空間転移
昼の混雑が過ぎたカフェには、穏やかな時間が流れていた
マスターは、タバコ休憩に出ている
そこにコワモテのおじさんがひょっこりと現れた
「おっ マスター休憩か? ちょうどいいな スピカブレンドをエスプレッソでよろしく」
一瞬、空気が固まる
スバルは慌ててメニュー表を裏まで確認したが、そんな名前はどこにもない
「すみません、当店にはそのメニューは……」
「冗談きついな ここでしか飲めないコーヒーだろ? この席で、何度も頼んだぞ」
(まさか……過去に、ここだけ違う時間が流れてた? それとも裏取引の隠語?)
厨房に戻ったスバルは、諦めながら探すフリだけをして棚を漁った
「ちょっと切らしてるみたいです」と言えば良いはずだ……
そして、ふと指先に触れる――手書きのラベル
『SPICA』とだけ書かれた、少し古びたコーヒー豆
見覚えがない 仕入れのリストにも載っていない
「えっ……スピカ?」
恐る恐るマシンにセットする
普段のブレンドとは違う、どこか懐かしい
まるで新人研修時代のような粗さもある匂いのコーヒーだった
カップを差し出すと、彼は満足げに一口
「これこれ 懐かしいなぁ この前撃たれてたけど元気にやってるかな~」
「撃たれ……!」
これ以上は聞かない方が良い
一般市民が知らない方が良いこともあるはずだ
――
今日は夕方になっても客足が多い
「スピカブレンドってまだある?」
「うっ……はい」
夕日で反射した光がSPICAというラベルを輝かせる
まるで客を呼び込んでいるように
結局今日でストックのほとんどを使い切ってしまった
マスターに報告すると
「あ~だろうね 今後の入荷は無いから、売り切れって言っといて」
と、当然のように言われた
急に今日売れたのに
売り切れが当たり前で入荷も無いなんて!
――
その後は
メニューに無いのにスピカブレンドがあるか聞かれる
その度に売り切れと説明している
みんな少し寂しそうな顔をして
「……また飲みたいな~スピカブレンド 」
という思い出が無くなってしまったような反応をされる
──今日もこのカフェには不思議な客層が根付いてる