16 優しさ
「本日はお招きいただきありがとうございますわ」
「笑顔がぎこちないです、もう一度」
「本日は、お招きいただきありがとうございますっわ」
「優雅さにかけます、もう一度」
「ほ、本日はお招きいただきありがとうございますわ」
「……もう少し丁寧に」
エルゼは最終的に不可解そうな顔をして、それからまたもう一度と口にする。
その言葉に、アンネリーゼは腰を落として、優雅な淑女礼をしているつもりなのにエルゼは結局満足することなく「今日はこのあたりで」と言った。
アンネリーゼはいつものように「ご指導ありがとうございました!」と彼女にお礼を言う。
するとエルゼはとても不愉快そうな顔になって、アンネリーゼにピシャリといった。
「こんな時間に、大きな声を出さないこと。旦那様に呆れられてしまいます」
「は、はい」
「よろしい。まったく、旦那様はあなたを甘やかしすぎです。わたくしはいい加減、腹が立ってきました」
「ジークフリート様は悪くありません、わたくしが足りないことばかりなのです」
「ええそうです! ここは王都、様々な貴族の思惑が渦巻く場所です。すべて完璧でなければいけません、この新築のお屋敷もまだまだ洗練されていないあらだらけですもの、わたくしはやることが多くて参ってしまいます」
エルゼはとても厳しくアンネリーゼにそういうが、新しい屋敷を立てるために新しい人を雇ったのだから、完璧にとはいかないのは当たり前のことだ。
それをどうにかしようとしてくれるのはとてもいいことだけれど、あまりに強く言っては、驚いて使用人も逃げていってしまう。
「それはわかるけれど、エルゼはとっても怖いですからもう少し、私以外の人には優しく言ってあげてください!」
「わたくしが怖いですって? どの口がそんな言葉を言ったのかしら」
「そう怒らないで欲しいのです!」
「もっとお淑やかに!」
厳しくそういうエルゼも、若干声が大きくなってきているのだがとアンネリーゼは思ったが別にあらを探したい訳ではない。
ともかく今のような遅い時間に問答をしてはたしかにジークフリートに呆れられてしまう。
なので素直に「そう怒らないでくださいませ」と先日会った、レベッカを真似して言ってみた。
すると彼女は一時キョトンとしてそれから「悪くないですね」と怒りも収まった様子だった。
その様子がなんだかおかしくてアンネリーゼはくすくす笑って、笑いつつも自分の机に座った。
エルゼから学ぶマナー講習も終わったので今後は勉強の時間だ。
「あらやだ、エルゼ様ったら本当に怖いですね。アンネリーゼ様」
「たしかにエルゼは怖いです」
「聞こえていますよ?」
ベッドを整えていたエルゼの耳にまで届いていた様子で、ぎろりと視線を向けられ、アンネリーゼはシャキッとして頭を振った。
それから仕事を終えた彼女はもうさがるというので挨拶をして机へと視線を移す。
すると隣からミリヤムがケーキとミルクを持ってきてページを開いた本のすぐ隣に置いた。
「アンネリーゼ様、無理は禁物ですよ。ほら甘いものでも食べて、今日はもう遅いですし、眠ってしまったらいかがかしら?」
ミリヤムは優しい顔をしてアンネリーゼに提案した。
しかしそう言われるとアンネリーゼは困ってしまう。
彼女がいつもアンネリーゼの為を想ってこうして優しくしてくれているというのは知っているけれども、アンネリーゼがやりたくてやっていることだ。
そう伝えても、いつも心配してくれるのは、彼女ぐらいの歳の女性は皆そういうものなのだろうか。
「……ミリヤム、わたくしは、もっともっと努力をしなければならないのです。たくさんのことを学ぶ必要がありますし、公爵家の方々とも対等な話ができるように王都の情報が足りていません」
「ええ、でも……」
「心配は嬉しいですが、無理はしていません。むしろ目標がはっきりして今はとてもやる気が出てくるのです」
アンネリーゼは先日のお茶会で出会った、義妹に当たるレベッカのことを思い出した。
レベッカはジークフリートによく似た女性で、さらりとした金髪に、金箔を張り付けたかのようにキラキラとした華やかな瞳、とても高貴で彼ら兄妹は雰囲気がとてもよく似ている。
レベッカは義妹だけれど、実のところアンネリーゼの方が三つも年下で、彼女もジークフリートもとても大人びていて洗練されていて、かっこよく見える。
ジークフリートは男の人で彼のようになりたいとは思うことが出来なかったけれども、女性として少し先を行っている美しくお淑やかな姿、そして真摯な優しさにアンネリーゼは彼女のようになりたいと目標を立てた。
だからこそ、無限に力が湧いてくる。
今までよりもずっと明確にやることを選び取ることが出来て楽しいのだ。
その思いが伝われば良いなと思ってミリヤムを見つめる。
けれど彼女は「それはいいことですね」と適当を言った。
……感情が乗っていない言葉はわかりやすいです。
それから、ニコリとして続ける。
「では、お飲み物だけでもどうぞ、ミルクを飲むと女性らしい体つきになりやすいそうですよ」
「……そうですか」
あまり好きでもないそれを手渡されて、そういう配慮ならばとアンネリーゼは飲み干す。
勉強を終えたらやるべき仕事もあるし、できるだけ早く取り掛かりたいと思ってのことだった。
けれども何故かすぐに眩暈のような猛烈な眠気が襲ってきて、アンネリーゼは歪む思考のなか、やっぱりミルクを飲むのは嫌いだと思った。




