29 とある朝
アンネリーゼは、ガンガンと痛む頭とギンギンに冴えた瞳でジークフリートの元を訪れた。
入室を許可されて、コーヒーを飲んで朝の支度をしているジークフリートにアンネリーゼは笑みを浮かべて駆け寄った。
「おはようございます! ジークフリート様ッ!」
普段よりも各段大きな声にジークフリートは目を丸くして持っていたコーヒーをテーブルにおいて、アンネリーゼのことを覗き込んだ。
「先日お願いされた資料を作成してまいりました! いかがなさいましたか!?」
「……」
「ジークフリート様? お急ぎの書類だと伺ったのですが!」
これが必要だったのだろうと見せつけてアンネリーゼはジークフリートを必死に見上げた。
まだ眠たげな金の瞳はとろんとしていてはちみつの様で、さらりとした金色の髪はセットされていないので目にかかり普段とは印象も変わってくる。
柔らかそうなシャツ一枚ということはまだ着替えの前だったのだろう。
しかし装飾が少なく柔らかいシャツ一枚だけを羽織っているということは抱きしめたりすればいつもよりも彼を近くに感じられると思う。
……あ、なんだか猛烈に抱き着きたい衝動に駆られていますが我慢です! 突然そんなことをしては品格を疑われます!
アンネリーゼは言葉もうるさければ心の中も忙しなくうるさいし、今日はいつもよりそれが顕著だった。
「……アンネリーゼ」
「はい!」
「お前、徹夜しただろう」
「はいッ! 二日ほど!」
「元気のいい返事だな」
「お急ぎだと伺ったので!!」
「…………」
アンネリーゼはジークフリートに「急ぎだと伺った」ということを大切なので二度目に口にして、まとめた書類を早く渡したいのだがと熱心に彼のことを見つめる。
「ビュッセルでの薬草やそれに伴い転変した魔草についての詳細な資料が欲しいということだったはずです! 丁度得意分野ですし何度も覚えたものですから大方は網羅していると思います! それにわたくしにはまったくその考えはありませんでしたが、悪い目的で使うのに魔草の効能はとても効率的です!」
「……アンネ」
「そもそも魔草というのは小石が魔石に代わるように、獣が魔獣になるようにある種人間が魔力を扱えるようになるのと同様に魔力を持つ性質をしている強い効能を持った植物です!」
アンネリーゼは頭の中の知識を次から次にまるで本を読み上げるように言葉にした。
なぜなら、なんの話だったかどれほど重要な事柄だったのかジークフリートが寝起きぼんやりとしていて忘れているかもしれないと考えたからだった。
前回の国防会議の後から、どうやらジークフリートも公爵閣下も忙しくしている様子で、どういう事柄が起こっているのかはアンネリーゼにはわからない。
けれども、必要とされたら嬉しいなと思いながら、日々の仕事に精を出していた。
するとやっとというか、ようやくというか、アンネリーゼの中にある知識を提供してほしいと打診があったのだ。
やっとお役に立てるのだと思うと夜も眠ることが出来ずにアンネリーゼは、ミリヤムの件があってから考えていた魔草を接種者にバレないように飲ませる方法に対する考察や摂取させる媒介による変化の問題なども丁寧に書いた。
ミルクももちろん味や苦みをごまかしてくれるが、酒、ホットチョコレートそれからコーヒーという手段もある。
それから飲み物によって効果が出てくるまでの時間の差や、それによる人の代謝によって効能が出ない人もいる可能性がある話などはとても興味深いと思うのだ。
興奮してアンネリーゼはジークフリートの声が聞こえないほどに熱く語った。
まだまだ、説明したいこと、役に立つかもしれない話は山ほどある。それらをジークフリートに一から百まですべてを話してしまいたい。
「一般的に薬草と言えども、意図していない人に盛るというのは量という点から難しいというのが多くの方の見解ですが━━━━」
「アンネリーゼ」
しかし言葉をさえぎられて、少し強い口調で名前を呼ばれるとアンネリーゼは今の状況を思い出し、黙った。
アンネリーゼはいらないところでおしゃべりである。
普段の声も大きいのに、興奮すると話が止まらなくなってしまうことも悪い癖だ。
だからそうして低い声で名前を呼ばれるとアンネリーゼはすぐに黙る癖がついている。
「…………申し訳ありません」
血の気が引いて、アンネリーゼは目をそらして俯いた。顔を見ることは難しく手元の書類がジークフリートによって取られて、テーブルの上に置かれる。
そこから本格的な説教が始まるのかと心臓がバクバクとした。
しかし、頭の上に彼の重たい手が乗って「うっ」とアンネリーゼは声を漏らして体が跳ねる。
「無理をしろとは言ってないぞ。ただ、助かった。少々、奴らの動きがきな臭いんだ、できることがあるなら手を尽くしたいからな」
頭を撫でられて、肌が粟だつぐらい心地が良くて顔が少し熱っぽくて熱かった。
きっと二日間の徹夜で体がおかしくなっているのだと思う。
それでもこうして褒めてもらえるならば、そうしたことだってまったく後悔はない。無理をするなと言われたので今度からはしないけれどもそれでも嬉しい。
「……それにしても二日も徹夜するなんて、体に悪いぞ。アンネリーゼ」
「いいのです。お役に立つ以上に大切なことなどありません」
「そう言うな、お前がそう言ったとしても俺はアンネの体が大切だ。だから……」
ジークフリートは途中で言葉を切って、アンネリーゼの腰に手を添えてぐっと持ち上げた。
「っ、あ、わっ、え?」
「今日はもう寝ること、やることは俺がやっておくから、体を大事にしておけ」
体が浮いたと思ったら、ベッドの上に放られて、手早く内履きを脱がされて掛け布団でぐるぐると巻かれる。
「ね、眠れます! きちんと自分の部屋で眠りますから!」
「そんなことを言って、無理をして、仕事なり勉強なり今日の分を終えてから眠るつもりだろ」
あっという間に首と頭の下に枕をはさまれて、アンネリーゼはぐるりと白目をむきそうなほどに眠たくなった。
それにジークフリートが言っていることは事実であり、部屋に戻ればきっとまた何かしらやる気を出してひと段落するまでは眠ることはないだろう。
「あ、う……ほ、本当に眠くなってきちゃいました! ジークフリート様! 困ります!」
「ベッドに十秒入っただけで、眠たくなるようなことをしたのはアンネだろ。大人しく眠っておけ、ほらこうして」
ジークフリートはアンネリーゼが起き上がらないように抑えつつも、冗談のつもりで目元を手の掌で覆ってみた。
「目を塞げば、すぐ寝落ちしたりして」
「う……うぅこまりま…………」
「……」
「……」
「……アンネ?」
手を外すとアンネリーゼは掛け布団に簀巻きにされた状態で、口を開けてぐっすりと眠りこけていた。
その様子にジークフリートはなんだか幼いころのレベッカみたいだと考える。
歳も離れた体力の違う兄妹なのに、その後は一緒にいるのだと聞かなくてすぐにどこでも寝落ちしてこんな呆けた顔をしていた。
それがまた愛らしくて、出かけるときはわざと声をかけたりしていた。
しかし、それはいいとしても、自分の嫁に妹の姿を重ねるというのは如何なものだろうか。
……家族愛と男女の恋愛って区別をつけるべきものなんだろうが、境界があいまいで難しいな。
アンネリーゼを見つめつつそんな難しい気持ちになって、ジークフリートはアンネリーゼの頬を弾力を確かめるように少しつまんでからベッドから降りる。
……なににせよ、愛おしくて愛らしいと思うだけだな。
あまり考えすぎずに残ったコーヒーを飲んで書類を持った。特定が出来れば証拠も挙がる。ヴィルヘルムについてはレベッカも特別、慕っているし早急に対処が必要だろう。




