第85話 ゴブリンテイマー、エルダネスのユニークスキルを知る_
「こんな所に入っちゃっていいんですか?」
「かまいません。シャリス様ご自身が指定なされましたので」
そう答えたのはシャリス姫の専属侍女だと名乗った、ルットという女性だ。
彼女から庭で僕を呼び出したのはシャリスだと聞かされ、エルダネスと共に人目を避けてたどり着いた場所。
そこはシャリス本人の部屋であった。
町で会った時の彼女からは想像もできない煌びやかな装飾に満ちたその部屋は、なんだか彼女には似合っていないように思えて。
僕は「本当にここがシャリスの部屋なのか? 全然似合わない気が――」と、つい呟いてしまう。
それを聞いたのだろう、それまで仏頂面だったルットが吹き出して笑い出した。
「ぷっ……くくくっ……」
「あっ、聞こえちゃいました?」
「い、いえ……失礼しました。そういえばエイル様は、素の姫様をご存じなのですね」
あ、やっぱりあっちが素だったのか。
王城前で客人を出迎えていた姫様らしいシャリスは、仮面を被ったシャリスだったのだろう。
「私は知っていたけどね。この部屋の装飾も、本人はあまり好きじゃないって言ってたね」
エルダネスはさっそく高そうな椅子に座ると、テーブルに肘をつきながらそう言った。
物怖じしないというかなんというか。
あの旧図書館の館長というのは、王族にへりくだる必要がない立場だというのもあるのだろうけど。
「それで、僕たちはどうしてシャリス姫に呼ばれたのですか?」
「さぁ、私からはなんとも。それは姫様ご本人からお聞きくださいませ」
ルットはあくまでシャリスの使いでしかないと言いたいらしい。
「私はオマケだけど、いてもいいのかい?」
エルダネスがいつの間にか手にしていた水差しから、美しいガラスのコップに水を注ぎながら言う。
「はい。最初はエルダネス様に相談するおつもりだったらしいのですが、もうお帰りになったと聞きまして」
「じゃあ僕の方こそオマケというか、エルダネスさんの代わりってこと?」
「それは――どうでしょうね」
ルットは小さく笑う。
だがすぐに仏頂面に戻り「それでは私はシャリス様に報告してまいりますので、しばしお待ちください」と言い残して部屋を出て行った。
「はぁ……」
「どうしたんだい?」
「まさかお姫様の部屋に入ることになるなんて、思わなくて」
僕の言葉が面白かったのか、エルダネスは小さく笑う。
「あはは。それは確かにそうだろうね。私も話には聞いていたけど、実際に来たのは初めてだよ」
「そうなんですか」
「当たり前じゃないか」
いつも王城に出入りし、王とすら普通に話ができる立場のエルダネスなら、シャリスに引っ張られて部屋を見たことくらいあるだろうと思っていた。
僕が意味を理解できずにいると、彼はわずかに声を潜め、真面目な顔で言った。
「いいかい。嫁入り前の姫様の部屋に男が入ったなんて知れたら――即打ち首だよ?」
「えええっ……むぐっ」
僕は叫びかけた自分の口を両手で押さえ込んでしゃがみ込むと、声が漏れないように必死に我慢する。
そして驚きが少し落ち着くのを待って、エルダネスを涙目で見上げた。
「そういうことはここに来る前に教えてくださいよ」
「だってそんなこと、普通は言わなくてもわかるよね?」
確かにそうだ。
どうやら僕は町でシャリスと行動を共にし、普通に過ごしたせいですっかり感覚が麻痺していたに違いない。
「あははっ、大丈夫だよ。この部屋には既に軽い防音の魔法が掛かってるから、声は外には漏れないさ」
「防音の魔法……ですか?」
「ちょっと前にね、机の上に魔方陣を描いておいたんだ」
僕はゆっくりと立ち上がると、エルダネスの前の机の上を見た。
そこにはたしかに小さな魔方陣が、水を使って描かれていて。
「だから安心して驚いてもいいよ」
エルダネスはそう言って手にしたコップの水を、喉に流し込んだ。
「魔方陣って初めて見ました。こんな水で描いたものでも効果があるんですね」
「まぁね。普通だとすぐに形が崩れちゃうけど、これは一応魔法で固定してあるし」
「魔法で固定ですか」
「そう。私は四大属性を操ることができるから」
さらりとそう言い放つエルダネス。
だけど僕はその言葉の意味に気づくと、先ほどと同じくらい驚きの声を上げかけた。
「ぞ、属性魔法って一人一種類じゃないんですか?」
ルーリさんとギルマスの授業では、世界を構成する要素を扱う四大属性である『火・風・土・水』の魔法は、一人一種類しか扱えないはずだ。
理由はまだ完全に解明されてはいないが、それぞれの属性同士が互いを打ち消す性質があるからだとか、色々な説があるらしい。
「そういえば君には教えてなかったね。といっても私の【ユニークスキル】を知っているのはごくわずかだけど」
エルダネスはそう言って笑うと、椅子から立ち上がって両手を広げた。
「でもまぁ君のユニークスキルは教えてもらったわけだし、私も教えないと不公平だよね」
その言葉を口にすると同時に、部屋の中を照らしていた燭台から炎だけが浮き上がると、エルダネスの手のひらの上に浮かぶ。
「これが火魔法」
そして今度は反対側の手のひらの上に、机の上の水差しからこぶし大の水が飛び出し、玉になって浮かんだ。
「これが水。あと風は目ではわかりにくいよね」
僕の顔を、窓も開いていないのに風がなでていく。
「今、風が」
「それが風魔法。あと土だけど、勝手に姫様の部屋に土を持ち込んじゃ怒られるから、また今度にしよう」
エルダネスはそう言うと、両手の上の炎と水の玉を元の燭台と水差しに戻してから椅子に座り直す。
「どうだい? 信じてくれたかな?」
「はい……本当に四大属性全部使えるんですね」
「ああ、使える。ただし――」
エルダネスは顔の前で両手を組み、思わせぶりな表情を浮かべて――
「火も水も土も風も、作り出すことはできないんだけどね」
そう自嘲気味に笑ったのだった。