32 お返し
「ジーク、子供っぽいことするなぁ」
隣から若干引いたようなフォルクハルトの声がして、レベッカは申し訳ないがフォルクハルトに同意だ。
いくら逃げられて寂しかろうとも、逃げている相手をつかまえるようなことをするのはどうかと思う。
「……そのぐらい、好き? なのかしら」
「そうかな、あなたも逃げたいぐらい恥ずかしい時には追いかけるのが愛情だと思う?」
レベッカの言葉にフォルクハルトが不思議そうに問いかけてきた。
よくわからないけれど、そんなになったことはないので想像もつかない。けれどもやってみたらわかるだろうか。
問いかけてこちらを見ていたフォルクハルトの袖口を掴んで、少し背伸びをする。
それから手すりにも手を置いて体を支えて目をつむって唇を合わせる。
……柔らかい、温かい、あと香水の匂い。
「……恥ずかしくて逃げ出したことがないから、わからないわね。でも逃げたら……待っていて欲しいわ」
やったことがなかったけれど、やってみてもそれほどのことではなかったような気がして、レベッカはきっと彼に寝顔を見られてもなんとも思わないような気がした。
しかし、もし逃げ出すようなことがあれば待っていて欲しい。余裕を持って待っていてくれれば、戻れる時もやってくると思うし。
そんな気持ちで平然と続けたが「え?」とフォルクハルトは聞き返す。
声が小さかったかと思い、レベッカは視線を向けてフォルクハルトに言った。
「待っていてくれたら、きっと戻るからそうして欲しいのよ。それよりフォルクハルトさん」
「な、なんですか」
「急に敬語ね。それでどの魔法が一番かっこいいと思うの?」
それは一つ前の話題だけれど気になっていたことで、彼は口元を押さえて赤くなってそっぽを向いている。
きっと兄があんまり情熱的で子供っぽい愛情表現をしているので見ていられなくて当てられたのだと思う。
問いかけると「あ、ウン……え、あ、ウン」と戸惑っているみたいな言葉をつぶやいて、それからしばらくええと、ええと、と考え続けて紙ヒコーキが二周したぐらいのころにやっと、落ち着いたのか言った。
「土の魔法はソルンハイムの誰もが憧れるもの、じゃないかな?」
その言葉にレベッカはああそういうことかと納得して、頷いて答える。
「たしかにそうね、豊穣の儀式があるから」
「ウン、それがあるから今の王権は絶対に揺るがないと思っていたけれど……」
途中で言葉を切って俯く彼にレベッカも少し暗い気持ちになった。
豊穣の儀式というのは、王族が守っている王笏を使って行う儀式のことで、地面のはるか奥深くに存在している魔力脈に補助的な魔力を与え、活性化をさせることが出来る儀式だ。
それには、豊穣の王笏と土属性の潤沢な魔力が必要になってくる。
魔力脈が枯渇してしまえば、土地の魔力が弱くなり、魔獣の被害は減るけれども同時に人が保有できる魔力も少なくなり、周辺地域に比べて栄養の低い土地になってしまう。
必然的に、国を富ませるためにとても重要な儀式なのだが、今の状況でそれが行えないとなったら流石にヴィルヘルムに対する何かの抗議活動が起こるかもしれない。
……東西南北それぞれで行われる大規模なものだから、多くの貴族の子供たちも参加できて楽しいお祭りとともに幻想的な魔法が私たちの中には刻まれている。
憧れて王宮に務めたいという人も多く、たくさんの人材を蓄えて、行き届いた整備で美しい城を保つことによってさらに、王族に対する神聖視は強くなるのだ。
「いや、あまり暗いことばかり言っても意味はないね。レベッカさん、きっと大丈夫だ。胸を張って任せてと言いたいけれど、自分はあまり何ができるというわけじゃないから」
暗い顔をしたレベッカに励ますようにフォルクハルトは言う。
その様子を見て、そう言えばヴァレンティーンとはまったく違う考えのようだと改めて思う。
ヴァレンティーンはどうやら、悪意を持ってヴィルヘルムを排除したいと考えている様子だった。
あの態度は、何か情報を握っていて、必ずそうなるだろうという思いからきているものなのか、それともただの先走りの行動と言葉かはわからない。
けれど、間違いなくスタンスに違いはあって、そういう部分がフォルクハルトが実家の関係を話したくない理由なのかもしれないと思う。
「情けないけれど、どうか安心してね」
レベッカの手を取って温めるように握る彼に、ヴァレンティーンに会って少しだけ話をしたことは伝えずに聞いてみた。
「……でももし、出来なくなったなら、国にとって利益を生まなくなったのなら、排除してしまおうという意見はどう思う?」
すると、その言葉はまったく想定していなかったらしく彼は少し目を見開いて、表情をこわばらせた。
「嫌だと思う、好きではない。出来ることはやるべきだ」
きっぱりとした否定に、レベッカも頷く。やっぱりそれが一般的……というか正しい答えで多くの人が選びたいものであってほしいとレベッカは思う。
それが嬉しくて笑みを浮かべた。
「そうね、私もそう思うわ」
しばらく時間を過ごし、レベッカは自室の扉の外でフォルクハルトを見送ることになって小首をかしげて笑みを浮かべた。
「じゃあ、また。新しい木彫りの人形をありがとう、新作楽しみにしているわ」
「ウン、頑張るよ」
「ええ」
短く言葉を交わして、身を翻して去っていこうとするフォルクハルトはあっと、なにかを思い出したかのようにパッとレベッカの方を見て歩み寄ってくる。
「そうだった、お返しに。勇気を出してくれたと思うから」
そう言って、レベッカの腰に手を添えて、少しかがんで引き寄せた。
あんまり近かったのでレベッカは真上を見上げるみたいになって、何が起こっているのかと考えているうちに、温かくて柔らかいものが唇に触れる。
小さく吐息がかかって、彼の眼は閉じられていて、まつ毛が束になって重なっているのがやけによく見えた。
頬に添えられた手が、少し冷たくて指がしっとりと肌に吸い付いているみたいで心地がいい。
小さなリップ音が鳴ってフォルクハルトは少し離れて、紅潮した頬で笑みを浮かべる。
「俺からも。好きです。レベッカさん」
「…………」
「少し恥ずかしいな。自分の方がアンネリーゼさんのように逃げ出してしまいそうだ」
「……そうしたら兄のように捕まえに行くわね」
「え、う、ウン。待っていてくれてもいいけれど」
「どうかしら、またね、フォルクハルトさん」
それだけ言ってレベッカは部屋へと戻った。
それからカテーナに扉を閉めてもらって速足でバルコニーへと戻り空を見て、顔が熱くなっていることを自覚した。
「っ……捕まえに行けるかしらね」
そして自分の状態に自嘲するように笑って口にして、恥ずかしいけれど嬉しくてとても困る。
自分からした時はそうでもないという感想しか、浮かんでこなかったのに、こんなに変わるものかと思う。
添えられた手の感触も小さなリップ音も彼の恥ずかしそうに笑う顔もこれでもかとすべてはっきりと詳細に覚えていて、レベッカは、はぁとため息をついて少しぼうっとしてしまったのだった。




