9 好み
合図を受けて、従者は恭しくトレーに乗せた箱を持ってきて、テーブルに置いてからそっと開き、そしてレベッカの方へと向けた。
「とりあえず、二人の出会いを記念する指輪を作ったから、指輪の一つも贈ることが出来ない男になるわけにはいかないからね。結婚式の日取りについても積極的に話し合おう、いくつかプランをすでに用意してあるからまず書類を━━━━」
そうしてまた彼の言葉に別の従者がすぐに反応し、封筒に入った書類をテーブルの上にそっと置く。
説明を始めようとしたその時、レベッカはずっと我慢していたけれども、小さく吐息を漏らして、止めていた息を吐きだすように笑った。
笑っては悪いと思っていてもあまりに度が過ぎていて、けれども誠心誠意という思いが伝わってきて嬉しい気持ちもある。
「っ、ふ、ふふふっ、ははは」
「……」
「ふっ、うぅ、っダメね、うふふっ」
普段、こんなに大きな声で笑わないので自然と涙がこぼれてきてレベッカは目じりを押さえて指で拭う。
その様子を見ていたフォルクハルトは、驚きの表情を浮かべていて、レベッカの心情があまり理解できていない様子だった。
けれどもなにかやらかしたという自覚はあるらしく次第に顔を青くさせていく。
その様子にレベッカはそんなフォルクハルトが不憫で、そのまま笑みを浮かべて彼に言った。
「ごめんなさい、びっくりして……それから、あんまり性急な話だったけれど嬉しいのもあるのよ」
「……ご、ごめんね、えっとつまり?」
つまりどういうことかと、問いかけてくるフォルクハルトに、レベッカは少し考えて返す。
「……多分、私と同世代の子の女性経験豊富な男性像とはまったくかけ離れている……と思うわ」
「え?」
「指輪は重たいと思われがちね、それに結婚を急ぐこともあまりないと思う。それよりもどこかフワフワしている? というか……」
基本的に女性経験豊富で、魅力的な同世代の男性というのはどこかのらりくらりとしていて、そしてミステリアスでともかく彼の言ったようなことは滅多なことがない限りしないタイプだ。
まぁ、そういう男性が結婚に向いているかと言われたら、向かないと思う。
そういう遊びを知っている男性は、責任を負うということを嫌うことも多いのだ。
……丁度ローベルトがその象徴のような男の人だったわけだけれど、いまさら考えてみると私も妊娠してから捨てられる可能性もあったのよね。恐ろしいわ。
「それはいいことではないように映るかもしれないけれど、それがなんだか魅力的に思ってしまえる年頃なのよ。よくわからないけれど、ミステリアスなところがかっこいいとか、常に優しいよりも、たまに見せる優しさがいいのだとか」
「……あ、ああ、なるほどたしかに、言われてみれば……たしかに」
「きちんと経験のある男性だと取り繕うためにと言っていたのにまったく想像と違って……だから、突飛に感じて驚いて、笑ってごめんなさいね」
「いや、いやいやまったく、自分が悪いよ。人から話を聞いただけで知った気になっていた自分が問題だった」
レベッカの言葉を正しく理解して項垂れるフォルクハルトは、自分の非を認めてそれからきつく目をつむってから、開き、顔の前に手を持ってきて隠すようにしながら言った。
「ああ、ごめん。……ダメだ、いまさら自分が痛々しくて、穴があったら入りたい。なんだか今更たしかにすごい重いって言われてみればそうだよね。なんていうか言い訳をすると職場にいる同僚に話をね、聞いたんだよ」
「はい」
「人に紹介しても大丈夫だって思ってもらえるぐらい、結婚するのにいい男として、なにをするべきか」
「はい」
「そうしたら、このぐらいはマストだって堂々というから、それに周りの友人もそんなものだろうって」
顔を真っ赤にしながら言い訳をする彼に、なんだかその姿が容易に想像ができて、レベッカは雰囲気の良い職場なのだろうなと想像ができて楽しい。
そして同僚というからにはきっと、フォルクハルトと同世代の女の人に助言を乞うたのだろう。
そのぐらいの歳の女性で結婚というと、正直ギリギリできるかできないかという状況になる。
だからこそ、すぐに指輪を用意して、それから結婚の準備をと望んでくれる人ならば周りに紹介しても恥ずかしくない相手になるのだろうと思う。
「いや、これもよくないな。人のせいにするのは情けないっ」
顔をあげてフォルクハルトはレベッカのことを見た、けれども次第に目が細くなって最終的にはつむってしまう。
「だとしても、ああ、もう顔も見れらない」
「ふふっ」
そんなパニックになっている様子のフォルクハルトにレベッカはこういう面白い部分のある、何事にも前向きな人なのだなと改めて思う。
そう思うと、目の前にいる彼の好意はとてもうれしいもので、そっとケースから指輪をとって、揃いのダイヤがついているそれを右手につけた。
婚約者として指輪をもらうことは、若くてちやほやされている令嬢は、つけろと婚約者がいるのだとアピールしろと言われて縛られているみたいでいやだという子もいるけれど、レベッカはそうは思わない。
「ごめん、今までの会話とか無かったことにしてどうにか仕切り直すことって可能かな?」
最終的な結論にいたって問いかけてくる彼に、レベッカは言った。
「それよりもフォルクハルトさん。笑ってしまったけれどそれでも気持ちは……私を思ってしてくれたことはちゃんと伝わってきたわ」
レベッカは丁寧に、低くて優しい声で言った。
彼が処理できないほどに羞恥心を感じていてやり直したいとせつに望むというのなら忘れることもやぶさかではないけれど、そうやって失敗したり成功したり、いろいろな思い出が蓄積されて絆になるのではないだろうか。
「嬉しいって思った気持ちを私は無かったことにしたくはないのよ。それに今失敗したのだから覚えておけば次の成功の糧になるでしょう?」
「……ぐうの音も出ないよ」
「ふふっ、それに同世代の経験豊富な男性でも、フォルクハルトさんと同じ年ごろの経験豊富な良い男性でも私はあまり気にならないわ。むしろ興味はないぐらい」
フォルクハルトはレベッカのために頑張ってくれたが、そもそもその方向性が間違っているのだ。
レベッカは他人の評価によって人を好ましく思うことはあまり多くない。
だから、人が良いと思う結婚相手になろうというのがそもそもの間違いだ。
「じゃあ、どういう人をレベッカさんは良いと思うか、聞いてもいい?」
「……こういう、失敗も成功も知っているような、たくさんの交流を持った人、よく知っている人を好きになる……と言うのは当たり前のことかもしれないけれど、人がどう思うかよりも私はそれを大切にしたいわ」
レベッカはお願いをするような気持ちで彼にそういった。
すると、フォルクハルトは当たり前のように納得して、それからやっぱりがっくりと項垂れた。
「そうだよね。一足飛びにあなたに気に入られる方法なんて都合のいいものがあるわけないってことか」
レベッカの厄介なすぐには実践できない好みに対して、当たり前のように受け入れてくれる彼に、じわっと心が温かくなって、すでに少しばかり好意を抱いていることは内緒なのだった。