20 疑惑
父に言われた話の通り、フォルクハルトと結婚するにあたってレーゼル公爵との顔合わせの場は必要だと思う。
歴史的にそれほど古い家系ではない彼らと、常にこの国とともにあったライゼンハイマー公爵家では価値の違いも大きい。
同じ上級貴族として会議の場で顔を合わせて交流することはあったがそれだけの関係性だ。
親類としてかかわっていく可能性がある以上は、しっかりとコミュニケーションを取り合ってすれ違いが起きないようにしていく必要がある。
今日はその話をするためにレベッカは午前中、気合いを入れてカリーナとともに身支度に時間を割いた。
装飾の多い美しいドレスを着て、ヘアセットにもいつもより時間をかけた。
宝石のついた髪飾りを選び、フォルクハルトと会うのが楽しみだとカリーナと話をしていると、来客があった。
「お忙しいところ申し訳ありません。レベッカ様。奥方さまより依頼を受けておりまして少しだけ話を伺いたいのです」
頭を下げて、真剣な顔でこちらを見つめているのは侍女頭のマグダレーナだった。
昔からこのライゼンハイマーに務めており、レベッカが物心ついたころにはすでに、今のきりりとして仕事が出来そうな上級使用人として存在していた気すらするベテランの女性だ。
「お母さまから……そう少しならば問題ないわ」
「ありがとうございます。ああ、カリーナもありがとう」
レベッカがドレッサーの前から動こうとすると、カリーナはすぐに椅子を持ってきてわざわざレベッカが移動しなくてもいいように配慮してくれたのだと思う。
マグダレーナも軽く話をするだけということなので、こういう形で問題がないと判断したらしく、腰かけて早速本題を切り出した。
「では、お伺いします。近頃、屋敷の使用人どもの間での噂をご存じでしょうか?」
彼女の問いかけに心当たりがなかったので、レベッカはちらりとカリーナを見上げた。
使用人同士のことなのでレベッカが知らない事情もあるだろうという意味だったのだが、普段そういうことはめったにない。
カリーナとレベッカはなんてことのない話もよくする方なので、大体はカリーナが知っていることはレベッカも知っている。
しかし今回ばかりはそうではなかったらしく、カリーナは少しの考える間もなく、顔をしかめて口を引き結んだ。
「なるほど、わかりました。ご協力ありがとうございます。レベッカ様、カリーナから後日話を聞いておきますので」
マグダレーナはカリーナの表情を見てすぐにどういう事態になっているかということを察したらしく、にこやかな笑みを浮かべて立ち上がろうとした。
しかし、いくら自分の知らないところだけで起こっている話なのだとしても気にはなるし、なにより知っておきたい。
母が対応していて、巻き込まれないことが配慮であるとしてもレベッカはそれを嬉しくは思うけれど受け入れることはできないのである。
「いいえ、この場で教えて欲しいわ。問題が起こっているなら私もきちんと当事者でありたいの……とても大切なことでしょう?」
マグダレーナを引き留めて、含みを持たせて言う。
跡取りとなった身としても、個人としてもどちらの意味も含まれているが、マグダレーナは少し考えてから「わかりました」と観念したように言った。
「……使用人たちの間に流れている噂というのは、アンネリーゼ様とレベッカ様のことです。先日交流を持たれたと伺っておりますし関係も良好であると」
「そうね、資料の貸し出しをするぐらいには」
彼女の言葉に、やはりと思う気持ちがレベッカの中にはあった。
兄が言った通り、彼女と母の間に問題があり、レベッカとの間にも遅刻や無視といった問題はあった。
それでも良好な関係を築いているのは、彼女自身のまっすぐな性格のたまものである。
「しかし使用人たちの間では、アンネリーゼ様がレベッカ様に対する不満を持っていてその気持ちを吐露することがおおく、その言葉はあまりにも侮辱的であり……我々は良く知っているレベッカ様のことですからアンネリーゼ様に問題があるのではないかという話になっているのです」
そう言われてアンネリーゼが部屋に戻ってキィー! とヒステリックにハンカチを嚙みしめながら文句を言っているところを想像してみた。
しかしまったくしっくりこない。
そんなことはしないだろうし、裏表などないのではないか。
けれどもそう思わせるほどアンネリーゼが演技を得意として実践できるほど狡猾で頭のいい人ならば、むしろ使用人の間にその噂が広がるという点に違和感がある。
それほど頭の良い人間であれば、レベッカの悪口を言えばライゼンハイマーの使用人から反感を買うことなど容易に想像ができるはずなのだ。
……つまり、なんというか……悪意を感じるけれどそれは私に対する悪意というよりも…………。
「奥方さまの誘いを無視し、遅刻も当たり前、それでいて仕事もおざなりで本人は堂々としているなど……困った方ではないかという話です。ジークフリート様の大切な方ですので今は慎重に調べを進めていますが、最悪の場合もあるかもしれません」
「わかったわ。話をしてくれてありがとう、マグダレーナ」
「いいえ、次期当主であるレベッカ様の申し出ですから、当然です。むしろわたくしは嬉しいです、自覚をもって務めてくださっているのですね」
珍しく、マグダレーナはレベッカを認めるような言葉を言って、仕度の邪魔をするわけにはいかないからと早々に去っていく。
褒めてもらえたことは嬉しいけれども、きっとアンネリーゼに対するレベッカの直感は正しい。
彼女とはたくさんの話をしたのだ。
実家のことや、ここでの生活のこと、彼女自身のこと、それを嘘だったと思うことなど現実的に不可能でアンネリーゼは兄の言葉通りよい子である。
ただ、貴族の生活というものは必ずしも本人だけで回っていくものではない。必ず人をはさんでやり取りをすることになる。
そして噂が出回っているのは使用人たちの間で、なのだろう。
けれども何かのきっかけを得れば、母やマグダレーナはアンネリーゼに対して行動を起こすかもしれない。この話を兄にして相談をして見極める時間があるのか気持ちは少し焦るけれど、きちんと話し合いをすれば大丈夫だろう。
そうすることでしか、解決しない問題もある。向き合うことでしかわからないこともある。
正しい事情を知って、適切な対処をしなければ。
きっともうすぐ貸した資料を返却に来る頃だ、その時に話をできるようにしておこう。




