40 助け
「通してください、今はそんな暇はないのよ!」
「っ、下手に出てればつけあがりやがって…………」
困惑しながらもきっぱりと断るとヴァレンティーンがつぶやくような声で言い、その忌々しげな声が恐ろしかったのかアンネリーゼがぱっと飛び出してぱたぱたと去っていく。
高いヒールを履いていつつも案外、アンネリーゼの足は速くあっという間に遠くまで進んでいく。
……っ。
「ハッ、随分臆病な女だな……いいから来い。こんな最後で邪魔されてたまるか」
「邪魔? なんの邪魔だというの?」
「まったくだ、なに、明日になれば済む話……健気に尽くすのは女の美徳と言えるが、尽くす相手は選ぶべきだな」
無遠慮に腕を掴まれ、レベッカは出来るだけ大きな声で問いかけた。
しかし、周りに偶然居合わせた貴族や兵士たちは手を出してくることはない。
ほんの一時、あくまで面会を邪魔するためにこうしている訳ではないと示しているレーゼル公爵たちに身分の低い彼らが文句をつけることは難しい。
せめて、きっぱり国王陛下との面談など自分たちよりも優先されるべきではないと口にしてくれれば権威を否定したとして捕らえることもできるはずだ。
今のままでは揉めてはいても王宮の秩序を乱すような暴力などがあるわけではない。助けを得られる当てはない
「ほら、歩け。所詮は女なんだ、わきまえろ!」
「っ、いいえ、動かないわ。こんな強引をして、面会の邪魔をするなんて、ただでは、済まされない」
腕を引かれても、レベッカはかかとに重心を乗せて、ぐっと腕を引いた。
しかし、男女の力の差は歴然としていてとても叶わない。
ずっと引きずられて、どうして今日この日なのかと腹立たしく思う。
せっかく、兆しが見えたというのに、今日邪魔されてはヴィルヘルムはきっと誰にも心を開けなくなってしまう。
だからこそ、邪魔をされたからといっても従う選択肢などレベッカの中にはなかった。
そんなレベッカの抵抗にしびれを切らして、ヴァレンティーンは鼻で笑ってレベッカにぐっと顔を近づけた。
「ただでは済まされない? お前の方こそ、俺に従わなかったことを後悔することになるぞ、なんせ今の王権は━━━━」
ヴァレンティーンは決め台詞のように瞳をきらりと輝かせて、ハンサムになにかを言おうとしていた。
しかしその声は途中でさえぎられて「レベッカ様ッ!!!」というアンネリーゼの怒鳴り声がエントランスホール内に響き渡る。
あまりの声量にヴァレンティーンも弾かれたように彼女の方を見て、レベッカのことを掴んでいた手が緩む。
……っ、今ならっ。
ぐっと腕を引いて、レベッカは身を翻してアンネリーゼの元へと走り出した。きっと危険を察知してグレーテを探し出してきてくれたのだろう。
グレーテならば、兵士を動かして警告をしてくれるはずだと考えた。
彼らは言葉を選んでレベッカに一時の時間をくれればいいと言っていたが、それは明確に国王陛下との面会を重視していないと発言しているわけではなかった。
しかしヴィルヘルムの側近であるグレーテが、その行為は反逆罪である可能性もあると言ってくれれば状況も変わってくる。
なんとかなりそうかと視線を向けると同時に、前を見ずに駆けだしたので目の前に人が迫っていることに気が付いていなかった。
「っ、きゃっ」
止まることもできずにそのまま小さく悲鳴を上げてぶつかる。けれどもそのまま抱き留められて驚く。
嗅いだことのある香水の香りがして、すぐに見上げると杖を向けてレベッカの背後を睨みつけているフォルクハルトの姿があった。
「!」
「……まさか、本当にこんな安直なことをするとは」
ぐっと肩を抱かれて、レベッカはその胸の中ですくみ上って驚きを処理できないでいた。
……どうしてこの場に? それに事情を把握しているみたい……。
「ヴィルヘルム国王陛下の大切なお客様にどういう了見でしょうか」
「……」
「レーゼル公爵閣下このことはきちんと陛下にお伝えさせていただきます」
「……お前、何故そちら側にいる」
グレーテがアンネリーゼとともに到着し、兵士を呼び寄せ忠告をする。しかしレーゼル公爵が見ているのは、フォルクハルトだけであり、その声には怒りがにじんでいた。
酷く睨みつけられてレベッカはその形相にぞっとした。
しかしそんな今にも怒鳴りだしそうなレーゼル公爵にもフォルクハルトは物おじせずに見つめ返す。
「目的の日が近く、万が一にも回復されては困ると考えたのでしょうが、まさかレベッカさんに対して物理的に手を出すとは、ライゼンハイマー公爵閣下が同行していたらどうするつもりだったのでしょうか」
「私の質問に答えろ! フォルクハルト! その娘は厄介だ」
「それでも強引に、目的を果たすつもりだったのかもしれませんが。いないことは行幸だと思ったのでしょう。父上、今の状況は本当に、あなたにとって幸運なものだと思いますか」
「なんだと?」
レーゼル公爵の言葉を聞かずに、フォルクハルトは冷たい声で続けた。
取り乱している周りの貴族たちはざわりとして、注目が集まる。
レベッカも含め、グレーテもアンネリーゼも今の状態をわかっていない。
しかしフォルクハルトの言葉を受けて、しばらく考えた後にレーゼル公爵はハッとなにかに気が付いた。
「……お前、やりおったな」
「は? 父上、何を言っているんだ? おい、フォルクハルト遊びはそのくらいに━━━━」
「すぐに屋敷に戻るぞ! クソッ、ふざけるな、クソォ!」
ヴァレンティーンの言葉などまったく無視して歩き出すレーゼル公爵は、焦った様子で足を動かす。でっぷりとした腹を揺らして必死にかけていく。
額には汗が浮かんで、後ろにはヴァレンティーンが続く。
去っていく彼らをレベッカはよくわからないまま見つめて、フォルクハルトから手を離されて、やっと彼と向き合うことが出来た。
先ほどの言葉はどういう意味の言葉でレベッカの知らないところで何が起こっているのか、様々聞きたいことがある。
しかし、しゃがんですぐにレベッカのことをのぞき込みフォルクハルトは震える声で言った。
「大丈夫だった? ……ごめん、もうバレたってかまわないからこうなる前に守ろうと、思っていたのに」
「だ、大丈夫よ、怪我はしていないし。アンネリーゼが、あなた達を呼びに行ってくれたから」
言葉を返しつつもレベッカはアンネリーゼを視線で探して目を合わせた。すると彼女は自分の名前を呼ばれて「はいっ」と元気に返事をした。
「でも、怖かっただろ。本当に間に合わなくて申し訳ないよ」
「気にしなくていいわ、それより……」
どういう事情なのか話を聞こうと考える。けれどもアンネリーゼがエルゼの元へと戻り宝物を確認しているところを見て、時間がないことを思い出す。
「それより、私は私のできることをやらなければ、行ってくるわ。フォルクハルトさん、まだよくわかっていないけれど戻ったら沢山話をしましょう!」
「ウ、ウン、もちろん」
「じゃあ、またね。アンネリーゼ」
「はい!」
「行きましょう」
「はいっ!」
そうしてレベッカも速足で駆け出すようにして、けれども出来るだけ優雅に王宮の廊下を歩いた。
グレーテに案内されずとももう道はわかっている。
時間に遅れずに約束した通りにヴィルヘルムの元へと行くために無心で足を動かしたのだった。




