39 強引
レベッカはアンネリーゼとともに馬車に乗っていた。彼女の傍らには抱えて持つには少し大きい木箱があり、しゃっきりと背筋を伸ばしている様子にとても緊張していることがうかがえる。
王宮まではまだ時間がかかるというのに、顔を青くするまで緊張している彼女にレベッカは小さく笑みを浮かべて言った。
「アンネリーゼ、それほど硬くならずに。大丈夫よ、ヴィルヘルム国王陛下はとても優しい人だわ。予定通りに、控室に向かってグレーテさんに会ってそれから案内をしてもらうだけ」
「は、はいっ! 緊張しません!」
レベッカが指摘するとアンネリーゼはさらに拳を固く握ってプルプルと触れている。
馬車が走る振動よりも彼女は緊張から震えていて、これはもうどんなに安心していいと言っても意味はないだろうと考えて、せめて別のことを考えられたらと、アンネリーゼに話を振った。
「……それにしても、まさか役立つ時が来るとはね。言われてみるまで考えもしていなかったけれど、まさにぴったりだわ」
「そ、そうですね! わたくしもです、でも言われてみるともともとそういう用途だったのかもしれません!」
「もともと?」
「はい。お金儲けのためなんかでも、私利私欲でも使うことが出来ない代物ですが、ただ感じることはできますから」
たしかに、ただ感じることが出来る。
それだけだ、自分たちで使うことだけを考えていたら価値もないように思うかもしれないけれど、信心を失いそうになって苦しんでいる人にはもってこいだ。
そしてそれを知っていても知らなくても、人の思いを継いで守ってきた人がいる。
その人たちがいなければ今ここにそれは存在していなかっただろう。
わからないながらも信じてつないだ絆があるから今利用することが叶った。
そう考えるとなんだかとてもレベッカは遠い気持ちになってその一端に自分もアンネリーゼもいることは誇らしいことだと考える。
「そうね。ただそれだけの物を守ってくれてありがとう。アンネリーゼ、今ここにそれがあることはとても尊いことだと思うわ」
「いいえ! お礼など必要ありません、わたくしは当然のことをしたまでです。それに使える時が来て嬉しい気持ちもあります!」
「そうかもしれないけれど、急に無理を言って快く聞いてくれたことも、私はとてもありがたかった。ライゼンハイマー公爵家の名前があったとしても、短期間で用意するのは大変だったでしょう?」
自信たっぷりに言う彼女に、レベッカは無理させてはいないかと注意深く伺うようにアンネリーゼのことを見た。
しかし彼女は頭を振って、子供のように笑った。
「いいえ! ほかでもないレベッカ様のお願いですもの! わたくし、お役に立てる時がきてとてもとても嬉しいのです!」
「……」
その快活な笑みに、まったく嫌味も嘘も含まれていないことをレベッカは知っているし、それほどまでにアンネリーゼがレベッカに恩を感じてくれているということはむずがゆくて、それほどのことなどしていないと思う。
けれども、彼女がそう感じている事実も変わることはないし、そこを否定したとしても彼女にとってうれしいことではないのだろう。
「そうね、ありがとう、アンネリーゼとてもとても、助かったわ」
「はいっ」
だからこそ、心からの感謝を伝えたすると彼女は弾けんばかりの笑みを浮かべて元気に返事をしたのだった。
王宮に到着して、木箱をワゴンに乗せてエルゼが丁重に運ぶ。あとはこれをヴィルヘルムの元へと持っていくだけだと、レベッカは少しホッとしていた。
しかし控室へと進む前に、前回にも馬車を見たレーゼル公爵家の人間が佇んでいるのが見える。
もちろん、王宮は沢山の貴族が集まる場所だ。
業務上の報告がある場合もあるし、謁見の為に訪れる場合もある。だからこそ王宮のエントランスで他の貴族とすれ違い挨拶を交わすことなどごくありふれたことだ。
彼らも今しがたそうして、たまたま人の多く通る場所にとどまっていただけのように見えた。
けれどもエントランスへと入ったレベッカたちのことにすぐに気が付き、話をしていた貴族との交流をやめてこちらに向いた様子に、何か待ち構えられていたような違和感を覚えた。
「おや、ライゼンハイマー公爵令嬢ではないかな」
偶然だと言わんばかりにレーゼル公爵は意外そうな顔をして笑みを浮かべる。
そのそばにはヴァレンティーンもおり、気さくに話しかけてきた。
「こんなところで会うだなんて偶然だな、そちらは?」
「……彼女はアンネリーゼ、お兄さまのお嫁さんよ。たしかに奇遇だけれどレーゼル公爵、それからヴァレンティーンさん、今日は予定があってきたのよ」
「ほう……予定とな?」
はやくこの場を立ち去り、控室の方に向かうためにレベッカはそう口にした。すでに控室の方にはいつも案内してくれるヴィルヘルムの側近のグレーテがいるはずだ。
それに余裕をもってやってきてはいるけれども、遅れるわけにはいかない、今日ばかりは。
「ええ、ヴィルヘルム国王陛下との面会を」
「なるほど、しかし今日はライゼンハイマー公爵に連れられてというわけではないだな」
「……もう私も子供ではありませんから、一人でこうして王宮に来ることもあるわ」
吟味するように言うレーゼル公爵に、レベッカはなにが言いたいのかと不思議に思いつつも、当たり障りのない返答を返した。
たしかに大体は父や母とともに来ることが多かったが、今日に限って父も母も兄もそろって今朝がたに出かけて行った。
なにか特別な用事があるとは聞いていなかったが、レベッカも彼らにはすべてを話しているというわけではないし、お互いに色々あるのは仕方がないことだろう。
しかし、にやりと笑ってレーゼル公爵はヴァレンティーンへと目配せをして一歩レベッカの方へと歩みを進める。
「ならば、ライゼンハイマー公爵令嬢、しばし私たちに付き合ってもらおうか」
「どういうことかしら、予定があると言ったはずよ」
「いやいや、これはとても大切なことなのだ。公爵令嬢」
レーゼル公爵は手を伸ばしレベッカを捕まえようとする。
一応は彼の方が地位は上ということになっている。
爵位を継承していないからには、レーゼル公爵の方がレベッカよりも偉く、その序列を乱すことは貴族として相応しくない。
「親戚になる身内として、話をすべきことがあるのだ」
「そうだ、大人しく従ってくれ、レベッカ嬢。なにも俺たちだってわがままを言っているわけじゃない、これは正当なことなんだ」
「…………」
「ほんの一時、時間をくれればいいんだ」
フォルクハルトとの婚約をしたことも引き合いに出し、彼らはレベッカを逃がすまいと言葉を重ねる。側にいるアンネリーゼが困ったような様子でレベッカと彼らを交互に見ていた。
ヴィルヘルムとの面会を控えていると言っているのに、こんなふうに邪魔をするようなことなど異常だ。
ヴィルヘルムはなにより優先されてしかるべきだし、こんなことを他の貴族がいる前でやるなんて危険視されてもおかしくない。
……それともそんな配慮をする必要がないくらい、ヴィルヘルム国王陛下の権威は落ちていると思っているの?
「できないわ」
だとしてもレベッカにとっての優先するべき事項は変わることがない、しかし強行突破することもできないし、父がいればと惜しく思う。
けれど父がいて簡単にあきらめるとは思えないほど、彼らの瞳には強い意志が宿っていた。




