第83話 ゴブリンテイマー、叙勲される_
「やあ坊や。叙勲式は今日だったか」
ギルドで酒を飲み過ぎて二日酔いになってから数日。
王都観光や図書館などで過ごした僕は、通行証を握りしめ、今日叙勲式が行われる王城へやって来ていた。
「はい。これ通行証です」
僕は一度盗まれたあの通行証を門番に渡す。
しばしの沈黙。
門番が通行証を確認し終えると「通って良いぞ」と人用のゲートを開けてくれた。
「いってきます」
「頑張ってな。小さな勇者くん」
門番に見送られながら堀にかけられた跳ね橋を渡る。
城壁の中へ続く門は開いていて、そこにいた別の門兵にも通行証を確認してもらい、ようやく王城の敷地内に入ることができた。
「外からじゃわからなかったけど、さすがこの国の王様が住んでいる場所だな」
門兵に指示された道を歩きながら、僕は辺りをきょろきょろと見回した。
綺麗に敷き詰められた石畳の道と、今も何人かの庭師が手入れをしている庭。
目的を持って植えられた木々の隙間からは泉や噴水なども見える。
中央の巨大な城以外にも大小様々な建物が建ち並び、外からでは見えなかったが城壁の内側はそれだけで一つの町のようだった。
ただし王都とは違って行き交う人の姿がほとんどない。
たまに見かけるのは使用人か兵士、それにひと目で貴族とわかる身分の高そうな人たちだけだ。
「あそこかな」
門兵には叙勲式が行われる式場の建物以外には近づくなと言われている。
現に門から続くこの道を歩いてそれなりに時間は経ったが、後ろを振り返るとまだ一人の門兵がこちらを見ているのがわかる。
「道を外れたらすぐに追いかけてくるんだろうな。気をつけよう」
僕は目指す先に視線を戻すと、少し早足で歩き出す。
指示された時間にはまだ早いが、ずっと監視されているのも居心地が悪い。
「あの建物だな。思ったより大きくないな」
他国の侵略を防いだ立役者への叙勲式だから、かなり盛大なものになるんじゃないか。
旅立つ前にそんなことを何人かに言われた。
だけどやっぱりそんなことはなかった。
「ギルマスたちが言ってた通りだ。宿泊費も出ないし何日も待たされるし」
それどころかその侵略すら王都ではほとんど伝わっていないのだ。
盛大な宴が催されるわけがない。
かつて国王から英雄扱いに近い賞を叙勲されたギルマスを含む冒険者パーティ【餓狼】。
そんな彼らですら王との謁見で交わした言葉は一言程度だったと聞いていた。
おかげで変な期待をせず、ダイト商会王都支部の協力という前準備ができたわけだが。
「それにしても……本当にここなの?」
ラスミ亭より一回り大きな程度のその建物は、とても『叙勲式』などを行う場所には思えない。
しかし扉の横には【プラーム講堂】と表札が掛かっていて、召喚状に書かれていた式場に間違いはなさそうだ。
「お邪魔します」
誰に言うでもなくそう呟きながら、僕はそれなりに立派な扉を開いて中を覗き込む。
「うわぁ」
そして僕は思わずそんな感嘆の声を上げてしまった。
室内はまるで礼拝堂のように綺麗に椅子が並べられ、その前方に舞台がある。
そして舞台の背には大きく翼を広げた赤竜の姿が描かれた巨大な一枚絵が飾られていた。
ちょうど舞台の真正面にある入り口から入った僕は、目に飛び込んできた荘厳な絵に一瞬で心を奪われたのだ。
外からはわからなかったが、左右の屋根近くに取り付けられた採光用の窓にはステンドグラスがはめられ、その色鮮やかな光が室内を照らしているのも絵をさらに引き立てている。
しばらく見とれていたが、さすがにこのまま入り口に立っているわけにはいかない。
とりあえずどこかに座って叙勲式が始まるのを待とうと講堂の中に入る。
質の良い木材で作られているのだろう椅子には既に四人ほど先客がいたが、どの顔にも見覚えはない。
僕はその人たちから少し離れた後ろの席に腰掛けることにした。
講堂の中は僕を含めて五人。
どうやら全員が叙勲される側で、王国側の人はまだ来ていないのだろうか。
「それではそろそろ始めましょう」
そんなことを考えていると、舞台袖の扉から四十代くらいの仕立ての良い礼服に身を包んだ男が出てきてそう告げた。
始めるというのに出てきたのはその男一人で、他に誰か出てくる気配がない。
男はそのまま壇上に上がると、小さめの机の上に置いてあった書類を手に取り、そこに書いてある名前を読み上げた。
そうして始まった叙糞式は僕が想像していた以上に本当に質素で簡単なものだった。
なんせ名前を呼ばれて壇上に上がり、賞状と僅かばかりの報奨金を受け取り、最後にさほど大きくない勲章を渡されるだけ。
「はぁ……たったこれだけのために王都まで呼び出すなんて思わなかったよ」
たしかにギルマスたちの話から、期待するほどではないとは思っていた。
だけど一応国を守った英雄として呼ばれたのだから、それなりの扱いはされるだろうと少しは思っていたのだ。
なのにまさか『庭師として十年勤め上げた』とか『連続強盗を捕まえた』とかで叙勲に呼ばれた人たちと同じような扱いをされるとはさすがに思わなかった。
「というか『国境の警備に協力した功績』って」
あの命をかけた侵略軍との戦いが『国境の警備に協力した』の一言で終わらされているのはさすがに納得がいかない。
とはいえ確かにそれは嘘ではない。
そしてたぶん、こんな程度かと声を上げてもろくなことにならないのはわかる。
「それでは本日の叙勲式を終了いたします。皆様、これからも王国のため人々のために頑張ってください」
式を一人で行った男はそれだけ告げると、入ってきた時と同様になんの余韻も残さずさっさと扉の向こうへ消えていく。
僕は手にした賞状と首から下げた小さな勲章を見ながら、しばらくその場から動けずにいた。
そして気がつくと、講堂内に残っているのは僕一人だけとなっていた。
「帰らなきゃ……ルーリさんたちの所へ」
僕は勲章と丸めた賞状、そして賞金をテイマーバッグとは逆の腰に付けたバッグに入れると席を立つ。
これで僕の王都での用事はほぼ全て終わった。
アナザーギルドやティレルのことは既に【荒鷲の翼】を通して王都ギルドに調査を頼んだ。
もしゴブリンたちの力が必要なら言って欲しいとは伝えてあるが、未だになんの連絡もないところを見ると必要ないようだ。
「ああ、早く帰って僕もエヴィアスの復興を手伝わないとね。ゴブリンたちの力があればかなり助かるだろうし」
そうして僕は講堂を出て、これが最後かもしれないと王城に目を向けた。
立派な王城は近くで見るとやはり大きく迫力がある。
そんな僕が見つめる先、王城の正面から何やら立派な服を着た人々が十人ほど出てくるのが見えた。
気になって見ていると、ちょうど大きく立派な馬車が城門の方から走ってきて、その人たちの前で止まる。
「なんだろう。誰か偉い人でも来たのかな」
興味を惹かれた僕は少しだけ王城へ近づいてみることにした。
馬車の扉が開き、その中から一人の若い男が出てくるのが見えた。
斜め後方からなので顔は見えないが、どうやら彼が客らしい。
あまり王国では見たことがない貴族服のせいか、迎えに出ていた他の貴族から一人浮いて見える。
「あっ、あれは」
そんな彼を出迎えるためだろうか。
城の中から一人の女性が歩いてくるのが目に入った。
純白のドレスを身に纏った、美しい金髪の少女――
「シャリス?」
それは数日前、僅かな時間を共にしたこの国のお姫様であるシャリス=ウィリスに違いない。
姫様なのだから王城にいてもおかしくないが、そんな王族が玄関口まで出迎える男とはいったいどんな身分の人物なのだろうか。
それに姫が出迎えるというのは、何か特別なものを感じる。
僕はあの日とは全く違う空気を身に纏ったシャリスを呆然と眺めながら、そんなことを考えていた。
その時である。
「えっ」
一瞬、僕とシャリスの視線が合った気がした。
「気のせい……だよな」
それにもしシャリスが僕がいることに気づいたとしても、あの日彼女は僕に『最後』だと告げたのだ。
あの時から彼女は公人としての『姫』であり、僕はただの一国民。
もう二度と言葉を交わすことはできない。
「帰ろう」
僕はあの日少しだけ感じた胸の痛みを思い出しかけ、それを振り払うように王城へ背を向けた。
できるだけ思い出さないように。
これから帰るエヴィアスやルーリさんたちのことを考えながら、僕は城門へ向けて早足で進んでいく。
そして門兵に「ありがとうございました」と告げ、城門の外へ一歩踏み出そうとしたその時。
「エイル様。お待ちください」
そんな女性の呼びかける声が、突然僕の耳に届いたのだった。