真実の愛は政略結婚よりも尊いのです、と宣った王妃の行く末は……
久しぶりの短編です。少々長めですが。
筆が遅いので、昨年から完結させてから投稿することにしました。しかしそうなるとなかなか投稿できないので、長編の合間に短編を書いて投稿することにしました。
よろしくお願いします。
「家臣や国民は王家のために尽くすのが当たり前だ。個々の家庭よりも王家に尽くせ!
たとえ妻が病気になっても、子供を亡くしても、家庭が崩壊してもだ」
かつて王位に就いた若き国王フェルマンは、臣下の前でそう言い放った。
そしてそれはお題目ではなく現実に実行された。
国王は家臣達に十分な休暇を与えないどころか、連日深夜近くまで働かせた。
国のために働けるお前達は幸せ者だ。自分達がこの国の役に立っていると思うと、やる気が増すだろう?
国王フェルマンは、満足気に寝る間も惜しんで仕事に励む家臣達に言った。
しかし国王は彼らが自分に対していつも頭を下げたままで、誰一人顔を上げず、言葉を発していなかったことには気付いていなかった。
この国王になってから、家庭を持つことを諦める家臣が急速に増えた。
愛する家族に辛い思いさせて苦悩する仲間達の姿を見続けて、自分は同じ思いをしたくないし、大切な人にそんな辛い思いをさせたくないと考えるようになったからだ。
国王は周りの者達に畏まられ、毎日意気揚々と政務に励んでいた。
しかしそんな夫とは違い、妻のキャンべラ王妃は近頃機嫌が悪かった。
結婚して以来ずっとお茶会を開けず、ストレスを発散させる場所がなかったからだ。
何故開かれないかというと、当然参加者が集まらないからだった。
結婚してすぐに、隣国との間に戦争とまでは呼べないかもしれないが、大きな揉め事が起きた。
それ自体は三か月ほどで終わったのだが、その後始末が長引き、国内がずっとゴタゴタしていたために、お茶会など開いている余裕がなかったのだ。
そして国内がどうにか落ち着きを取り戻した頃、王妃は懐妊し、その後も間を空けずに次の懐妊となってしまった。
しかも二度目は双子であったために、悪阻が終わった後も出産が始まるまで体調が優れなかった。
さらに女児の双子を産んだ後も、産後の肥立ちがあまり良くなかったのだ。
そのためにずっと待ち望んでいたお茶会を開くことが叶わなかったというわけだ。
王妃の体調がようやく戻ったのは、二度目の出産から一年近く経った頃だった。
早速彼女は待ちに待ったお茶会を開こうしたのだが、その時には既にその招待に応じる者は皆無だった。
学園時代の友人達を招待すればいいじゃないかと、夫である国王には言われた。
しかし学園時代の王妃は今の夫である当時の王太子と常に一緒にいたために、親しい友人はできなかった。
それでも婚約時代にお茶会に参加してくれた同級生達に声をかけてみたのだが、その全員に断られてしまったのだ。
「王妃様がご出産でお茶会を開けなかった間に、ご友人の方々も結婚をなさったり、お子様を産んだりなさって、あまり自由がきかないのではないですか」
そう侍女長に言われて、なるほどと王妃は思った。そして皆が落ち着くまで我慢しなくてはいけないかしら?と素直に思った。
まさか側に仕える侍女達に内心では呆れられているだなんて、彼女は思ってもいなかったようだ。
どうしてこんなにも友人?達が顔を見せないのか、手紙を寄越さないのか。
友人?達が今どのような暮らしをしているのか。
それをどうしてもっと深く考えないのだろう、と侍女達は不思議に思った。
普通なら友人本人に手紙を出すなり、仕えている自分達に訊ねたりするものだろう。
しかしキャンべラ王妃は専属の侍女にでさえ、自ら話しかけることはしない。
仕事を命じるだけで、雑談さえしないのだ。それくらいだから、侍女の名前を覚えようとさえしなかった。
そのため、仕える者達もわざわざ自分の名を伝える者もいなかった。
身分の低い下位貴族出身者の名前など覚える意味なんてない、ということなのだろう。
自分達はしょせん価値のない、居ても居なくてもいい人間なのね。
王宮勤めの女官や侍女やメイド達のプライドはズタズタにされた。
これでは雑用しかできない下女と何の変わりもないではないか。
今まで努力して身に付けてきたものが全て無駄になった。
高い地位を与えられ、やる気のあった優秀な女官から次々に辞めていった。
残ったのは生活のため、お金のために最低限の与えられた仕事だけをこなす人間だけになった。
そんな彼女達でさえ、皆心の中でこんな風に思っていた。
『王妃ともあろう方がこんなに他人に無関心で大丈夫なのかしら』
と。
そして彼女達のその心配は杞憂では終わらなかった。
何故ならお茶会どころか、王城では夜会さえも滅多に開かれなくなったからだ。
なぜなら、招待状を送っても若い者達は参加しなかったからだ。
毎回出席するのは、とうに引退して一線を退いてもいいだろうと思われるような、かなり年配の当主夫妻ばかりだった。
そんな両親や祖父母のような年代の者達と、今さら縁を深めたいという気持ちにもなれず、王妃は夜会を開くことを躊躇うようになったのだ。
こうなると、おっとりした王妃も流石にこの状況に危機感を覚えたのだが、夫に相談をしても、夜会の開催は王妃の役目だからなんとかしろ!と叱られるだけであった。
しかし何度若い貴族達宛に招待状を送っても期待する返事は返って来なかった。
今は他国にいるからとか、旅行で遠方にいるからとか、領地の仕事で忙しくて手がはなせないからと、不参加を知らせるものばかり。
そもそも王城勤め者は仕事が忙しくて夜会に参加する暇などなかったのだ。
とはいえ、王家主催の夜会を欠席するわけにもいかなかった。
そこで、ほとんどの家では息子や娘の代わりに、彼らの両親や祖父達が参加していたというわけだ。
それでも男達は一応その者達だけで十分社交が成り立つのだから、夜会を開くべきだということくらい王妃にだってわかっていた。
しかし、そんな年配の女性達ばかりが出席するのでは口煩いし、流行りのファッションの話もできなくてつまらない。
そのために王妃は、積極的に夜会を開こうとは思えなくなっていたのだ。
かといってこのまま放置するわけにもいかず、王妃は国王の優秀な側近と評判の五人に相談に乗ってもらおうと考えた。
ところが、忙しくしている彼らを捕まえることができなかった。
そしてそうこうしているうちに王妃は、夜会よりもっと大きな問題が自分達の前に立ち塞がっていたことにようやく気が付いたのだった。
✽✽✽✽✽
国王陛下夫妻の初めての子は、待望の王子だった。王家では王子が生まれて、その子が五歳になると、将来の側近を見繕うためのガーデンパーティーを開くことが恒例になっていた。
しかしいつまで経ってもそのパーティーを開く目処が立たなかった。
王妃は以前にもまして苛立ち、侍女達を罵り怒鳴りつけた。しかしそれでは何の解決にもならなかったので、最後は夫である国王に泣きついた。
するとこれまで社交は全て妻任せだった国王も、さすがに大切な嫡男のためのパーティーが一向に進まないことには黙っているわけにはいかなくなった。
直ぐ様王子のためのパーティーを開催しろと五人の側近に命じた。
ところが、彼らは口を合わせたかのように無理ですと即答した。
「何故開けぬのだ!」
「招待できるお子様がいらっしゃいません」
「は?」
「王妃殿下のご要望は王子殿下より三歳上から、二歳下までの伯爵以上のお子様ということでしたが、該当するお子様はおりませんでした。
下位貴族ならば数人はいるようですが、王家のパーティーに参加できるようなお子はおりませんでした」
「何を言っている? いないなんてことはないだろう。
そなたのところにはいないのか?」
「私は結婚しておりません」
そんなことも知らないのか。年は二つほど下だったが、一応学生時代から側にいたのにと、伯爵家の次男である側近アンドレアが答えた。
「そなたは?」
「私も未婚です」
やはり伯爵家の、こちらは嫡男のモーリスが答えた。
彼は国王とは同じ年で幼い頃から側にいた、いわゆる幼なじみとも呼べる側近だった。
「そなたは? 確か結婚しておったな?」
「子供ができる前に離縁いたしました。
子供が生まれず良かったです。妻と子供を不幸にせずに済みましたから」
皮肉交じりにそう返事をしたのは、国王の一つ年上の侯爵家の嫡男リチャードだった。
「なっ!
えーっと、でもそなたには間違いなく子供が生まれていたよな?」
国王は自分にとっては兄のような存在である、四つ年上の公爵家の嫡男であるローランドに向き直ってこう訊ねた。
すると四人目の側近は、淡々とこう答えた。
「息子は三年前に亡くなりました。
病気の子供を見舞うことも、死に目に会うことも、葬儀にさえ参列できず、妻から離縁されました。
その後は独身を貫いておりますので子供はおりません。
これ以上不幸な人を作りたくはないので、今後も再婚する気はありません」
と。
とうに爵位を譲られて当主になっていてもおかしくない年齢なのに、そういえば未だに令息のままだ。
その疑問というか違和感に今さらながらに気が付いた国王の背中に、冷たい汗が流れ落ちた。
国王は救いを求めるように、最後の五人目の側近である侯爵家の嫡男を見た。
彼は国王と同じ年で従兄弟でもあった。彼の母親が前国王の妹だったのだ。
「アーノルド、お前には婚約者がいたよな? いつ結婚するのだ?」
そう訊ねられたアーノルドは、真っ青な大きな目を細めて冷笑を浮かべた。
「意外ですね。私に婚約者がいたことを覚えていたとは。でも、それを解消したことは覚えていないのですね。(貴方が原因だというのに)」
「解消? なぜ解消したのだ? 確かお前と同じ侯爵家の令嬢で、才色兼備の文句のないご令嬢だったよな。
幼なじみで政略結婚だというのに仲睦まじいと聞いていたが」
「ほう。そこまでご存知だったとは意外ですね。
でも、肝心なことは覚えていないのですね」
「肝心なこと? 何だそれは」
国王が疑問をぶつけると、アーノルドは全ての表情を消してこう言った。
「私の婚約者だったアイリア嬢は、キャンべラ嬢に良かれと思って忠告したのに、王太子の寵愛を受ける令嬢に嫉妬し、虐めをする悪女だと貴方に断罪されたのですよ。そのせいで、貴族籍まで剥奪されたのをお忘れですか?
平民となってしまった彼女と婚約を続けられるわけがないでしょう」
自分のせいで従兄弟の婚約を壊しておきながら、それさえ覚えていなかったのかと、さすがに他の側近達も驚いた。
まあ、この国王にとってはたとえ血が繋がっていようが、幼なじみだろうが、同級生だろうが、側近なんて名前も知らない単なる家臣と大して変わらない。そんなことくらい嫌なほどわかってはいたのだが。
さすがの国王も、これらの事実を聞いてばつが悪くなったのだろうか、早口になってこう言い募った。
「たしかにアイリア……嬢のことは罰したが、侯爵家自体にはお咎めを与えたわけではない。
あそこにはもう一人令嬢がいただろう」
「彼女には他国出身の婚約者がいましたよ」
アイリアの実家に罰を与えなかったのは、何も彼の恩情なわけではない。
外務担当大臣として名声の高い侯爵を処罰してしまっては自分が困るからに過ぎない。
当時国王が急な病で倒れて、王太子が実質的な国のトップに立っていた。
しかしまだ若かったために外交経験が浅く、外国とのしっかりした繋がりを持っていなかったのだ。
つまり侯爵がいなければ他国との交渉などできないのがわかっていたから、罰せられなかっただけだ。
そのことを判断できたなら、なぜその外務大臣の娘を冤罪で罰して平民に落とすような真似をしたのか、臣下達は理解に苦しんだものだった。
彼にとって運命の相手であるキャンべラ嬢に仇なす者は、たとえその大事な大臣より、ある意味大切だったのだろう。
そう人々は解釈して、その後進んで自ら彼女に接触しようとする者は誰もいなくなった。
何が彼女の機嫌を損ねるかわからないのだから当然だ。
たとえ悪気がなかろうと、彼女が不満を一つでも零せば、その原因を作った者は罰せられる可能性があるのだから。
「妹がだめでも他にも良い相手はいただろう。なぜその後結婚しなかったのだ?」
「何をおっしゃっているのですか?
婚約を解消したのは学園を卒業したその翌日ですよ。
すでに良い方には婚約者がいましたよ」
「そうかもしれんが、その後すぐに、婚約者がいなくなったご令嬢が何人かいただろう。そのご令嬢とこん……」
婚約すれば良かったではないかと言いかけて、さすがの国王も空気を読んでそれ以上言葉を続けるのを止めた。まあ遅きに失すだったが。
それは決しては口に出しては禁句であった。特に国王は。
なぜなら、そのご令嬢達に突然婚約者がいなくなった理由は、お相手の男性が戦死したからであり、その戦争が起きた原因は国王にあったからだ。
一体どこまで無神経な人間なのだろうと、五人の側近達は思った。
そしてこの国王の不適切な言葉はその後も続き、最終的にそれらの言葉が彼自身を滅亡へ導く引き金となった。
「それなら、私が君達の婚約者を探すことにしよう。
これまではこの国の再建のために忙しくて、そんな余裕はなかったが、ようやく落ち着いてきたからな。
私の側近が揃いも揃って独身というのでは、他の臣下達にも格好がつかないからな。
他国から妙な噂を立てられかねないしな」
(いや、もうとっくに噂になっているよ。国王の側近五人組が皆独身なのは、実は国王の愛人なのではないかってね)
五人は五人とも高位貴族の出であり、タイプは皆違ってはいたが眉目秀麗であった。
ただし家格や容姿で側近に選ばれたのではなく、その能力の高さと人柄で選ばれていたということは、周知の事実だった。
しかし、庶民や他国の人間がそれを知るばずもないから、そんな噂が面白おかしく独り歩きしていたのだ。
それを数年経った今ようやく耳にしたらしい。
五人にとってそんなことは今さら感が強過ぎて、もうどうでもよいことだった。
そこでアーノルドはこう言った。
「ありがたいお言葉ですが、謹んでお断りいたします。私はアイリア嬢以外の女性と結婚する気はありませんので」
「私もお断りします。別れた妻以外の女性を後妻に迎えるつもりはありませんので。
そうでなくては亡き息子に申し訳が立ちません」
と、アーノルドとローランドがこう言えば、リチャードも自分も同じ気持ちですと、彼らの後追いするように、続け様に告げた。
そして残りのモーリスとアンドレアの二人も声を合わせてご遠慮致します、とはっきり断った。
結局結ばれはしなかったが、彼らにはずっと大切に思っていて、いずれ告白しようと思っていた大切なご令嬢がいたのだ。
その彼女以外の方と結婚する気はないと。
まさか五人全員に断られると思ってもいなかった国王は喫驚した。
そして親切心で国王自ら申し出てやったのに、それを断るとはなんて不敬な連中なんだと憤り、こう怒鳴った。
「たった一人の女性に操を立てるために独身を通すなど、何を小説の中の物語のヒロインのようなことを言っているのだ。
君達は庶民ではなくて貴族なのだぞ。家の存続のために政略結婚をするのは当然だろう」
すると、五人はすまし顔でこう言い返した。
「我々は陛下を尊敬しております。それ故、陛下を見倣って政略結婚ではなく、真実の愛を重視してそれを貫こうと存じております。
そのためにたとえこの国が危険にさらされたとしても」
フェルマン国王は、瞠目した。そして何も言い返せなかった。
なぜならフェルマン国王にもかつて政略結婚で決められた婚約者がいたのだ。
それは隣国の第二王女のドリアーヌだった。
二人は十二歳の時に婚約し、頻繁に手紙のやり取りをしていたが、さらに仲を深めようとした王女は、十五歳の時にわざわざ学園に留学してきた。
王女はとても美しく、しかも才媛だった。
気高く、堂々としていたが、人を見下すことはなく、誰に対しても気さくに話しかけるような、素晴らしい人物だった。
こんな素晴らしい王女が王妃になってくださるのだと、学園に通う生徒達は心躍らせた。
そしてそのドリアーヌ王女の世話係に任命されていたのが、外務担当大臣の娘で、王太子の従兄弟の婚約者であったアイリア嬢だった。
彼女は父親の仕事の関係で幼い頃から世界中を訪れ、国際感覚や知識、マナーを身に付けていた才女であった。
その上、下に妹と弟がいたために、面倒見の良いしっかり者だったので適任だと思われたのだ。
アイリア嬢はすぐにドリアーヌ王女の信頼を勝ち取り、まるで昔ながらの友人だったかのように親しくなった。
やがてドリアーヌ王女とフェルマン王太子、アイリア嬢とアーノルドの二組は共に行動することが多くなり、その高貴で美しい四人は、学園の憧れの的となった。
しかし、その幸せな情景は二年後にガラリと様変わりすることになった。
彼らが最終学年になった時、一学年下に編入してきた侯爵令嬢キャンべラ嬢に王太子が一目惚れしてしまったからだ。
キャンべラ嬢は王太子達と同じ年だったが、幼い頃から病弱であまり外へは出られなかった。
しかも学園に入学する一年前に重い病に罹ってしまって、領地で静養することになってしまった。
まるで愛らしいピンクの花のように可憐な娘を溺愛していた侯爵は、どうにかして娘の病を治したいと奔走し続けていた。
その結果、侯爵は隣国でその病の特効薬が開発されたという情報を得た。
しかし、かなり高額であり、生産量も少ないので、なかなか手に入れられないと耳にした。
そこで侯爵は王城に出向いて、国王陛下や王太子に懇願した。
ドリアーヌ王女様にその特効薬を融通してくれるように話を通してもらえないかと。
すると、本来なら楽しい学園生活を送れていたはずの、自分と同じ年の令嬢が病に苦しんでいると知った王女が、キャンべラ嬢に同情してくれた。
そしてたしかに高額ではあったが、その特効薬を販売してもらえることになった。
そのおかげでキャンベラ嬢は後遺症も残らず健康な体を取り戻すことができた。
彼女はその後リハビリと自宅学習に励み、一年遅れで学園に編入してきたのだ。
キャンベラ嬢は自分の病を治してくれたドリアーヌ王女と、口添えをしてくれた王太子に直接感謝の言葉を伝えたいとずっと願っていた。
そのために彼女は学園に通い出してすぐに、王族専用の休憩室にアポも取らずに訪問してしまったのだ。
当然その場にいた護衛に捕まってしまったのだが、その時キャンベラ嬢が儚げな風情で、
「ご無礼な行いをして申し訳ありませんでした。
私はドリアーヌ王女殿下とフェルマン王太子殿下に一言お礼を申し上げたくて、ただそれだけだったのです。
病を治して頂いて、なんと言って感謝していいのかわかりませんが、本当にありがとうございます」
と泣きながら礼を述べた。その姿に、王太子は目を奪われてしまったのだ。
そして二人はいつしか人目を避けて逢瀬を重ねるようになった。つまり恋人同士になってしまった。
恩を仇で返すとはまさにこのことである。
もちろん最初はただ感謝の気持ちが溢れて、顔を見てお礼が言いたい気持ちで一杯だっただけなのだ。キャンベラ嬢自身は。
そんな彼女を半ば無理やりに四人の会合に加えたのは王太子だったのだ。
そしていつしか彼女だけを呼び出すようになったのも王太子。
彼女だって最初の頃は、王太子の婚約者であるドリアーヌ王女に対して申し訳なさは感じていたし、ただ王族に逆らえずに逢っていただけだ。
しかし、逢う度に熱烈に愛を告げられるうちに、いつしか彼女も真剣に王太子を好きになってしまったのだ。
やがて二人は人目も気にせず付き合うようになり、そのせいで学園内の風紀は乱れていった。
王太子だって婚約者がいるのに別に恋人を作っているのだから、自分だって学生時代くらい自由恋愛をしても許されるのではないかと勘違いする者達が現れたのだ。
そうなると、生徒会役員達も黙ってはいられなくなった。
しかし、下手に注意などをして付き合いを反対すると却って恋は燃え上がると本に書いてあったので、最初は静観するつもりだったのだが。
王太子には従兄弟でもあるアーノルドが、そしてキャンベラ嬢には同じ侯爵令嬢であるアイリア嬢が話をすることになった。
彼らは決して注意をするのではなく、現在二人がどんな風に周りから見られているか、どんな影響を及ぼしているかを伝えたのだ。
王太子の方はさすがに自分の立場を理解していたので、素直にアーノルドの話を聞いた後、これからは気を付けるし、ドリアーヌ王女には謝罪して許しを請うと言った。
ところが、自分達は何も悪いことはしていないのに、酷いことを言われたとキャンベラ嬢が王太子に訴えたのだ。
「私達は真実の愛で結ばれた恋人同士なのですよね? それは政略で結ばれた婚約より尊いものですよね?
それなのになぜドリアーヌ王女殿下に私は謝罪しなければならないのですか? おかしいですわ」
王太子だって本当は、アーノルドやアイリア嬢の言っていることの方が正しいということくらい分かっていた。
真実の愛だなんだと言ってもしょせんそれは浮気だ。
しかも自分は王族の義務としてドリアーヌ王女と結婚しなければならない。
もし自分の有責で婚約破棄にでもなったら大変だ。慰謝料で済めばいいが、もし友好関係が壊れたら、戦が起こる可能性だってあるのだから。
しかし、キャンベラ嬢にそんなまやかしの言葉を最初に投げ続けたのは自分だ。彼女に好かれたかったからだ。
でもまさか、真実の愛だからといって、婚約者であるドリアーヌ王女の方をまるで悪人のように信じ込むだなんて誰が思う?
そもそも王女は彼女の恩人じゃなかったのか?
キャンベラ嬢の考え方に戸惑いながらも、王太子自身も彼女の考え方の方へ引っ張られてしまった。
本来なら国王がきちんと王太子にその自分の責任と立場をわからせるべきだったのだろう。
しかし、運の悪いことに国王は体調を悪くして、息子を正す余裕など持ち合わせていなかった。
そして卒業式の一月ほど前に、回復することもなくそのまま天に召されてしまった。
王妃もその数年前に亡くなっていたし、誰も王太子に注意する者はいなくなってしまった。
彼は急遽国王の座に就くと、誰の意見も聞かない、怖いもの知らずのただの暴君になってしまった。
そして卒業式の場で国王は、ドリアーヌ王女に婚約破棄を告げ、キャンベラ嬢との婚約を発表したのだ。
しかも婚約破棄の原因は、王女が友人のアイリア嬢を使ってキャンベラ嬢に様々な嫌がらせを続けた挙げ句、学園の池に突き落としたというものだった。
アイリア嬢は一国民として、生徒会役員として、そしてドリアーヌ王女の友人として、ただ淡々と人の道を説き、淑女の有り方をキャンベラ嬢に語っていたに過ぎなかった。
そしてドリアーヌ王女に至っては、卒業後に穏便に婚約解消を進めようと静観していただけだったというのに。
実際にキャンベラ嬢は様々な嫌がらせを受け、池にも突き落とされたが、それをしていたのは、彼らの真実の愛ブームのおかげで、婚約者に蔑ろにされて鬱憤を溜めていた複数人のご令嬢達の仕業だった。
そんなことは少し調べればわかったことなのに、万能感に酔いしれていた二人は、最初から真剣に調査する気などなかったのだ。
冤罪をでっち上げてでも、自分に有利に王女と婚約破棄できれば良かったのだ。
しかし、そうは問屋が卸さなかった。
わざわざ留学してまで嫁ぎ先の勉強をして尽くしてきた自国の王女を蔑ろにし、浮気をし、その上冤罪で一方的に婚約破棄するとは何事だ。
ふざけるな! 馬鹿にするにも程がある!
怒り狂った隣国は王女が戻って来てすぐにこの国に攻め入って来たのだ。
しかしその戦争は三か月ほどで終わった。それは隣国がとある条件の下で引いてくれたからだ。
それは恩知らずのキャンベラ嬢の実家の侯爵家を潰し、その財産を賠償金として支払うこと。
そしてアーノルドの父である侯爵を宰相にすることだった。
たった三か月でもこの国の被害は甚大だった。これ以上続ければ王城でさえ危ないと感じたフェルマン国王は、文句無しにこの要求を呑んだのだった。
もちろん、彼女の実家のことはキャンベラ嬢には内緒にしたが。
王妃は王宮から滅多なことでは出られないし、当分華やかな夜会やお茶会は開けない。だから当分は実家の人間と会えなくても気付かないだろうと国王は踏んだのだ。
しかしこの時国王は、隣国と自分の五人の側近達が、その他にも密約を交わしていたことを知らなかった。
その密約があったからこそたった三か月で撤退してくれたのだということを。
そしてその密約を交わすために尽力したのが、ドリアーヌ王女と、アイリア嬢だったということも。
アイリア嬢は冤罪を掛けられた後平民になったのだが、ドリアーヌ王女の馬車に乗せてもらって、隣国へ渡っていたのだ。
彼女達二人は新国王夫妻を憎んではいたが、国そのものを嫌っていたわけではないし、国民を危険な目には遭わせたくなかった。
それに両国のためにも戦を長引かせたくはなかったのだ。
その後優秀なアイリアは隣国の官吏試験に合格して、ドリアーヌ王女付きの女官になっていた。
そして隣国に来てから六年後、待ちに待っていた手紙がアイリアの元に届いた。
彼女の頬はまるで少女のように赤く染まり、その美しい黒い瞳からは涙がハラハラと流れ落ちた。
そんな彼女を真っ青な大きな目の五歳くらいの少年が、下から心配そうに覗き込んでこう言った。
「おかあさま、どうしてないているのですか?
それは、おとうさまからのおてがみですよね?
いじわるなことでもかいてあったのですか?」
「ライディー、お父様が意地悪なことなんて書いてくるわけがないでしょう。
お父様からのお手紙はいつも私達への愛で溢れているのに。
でも今日のお手紙はその中でも一番嬉しいことが書かれてあったのよ。だからお母様はつい泣いてしまったのよ」
「うれしいことってなあに?」
「来週ね、お父様がここに私達を迎えに来てくれるのですって。
これからはお父様やお祖父様、そしてお祖母様と一緒に暮らせるのよ」
「ほんとう? ぼく、おとうさまにあえるの?」
「ええ、そうよ。これからはずっと一緒。二度と離れたりしないわ」
アイリアは腰を下ろすと、愛息子をギュッと抱き締めてそう言ったのだった。
あの卒業式の日、アーノルドとアイリアは貴族籍から抜ける前に、両家の家族に見守られて結婚式を挙げていた。
そして三日間愛を確かめ合った後、アーノルドはアイリアをドリアーヌ王女に託したのだ。
彼は泣き崩れる新妻を強く抱き締めながら言った。時間が掛かっても必ず迎えに行くから、隣国で待っていて欲しいと。
まさかその三日間で身籠るとはアイリアも思っていなかった。
しかし、もしライディーがいなかったら、いくら気丈と言われる自分でも六年も夫を待ち続けることはできなかったのではないか。
彼女は息子の温もりを感じながら、その存在に感謝したのだった。
それはおそらく夫も同じなのではないかと思うアイリアだった。
母に抱き締められたライディーは、大好きなその匂いを嗅ぎながら暫くおとなしくしていたが、やがてあることを思い出してこう訊ねた。
「ねぇ、おかあさま、おとうさまのいるところへいったら、ライルおにいさまや、シンディーちゃんとはあえなくなるの?」
ライルおにいさまとは、アーノルドの側近仲間である公爵家のローランドの息子だ。
ライルは双子の弟として誕生したのだが、三歳のときにその兄を病気で亡くしていた。
その際に夫が寄り添ってくれないから離婚したということになっていたが、実際は夫婦のままだ。
そしてシンディーちゃんとは、侯爵家のリチャードの娘でライディーより三か月だけ早く生まれた。
世間的には子供ができる前に離婚したことになっている。しかし、実際はアーノルドの両親である侯爵家に妻子ともに匿われていた。
そして戦争が終了したその一年後に、宰相である侯爵と外相である侯爵の手配で、ローランドの妻子やアンドレアの恋人と共に、リチャードの妻と娘のシンディーは隣国へ逃がれたのだ。
国内にいても妻子を守れないと側近五人がそう判断したからだ。
リチャードと妻の両親は共にガチガチの王家崇拝者で、王家からの無理難題もそれに従うのが当たり前という考えの持ち主だったのだ。
公爵家の主夫妻もまたそれに近い意識の持ち主だった。王家に忠誠を誓う者は、家族のことなどに構っていてはいけない。妻に最低の義務である子を成させれば、それで貴族としての責任を果たしと言えると。
だから長男を病気で亡くすなんて将来の公爵夫人としての資格無しだと、散々妻を責め続けた。
そんな両親をローランドは許せなかったし、到底預ける気にもなれなかったのだ。
アンドレアの思い人も彼女達に同行していた。まだ結婚はしていなかったが、二人は幼なじみでずっと思い合ってきた。
彼女は恋人との結婚を待ち続けていたのだが、何せアンドレアが超多忙のために休みが取れず、結婚の申し込みさえしに行くことができなかった。
適齢期を過ぎた娘をいつまでも置いておいてくれるような親ではない。姉がいつまでも居座れば、跡取りの大事な嫡男に婚約者ができないと、無理やりに嫁がされることが容易に推測できた。
それ故にアンドレアはローランドとリチャードに、自分の恋人も一緒に連れて行って欲しいと懇願したのだった。
彼らにとってそれは大きな賭けだった。
しかし、国内に置くよりも何かあった時、ドリアーヌ王女やアイリアに頼った方が安心だという確証が不思議とあったのだ。
たとえ戦のせいで悪感情を抱かれていたとしてもだ。
そしてそれは結局正しい判断だった。
✽✽✽✽✽
結婚相手を見繕ってやると国王に言われた時、側近五人は全員潮時だなと感じた。
この国王は一生このまま反省などしない人間だと確信したからだ。
彼が国王になった当初は、彼のせいで荒廃した国の復興に追われながらも、もし国王が己の過ちに気付いて後悔し、反省してやり直す姿勢を見せたなら、彼の下で自分達も必死に支えて行こうと思った時期もあった。
しかし、そんな可能性はないのだとすぐに思い知らされた。だから彼らは、隣国との約束通りこの国を解体することにした。
この国の王都以外の土地を、側近の五人で分割してそれぞれ独立させることにしたのだ。
ちょうど彼らの領地は東西南北と中央に分かれていたからだ。
もちろん彼らは音頭取りをするだけで、何も自分が国家元首になろうと思っていた訳ではなかった。もちろん皆に推挙されれば吝かではないという覚悟は当然あったが。
彼らは自分達の領地周辺の貴族達に密かに接触して慎重に話を進めていった。
その話を聞いた時は誰もが最初は驚愕し恐れ慄いた。
しかしその内容を聞いてみると、自分達の地位や身分、そして土地や財産の所有権がこれまでと変わるわけではない。
ただ国全体の大きさが六分の一の大きさになるだけだ。
しかもこれまでの王都を除く、他に分割された国々とは連邦制を敷くつもりなので、実質社会制度も生活もほとんど変わりはない。
あえてこれまでの国との違いを挙げれば、現在の愚かな国王の命令や指示を受けなくて済むというメリットがあるくらいだ。
国家のためという名目で、強制労働を強いられたり、高い税金を徴収されたり、国王の失態で起こされた戦争に駆り出されることはなくなるのだから。
愚かな国王の子供達の婚約者や側近に選ばれたくないからといって、子供を作るのを控えたり、生まれた子を隠す必要もなくなるのだ。
超多忙の中でも彼らは、愛する妻や恋人や子供達と共に暮らせる未来を夢見て、諦めずにコツコツと準備を進めてきたのだ。
「陛下、私はこの度侯爵位を継ぐことになりました。そのため領地経営に専念したいので、陛下の側近を辞めさせて頂きます。父も引退するそうなので、二人分の辞職届を提出させて頂きます」
「はあ?」
「同じく私も」
「残りの我々も同様に」
アーノルド、ローランド、リチャード、そして面倒になって口を開くのも鬱陶しそうだったモーリスの分までアンドレアがそう言った。
そして、彼らは国王の執務机の上に、辞職届が在中された六通の封筒を置いた。
側近五人と宰相の突然の辞職表明に国王は白目を剥いた。そして大声でこう叫んだ。
「突然何を言い出すのだ。お前達が一度に辞めたら、一体誰が執務を行うのだ。
お前達ほど優秀な人間など他にはいないんだぞ。この国の機能がストップしたらどうするんだ!
お前達はこの国がどうなっても構わないというのか? 愛国心を無くしたとでもいうのか!」
それを聞いた五人はようやく薄く笑みを浮かべた。そしてまずアーノルドが皆を代表するかのようこう言った。
「我々は優秀ですか? 初めて貴方にそう言われましたよ。お褒め頂けて嬉しいですよ」
そして次に一番の年長者であるローランドがこう続けた。
「しかしながら、たとえどんなに私達が優秀であろうと、貴方は昔から私共の意見や忠告を聞き入れてはくれませんでしたよね?
つまりそれは貴方が我々の考えや能力が取るに足らないものだとお考えになっていたという証ですよね。
それなら今さら私共の存在など、貴方には必要ないのではないですか?」
そしてとどめの言葉を吐いたのは、それまでほとんど言葉を発しなかったモーリスだった。
「我々が束になっても国王である貴方一人には敵いません。
我々は家族と触れ合うことも、病気の子供に付き添うことも、嘆き悲しむ家族に寄り添うこともできないくらい、仕事に追われてきました。
ええ、満足に寝食する間もないくらいにね。
王城勤めの人間が皆そんな状態の中にあっても、陛下は王妃殿下である妻を愛でて、お子を三人、いや来年は四人目がお生まれになるのだったかな。
それはとにかく、陛下にはまだ子作り、そしてそのお子達と遊ぶ余裕をお持ちだということですよね?
そんな優秀で素晴らしい方ですから、私達がいなくとも何らお困りにはならないでしょう」
彼の言葉は、側近達だけでなく、王城勤めの人間全員の思いを代弁していた。
五人組は一礼してから国王の執務室から出て行った。
「その者達を城から出すな!」
国王は慌てて護衛や従者に向かって叫んだが、誰1人その場を動く者はいなかった。
なぜなら彼らもまた、上着のポケットの中に辞職届をしまっていたからだった。
王城を出た国王の元側近五人は、馴染みの元近衛騎士団に護衛されながら、空の数台の馬車を引き連れて、隣国へと向かった。
そして、愛する家族や恋人をその空の馬車に乗せて、それぞれが興した国へと帰って行った。
その中にはなんとモーリスの膝の上に乗せられて顔を真っ赤にさせたドリアーヌ王女がいた。
モーリスはアーノルドと同じく当時の王太子と同じ年で側近だった。
アーノルドやアイリアほど親密な仲ではなかったが、この国の良き国母になろうと日々精進しているドリアーヌ王女に尊敬と憧れの念を抱いていた。
だからこそ彼女に対する王太子の不遜な態度は看過できなかった。
もしかしたらアーノルドよりもモーリスの方が、王太子にキツイ言い方をしていたかもしれない。
普段口数が少ないからこそ、その一言に結構重みがあるのだ。
卒業式の騒動があってドリアーヌ王女が冤罪で婚約破棄された時、モーリスは激しく後悔した。
反対されればされるほど恋は燃え上がるものだから、あまり刺激を与えないようにしよう、そうアーノルドに言われていたのに、自分が余計なことを言ったせいなのかもしれないと。
誰が何をどんな風に言ったとしても、あの方は聞く耳を持たないのだから、君のせいなどではない、と仲間から責めることはなかった。それでもモーリスは直接王女に会って謝罪をしたかった。
だから、密かに結婚式を挙げたアーノルドが、新妻となったアイリアをドリアーヌ王女の馬車へ送り届ける際に、それを手伝う形で帯同したのだ。
そしてドリアーヌ王女に自分の言動のせいで殿下をこのような辛い境遇に陥れてしまったと謝罪した。
しかし、王女はこう言ったのだ。
「私は、貴方が私のことを思って真剣に進言してくれていたことがとても嬉しかった。私をちゃんと見て評価してくれる人がいるのだと」
そして親友二人には聞こえないように、王女はモーリスにこう囁いたのだ。
「貴方がいたからこの国で頑張れました。そして、これからもこの国を嫌わずにいられるでしょう」
と。
それを聞いたモーリスは、やはり小さな声で囁き返したのだ。
「貴女がずっと好きでいてくださるような国に、絶対に変えてみせます。そしてご覧になって頂けるようになったら必ずお迎えに参ります」
モーリスは王女を縛りたくなかったので、はっきりとした物言いは避けた。
しかし、たとえ王女が誰かのもとに嫁ごうと、必ず逢いに行くことをその時誓ったのだ。
そしてその後も、二人は文通を通して愛を深めていったのだ。
災い転じて福となすではないが、ドリアーヌ王女は家族に愛されてはいたが、彼女が原因で隣国と争いが起こったことで瑕疵が付き、縁談話は持ち上がらなかった。
そのために、父親や兄達の政務を手伝いながら、彼女はモーリスを待ち続けることができたのだった。
もちろん親友で女官になったアイリアと共に、隣国から逃避してきた女性達の生活の支援をしながら。
王女の庇護を受けていた女性達は心の底からこう思った。
「あの愚王があの脳内お花畑のキャンベラにさえ目移りしなければ、この素晴らしい王女殿下が母国の王妃になられた。それが悔しい」
と。
彼女達の多くは知らなかったのだ。その愚王にキャンベラを出逢わせてしまったのが、ドリアーヌ王女ということを。
しかし実際王女のしたことは純粋に人助けだった。その恩を忘れて、その恩人の婚約者を奪う人間がいたことに当時アイリアは信じられなかった。
しかも、真実の愛は政略結婚よりも尊いと宣った彼女の言葉に絶句したものだった。
✽✽✽✽✽
そして連邦制度ができてからちょうど二十年が経った。その祝いのパーティーが、連邦議会が設置されている旧王都にある旧王城の大広間で開かれた。
昨年連邦議長に就任したモーリスと彼の妻である元隣国の王女であるドリアーヌ夫人がまず踊り出した。
次に五つの連邦国の元首夫妻がその後に続いた。
それは滅亡した旧王国で、今は亡き国王の側近だったアーノルドとアイリア夫妻、ローランド夫妻、リチャード夫妻、アンドレア夫妻、そして代替わりして当主になったばかりの、議長夫妻の長男夫妻だった。
本来ならここにもう一つの連邦国があったはずだった。それは元々この連邦国を治めていた国であり、パーティー会場となっているこの城を所有していた旧王国だった。
しかし、十年ほど前にその国は消滅し、その国の王都だったこの周辺には、連邦の関連施設が置かれている公共的な地域になっていた。
なぜ旧王国が無くなったかといえば、国王夫妻が亡くなった後、残された四人の子供達全員が王位継承を拒否したため、後継者がいなくなったからだ。
元々連邦国が成立した時、旧王国に残ったのは、領地で暮らす子供達に見捨てられて、タウンハウスに残るしかなかった国王派の当主達だけだった。
つまり若い世代は皆、例の五人組の連邦国のどれか一つに所属してしまったため、旧王国に暮らす若い世代はほとんどいなくなってしまったのだ。
もちろん国王は自国に若者を呼び込む対策を取ろうとしたのだが、本来なら引退しているような年齢の者ばかりでは、画期的なアイディアは出てこなかった。
そこで他の連邦国や隣国に職員の募集をしてみたのだが、何せこれまでのやり甲斐搾取していたやり方を知られているので、それに応募してくる者などいなかったのだ。
もちろん他国を参考に労働条件などは改善されていたのだが、信用されなかったようだ。
結局若者の移住者は現れず、国は衰退の一歩を辿ったというわけだ。
「そう言えば、元王妃殿下はこの大広間で同年代とパーティーを楽しんだことは一度もなかったのだろうね。
今も健在だったら、すでに皆年配者ばかりになってしまったけれど、元同級生達とそれなりに楽しめただろうにね」
アイリアは一休みしながら、楽しげにダンスを踊り続けている友人夫妻達を見つめていた。
するとそこへ、妻の好きな少し辛めの赤ワインの入ったグラスを差し出しながら、アーノルドが言った。
旧王国の国王夫妻が亡くなったのは今から十年ほど前で、二人はまだ三十代半ばだった。
なぜ亡くなったのかといえば、それは心中だった。
キャンベラは四人目の子を産んだ後、パニックに陥った。
ベテランの産婆によって、お産自体は双子の時とは違って安産だった。
しかし、彼女は四人目で初めて自分の子供に授乳することになったのだ。
なぜなら旧王国には若い人間がほとんどいない。そのために当然乳母が務まる女性が見つからなかったのだ。
平民ならお乳が出ない人以外、自分で授乳をするのは当たり前のことだ。
貴族でも授乳する人がいないわけではない。しかし、キャンベラには自分が赤ん坊に母乳を与えるなんてことは想像したこともなかったらしい。
しかも数時間ごとに夜中でも授乳しなくてはならないことは、それまで勝手気ままに暮らしてきた彼女には耐えられないことだったろう。
あまりにキャンベラが喚き散らすことに辟易した国王は、かなりの高額な報酬を提示して、貧しい農村のベテランの母親を見つけ出した。
ようやく同年代の女性と話ができると喜んだキャンベラだったが、十歳以上年上で、しかも貧相な女性を見て、話が合うとは思えず落胆したのだった。
キャンベラは王妃になってから一度も同世代との会合を持てなかった。それは王子や王女達も同じだった。だからこそ彼女はその子供達のためにも何か対策を考えるべきだった。
それなのに彼女は嘆くばかりで自分からは何もしなかった。いや、自分だけ逃げた。
警備も杜撰になっていた王城から、逃げ出して実家に戻ろうとしたのだ。
乗り合い馬車の停車場を見つけて、御者に持っていた装飾品を渡して、目的地を告げて連れて行って欲しいと言った。
ところが、彼女はその御者から驚愕の事実を聞かされた。
彼女の実家は十年以上前に潰されて消滅していたと。
隣国から大恩を受けながら、それを仇で返したために、隣国の国王の怒りを買ったせいだという。
当主一家は平民に落ち、領民から命を狙われるのを恐れ、その土地から姿を消して行方不明になっていたのだ。
かつての彼女の家が治めていた領地は、モーリスが興した連邦国の一部となっていた。そしてその国の元首夫人はドリアーヌ元王女だった。
その話を聞かされてキャンベラは、初めて自分の犯した罪を知って呆然としたのだ。
病を治してくれたドリアーヌ王女の恩を忘れ、彼女を蔑ろにし、冤罪をかけて婚約破棄されるように仕向け、母国へ追い返した。
それらのことは、自分達の真実の愛を貫くためなら当然のことだと思っていた。
しかし……
王妃だと見破られた彼女は、その後すぐに王城へ連れ戻された。
そしてまるで罪人のように、老齢の護衛達によって王の謁見の間に引きずられて行った。
そこには顔の表情を全て無くした、彼女の真実の愛の相手である夫が立っていた。
そして床に座り込んでいる妻を見下ろして、何の感情も感じられない声で彼はこう言ったという。
「お前もか。お前も私やこの城を捨てるのか。
私はお前との真実の愛のために、国のために大事だった政略結婚の相手も、側近も、家臣も裏切ったというのに。
お前のせいで、私にはもう大切なものは何もない」
王妃はそれに対して言い訳や謝罪の言葉を発する間さえ与えられずに、真実の愛の相手であり夫である国王の手で、事切れたのだった。
その時国王にはまだ大切なものが残っていた。しかし残念なことに、彼はそのことに気付けなかった。
もう長いこと彼には、相談のできるような心許せる者が側に誰もいなかった。だからこそ彼は、その大切な存在を忘れてしまうほど精神的に追い詰められていたのだろう。
残された四人の子供達には罪がない。彼らは連邦国の代表達の計らいで、政治色のない温和な家庭にそれぞれ引き取られた。
彼らはそこで初めて、兄弟以外の同年代の子供達と触れ合う機会を得ることができたという。
人とのコミュニケーションが取れるようになるまでは、かなり困難を強いられた彼らだったが、成人した今では皆穏やかな日々を過ごしている。
夫アーノルドの言葉で旧王家のことを思い返したアイリアは、改めてこう思ったのだった。
「これまではご病気のせいでご友人がいらっしゃらなかったのでしょう?
皆様と親しくなりたいのでしたら、社会の規範を守り、思いやりや気配りの心を持って相手の方に接したら良いのではないですか?」
学園在学中、私はそうキャンベラにアドバイスをしていたのだ。何度も何度も。
「もし私の話をきちんと聞いて少しでも態度を改善してくれていたら、今ここで楽しくダンスを踊っていられたでしょうに。
まさに因果応報ね」
アイリアは心の中でそう呟いたのだった。
(ひとこと)隣国へ逃した妻や恋人達には、男性陣がちゃんと仕送りをしていました。
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