35 代り
レベッカはここ最近の物々しさを指摘しないまま日々を過ごしていた。
例えば、兄の特定の話題に対する視線の鋭さ、社交界に出た時の大きな分断。
錯綜する噂話に尾ひれがついて、誰かが誰かを非難する言葉を聞かない日はない。
なにかが起こるのだろうということはわかるし、それはきっとヴィルヘルムとレーゼル公爵家に関することであるとも理解ができる。
しかし、不自然なまでにその話題はレベッカには伏せられていて、きっとレベッカが対処しなくてもいいことなのだろうと思う。
そして危険が伴うかもしれないこともわかっている。
だからこそ知りたいのだと騒ぎ立てることはしないし、人には向き不向きがあるのだからレベッカにやれることをやろうとただそう心に秘めていつもと変わらない日々を過ごしていた。
そんな中で、いつものように王宮への呼び出しがかかった。しかしいつもと違ってヴィルヘルムの直筆の手紙ではない。
その側近のいつも案内をしてくれるグレーテという女性が代筆してレベッカに王の心を鎮めるために連絡を取ったようだった。
それは渦中に飛び込むことになる。レベッカはすべての正しい情報を知っているわけではない。
けれども、同時にすべてわからずとも、ヴィルヘルムの元へと向うことは彼の為になると思うし、レベッカは彼を信じて彼の話を聞きたい。
すべては知らなくても、信じてよい方に。その方がきっとずっと多くの人が幸せになれる。
だからこそ兄や父に話をして難色を示されてもヴィルヘルムの元へと向かった。
いつもの通りに控室に通されて、珍しく側近のグレーテがともに部屋にとどまって、それから言った。
「レベッカ様、本日は足を運んでいただきありがとうございます。ここ最近のヴィルヘルム国王陛下のことはご存じだとは思いますが……」
言いずらそうに彼女は言葉を切ってレベッカを見つめた。
その様子にコクリと頷いて返す。
「ええ、著しくお心を乱していらっしゃると存じています」
「はい、その通りです。なのでなにもないとは思いますが、なにかあればすぐに対応をしていただけると助かります」
「はい。承知しました」
「……では、参りましょうか。……きっとお喜びになります……あなた様は年恰好も眼差しもとてもよく似ていらっしゃる、特別な方ですから」
グレーテはレベッカの言葉にほっとした笑みをこぼして、ついだったのかそれとも意図してかそう漏らした。
……似ている……。
特別と言われたことは何度もあったけれども、明確な理由を教えられたことはない。知ってわざわざ余計なことを考えなくていいようにというある種の配慮だと思うのだが、レベッカももう大人だ。
判断ぐらいは自分でできる。だからこそグレーテも口を滑らせたのかもしれない。
なので初めて得たヒントにレベッカは意味を考える。
しかしあっという間にヴィルヘルムの私室に到着し、後ろからいざという時の為に騎士が入室する。そしてレベッカはその憔悴っぷりに言葉をうしなって、ただ茫然とした。
やせ細って不自然にこけた頬に、ところどころにある傷、彼の人生はもう終わりだと言われればさもありなんと思ってしまうだろうことは簡単に想像できた。
神の御許へ向かう一歩手前、もうこの場にとどめておくことすら不可能に思えた。
豪華絢爛で上品な贅をつくした部屋の中で彼だけが使い古された年代物のように浮いていて、その様があまりに悲しく、思わず足を動かし、礼儀など忘れて膝をつく。
一人掛けのソファーに座って項垂れるようにしている彼に、レベッカは声をかけた。怖くもないのに声は震えていて、それでも絞り出した。
「へ、陛下。ヴィルヘルム国王陛下……!」
「……」
「参りました、陛下、私です。陛下」
皺にまみれた冷たい手を握り、存在を強くアピールするように真剣に見つめる。
自分の名前はあえて言わなかった。深く考えてそうしたわけではなかったけれど似ているという言葉を聞いて、もしかしたらと思い名前を口にしなかった。
すると、瞳に移ったレベッカにヴィルヘルムは視線を落とす。そのとたんにぐっと強く手を握られて、突然の行動に驚いて少し緊張する。
……すぐに対応をとは言われたけれど……。
振り払って逃げ出すこともできる、しかしそう考えた瞬間「おぉ」とヴィルヘルムは小さく声を漏らし、瞳に涙を浮かべてレベッカにしがみつくようにきつく引き寄せて抱きしめた。
「おぉ! っ、は、おお、コルネリアッ! どこにっ、ッ、帰ってきたのか、帰って! ああ……!」
「…………」
「ああ、呼んでくれ、ヒルデベルトも王妃も呼んでくれ……もう、わしは疲れた……コルネリア……あぁ……」
絞り出すように言われた言葉、やせ細って力がないはずのヴィルヘルムにきつく抱きしめられると、やっとレベッカが何のために彼にとって特別だったのかと気が付いた。
…………コルネリア王女殿下の……代りだったのね。
かちりとパズルのピースが嵌るように今までの出来事がつながりやっと理解できて、レベッカは子供の様に泣き弱りながら縋りついてくる力なき老人を受け止めた。
……幼いころから、コルネリア王女殿下はエレノアへの嫁入りが決まっていた。
王太子であるヒルデベルト殿下とは違って、大切なことを話し合うことも、ずっとそばにいることもできない。
けれども、それでも愛していたのね、今も愛しているのね。
「悪かったぁ、わしはよき父ではない、ああ、でも其方しかもう……おぉ、っ、いないのだ」
さめざめと泣くヴィルヘルムの言葉にレベッカまで目頭が熱くなって仕方がない。
似ているかどうかは正直なところレベッカもよくわからない。あまり仲がいいというわけでもなかったし、コルネリアのことを多くは知らない。
けれどもライゼンハイマー公爵家は常に王家とともにあった貴族だ。当然、親戚関係もある。
一番近い話だと、コルネリアとレベッカの祖母は同じだ。
だからこそ、この国にずっといて生涯を終えていくレベッカを見守ることで寂しさを埋めていたのかもしれない。
それがコルネリアにとってどういうふうに映っていたかわからないけれども、どんなふうに押さえ込んでも彼が最後に頼りたいと思ったのは彼女で、彼女は今とても遠くにいて手を出すことが出来ない。
だからこそ、代わりにしてくれていてよかったとレベッカは思う今寄り添うことが出来るから、けれど代りだからこそなにも言えない。
レベッカはコルネリアではない。
それだけが歯がゆかった。




