10 違和感
レベッカたちの住んでいる国、ソルンハイムは非常に寛容で慈悲深い国家だと言われている。
というのも、魔獣の被害が出た土地には援助金の申請権利が与えられるし、国家として教会との連携をとり困窮している平民に対する仕事のあっせんや生活の保護なども手厚い。
そういった弱い人たちの声を聴いて実践することはソルンハイムの元からの性質ではあるのだが、特に今の国王であるヴィルヘルムになってさらに顕著になった。
多くの人が彼を尊敬していて、信じている。
けれどもエレノア王国との衝突があって以来、ヴィルヘルム国王への信頼が徐々に崩れ始めているのも事実だ。
「本当はもう少しいい報告をしたかったんだけれど、国の財政問題も深刻化してきているからこういう数字になったんだ。一応レベッカさんにも共有したけれど具体的に要望があったら自分の方に連絡をしてほしいと言っておいて」
「わかったわ。きっちり届けておくわね」
「ウン。よろしく……早く国王陛下が心の平穏を取り戻すことが出来ればいいんだけれど」
「ええ、そうね。そう祈るばかりだわ」
フォルクハルトの言葉にレベッカは書類を受け取りながら同意した。
彼はレベッカと出会う前からジークフリートと協力関係にあり、ジークフリートの妻となったアンネリーゼの実家の復興をとても親身に手伝ってくれている。
こうして、会ったタイミングでの業務連絡ぐらいはレベッカもお安い御用であるし、なにより公爵家の跡取り令嬢となったレベッカにとってはまったく無関係の話というわけではない。
家全体の家族のこと、そして今起こっているソルンハイムの問題もレベッカにとってとても身近でそして解決すべき問題だ。
しかし、もちろんそれはわかっているが、目の前のフォルクハルトと向き合うことはなにより大切なことだと言っていいだろう。
……そればかりは、ローベルトから学ばせてもらったことね。
苦々しく思いながらもレベッカは笑みを浮かべて言った。
「じゃあ、あまり長居してしまってもよくないから、そろそろ失礼するわね。フォルクハルトさん、また……今度は……遊びに来てください。お兄さまも喜ぶわ」
「うん! 気をつけて帰って」
次の約束をすると彼は嬉しそうに笑みを浮かべて、レベッカも嬉しくなる。
忙しくなってからでもなにも一分だって無駄にできなかったわけではない。心が離れる前に、父や兄に相談して話をできるようにしていたらローベルトも向き合おうという気持ちになっていたかもしれない。
……もちろんなっていなかった可能性もあるけれど。でも、そうしてやれることを考えていくのは悪いことではないものね。
だから、まずはフォルクハルトとの関係を優先しつつ、バランスよく対応を。
難しいだろうけれど、これもレベッカが受け入れたことだ。目の前にいるフォルクハルトを少し見上げてやけにやる気が増してきて、無駄にきりりとして馬車に乗ったのだった。
馬車へと乗り込むと侍女のカリーナが笑みをこらえきれずに変な顔をしていて、レベッカはその様子にくすくすと笑う。
「そんなに堪えなくてもいいのよ」
「ですが、さすがに」
「私も思っているから、あまりにも私たちのやり取りはむず痒いというか、ね」
「っ、はいぃ、申し訳ありません。なんだかほっこりして、ニマニマとした笑みが……ローベルト様とのデートの時にはこんなふうではなかったのですよ?」
「知ってるわ。カリーナは優秀な侍女だもの」
言い訳をしてわたわたと手を動かす彼女に、レベッカはフォローするように言った。
従者という仕事をしているとしても人間で、そばで控えてレベッカの面倒を見てくれるのだから、その主と相手の関係性に思う所があるのだって当然のことだ。
それを完璧にスルーして心を無にした機械人形のようになれだなんて、自分もできないのに言うつもりもない。
「あたしも、あたしのことそう思ってますけど、今回ばかりは……それにしても本当に”いい人”ですね。レベッカ様」
「ええ、それに少し天然ね」
「はい、天然ですね。やっぱりジークフリート様が見初めただけありますかね?」
彼女は兄のことを引き合いに出し、レベッカは深く頷いた。
兄はあまり勉強も社交も得意ではないし、できることならパーティーは出たくないというたちなのだが、それでも直感能力だけは優れている。
むしろそれだけで騎士をやっているといっても過言ではない。
その直感能力は人を見る目でも発揮されるので、フォルクハルトが根っからのいい人なのは前提として、生涯の相手にと選んだアンネリーゼももちろん素敵な人物だと思う。
…………ただ、そのアンネリーゼさん、少しだけ引っかかるのよね。
きれいな赤毛を持つ無口な令嬢で、今まで二回ほどお茶会を開こうと誘いをかけている。
しかしどちらとも返答がない。
兄は公爵家タウンハウスの隣へと新しい棟を立ててうつっているのでおのずと偶然顔を合わせて話ができるということもない。
それに兄を経由して連絡を取る場合には、きちんと情報伝達が行われている様子で舞踏会で姿を見ることもある。
偶然その二回の誘いだけがどこかの伝達ミスで伝わらなかったのかそれとも誰かの意図があるのか、とても気になるところではあるのだが、今日でそんなふうに悩む日も終わりであればいいと思う。
「アンネリーゼ様のことをお考えですか? 大丈夫ですよ、だって今日のお茶会をとても楽しみにしていると連絡をいただいたのですから」
「そうね。あまり心配しすぎても意味はないもの」
カリーナはすぐに察してレベッカを励ました。
その様子にやはり彼女は出来る侍女だと思う。以心伝心とまではいかずとも、よくくみ取ってくれるレベッカの一番の使用人だ。
そんな彼女が大丈夫だと言ってくれたのだから大丈夫だろうと気軽に考えて、馬車に身を預けてガタゴトと小さく揺れながら帰りの道を進んでいったのだった。




