、本当にこの世界の『理』を理解しているのだろうか…) 彼女の目は、時折、裏手の古い訓練場の方へと向けられる。リアーナが伊助と共に何をしているのか、正確には知らないが、娘が何か特別なものを見出したことだけは、彼女にはわかっていた。


第二王女ルナリアは、訓練場の一角で、桐谷たちが放つ炎の魔法に目を輝かせていた。 「隼人様の炎、本当にすごいわ!私ももっと大きな火球を放ってみたい!」 彼女自身も炎の魔法に適性を持つため、桐谷の魔法には強い憧れを抱いていた。伊助のことは、漠然と「おとなしくて変な奴」くらいの認識で、特に気に留めていなかった。彼女の好奇心は、常に目に見える「強いもの」「派手なもの」へと向かっていた。


数週間が経ち、伊助とリアーナの共同研究は、目覚ましい成果を上げ始めていた。伊助は、リアーナの感知能力を頼りに、この世界の魔力の流れが持つ「周波数」の解析をさらに深め、特定の元素の「固有振動数」を魔力で再現する「プログラム」を構築した。


その日の課題は、「石から鉄を精製する」ことだった。この世界の錬金術師にとって、これは非常に高度で危険な作業であり、大規模な魔法陣と膨大な魔力を必要とする。しかし、伊助は、その「理」を地球の化学と物理学で解き明かそうとしていた。


「リアーナ王女。これから、この石に含まれる鉄分の分子結合に、魔力で特定の周波数を与えます。理論上は、他の元素との結合を切り離し、鉄の単体を効率的に抽出できるはずです」


伊助は、訓練場の石畳に小さな石を置き、その上からビニール傘の先端をかざした。彼の脳内ディスプレイには、石を構成するケイ素、酸素、アルミニウム、そして微量の鉄の分子構造が立体的に表示されている。彼は、その中から鉄の結合だけを抽出し、他の結合を切断するための、最適な魔力の「周波数」と「波形」を計算していた。


「分かったわ、伊助。私が『歪み』を感知したら、すぐに伝えるわね。この世界では、そんなこと、誰も考えつかなかったわ…」


リアーナは、息を詰めて伊助の作業を見守った。彼女の瞳は、純粋な期待と、そして微かな緊張で輝いていた。彼女は、伊助が持つ知性が、この世界の常識をいかに凌駕しているかを、間近で見てきた。だからこそ、その成果が、この世界にどんな影響を与えるのか、ワクワクせずにはいられなかった。


伊助が傘から魔力を流し始める。微細な、しかし確かな魔力の振動が、石へと伝わっていく。石の表面が、ごく僅かに震え始めた。伊助の脳内ディスプレイには、石の分子構造が解体され、鉄の分子が集合し始める様子が、リアルタイムで表示される。


「…!伊助!今よ!『歪み』が、一気に収束したわ!完璧よ!」


リアーナが、興奮した声で叫んだ。彼女の感覚が、魔力の流れが極限まで効率化され、無駄なエネルギーの消費が一切なくなったことを告げていた。


伊助が傘を引くと、石は瞬時に分解され、その場には、純粋な、きらきらと輝く鉄の砂が残されていた。その量は、元の石の体積からすればわずかだが、不純物を含まない、完全な鉄の単体だった。


「成功だ…!これなら、錬金術の概念を根本から変えられます…!『理』を理解すれば、魔力消費を最小限に抑え、任意の物質を精製できる…!これは、この世界の科学を、一気に飛躍させられる可能性を秘めている…!」


伊助は、その鉄の砂を手のひらに乗せ、夕日を浴びて輝くそれを見つめた。彼の顔には、この異世界に来て以来、初めてと言えるほどの、満面の笑顔が浮かんでいた。地球では誰にも理解されなかった彼の知性が、この異世界で、確かな「力」として結実した瞬間だった。それは、彼の「役立たず」という自己認識を打ち破る、初めての成功体験だった。


リアーナは、その笑顔を見て、胸の奥が温かくなるのを感じた。彼の喜びが、そのまま自分の喜びになる。彼女は、彼がどれほどこの瞬間に到達するのを求めていたかを知っていた。


(伊助…あなたは、本当にすごいわ。きっと、あなたなら…この世界を、本当に変えられる…)


彼女の心の中で、伊助の存在が、単なる「落ちこぼれ仲間」から、もっと複雑で、失いたくない「特別な人」へと変化していくのが分かった。そして、彼の瞳の奥に隠された、遥という少女への想いを、彼女はまだ知る由もなかった。


伊助の、異世界での本格的な「デバッグ」作業は、今、始まったばかりだった。彼の進む道は、王国の常識を揺るがし、新たな敵を呼び覚ますことになるだろう。

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