47 また今度
レベッカは、ゆっくりけれども確実にひと針ひと針丁寧に針を進めていく。きっちり正確に、図案の通りに進んでいくそれはもうすぐ完成に近い。
一方、テーブルの対面する位置で彫刻刀をもって静かに木彫りを作っている彼は、初めにイメージしていた形とは少し違った完成形に向かっている様子で、レベッカはその様子が気になって手を止める。
普通途中で完成形を変えたりしたらきっとバランスが悪くなったりなにか不具合が起こると思うのだが、そんなこともなく鶏のそばにコロコロとしたひよこが増えていく。
「…………」
どちらかと言えば、自分の寸分狂わないありふれた図案の刺繍よりも彼のつくりだす木彫りの方が見ていて面白くて、レベッカは刺繍を置いて、肘をついて眺める。
事の発端は、レベッカが爵位継承を早めに行うという話になったことからだった。
結婚して数ヶ月、彼も家に入って落ち着き、支えてくれるジークフリートやアンネリーゼもいる。
フォルクハルトの仕事ぶりも父のお眼鏡にかなった様子で、ならばさっさと世代交代をして楽をしたいと父が言いだした。
せっかくゆったりと今後の人生についてフォルクハルトと話をしつつ決めていけばいいと思っていたのに、急に予定を早められたものだからレベッカは困った。
しかしどうせ継承するなら父の元気なうちにとジークフリートも言う。
そういうわけで、ゆったりとした生活とは真逆に忙しくすることになったのだが、どうしてもそうなると彼との時間を持つことが少なくなってしまう。
そのことにレベッカはあの時のローベルトとの問題が再発しないようにと案を打ち出した。
それはフォルクハルトが忙しい時に彼の木彫りを見て思いだし、信じることが出来たように、レベッカも彼に想いのこもったなにかを送るのがいいのではないかという仮説の元、刺繍を作成することにした。
フォルクハルトに使ってもらうための図案を選びハンカチに施している。
そしてお互いに、そうしてなにかを制作する時間があるのならば共に話をしながら作ればいいのではという結論になり隙を見てレベッカとフォルクハルトは一つの机で向かい合っていた。
いよいよ一枚目の刺繍が完成するというころだったのだが、一度目を奪われてしまうと真剣なフォルクハルトの顔つきにも目が行って、見ていて飽きない。
できていく木彫りもとても可愛くて思わず表情がほころんだ。
「……」
「……ああ、そう言えば聞いた? レベッカさん」
彼はレベッカがじっと見ていることなど気がつかずに、作業を進めながら問いかける。
「なにをかしら」
「ジークをしばらく本邸の方で見ないと思ったら、アンネリーゼさんが体調を崩しているみたい」
「そうなのね。知らなかったわ。看病でつきっきりなんて相変わらずお兄さまはアンネリーゼが大好きね」
たしかに彼ら二人ともここ最近会っていない。特にこちら側に来る用事がなかっただけかと思っていたが体調を崩しているとは知らなかった。
しかしアンネリーゼにはジークフリートが付いているから大丈夫だろう。
兄は兄らしく面倒見もいいし、なによりアンネリーゼのことが大好きだ。
むしろ、遠隔でも惚気られているような気になって、レベッカはまた胸焼けしそうになった。
「そうだね。そばにいるときは大体、大好きだって顔に書いてあるようなものだしね」
「ええ、そうよ。だらしのない顔をしているわ」
フォルクハルトの言葉に同意してレベッカは、もう少しどうにかならないのかと思う。
嫌というわけではないのだが、あんまりあの二人を見ているとどうにもレベッカたちの距離感が遅れているような気がしてならない。しかし実際はそれほど距離があるのではなく普通である。
あの二人が特別仲が良すぎるのだ。
「……ああ、でも俺もアンネリーゼさんのことを好くジークの気持ちはわかるな」
「それは私もわかるのよ。アンネリーゼはとてもいい子だもの。むしろ夫がお兄さまじゃなかったら私、いろいろな心配をしていたと思う」
「たしかに純粋そうだし、利発だけれどまっすぐすぎるところがあるみたいだから心配もあるよね」
フォルクハルトは手を動かしながらも笑ってそう言った。フォルクハルトはあまりアンネリーゼと深くかかわっていないと思うのだが、その彼女を表す言葉には深く同意できた。
まっすぐで利発だけれども少し心配で、ついつい声をかけたくなる、可愛い人だ。
「ただ、ジークの好みもわかりやすいよね、大切にしたい子には飛び切り甘い顔をしているから」
「……好み?」
フォルクハルトが続けて言った言葉に、レベッカはそのままうんうんと頷くことはできずに、聞き返した。
ジークフリートがアンネリーゼほど愛した人などレベッカは知らないし、一人だけしかいないのだから好みなど割り出せるものではないと思う。
それかもしくは友人であるフォルクハルトにだけ妹のレベッカにも秘密にして様々な色恋沙汰を起こしていたというのだろうか。
首をかしげると、同時にフォルクハルトも顔をあげる。
一つのテーブルで作業をするために前のめりになっていたので至近距離で目が合う。
「そう、頑張り屋な子が好きなんじゃないかな。あなたもアンネリーゼさんも自分から見るとそうなんだけど」
「……あ、そ、そんなにお兄さまは私に甘い顔をしている?」
「ウン、それなりに」
「…………むず痒いわね」
平然と返されて、まさかの答えにレベッカは首を傾げつつも自分にもそんなだったかと必死に思いだした。
たしかに喧嘩もしたことがないような仲のいい兄妹だしジークフリートはレベッカに甘い。
けれどもフォルクハルトから見てそれほどわかりやすく映っていたとは、なんだかどういう顔をしたらいいのかわからなくなる。
なので頬を支えていた手を移動して口元を隠した。
「いいことだよ。兄妹仲がいいのって、俺も見ていて微笑ましいし」
フォローするような彼の言葉に、そういえばいつだかもそんなことを言っていたと思う。
しかしそれを初めて聞いた時とは違って、ただのフォローではなく真にそう思っているのだと今のレベッカなら理解することが出来る。
だからこそ強がる必要もないし、普通に受け入れてもよかったのだが、レベッカは少し心配に思っていることが思い浮かんで丁度いいので口にした。
「……たしかにそうね。私はお兄さまに愛されているとも思うし、別に悪いことじゃないわ。……ただ、それってどうなのかと思う時もあるのよ」
「どうって?」
「お兄さまって私とアンネリーゼの両方にそうでしょう、優しくて甘い顔をして……頭をなでたり、抱擁したり」
「ウン」
「そこに差異はちゃんとあるのかしら。アンネリーゼの方は意識しているように見えるけれど、お兄さまは特段意識していないような気がするわ」
優しくて、とても性格のいい人ではあるのだが、実のところジークフリートはあまり深く物事を考えない性格だ。
だからこそ、少しばかり心配だ。レベッカとアンネリーゼの扱いが同じということは、レベッカが妹の域を超えて可愛がられているということではない。
アンネリーゼも大切な妹のようにかわいがっているというだけなのである。
それ以上に、愛情をもって男女として寄り添うつもりがあるのかないのか。
アンネリーゼも兄のように慕ってお互いに尊重し合う夫婦の形だというのならいいのだがそうという訳ではなさそうだ。
「アンネリーゼは男の人としてお兄さまを見ているでしょう? 私だって兄はいるけれど同じ年ごろの男性であるフォルクハルトさんを兄のように慕ってとはいかないもの」
「そう言われると、たしかにアンネリーゼさんも妹みたいに可愛がられているね」
「そうなのよ。それは今後どう変わっていくのかしら」
「…………」
ふと疑問に思った簡単な話題のつもりだったが案外、彼らにとっては障壁になったりしてと想像したりする。
しかし兄のことだ。その時になったらなんとなく切り替えるだろうとも思う。
……気にしても私にはあまり意味がないことね。
そう納得して、さてそろそろ刺繍の続きをと考える。
するとフォルクハルトが言った。
「難しい話だけれど、問題があったら話を聞けばいいよ。すぐ近くにいるんだし」
「ええ」
「でも、俺は少し実は……レベッカさん。少しだけなんだけれど気軽に接するジークを見ていてうらやましく思う時がある」
木彫りの人形が置かれて、軽く木くずをまとめてそれからフォルクハルトは少し真剣に言った。
その声音に、レベッカはなんだか緊張感を覚えたけれど、すぐに返答が思い浮かんで口をついて出る。
「うらやましいだなんて思わずに、気軽でも良いのよ」
「いいや。……どうあっても……レベッカさん、俺があなたに触れる時にはそんなキレイな感情だけじゃないから、気軽にとはいかなくて」
「……」
「意味は分かってもらえるかな」
少し笑みを浮かべていうフォルクハルトにレベッカは、なんだか鼓動が早くなってしまう。
緊張から少し逃げ出したくなってしまうようなそんな心地がする。
けれども、同時に踏み出したらどうなるのだろうという好奇心もある。
……今よりもっとずっと、あなたを知ることが出来る?
心の中だけで問いかけて、視線をそらさずにレベッカは返した。
「……わかるわよ。子供じゃないもの」
それから手と手を合わせて指先を組んで続けて言った。
「私はあなたのこと、お兄さまとは違う意味で好きなのだもの」
言って目を細める。少し顔が熱い気がするけれど、それすら心地がいいような気がして大人の女性らしく魅力的に見えているかと考えた。
フォルクハルトはレベッカの答えを聞いて、それから顔を隠すように手を持ってきて少し赤くなる。
「じゃ、じゃあ今度、いろいろとこ、心の整理をつけてあなたのところに伺うから、そのつもりで」
「あら、今度?」
「こ、今度。レベッカさんがどう思っているかきちんと知ることが出来たしっ、今度ね」
肝心な部分で一歩引いたフォルクハルトにレベッカは揶揄うように問いかけた。
慌てて言い訳をするその様子にレベッカは、愛おしくなってテーブルから乗り出してフォルクハルトの頬に手を添える。
それから、優しくキスをした。
「ん……そうね、待ってるわよ。それにいつでもいいものね、急がなくてもあなたは逃げないし」
「そ、そうだよ。むしろゆっくり過ぎる方がいい。きっとその方が……一歩一歩近づいた、大切な思い出になるだろうから」
フォルクハルトは心底、愛おしげに目を細めてそう口にする。
そのあまりにロマンチックなセリフにレベッカは少し照れてしまう。けれどもとてもいい言葉だ。
初めてであった時はただのいい人でそれ以上の魅力などないと思っていたのに、今ではずっと印象が違って、どこから彼を見ても魅力的に見えて困ってしまう。
知れば知るほど好きになって、もっと知りたい、けれども大切にもしたい。
ゆっくりと一つ一つ、知って愛していく、向き合ってくれる彼だからこそできることだ。
「ええ、素敵なことを言うわね、フォルクハルトさん」
だからレベッカは深く頷いて今度を楽しみにすることにした。また一歩踏み込んだら今度はどんな彼を知ることが出来るだろうかと心が躍るのだった。
最後まで読んでいただきありがとうございます。
評価やブックマークなどで応援していただけると喜びます。




