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プロローグ


あれ? 今、俺は何をしているんだっけ?


いや、別に記憶障害だとか、認知症だとかになった覚えはない。

厨二病が炸裂して、痛い台詞を吐いているわけではない。


何か大切な事を忘れているような……そんな気がする。

だが今は、そんな事は置いておこう。それよりも気になることもあるしね。

どうやらいつの間にか俺は眠っていたようだ。まだどこか目を閉じていたい気持ちに抗えずにいる。

体にはゆらりゆらりと何かに揺らされているような振動が伝わってきて、それが妙に心地良い。

そして、自分の右手にはふわふわの綿のようなものが触れている感触があった。


「なんだろう?」


流石に気になったので目を開ける。そこにいたのは真っ白の毛並みを持つ綺麗な猫だった。薄いエメラルド色の瞳を俺に向け、体を右手に擦り付けてくる。

可愛い! それに……。


「随分と綺麗な猫だな?」

「みゃ~」


俺がそう言うと返事の代わりなのか猫は嬉しそうに鳴く。それを聞いて俺はまた頬を緩めてしまう。

あれ? 俺っていつから猫好きになったんだっけ? いや、そんなことはどうでもいいか。こんな可愛い生物を前にすれば猫好きでなくてもこうなるはずだ。


猫を撫でつつ、目を開けたついでに周りを見る。俺は今、小舟の上に寝かせられていた。俺の周りにはいくつもの船が同じ方向に進んでおり、仄かに船灯が揺らめいている。

小舟の上には俺と同じような人や猫や犬などの動物たちも乗っている。だが、誰も喋ることはなくただ真っ直ぐに前を見つめていた。


どう見ても病院とは違う場所に戸惑いつつも考える。

ここは一体どこなんだか。どうして、皆んなは前を向いて何も言わないんだろう? 

そんな疑問が俺の中に生まれるが、それに答えてくれる存在なんてどこにもいない。わずかばかりの期待を込めて猫に聞いてみる。


「船の上に猫がいるなんて……というか、ここはどこなんだろう。何か知っているか?」

「みゃ~?」


猫はただ可愛らしく甘えるように鳴く。


「まぁ、お前に聞いてもわからないよな~」


勿論、猫は俺の問に首を傾げるだけで俺の疑問に答えてはくれなかった。

俺は心を落ち着かせるために猫を撫でながら、自分の船が進む先を見つめていた。

船の先は霧が濃く、視界が悪い。そして、進むにつれてその霧は濃くなっていき、やがて見えていた周りの小舟たちも見えなくなっていた。

不安になり猫を抱きしめていると急に波止場が現れて小舟が止まる。そして、目的地の場所に着いたようにそこから一切動かなくなった。


「止まった? 降りろってことなのかな?」


猫は降りようか迷っている俺を先導するように真っ先に波止場へと降り立った。

そして俺を見てまた鳴く。


「にゃ~?」

「降りろってことか?」

「にゃにゃ」


頷くように猫が鳴いたので、海へと落ちないように俺は慎重に降りる。

振り返り船を見るとそこには俺が今、まさに乗っていたはずの船の姿は残っていなかった。


「あれ?」


不思議なこともあるもんだと思う自分に何処か違和感を覚えていた。

この眼の前で起きている不思議な現象に対して、疑問を持たずに受け入れるような感覚は、どこか夢の感覚と似ていた。


なるほどな。これは夢なんだろう。まぁ、現実ではこんなこと起きるはずもない。それに、船に乗った記憶も無いしね。

そのうち目が覚めるかな。せっかくだし、それまではこの夢を楽しもう。


楽観的にそう考えた俺は猫を追いかける。


「案内してくれるのかい?」

「みゃ~」

「着いてこいって?」

「にゃ!」


猫は既に前へと歩き出した。時より俺の方を見て付いてきているかの確認をするように振り返る。

試しに少しだけ足を止めると猫はすぐに振り返り、俺の足元へと駆け寄ってくる。


「にゃ~!」

「か、かわいい。……思わず足を止めたくなる」

「にゃ!? にゃっ!」


猫が俺の言葉に対して抗議するように鳴く。

やっぱり俺の話していること理解しているよな? 猫なのに……まぁ、夢ならご都合主義とやらが働いているのだろう。


「はは、わかってる。もうしないよ」

「にゃ~?」


猫は本当に? と疑わしげな目を俺に向けてくる。猫なのに随分と感情表現が豊かなものだと俺は感心してしまうが、夢の中なので些細なことには突っ込まない。

結局、俺は猫のすぐ後ろを歩かされていた。


いやぁ、猫に道案内をされるなんて、奇妙な体験もあるもんだ。

ナビゲートならぬニャビゲートかぁ。…おっと、少し肌寒くなってきたか?

それと猫さんや、どうしてジト目で俺を見るんだい? さっきまでそんな冷たい目はしていなかっただろう?


猫が歩く道は霧が晴れており、その左右は雲に包まれているかのように何も見えない。後ろを振り返るが、通ってきた道がもう既に見えなくなっていた。

どうやら、引き返すことはできないらしい。まぁ、そんなつもりはないけど。


猫の案内についていくと白い建物につく。

テレビで見た外国にあるような聖堂がイメージとしては近いだろうか。太い柱の門をくぐり抜け、階段を上がる。

聖堂の扉は既に開いており、まるで入るように誘われているようだった。

猫は迷うことなくその中へと入り、それに続くように俺も中へと入る。


「おじゃまします」


こういう場所って猫とかのペット禁止じゃなかったかな? まぁ、夢だし問題ないのか。


神殿の中は先程の霧に包まれている景色とは違い天井から陽の光が差しており綺麗なものだった。神々しいその雰囲気に呑まれていると俺以外の足音が聞こえてきた。


タンッ、タンッ、タンッ……


音のした方向を向くとそこには綺麗な女性の人が俺を見て佇んでいた。その女性をひと目見て感じたのは不思議と安心だった。ふと女性の足元に目を移す。そこには先程まで俺を案内してくれた白猫が自分の腕を舐めながら毛繕いしていた。


まさか夢の中で知らない人物が出てくるとは思ってもいなかった俺は、少しだけ戸惑っていた。

互いに何も言わずに数十秒が経過し、気まずくなった俺が挨拶をしてみる。


「こ、こんにちは」


思わず声がどもってしまったが、仕方がないだろう。こんな美人な女性と話したことなんて人生で一度もないのだ。

まぁ、自慢できることではない。悲しい現実だよな、はは……。


「ふふ、こんにちは」


俺が緊張したように言葉をかけると女性は笑って、優しく返してくれた。

日本語が通じたことにホッとしつつも、どもってしまったことに恥ずかしくなり、顔がほんのりと熱くなる。


「挨拶ができる人は好感が持てます」

「え? えっと、ありがとうございます」

「はい。感謝を伝えられる人も好きです」


女性はそう言って俺にゆっくりと近づいてくる。

え、この人、いきなり距離を詰めてくるタイプの人ですかね!? というかそんな綺麗な顔で近づかれると困るんですけど? 


俺の考えをよそに、女性は胸に手を当て軽くお辞儀するように言葉を重ねる。


「私の名前はイフと言います。あなたは、櫻葉 真さんですよね?」

「え、どうして俺の名前を……」


俺は動揺した声を出す。まぁ、はじめましての人が自分の名前を知っていたのだから、俺の反応は妥当だろう。誰だって動揺するはずだ。

俺の反応が面白いのか、イフさんはまた笑って、説明をしてくれる。


「そうですね。先ずは、真さんには事実を伝えなければなりません。私達には説明義務があります。ですが、真さんには物凄く辛いかもしれません。それでも聞きますか?」


イフさんは俺にそう言ってきた。

凄く辛いこと? 俺への説明義務とはなんだろうか。気になった俺はイフさんの話を聞いてみることにした。


「……聞かせてください」

「では、口から説明するのは難しいので、映像で見せましょう」


イフさんが手をかざすとスクリーンと映写機が出てきた。そして、映写機がゆっくりと独りでに回りだし、スクリーンに映像が映り出す。映像に移されたのは、ベッドの上で眠っている俺とその横で肩を揺らしながら泣いている一組の夫婦だった。


その一組の夫婦には見覚えがあった。いや、忘れる訳が無い。それは俺がずっとお世話になってきた人達であった。


「母さんと父さん……」


俺はそれを見た瞬間に察してしまった。どうして、自分の母と父が泣いているのか。俺が微動だにせずに眠っているのか。

なぜ、ここにいるはずの俺が病院の室内にいるのか。

それを理解した瞬間に足の力がなくなり、膝から崩れ落ちるように倒れる。


「にゃう~?」


心配そうに猫はすり寄って来てくれた。


「大丈夫だよ。あぁ、そうか、そうだったんだ。……とっくに、俺は」


その先の言葉は出なかったが、目があったイフさんはゆっくりと頷いた。それだけで、俺の考えていることが合っているとわかる。

俺はある病にその体を蝕まれていた。そして、それが悪化し始めたのが今年の春頃で……俺はそれに耐えられなかったんだな。いやぁ、負けちまったわけだ。あんだけ、息巻いて頑張るだとか負けないだとか言ってただけに少し恥ずかしい。


そんな事を考えながら、先程見た光景にも納得していた。小舟に寝かせられ、海を渡っていた。あの船に乗っていた皆んなは俺と同じだったわけだ。

……だが、今の俺はここにいる。そして、自分の心臓は確実に動いているように感じられた。


どういうことなんだろうか。最初、俺は夢だと思っていたこの場所も死んでいるから、夢ではないのか? それとも死にながら夢を見ているということなんだろうか。


「俺は亡くなっているんですよね」

「はい。地球に生まれた櫻葉 真さんは、既に亡くなられています。しかし、亡くなってから時間がそれほど経っておらず、その体には肉の記憶を微かに持っているのです。そのため生きている時と同じ感触があります。ですが、それは次第に薄れていき、やがては何も感じなくなるでしょう」

「そう……ですか」


俺がそう返すとイフさんは意外そうな顔をした。


「驚かれないのですか? もう少し怖がるとか、悲しまれるとかしないのですね」


そう言われると確かにそうだ。俺はイフさんの話を聞いても、泣くことはない。確かに普通の人であれば取り乱し、泣き叫ぶくらいはするのだろうか? 


「俺は生きていた頃から感情表現が得意じゃなかったんですよ。だからですかね? でも実際は怖いですし、残念だと思っています」

「残念ですか?」

「まぁ、両親には物凄い迷惑をかけたんじゃないかと思って。……俺は何もしてあげられてないなって」


せっかく生んでくれたのに。俺は何も返せずに死んでしまった。まぁ、あの二人がそんな事を気にする人達かと言われれば……この泣いている姿を見て察する事ができる。

だから、これは俺の勝手な思いなのだ。

俺が身勝手な罪悪感を感じていると、イフさんは首を横に振った。


「そんなことはないかもしれませんよ?」

「え?」

「この映像にはまだ続きがあります」


映像は両親とお医者さんが話している場面になっていた。そして、お医者さんが二人に紙束を渡していた。


「あれは……」

「そうです。あれは、貴方が彼らに残した手紙です。貴方が毎日の思いを綴ったものです」


1日中天井を見つめる日々は時間が余る。だから、俺はよく手紙を書いていた。何枚も何枚も送りもしないのに両親に向けて書き続けていた。


内容は、なんの変哲もない手紙だ。病院の窓から見える景色が変わったとか、最近は子ども患者が多いだとか、看護師の岩井さんが彼氏さんと別れたとかの世間話だ。

俺はそれを読まれるのは物凄く恥ずかしかった。だから、よく担当してくれる看護師さんに、「俺が死んだ時に二人に渡してください」と言っていた。

俺を担当してくれた看護師さんには、縁起でもない事を言わないでくださいと怒られたものだ。そして、退院してから渡してくださいと言われたな。


そんな大量の手紙を受け取った母さんは手紙を抱きしめていた。

母さんは肩を震わせ、泣きながら怒ったような口調で言う。


「馬鹿ね……こんな大量の手紙……お返事書くのにどれだけかかると思ってるのよっ!」


父さんはそんな母さんの肩を抱き、俺の方を向いていた。


「なかなか会いに行ってやれなくてごめんな。もっと色んな話をお前にしてやりたかったな」


父さんは海外出張によく行っていた。帰って来る度に俺にその国の話をしてくれる。それは外にあまり出ることができない俺の楽しみでもあった。

あの話は楽しかったな。携帯で写真なんかも見せてくれて……。


俺は自分の頬に垂れている雫に気がつく。


「はは、死んでいても泣けるんですね」


俺は鼻をすすり、涙を拭く。

イフさんはそんな俺の頭を優しく撫でてくれるのだった。気恥ずかしさがあるものの、その温もりはなぜだか懐かしさを感じるものがあった。

落ち着いた頃にイフさんは俺に言う。


「あなたが残した光は確実に彼らを照らします。それはある種の親孝行なのではないでしょうか?」


イフさんは優しいな。でもその言葉が妙に嬉しかった。


「そうですかね。でも、そうであると嬉しいですね。まぁ、ただの自己満足になるかもしれませんが」

「親孝行とはそもそもが自己満足ですよ。親が子に対して何かをして欲しいなどと思っている場合は、幸せに暮らして欲しいと願っているだけです」

「そういうものですかね」

「そういうものですよ」


手紙を宝物のように抱えているそんな母さんの姿を見る。それを見て俺は、胸の中にあった燻りが消えたような気がしたのだった。

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