34 プライド
レーゼル公爵家の家族が集まる談話室。一人かけのソファに深く沈み込んで、レーゼル公爵は煙草の煙を深く吸い込んでたっぷりと口から吐き出す。
「まったく、わらけてしまうな。ヴァレンティーン、世の中というものはこうも野心を持ったものに優しい」
「そうだな、父上。あの老いぼれはいよいよ側近たちにも見捨てられていると見える。そのあたりどうなんだ? フォルクハルト」
父に同調して笑みを浮かべる彼は、自信満々の笑みで話を振った。
そうして偉そうにしている様に惚れて多くの女性が言い寄っているが未だに彼のお眼鏡にかなう令嬢は現れずに、独身のまま、身分の低い令嬢と関係を持っては一夜の関係で終わらせる。
顔がよく多くの下心を持った女性がやってくるのだから仕方がないことかもしれないが、同じ公爵家という身分の跡取りであったジークフリートと比べると絶対にしたがないことではないと思う。
彼らの言葉に本心では、どうしてそうも自分以外の人間を苦しめて楽しそうにできるのかと文句を言いたくなるが、フォルクハルトはぐっとこらえて口角をあげた。
「言われていた通り、周りの側近たちや、事務官にも話を広げていますよ。自身にも利がある話ですからそのあたりはわかってもらえているでしょう」
「ああ! そうか、よくやってくれているな。 俺は嬉しいんだ、フォルクハルト! お前は昔から、馬鹿で! 甘えた野郎だったが、やっと俺たちに協力するだけの知恵をつけた!」
「その通りだな。はぁ、お前のような人間が私の息子かと考えると私は情けなくて情けなくて、何度お前の乳母を殴りつけたことか」
フォルクハルトの話題を出しにして二人はわははっと盛り上がる。
まったく疑う素振りなどないのは証拠などなくとも、彼らにとってはフォルクハルトが身内で、フォルクハルトにも利があるという前提があるからだ。
それだけで容易に信用を勝ち取れるということだけは、彼らの身内であったことは喜ばしい。
しかし、それと同時に彼らとまったく関係のない人間だったらどれほどかとも思う。
そうであれば、職場にヴァレンティーンがやってきて、絡まれて面倒な思いをすることも、教育と称して様々なことをされずに済んだのだ。
けれども同時に、自分はこの場所にしか生まれなかっただろうし、こうであったから友人にも恵まれ、同僚にも恵まれ、よい場所を手に入れることが出来て、新しい大切な人にも出会えた。
さらりと揺れる金髪の髪がよく青空に映えていた。控えめに笑うその笑みが美しくて抱きしめてもいいかと問いかけたくなった。
そう思えばこれしきのことなど、くだらないことだと結論付けることが出来る。
「覚えてるか? フォルクハルト、お前卵を産まなくなった鶏に必要以上に餌をやって、肥えさせて怒られたこと。それから馬車の事故で足を悪くした子供の使用人に仕事を与えようとしたこともあったな」
「……昔のことです。今は……正しく教育してくださったあなた方の為に役に立てるよう王宮に務めている、それが丁度、弱者救済の仕事だっただけですから」
揶揄うような兄の言葉に、フォルクハルトはいたって冷静に返す。
この話ももう何度目かわからないが、自身がそういう話題の尽きない人間だったことは事実だ。
全員を助けられるわけでもないし、動物にまで情をうつしてしまっていたらきりがない、そんなことは無意味で非効率だとわかっていても、フォルクハルトは何度でもそうしていただろう。
それを恥じていて、反抗心など子供っぽいと思いつつも今の仕事を好きでやっていて、それをしなくともできる限り手の届く範囲はそうしていきたいと思う。
卵を産まなくなった鶏だって、栄養を多く与えればまた今までのように戻れるかもしれない、足が悪くとも普通に暮らせるだけの仕事があれば不自由ないのと変わらないだろう。
それを見つけようともがくのは苦しくとも、見離すよりもずっといい。
「その言い分がなんだか妙に、引っかかるんだよな。……まぁ、どうでもいい。俺が王位を継いだ暁にはどでかい領地をくれてやるから、この正念場で俺たちに協力さえすればお前はいい思いが出来るそうだろ?」
「……はい。もともと自分は兄上の言うような性分かもしれませんから利用されないよう田舎で静かに暮らしましょうかね」
「そうしろ、それがお前の為だ。フォルクハルト、お前はすぐに馬鹿な連中に騙されて情だの絆だのにほだされる。まったく、これで手紙を無視し続けていたら絶縁ものだったぞ」
「それは、申し訳ないです。今更という思いもありましたから」
考えて適当に言いながらも当時を思い出す。
レベッカと婚約をしたあたりから、兄の来訪が増え、そしてフォルクハルトの元には協力の要請がやってくることになった。
その問題は非常に厄介で、密告してもすでに婚約をしているレベッカにも火の粉がかかるかもしれないものだった。
それに言い逃れをされる可能性もありうかつには判断が出来なかったが、幸い協力者を募れる状態にあった。
なのでそれほど行動に困ることもなく、今一歩という所まで来ている。
「なにをいうか、これでも私はお前ら息子を信頼しているのだ。これからも抜かりないようにな」
「もちろんだ、父上、ああそうだ。フォルクハルト、お前に言っておきたいことがあったんだ」
「……はい? なんでしょうか」
「お前の婚約者、まだ若いが、気に入った。悪くない、俺はここ最近、王妃になる器の女をすでに探していたんだ。あれならば、美しい子供を生むだろうし古い高貴な血筋を持っている」
兄は煙草の煙をくゆらせて、フォルクハルトに向かって吐きながら、高慢な笑みを浮かべた。
「女はやはり少し控えめなぐらいがちょうどいいだろう。お前にはもったいない、あれ以外ならば好きなものをあてがってやるからその後はあのライゼンハイマーの女は俺のものだ、いいな」
断言されてヴァレンティーンの言葉に目を見開く。
他人の婚約者までそんな下衆な目線で見て見極めていたなど女性側だって不愉快だろう。
しかしそんなことはまったく考えずに偉そうに言う彼の中には、女性も子供も人間だという価値観などまったくない様子で、それを所有しているらしき人間に了解を取れば問題ないと考えている。
機嫌よく言った兄に、フォルクハルトは笑みを浮かべた頬が引きつって、とてもじゃないが話を合わせられないと思った。
そう思う、しかし思えば思うほど、ここで機嫌のよい兄に相手にうまくやれば未だに教えられていないそのヴィルヘルムに対する具体的な計画を聞き出すことが可能かもしれない。
そういう思考がもたげてくることが酷く不快で、こういう部分で自分は汚く腹立たしい、出来損ないなのだと思う。
けれども、今この役目をできるのは自分しかおらず、自分のプライドを捨ててもフォルクハルトは彼女の手を取りたい。新しい木彫りを待ち望んでくれる彼女に知ってもらいたいし、もっと深く知りたい。
…………。
目の前に置いてある口をつけていないワイングラスに手を伸ばす。
煽って、フォルクハルトはやっとの思いで返した。
「ことが成せれば、そうなることもやぶさかではないでしょう」
というか、彼らの作戦が成功すれば抗うすべもなくなる、きっと立場の違う古い歴史を持つ貴族は取り潰されることになる。
だからこそレベッカひいてはライゼンハイマー公爵家を脅かす可能性が十分に高い。
「……? なんだか引っかかるいいか━━━━」
「いや、それにしても楽しみだ! 実は自分、酷く気の強い女性が好みでして! 組敷かれるのが楽しみですッ」
「あ?」
「そういう趣向なのです、兄上っ」
「っは、あはははっ、気持ち悪いなお前!!」
「言いふらさないでくださいね」
そして、さらに話の方向性を変えて、自分のことなどどうとでもなってしまえと適当を口にする。
いいのだどれほど恥をかいたとしても、なり損ないでも守りたいのだ。
馬鹿みたいだが、これが今のフォルクハルトにできることである。
「馬鹿野郎、言いふらすに決まってるだろう! なぁ、父上! というか親のいる場でこんな話すんなよ!」
「面白いかと思いまして!」
フォルクハルトは覚悟の決まった瞳でやけくそになって言った。
そして宴会を盛り上げて、最終的に、ふらふらになりながらレーゼル公爵家の見知った廊下を歩き、計画の詳細な情報を抜き取ることに成功したのだった。




