25 歪み
「っ、どういうことですか!? ミリヤム、そんなふうに嘘を言うなんて、それほどわたくしのことを嫌っていたということですか!」
「あっ、アンネリーゼ様!? な、どうしてっ」
「レベッカ様の配慮で、万が一にも二人がわたくしのことを悪く思って行動を起こしていないか、確認していたのです! 書類にインクをかけたのも、あなたなのですか!」
アンネリーゼは決して逃がさないとばかりに、指が食い込むほど強く彼女の腕を握り、ものすごい剣幕で瞳には涙をこらえていた。
「っ、嫌ですね、そんなのどんな証拠があって……」
「証拠などなくとも、わたくしはただ事実が知りたいのです! わたくしに対するよくない感情があなたにあっても構わない、わたくしがよく思われていなくたって構わないのっ!!」
大きな瞳に見つめられ、心のままに言われる言葉にミリヤムの浮かべた笑顔がぎこちなくなっていく。
「は? なにを言っているんだか」
「けれど、わたくしへの思いに任せて、周りの方に対する迷惑をかけるのは看過できないのですっ! やっていいことと悪いことがある! 他人に当たるぐらいならばわたくしに言って欲しかった」
「っ…………なんですか」
「そうすれば、改善する余地もあったかもしれない、こんなふうに手間も迷惑もかけて、ジークフリート様にもレベッカ様にも配慮をいただいて……っ、あなたを人の前で糾弾することもなかったっ、どうして、言ってくれなかったのですか!?」
言っているうちにアンネリーゼの瞳からは涙がこぼれてきて、その涙はとてもきれいなものだった。
恨みでも、怒りでもなく、悲しんでいて彼女の優しさがこもっている涙だった。
けれども、その涙が落下してミリヤムの手の甲の上を滑って落ちる。それをきっかけにしたように、ミリヤムがアンネリーゼの胸元を掴んで、恨みの籠った形相でアンネリーゼを睨みつけた。
「偉そうに……偉そうに言って! ああそうですよ、私がやりましたよ! でもなんですって? なんで言ってくれなかったのかですって??」
「そうです! 言ってくれればやれることだってたくさんっ」
「そんな施しをあなたから受けるつもりなんかありませんよっ! そもそもあなたが目ざわりでしようがないことが悪いのでしょう?!」
ミリヤムは柔らかそうな茶髪の髪を振り乱して、唾を飛ばす。
「頭も要領も悪いのに、何でもかんでもやる気を出しては空回り! あなたみたいななんの特技も持たない女が、世渡りもうまくないような間抜けな女が!! 家族に認められる!? 高貴な男性に助けてもらえる!? そんな偶然が起こるなんて不平等でしょう!?」
「ふ、不平等!?」
「そうですわ! 皆等しく苦労して、一生懸命折り合いをつけて生きているのにあなただけ特別なつもりですか!! いいですね、それで偶然、見初められて!! でもそんなの神様が許したって私が許しませんけどね!!」
「どう、どうして、あなたにはなにもわたくしは、なにもしていないのに!」
「それでも、見ていて腹が立ったのだから、あなたがこの憤りを与えたのだからそれが罪よ!」
ミリヤムに怒鳴りつけられたアンネリーゼは面食らってそのまま、少し考える。そして苦しそうに言った。
「それでも……それでもこう生きるほかないでしょう? ……前を向くほか……ないでしょう? ……ミリヤム、違うのですか」
その言葉にレベッカは思わず立ち上がって、アンネリーゼの手を取って引き寄せた。
同時に兄も動き、ミリヤムの手を掴み簡単にひねりあげて拘束する。
「私もそう思うわ。アンネリーゼ、どんなことが起きたって、つらくたって時間は経つし明日は来る。そしていつかその先で振り返った時に、あの時に知ったことも、この時に思ったことも糧になって、今があるって思うものだわ」
「きれいごとですね! 子供っぽいわ!」
「レベッカ様……」
「きれいごとでも、子供っぽくてバカバカかしくても……開き直って馬鹿にして、人を引きずり下ろす側に回ってはいけない、それだけは変わらないでしょう?」
「な……なによ、私はただ、天罰を……」
兄に押さえつけられ、ミリヤムは膝を折る。けれどもそれでもずっとアンネリーゼを見つめていた。
「違うわ。あなたはただ、アンネリーゼを恨んで嘘をついて、画策して貶めようとした、あなただけが悪い、あなたは間違っていて、罰を受けるべきはあなたよ」
「そんな、はずは……」
レベッカの言葉に反応しつつもミリヤムはずっとアンネリーゼを見つめていて、その表情に言葉を失う。
アンネリーゼは責めるでもなく悲しんでいて、それでも隣にいるレベッカを見て、ジークフリートを見てぐっと歯を食いしばる。
それからミリヤムに、震える声で言った。
「そうです、たくさんの方にご迷惑をおかけしましたっ、きちんとした処罰が必要です。もう二度とこんなことを起さないように」
「なんですか、せめて私のことを罵るぐらいはしたらどうですか、馬鹿にしているんですか?」
「なら、なにをするかわからないし一応は捕らえておくぞ。…………にしてもどうしようもない子悪党だったな」
「あら、お兄さまだって対処に困っていたのに」
「わ、わかってしまうと犯人は小物に見えるなという意味だ」
兄の言葉にレベッカは心底同意したくなったが、彼女に随分と惑わされたのも事実だったので、少し兄を揶揄った。
男性の使用人を呼び、縄で縛りテキパキとしているジークフリートだったが、ミリヤムはその手から逃れようと身をよじっている。
「なんとか言ってくださいよ、アンネリーゼ様っ、あんなに幼いころから共にいたのに腹が立ったのでしょう?」
「……」
「平手の一つぐらいは甘んじて受け入れるわ。そのぐらいはしてもいいじゃない」
「……しません」
「感情に任せて、手を下すことすらしないなんてどうかしているわ、どうかしているのよ……私の何もかもが醜いだけだっていうのですか、アンネリーゼ様」
「…………」
眉間にしわを寄せて連れていかれるミリヤムを見送るアンネリーゼに、レベッカは肩に手を置いて、しょぼくれている彼女にどうしたものかと視線を送った。
兄が戻ってくるまでに時間がかかるだろうし、なにも声をかけないわけにもいかない。
しかし、レベッカにはなにも言えることがない。
あんなふうに歪んだ人に執着されて、人生を滅茶苦茶にされかかったことなどレベッカにはないのだ。
それに彼女の気持ちがわからないわけでもないのだ。共感はできないけれども、わかる。
歳の近いレベッカから見ても、アンネリーゼは純粋で、まっすぐでピカピカしている真夏の太陽みたいな子だ。
照らされ続けて、ずっとそばにいたら眩しくて目がつぶれて道に迷うかもしれない。
もちろん、そうではない人もいるだろうけれど。
……先も後も考えずにただまっすぐな人もいれば、言えないような複雑さをかかえている人もいるし、端から向き合う気がない手を取り合えない相手もこの世にはいるのよね。
魔法の風と水と土と炎の中に相性が合って、助け合えることもあれば、反発することもあるように、人と人がいる以上いろいろである。
……でも、仕方なかったという言葉はきっと、この子には慰めにならないのでしょうから。
そう思って、心細そうな肩を抱いて引き寄せてからそっと背を撫でた。
きつく抱きしめることが出来るほどレベッカは感情的にならない質だけれどそれでも精一杯の慰めのつもりだった。
「…………ありがとうございます」
「いいえ、いつでも頼ってと言ったでしょう」
「はい」
レベッカの肩に頭を預けるアンネリーゼに、少しホッとしたのだった。




