7コ目 「なし」なトコ(後編)
前編から続かれる
授業が始まってしばらく経った時、トントンと左肩を叩かれた。見ると、藤宮もこっちを見ている。
「なんだよ」
僕は少し顔を寄せて小声で言う。
「これ」
そう言って藤宮は僕に、ノートの切れ端を手渡した。よく見ると左上の角っこにりんごの絵が書いてある。
「あ、忘れてた…これでよし。」
藤宮は一旦僕から切れ端を取ると、りんごの横に右向きの矢印を描き加えて再度僕に渡してきた。
「次、『り』からだったよね?」
「いや、授業中までしりとりしようとすんな!」
声を出すことは出来ないからって、絵しりとりで続けようとするって…
「しー。バレる」
ほんとにこいつは…
藤宮は『ガーリックライス!』の時と同じ目で僕を見てくる。
しりとりを続ける?だけどもちろん授業中だ。普通に、見つかったらこっぴどく叱られるだろう。
僕は藤宮ほど成績は良い訳ではないから、授業をサボるなんて余裕はないし、日常生活でも、悪いことはしていないけれど良いことをしている訳ではないから、見つかったら内申点にどう響くか分からない。はっきり言って、ここで藤宮にのっかるのは自殺行為だ。やめた方がいいに決まっている。
でも…
『もう少ししたかった』
さっきのその気持ちは本当だった。
それに、
自分の気持ちから逃げるのは、もうやめようと―
僕は藤宮の手からその切れ端を受け取って、右手のシャーペンを握り直した。
りんご、ご…ごまはさっき言ったし…何か、『ご』から始まって、しかも描きやすい食べ物―
僕はシャーペンを走らす。ノートをとるためではなく。
「よし。」
書き終えて隣を見ると、いつもの机に伏してる藤宮ではなく、シャーペンを回して黒板を見ている藤宮がいた。
どこか上機嫌に見えた。
「おい。」
彼女の右肩を叩く。
「おっ。描けた?」
「うん。」
切れ端を返す。
藤宮はそれを受け取って、そして僕の絵を見て、眉をひそめた。
「なにこれ。」
「わかんないか?あれだよ。緑色で苦くてゴツゴツした―」
「っあ、ゴーヤ?!」
「そうだよ。」
僕が言った瞬間、藤宮は声を抑えて笑いだした。
「あははは!」
「なんだよ。」
「だって、これ、ゴーヤって。何このモコモコ。雲かと思ったもん」
藤宮は机に突っ伏した。寝るためではなく。
「中谷くん、よくみんなに、『味のある絵だね』って言われない?」
「ん、絵を見せると毎回言われるぞ。よく分かったな。」
「毎回っ」
藤宮はまた机に伏す。肩をプルプルと震わせながら。
ちょっと笑いすぎじゃあないっすかね…
ひとしきり笑い終えた後、藤宮はようやく顔を上げた。
「あー笑ったわ。声出したらいけないのって、最早拷問だよ」
目に浮かんだ涙を人差し指で拭いながら言う。
「はー。えっと、ゴーヤだから、『や』からだね。了解了解。」
藤宮はシャーペンを手にとってパパパっと描く。すぐに僕に返ってきた。
ゴーヤの横の矢印の横に描かれてあったのは…
「…」
どこからどうみても焼きそばだった。
あんだけ笑ってくれたんだ、僕も何か突っ込もうと思っていたのに。
どこからどう、見ても、焼きそばだった。
デフォルメ調で描かれたその焼きそばは、特徴をよく捉えられていて、焼きそばと認識するに易かった。よく見れば僕の二番目に好きな食べ物、かもしれない、紅しょうがも乗っけられてる。
僕なんか、描きやすそうな食べ物でゴーヤを選んだのに…
隣を見る。目が合うと藤宮は、「ドヤ」と言っていた。顔が。
くそぉ…
そんなこんなで絵しりとりは、藤宮だけが苦戦しながらも続いた。
「えっ、聞いちゃうけど、これぶどうでしょ?ぶどうって一番最初に、僕が好きな食べ物聞かれて言わなかった?」
「あのときは、ほら、中谷くんしりとりだと気づいてなかったから、ノーカン、ノーカン。」
「あいあい。えっと…『う』か。」
う、う…
あの、白い麺のあれが思い付いたが、麺を描くのが難しいな…と悩んで気づいた。
麺なら最初に藤宮が焼きそばを描いてんじゃん。だからそれを真似して…丼を描いて…
「はい。」
もう何回目かの、切れ端渡し。
僕と藤宮の絵が交互に、ぎゅうぎゅうに描かれたそれは、使い古されて皺が目立ってきた。
受け取った藤宮は僕の絵をまじまじと見る。どうだ、上手だろ。実は今までは下手なフリをしていただけで、僕は絵が上手なんだよ(大嘘)。
藤宮はしばらく僕の絵をじっと見ていたが、急に顔を上げて、そして言った。
「勝った!」
「え?」
あ
「だってこれ、うどんでしょ?『ん』ついた!そして決着もついた!」
授業終了を告げるチャイムが鳴った。
「いやー、いい戦いだったねぇ」
授業の最後の挨拶を終えるとすぐに、藤宮からそう言った。
「くそ…」
悔しいなぁ…
授業をサボったことなど忘れて、僕の心の大半は悔しさ、そして少しの充実感とで満たされていた。
「あっ、そういえば僕最初、藤宮の好きな食べ物を尋ねたんだけど。教えろよ。」
「んー、そうだなぁ…これかな。」
藤宮は、さっきまで僕たちに酷使されていた切れ端の、左上の角っこにある絵をトントンとシャーペンで指示する。
「りんごか。」
「あっ、そっか。これをつけないと。」
藤宮によって、そのりんごに点々がつけられた。それだけで、一気にりんごは別の果物へと変化を遂げる。
「梨か。シャリシャリして美味しいよな。…ん?」
梨…なし…無し…
「これって、もしかして『無し』って言ってる?」
「あ、気づいたー?」
藤宮はいたずらっぽく笑って、切れ端をポケットに入れた。
「僕は真面目に聞いてるんだって!ほんとはあるんだろ?早く教えろよ」
「ひみつー。じゃあ昼休みになったし、私寝るね。久し振りに授業中起きたから、眠い」
そう言って藤宮はまた、机に突っ伏した。
「あっ、おい!藤宮!」
必死に起こそうとする中谷くんを無視して、私は、おさまらない顔の笑みを必死で隠していた。
しりとりの最後に描いたぶどうの絵に丸をつけ、小さい文字で
わたしも
と、書いてあることを、中谷くんは知らない。
最後まで読んでくださってありがとうございます。
初めてのヒロイン視点。少しだけど。