41 鐘の音
ヴィルヘルムの私室へと入ると、彼は先日とは違ってすぐにレベッカの方を見た。それからアンネリーゼを見やる。
「ヴィルヘルム国王陛下、ごきげんよう。こちらは元ビュッセル子爵家のアンネリーゼ、私の義姉に当たる方です」
「ご、ごきげんよう! 陛下っ」
アンネリーゼはぎこちなくも淑女礼をして、淑やかな笑みを浮かべる。
詳細な時間を決めるために送った手紙では宝物のことまで書いてはいなかったがビュッセルという名を聞いただけで、ヴィルヘルムは深く頷いて優しい顔をした。
「……よく来てくれた」
以前に会った時よりも随分と回復している様子で、父が言っていた言葉を思いだした。
レベッカのやっていることは徒労に終わるかもしれないと、しかしそれでもかまわずレベッカたちは粛々と準備をした。
彼の前のローテーブルにエルゼが持ってきた木箱から”天啓の鐘”を取り出す。
それはスズランのように地を向いて咲くチューリップのような形をしていて、細かな装飾が施されている。
ガラスのドームに覆われて外からの要因では音はならない。木の台座の魔石が魔力を込めるためのもので念じながら魔力を込めれば天啓を得られる。
「これならば……そうか、ああ、そうか」
説明をせずとも貴族の知識は頭にあるのだろう。その宝物のことも。
これは天啓という通りに神の啓示を得られる宝物だ。つまりはそれが動くだけで神はいるということを信じることができる。
ほんの少しの些細な鐘の音だ、けれどもたしかに神の鳴らす音色だ。はるか昔から守られてきたたった一つの替えの聞かない宝物。
兄からの話を聞いて、フォルクハルトからどういう物かを聞いてレベッカはその存在を知ってはいたのにやっと利用するという答えに至った。
長年ただ守られているだけだと思っていた宝物たちは、今でもその守り手の貴族を象徴するものとしてしか価値がないという長年の思い込みがある。
けれども、そう言った概念を取り払ってみれば今のヴィルヘルムにぴったりで、彼が問いかけるのにこれ以上のものはないと思える。
だからこそ納得したように言うヴィルヘルムにレベッカはそっと肩に手を添えて、安心してほしいと示した。
「レベッカ……今、わしはやっと理解が及んだ気がする。こんな日の為に其方らはいて、それをようやっと気がつけた。わしらはわしらで、王笏を豊穣をもたらすために守ってきた」
「はい」
「それはわしらだけが特別で、孤高の存在だったからではないのだ、ただ人の助けとなるために与えられただけじゃ、そして其方らもまたわしらを支える使命と絆があったのじゃな」
アンネリーゼがこの為にあるのかもしれないといった言葉と同じことをヴィルヘルムは考えているのかもしれない。
神からの天啓を受けるためだけの使い道の分からない代物は守ったとしても意味などないのかもしれないと多くの人が一度は考える。
けれども立った一筋の兆しにはなることが出来る。そんな力を持ったものがこの国にはたくさんあって、誰も欠けなくていいようにヴィルヘルムは豊穣を与えそして手を差し伸べて守ってきた。
それが今返ってきただけだ。与えてきたものが彼の助けになって返ってきた。
元からきちんとあったのだ。彼のやってきたことは間違っていなくて、それを示せるものは初めからあった。
だから後は正しく伝えて、必要な助けを与えられるだけの対話をすること、それだけだった。
「多くが敵に見えて仕方がなかった。しかし、その思いも吐き出せば思わぬところで救われる、理解されることもある。何も言わずに怯えてばかりいたわしが情けない。レベッカよ」
ヴィルヘルムはレベッカのことを呼びながら、魔石に手を置いて静かに撫でた。
すると少し間を置いて、チリンと、とても美しい音色が鳴った。
「……ああ、そこに、身近に見守ってくださっていたのだな」
感嘆する声をもらし、ヴィルヘルムは眩しそうに天啓の鐘を見つめる。
それから顔をあげていう。
「心から感謝しよう、レベッカよ。わしに結ばれた古いつながりを見つけ出してくれて。たった一人孤独にさいなまれ、多くを拒絶した情けのない姿を忘れておくれ」
「ふふっ、はい。承知しました」
おどけて言った彼に、レベッカも優しい笑みを返す。それからヴィルヘルムはアンネリーゼにも目線を向けた。
「其方も、礼を言おう。わしを想いこの場に宝物を用意したこと、とても感謝している」
ヴィルヘルムにそう言われ、アンネリーゼは目を丸くする。それから嬉しさからか焦っているのか赤くなって、ぐっと目をつむって彼女は言った。
「め、滅相もございません! わたくしは、わたくしはッ、とてもヴィルヘルム国王陛下にとても感謝しているのです!」
「……感謝か」
「はいっ、領地が傾き大変な時に手を差し伸べてくださいました、ですから、ほんの少しでも手助けをできたのなら嬉しいのです!」
目をつむったまま言うアンネリーゼにヴィルヘルムは少し眉間にしわを寄せて、苦々しい笑みを見せた。
「じゃが、エレノアとの衝突を起す原因となったのはわしだ。それでも感謝を?」
「はいッ、仕方のないことだったと存じています! それでも、自身が大変な時にも手を差し伸べてくださったそのお心にわたくしはただ感謝したいのです! ヴィルヘルム国王陛下!」
アンネリーゼの言葉はただまっすぐで、ヴィルヘルムも少し驚いている様子だった。
けれどもすぐに「そうか」と静かに言った。
それから彼は、好々爺然としてお茶とお菓子をごちそうすると言い、レベッカとアンネリーゼをもてなした。
とてもあっさりとしていたし、必要だと思っていたたくさんの言葉もいらなかった。
きっとレベッカではなく他の要因でヴィルヘルムは普通に戻ることが出来たのだろうと思う。
しかし無駄だったとは思わない。
手段も人とのつながりも多い方がいいのだ。またいつか同じ過ちを繰り返さないように、手を尽くしていけばいいとレベッカは思ったのだった。




